第十八話 裏切り
「斬!」
円珠は自転車を道の脇に投げ捨て、目の前に立ちはだかる悪霊の類を一気に薙ぎ払う。学校を飛び出し、自転車の後ろに杜波里を乗せ雨音庵までの道を走り出したはいいが、要らぬ足止めに苦戦している。町を抜け、山道に入った辺りからそこかしこに低級霊が押しかけてきたのである。
「なんだってこんなにわんさか湧いてくるんだっ」
印を結びながら叫ぶ。
「縁尽きたる魂よ、理の渦に沈め。我の力となり、その命を捧げよ!」
スゥゥと掌で悪霊を吸い込み、杜波里が答えた。
「みんな雨音庵に向かってるのよっ。四方から集まってきてるみたいね」
坂道を振り返ると、死者たちが列を成し坂を上がってくるのが見える。さながら、お遍路巡りのような光景だった。
「とにかく急ごう!」
そこからはとにかく走る。息が切れる苦しさより、雨音庵がどうなっているかを考えた時の恐怖感の方が大きい。雨継がいるとはいえ、これだけの巨大な穢れの期は、今まで感じたことがなかった。結界があるにも拘らず、ビシビシと伝わってくる悪意。杜波里はもう既に妖魔の姿へと変わっている。険しい顔で前を見据え、並走する。
雨音庵の門が見える。開け放してはいるが、結界はちゃんと生きている。だが、中は奥が見えないほどの黒い靄。
「兄さん! 砂羽姉!」
声を掛けながら中に入ると、奥の庵の近くで時折カメラのフラッシュのような光が見える。浄化をしているのだとわかるが、一瞬だけ近くの穢れが浄化されるものの、あとからあとから湧いて出る穢れに、とても追いつけていない。それに……
「一カ所に、流れてる?」
まるで大気中を川のように流れ、集まっているように見える。
「円珠、手伝え!」
雨継の声が響き、円珠はハッとする。何とか抑え込まないと、この黒いものが完成してしまってはまずい。それはひしひしと肌で感じている。
「杜波里、行くぞ!」
振り返り、杜波里を促す。が、杜波里は黒い煙霧が集まる先を凝視したまま、動かない。何が見えているのか、杜波里はじっと一点を見つめている。円珠には見えない、何か。
「おい、杜波里!」
「円珠、早く!」
砂羽の声を聞き、円珠は小さく舌打ちをすると駆け出した。雨継の近くまで駆け寄ると、印を結び、叫んだ。
「縛!」
ジャラリと鎖が現れ、煙霧に向け放たれる。が、相手は形のない霧。とても捕らえられるものではない。それなら、と標的を変える。形を成し始めた、煙霧の行き着く先へ。
「縛!」
ジャララ、と鎖が放たれ、ぼんやりとした人型に絡みつく。
「よし、捕えてる!」
円珠が叫んだ。砂羽が円珠の捕らえた人影に向け、浄化をかける。
「映せし影、今ここに絶つ。鎮まれ!」
ジュウウウウウ
いやな音を立て、黒い塊が少しだけ、溶けて消えた。
「いいぞ、砂羽! 円珠もよくやった! 標的はあっちってことだなっ」
雨継が印を結び、唱える。
「南無、散!」
ボンッと光の球が飛び出し、人型に当たる。
グゥゥゥ
獣の鳴き声のような音を発し、五分の一ほどが消滅する。
「よし、勝機が見えてきたっ」
雨継がガッツポーズをする。
「円珠、杜波里ちゃんは一緒じゃないの?」
辺りを見回し、砂羽が言う。円珠は振り返り、
「いや、一緒に来たんだけど」
と言うも、そこに杜波里の姿はない。
「あいつ、どこ行ったんだっ? 杜波里!」
声を掛けると、
ドンッ
飛んできた赤い光が円珠たちの足元に穴を開けた。円珠は尻餅をつき、雨継は砂羽を庇いつつ横へ飛んで避ける。
「わっ」
「おっと!」
あの人型が攻撃をしてきたのかと思ったが、そうではない。赤い光が放たれたであろう場所にいたのは、赤い髪の、少女だ。
「……杜波里?」
本堂の屋根の上から円珠たちを見下ろしている杜波里は、二発目、三発目を放つ。
ドンッ、ドンッ
地面が抉れ、土が舞う。明らかに円珠たち三人目掛けて放っていた。攻撃を避けることで、人型への浄化が出来なくなる。こうしている間にも人型は黒い煙霧を集め、さっきと同じ形にまで戻ってしまった。
「邪魔するなよ、杜波里!」
円珠が叫ぶが、杜波里は表情一つ変えず、撃ってくる。
「どうなってんだっ?」
逃げ惑い、建物の陰に隠れながら杜波里を覗き見る。雨継は砂羽に何かを告げ、砂羽から離れ走り出した。
「おい、杜波里! お前何やってんだ!」
ドンッ
放たれた赤い光に、雨継が印を結び、
「散!」
とこちらも光を放った。二つの光が空中でぶつかり合い、派手に破裂する。
「あの方が……」
呟いた杜波里は、黒い人型を見ていた。
「あん? なんだって?」
雨継が聞き返す。
「あれがお前の言ってた危険分子じゃねぇのかっ? あのまま放っておいたら完全体になっちまうぞ!」
「……そう。完全体に、なる」
駄目だ。杜波里は心ここにあらずだった。雨継の言葉が通じていないかのよう。
「杜波里! 降りて来いって!」
円珠も声を掛ける。なんとか正気を取り戻させなければ、と思うのだが……。
「最初からそのつもりだったのかよ、杜波里!」
雨継の言葉に、杜波里がピクッと反応する。
「お前、俺との冥約は嘘か? お前が望んでたのは、このわからん妖魔の復活か? こいつを復活させて、世界を支配しようとでも思ってんのかっ?」
焦りが怒りとなり、ままならない現状をそのまま杜波里にぶつける。杜波里は驚いた顔で雨継を見、しかし次の瞬間には、そんな表情が嘘であるかのように冷静な声色で質問を投げかける。
「私が探していたものは見つかった?」
答えは聞くまでもない。それでも、訊ねる。
「……見つかったよ。でも手の届かないところにある」
「やっぱりね」
思った通りだ、と小さく息を吐き出す。ハッキリと感じた。探していたものは、円珠の中にある。だから円珠に惹かれたのだとわかった。当然だ……。
「雨継、私はあなたを裏切るつもりなんてない。だけど、私のやらなきゃいけないことのために、手段は選んでいられない」
「はぁ? どういう意味だよっ?」
「この黒い霧は……復活させる」
杜波里はそう言って、赤い光の球を放った。円珠と雨継が左右に飛び、それを躱した。
「ちょ、杜波里!」
円珠が呼びかけるが、杜波里の目は真剣そのものだ。とても冗談で撃って来ているわけではない。
「縁尽きたる魂よ、理の渦に沈め。我の力となり、その命を捧げよ!」
杜波里が手を伸ばし、言葉を紡ぐ。その先にいるのは……
「え?」
「馬鹿、円珠、逃げろぉぉぉ!」
雨継が動いた。しかし、遅い。杜波里の掌から伸びた風が、円珠の体を捕える。絡みつき、吸い上げていく。
「円珠!」
風に逆らい雨継が手を伸ばした。差し出された手を、円珠もまた握り返そうとするが、あと少しのところで届かない。
「兄さん!」
指先が、触れる。
ぶわっ
円珠の体が宙を舞う。そしてそのまま、杜波里の手の中に吸い込まれていった。
「杜波里ぃぃぃぃ!」
雨継が目を吊り上げ、杜波里を睨みつけた。杜波里は自分の手をじっと見つめ、次の瞬間、シュルリと消えてなくなった。
後に残されたのは、雨継と……未だ留まることを知らない、祠から出続けている黒い煙霧だけ。形作られるそのスピードが落ちることはなく、完全な形を成すまで、もう、時間の問題になっていた――。




