第十五話 夢の中の誰か
「正直、あんまり覚えてないんだよなぁ」
昼休み、パックの牛乳を飲み干しながら、蓮がそう口にする。
円珠が学校に復帰すると、時の人になっていた。陸上部二年の悪事は学校側にもバレており、二年生を中心に処罰の対象となった。それでも大事にならなかったのは、警察官である伊津本の計らいが大きかったようだ。話を管轄の警察署に届け出なかったのである。
不法侵入に関しては立派な犯罪だ。しかし、あの場所に廃ホテルを残したままになっている土地の所有者が、これをきっかけに大事になるのを避けたかったらしく、罪に問うつもりはありませんと話を持ち掛けてきたこともある。
円珠は廃ホテルに入った陸上部の面々を連れ戻すべく向かい、階段から転げ落ちたということになっていた。これに関して異を唱える者はいなかった。情報操作である。そもそもあの悪霊を目にしたのは円珠と杜波里だけ。陸上部の面々は、黒い影しか見てはいない。更に、円珠が戦っていたところを見たものは皆無であり、怪我の理由など、どうとでも言えたのだろう。
しかし、意識が戻らない円珠を心配し、名を呼ぶ杜波里の姿があまりに鬼気迫るものだったようで……。
「日暮さんが円珠に縋りついて何度も名前呼んでるところは覚えてんだけどね。あれ、映画みたいだったなぁ」
そこも情報操作してほしかった円珠である。
「……蓮も謹慎だったのか?」
主犯格だった二年生は、三日ほど自宅謹慎させられていたと聞いたが。
「いや、一年はみんな反省文だけで済んだよ。先輩の言うことに逆らえなかった、ってのが考慮されて」
「そうか」
謹慎を受けた二年生が、クラスメイトに「何があったのか」と聞かれ答えたその中身が、若干問題なのだ。
「あ、あの子じゃない?」
通りすがりの二年生が数名、円珠を差し、言った。
「そうかも! ね、声掛けてみるっ?」
「やめなよ~」
キャラキャラと笑いながらその場を去っていく。全部筒抜けなのだが。
「……で、なんで俺がこんな目に?」
蓮を睨みながら訊ねると、蓮はあからさまに視線を外し、
「俺のせいじゃ……ないと思うけど?」
と声を半オクターブ上げて答えた。
陸上部二年が蒔いた噂とは、円珠が陰陽師の末裔であり、怪奇現象を察知し特殊な能力で怪異と戦い、皆を守ったのではないか、というものだ。あながち嘘ではないのだが、誇張されているのはそこではなく、「転校生である恋人の日暮杜波里とは、前世での繫がりが深く、今回の一件を機に二人は前世の記憶を思い出し、さらに深い絆で結ばれた」のようなストーリーを勝手に作って流したようなのだ。
これに食いついたのが、女子たち。初めは陸上部二年の間で。それがいつの間にか瞬く間に広がり、更に尾鰭がつき、今では学年も部活も関係なく広まっている。「前世で姫だった杜波里は、魔物の生贄にされそうだったところを円珠に助けられた。しかし円珠は魔物を倒すとき、命を落としてしまう。嘆いた杜波里は来世を誓い、自ら命を絶った。その記憶が、あの夜蘇り……」のような悲恋からの再生話にまで成長しているのだからすごい。
おかげで、学校復帰早々に知らない先輩たちに囲まれ
「未知なる力に目覚めたのはいつ?」
「現世では結ばれて幸せになって!」
「属性は火? それとも水?」
など、数多くの意味不明な質問を浴びせられたのだ。
「なんで否定しなかったんだよ、蓮……」
噂が出回った時点で火消しをしておいてくれれば、ここまで広がることもなかっただろうに、と思ったのだ。が、
「だって日暮さんが否定しないもんを俺が否定できないでしょ!」
真面目な顔で返される。
「……なんであいつは否定しないんだっ」
飛び交う噂を耳にしても、特に言い返すでもなく訂正するでもなかったらしい杜波里。そして彼女は、円珠が目を覚ましてから姿を見せていない。円珠が学校に来るのと入れ替わるかのように、休んでいるのだ。
「あ、言っておくけど、花とお菓子は必須だからな?」
蓮に言われ、きょとんとしていると、蓮が眉を寄せ円珠を小突く。
「お前、彼女が休んでるんだから見舞いにくらい行くんだろ?」
「へっ?」
「へ? じゃない! 日暮さん、円珠が休んでる間、ずっと元気なかったんだからなっ? しっかリフォローするのが彼氏の役目だろうがっ」
「いや、彼氏って」
「花とお菓子。そんでギュッと抱きしめて耳元で甘い言葉でも囁いてこい!」
あはは、と笑いながら円珠の背をバンバン叩く。円珠は痛みに顔を歪ませながら、杜波里がどこに住んでいるかを知らないことに気付いた。
そもそも彼女は人間ではない……はずだ。妖魔にも住所があり、戸籍があるものなのかと疑問に思う。そういえば、どうやって学校に入ったのだろう?
「兄さんに聞いてみるか」
どうして休んでいるのかも知らないのだ。様子くらいは見に行った方がいいだろうな、と漠然と考えていたのである。
◇
「知らん」
帰宅後、兄への質問の答えはこれだった。
「知らないって……だって兄さんが連れてきたんだろ?」
「そうかもしれん。だが知らん。大体、妖かしって家に住んでるのか? 杜波里は獏だぞ? 夢の中にいる妖かしだぞ?」
言われれば、そうだ。
「じゃ、家はないってこと?」
「ん~、夢の中に家があるのか~? はてさて、どうなってるんだろうなぁ」
腕を組みわざとらしく考え込む雨継だが、円珠にはわかる。これは、何か隠している。
「……何を隠してる?」
「はぁ? なんだそれはっ」
やはりそうだ。ムキになった。雨継は良くも悪くも嘘が下手だ。素直だと言えば聞こえはいいが、単純でわかりやすい。
「何か大事なこと隠してるだろう?」
ジト目で見つめるが、目を逸らされる。
「さぁ、て。俺はちょっと本堂で探し物を……」
「おい!」
「ま、そう熱くなるなって。杜波里なら明日には戻ってくるだろう」
ポンと円珠に肩を叩き、足早に出て行ってしまう。残された円珠は、どうすることも出来ず、溜息を吐いた。
「なんなんだよ、まったく……」
結局、お見舞い(?)に行くことは出来そうもない。明日杜波里が来なかったら、学校で住所を確認すればいいだろうと思った。届け物でもあれば完璧だが、それは明日考えればいい。
それにしても……。
「一体何を隠してるんだ、兄さんは」
そもそも杜波里と結んだという冥約の中身も本当なのか怪しいと思っている。青春を捧げろとは言われたが、あれだけの力を持つ妖魔と冥約を交わすのに、たかが数年の青春だけで済むなどとは思えない。それから……。思い出すと恥ずかしくなるが、杜波里とのキス。二回とも、直後に能力が格段に上がった。あれはどういうことなのだろう。
「やっぱ杜波里に直接聞くしかないのか」
非常に、聞きづらいことではあるが。
全ては、明日ということだ。
円珠は早めに布団へと潜り込んだ。そして、夢を見る。そしてその夢の中には、誰かが隣にいた。それはいつかどこかで聞いた声の主……。
「君は……」
顔がぼんやりして、見えない。
ずっと昔、知り合いだったのだろうか。こちらを向いてはいるが、どんな顔をしているのかわからない。怒っているのか、笑っているのか。何か話さなければいけないことがあるような気がするのだが、思い出せない。
「あの子を……よろしく、ね」
隣の誰かは、確かにそう言った。託すかのように。引き継ぐかのように……。
「君は、誰?」




