第十四話 目覚め
耳鳴りがする。
頭の奥の方、ズキズキと鈍い痛みと、誰かの優しい声。聞いたことがあるような、初めて耳にするような、しっとりと馴染む心地のいい音。
円珠はぼんやりとした意識の中、誰かの声を聞いた。
「きっと……してね?」
肝心な言葉か聞こえない。何をしてほしいと言われたのか、わからない。
「……お願い。……して……。……の、こと」
わからない。一生懸命耳を澄ませるが、聞こえない。姿も見えない。急に不安になる。自分はどうしたのだろうと。記憶を辿る。どこにいた? 目を閉じる前、自分は――。
「キラキラの……赤、だ」
声が出た。自分の声だとわかり、目を開ける。見慣れた天上。ここが自分の部屋なのだとわかる。部屋の明るさから察するに、夜明け前くらいだろうかと視線を動かす。
「え?」
ベッドの脇に突っ伏している長い黒髪が見えた。
「……杜波里?」
思わず名を呼んでしまう。もぞ、と動いた肩を見て起こしてしまったことを後悔する。
「円珠……?」
顔を上げた杜波里は、なんだかとても疲れた顔をしていた。
「もう、朝なのか?」
ほわん、とそんな言葉を吐くと、何故か杜波里が円珠の頬をぱちんと叩いてくる。
「いてっ」
本当はそこまで痛くはないが、驚いて声を出す。
「この……馬鹿!」
そう言い放ち、杜波里は部屋を飛び出していった。
「……え、なんで?」
円珠は眉間に皺をよせ、半身を起こした。体中が筋肉痛のようだ。少し動かすだけでも痛いし、重い。落ち着いて思い出すと、廃ホテルで意識を失ってからの記憶が何もない。一体どうやってここまで戻ってきたのか。
ドカドカと廊下を走る足音が聞こえ、バン、と襖が開け放たれる。
「円珠!」
駆け込んできたのは兄、雨継だった。
「兄さん、どうしたの?」
「はぁぁ? どうしたの、じゃないだろうがっ」
どしどしとベッドまで近寄り、円珠のおでこに手を当てた。
「熱、下がったな……」
「俺、熱あったんだ」
「……お前、どこまで覚えてる?」
雨継がドカッとベッドの横に腰掛け、言った。円珠は首を捻り、
「廃ホテルで、ホテルマンと対峙して、ボコられて気を失った」
「……案外ちゃんと覚えてるな」
呆れたように、雨継。
「だって、事実だし」
誤魔化そうとは思ってない。あの時自分は、力及ばずだったのだ。
「あ! 蓮! 蓮たちはっ?」
あの後、どうなったのか。確か杜波里があのホテルマンを驚くほどのスピードで倒したのを目にし、安心して意識を失ったのだ、というところまで思い出す。
「陸上部の面々か。大丈夫だ。多少のかすり傷はあるが、みんな無事だ。……問題はお前だよ」
「……俺?」
真面目な顔の雨継を見、不安になる。雨継はいつもふざけている。そのふざけた兄が、ここまで真剣な顔をしているなんて、というおかしな不安。
「お前が倒れた後のことを順番に話すか。……まず悪霊を取り込んだ杜波里が、陸上部の面々に魂を返した。これで全員復活だ。しかし円珠、お前だけが気を失ったまま目を覚まさない。しかも怪我も酷い。救急車を呼ぼうと言った一年女子に対し、二年男子が「このことが学校にバレたら全員退学かもしれない」とビビり散らした。杜波里が俺に連絡。俺と砂羽で迎えに向かい、回収。ちなみに、陸上部の面々には、俺と徹平さんからこれでもかってくらい説教しておいたぞ?」
「えっ? 徹平さん呼んだのかっ?」
「ああ。俺がゴチャゴチャ言うより、手帳見せる方が脅しになるだろ?」
ニヤリと楽しそうに笑う雨継。
伊津本徹平……砂羽の伯父にあたる人は、警察官だ。想像したくはないが、その時の説教の様子を鮮明に想像してしまう。あとで蓮に何を言われるかと考えると、頭が痛い。頼むから興奮した雨継が手を挙げていませんように、と祈る円珠だった。
「……それで?」
「お前を病院に担ぎ込んで手当てを受け、そのまま帰宅。ほんとは入院を勧められたんだが、熱の原因が『穢れ』だった場合、病院じゃ処置しようがないからな。砂羽に祓ってもらったんだが、熱は下がらないわ、意識は戻らないわで、どうしたもんかと思ってたところだ」
「……俺、そんなに寝てたのか?」
「今日で丸っと五日になるぞ?」
「えええっ?」
さすがにそこまでとは思っていなかった。道理で……と、頭を抱える。
「どこか、問題ありそうか?」
円珠を見つめ訊ねる雨継に、静かに告げる。
「……腹が減った」
◇
「まったく、目を覚ましたと思ったらまずは飯、だなんて」
母、しず香が呆れた顔で茶碗にご飯をよそった。三杯目だ。
「でも、本当に安心したわ。原因がわからないまま目を覚まさないなんて、心配だもの」
砂羽が頬杖を突きながら円珠を見つめ、言った。円珠は渡された茶碗を手に、三杯目を食べ始める。
「杜波里もずっと心配してたんだぞ?」
雨継が缶ビールを片手に新聞から目を上げ、言った。
家に戻ってからは、杜波里が付きっきりだったらしい。自分が目を離したせいだと落ち込んでいたようだが、あの場合仕方がなかったとしか言いようがない。
円珠にへばりついている杜波里を、雨継が説得してなんとか学校へは行かせていたようだが、学校が終わるとすぐに戻ってくるのだと、雨継がニヤニヤしながら語る。
「……で、その杜波里は?」
部屋を飛び出してから姿を見ていない。
「帰ったんだろ。ずっとうちにいたしな」
「あのままうちの子になるんじゃないかと思ってたわ」
砂羽がどこまで本気かわからないような言葉を口にした。
「お前が眠ってる間、杜波里が何度もお前の夢に入ろうと試みたらしいんだが、それが出来なかった、と言ってた。お前、なにか夢見てたか?」
「え? 夢……?」
茶碗を置き、思い出してみる。
「……ん~」
誰かの声を聞いた……ような気もするが。もしかしたら隣で杜波里が何か喋っていて、その声を聞いただけかもしれない、と思い直す。
「熟睡してた気がする」
覚えていることなど何もない。それが答えだ。
「そうか」
そこから先は、廃ホテルでのことを事細かに聴取される。記憶を辿りながら、事細かに説明をした。例のあのことだけは口を割らなかった円珠である。
「じゃ、その悪霊を操ってた黒幕は、やっぱり別にいるんだな」
雨継の言葉に、円珠が深く頷く。
「あのホテルマンはそんな風に言ってたよ」
円珠が悪霊と対峙していた時、杜波里は想元と呼ばれる、意識の世界に行っていたのだと説明を受ける。無意識の世界というのは、夢の世界と同じ場所にあり、捕らえられた部員たちの魂を取り戻すために、必要なことだったらしい。
「ついでに想元(無意識の世界)で、あの悪霊の意識に入り込み黒幕を探そうとしたようだが、ブロックされていて何も見えなかったと言っていた」
「ブロック?」
「そう。あの悪霊は黒幕に会っているはずだから、意識の中に入り込めばそれが誰かわかるはずなんだ。けど、その部分に関して何らかの鍵をかけている状態なんだろう。命令を受けたことや、状況は理解しているが、黒幕に関する記憶はクローズしている。そんな感じだった、と」
「要するに、黒幕に関する情報は何も得られなかった、ってことか」
回りくどい言い方をしても、結果は変わらない。やるだけのことはやったが、尻尾を掴むまでには至らなかったということだ。
「そういうことだな。今回の事で分かったのは、杜波里がお前にゾッコンだってことだけだ」
「ゴフッ」
円珠がお茶を吹いた。
「ゲホッ、ゲホッ、な、なにをっ」
咽る円珠を、雨継、砂羽、しず香がニヤニヤと顔を歪ませ、見つめていたのである。




