第十一話 対決
どうしてこんなことになったんだろう。
目に映る光景が現実のものとは思えず、蜂須賀メイはただ、震えることしか出来ずにいた。
陸上部の二年生男子。メイからすれば先輩であり、今回の誘いをうまく断ることが出来ず、ここまで来てしまった。「毎年恒例の行事だから」と言っていたが、後にそれが嘘だと知った。その時点できっぱり断るべきだったのだ。
目の前には、この肝試しの企画者である二年生男子が倒れている。目は開いたまま、マネキンのように転がっていた。それをクローゼットの隙間から見ている。
隠れているのだ。
廃ホテルに来て、最初はワイワイふざけ合っていた。先輩たちは、あとから来る蓮たちをどうやって脅かすかを、あれこれ考えていたし、一年女子もそれにつられて悪ふざけを楽しんでいた。せっかくホテルなんだから、スイートルームに入り込んで、そこで脅かそう、という話になり最上階へ。恐怖がなかったわけではないが、大きめの懐中電灯三台でそこそこの明るさも確保していたし、SNSでも配信していたホテルだ。なんとなく「大丈夫だろう」という漠然とした思いがあった。
ところが。
最上階に足を踏み入れた瞬間、急に気温が下がったような感覚。ラップ音のような音も聞こえ出し、急に怖くなる。「もう帰ろう」と一年が口にしたが、
「ここまで来て帰れないっしょ」
先輩の誰かがそう言って、スイートルームへ足を踏み入れる。
作戦通り、一年女子が部屋のあちこちに隠れ、先輩たちが部屋で待つ。そこに蓮たちが入り、先輩が「女子が行方不明になった!」と脅す。蓮たちが慌てたところで、隠れていた女子たちが姿を見せ脅かす……。そんな安直な計画だった。
しかし、女子四人が隠れてから数分後、先輩たちの様子がおかしくなる。
「……なぁ、今なんか言ったか?」
「は? なんだよそれ。俺らを脅かしてどうすんだよ」
「違うって! 今、何か聞こえたんだよっ」
「はぁ?」
「……俺も、聞こえたんだけど」
「……おい、やめろよ」
先輩たちのやり取りを聞きながら、メイは「一年女子を引っ掛けるためにやっているんだな」と思った。だからそのまま黙ってクローゼットで息をひそめていたのだ。
それなのに……。
「……おい、あれ」
先輩の一人が壁の方を指している。そして二人は明らかに怯え始める。
「嘘だろ」
「なんだよあれっ?」
ズル、ズルズル
床を何かが這うような音がする。
「おい、マジかよっ」
「こっちくんな!」
『……オイ、シソ』
「喋ったっ?」
「うわぁぁ!」
誰かが叫ぶ。そこからはもう、パニックだ。隠れている場所からキャー!という悲鳴。
『チカ……ラ』
「やめろやめろ!」
『ミナモ、ト』
「うわぁぁぁ!」
悲鳴の直後、ドサリと何かが倒れる音。立て続けに三回だ。
『タマ……シ、イ』
しゃくしゃくと、何かを咀嚼するような音。黒い影のようなものが、倒れた先輩たちの周りを回っている。キィィ、という音がして、浴室のドアが開かれたのが見える。携帯の明かりが漏れ、そこに隠れていた野中愛の顔がぼんやり浮かぶ。
「せんぱぁい、怖いからやめてくださいよぉ」
メイと同じで、自分たちを脅すためにやっていると思ったのだろう。浴室は完全に仕切られていて何が起きているかも見えない。だから、ドアを開けたのだ。
「……ヒッ!」
愛が息を飲む声がする。「見て」しまったのだ。
「きゃぁぁぁ!」
悲鳴を上げ、尻餅をつく。その瞬間、携帯を落としたようだ。明かりを一瞬見失い、余計に恐怖が増す。
「やだ! やだやだやだ!」
バタバタと暴れるような音。そして携帯を手にしたはいいが、腰が抜けてしまい、立てない。そのまま四つん這いになり部屋の出口へ向かう。だが、硬直した体は全く言うことを聞いてはくれない。
「愛、どうしたっ?」
奥にあるベッドルームに隠れていた、竹早かのんと市原千也が顔を出す。そして同じように悲鳴を上げた。
『……イッパイ、イル。チカラ……ノ、ミナモト』
黒い影がにたりと笑ったような気がした。
このままでは全員、先輩たちと同じように襲われる!
メイは隠れていたクローゼットから飛び出すと、
「かのん、千也、出口に走れーっ!」
と怒鳴り、座り込んでいる愛に手を伸ばす。
「愛、立って! ほら、走るよ!」
「メイ……足が動かないよぉ!」
しゃくり上げる愛の背を思いきり叩く。
「しっかりして! 今走らずにいつ走るのっ? 陸上部でしょ!」
意味の分からない叱咤をしながら腕を引き上げる。奥にいたかのんと千也が、先輩たちを迂回し近くまで来ている。
「行くよ!」
そのまま扉まで、愛を引きずるようにして向かい、扉に手を掛けた。が、
「あれっ? なんでっ? ねぇ、開かない!」
かのんがノブに手を掛け、押したり引いたりを繰り返すが、扉はビクともしなかった。
『ニガ……サナイヨ?』
黒い影がにじり寄る。さっきより明確に、影は形を成している。長い触手のようなものが伸び、千也の足を掴む。
「やだ! やめてよぉ!」
「千也!」
手を伸ばすも、間に合わない。千也はズルズルと引きずられ、黒い影に包まれる。
「きゃぁぁ!」
千也の悲鳴と、租借音。それを聞いたかのんが、その場に倒れた。意識を失ったのだ。座り込んだ愛は耳を塞ぎ、何かをブツブツと呟いている。
「愛、しっかりしてよ!」
声を掛けるも、もはやなにも聞こうとはしていない。
『ああ、美味しいね』
影の言葉が鮮明になる。見れば、それはきちんとした人の姿に見える。若い男だ。さっきまでの得体の知れない影ではない。半分透けた、男の姿になっているのだ。
『安心して。一人残さず、食べてあげるから』
男の言葉を聞き、伸ばされた触手を目の前で見た瞬間、メイの意識はゆっくりと遠のいていった。
◇
「きゃぁぁぁ!」
フロアのどこからか聞こえた悲鳴に、円珠と杜波里が顔を見合わせる。
「どこだっ?」
「こっち!」
灯りもなしに走る杜波里の目は美しい赤。その後ろを、携帯を片手に円珠が追った。途中、何度か足を掴まれ転びそうになる。低級霊たちが集まっているのがわかる。杜波里がいるのに姿を隠さないということは、呼ばれて集まってきているのかもしれない。
「ここ!」
杜波里が止まったドアは、大き目の観音開き。スイートルームっぽいといえばそうなのかもしれない。ノブに手を掛けるも、ビクともしなかった。
「開かない!」
少し後ろに下がり、円珠が体当たりをかます。しかし、まったく開く気配がない。
「おい! 誰かいるかっ? 蜂須賀!」
ダンダンと叩いてみるが、返事はなかった。これではどうにもできない。
「退いて。ぶっ壊す!」
杜波里が円珠を押し退け前に出る。
「おい、壊すって……」
「こうするのよっ!」
くるりとその身を回転させたかと思うと、杜波里の足が華麗に宙を舞う。ドガンともバコンとも言えない鈍い音と共に、埃が舞う。見れば、ドアには三十センチほどの穴が開いている。
円珠が中を照らすと、数人が倒れている姿が確認できた。
「蜂須賀さん! いるのかっ?」
呼びかけるも、返事はない。
「入りましょう」
そう言って杜波里が穴に手を突っ込む。扉をべりべりと剥がすように、掴んで後ろに投げた。扉の近くで、メイが倒れているのを見つける。なるほど、扉ごとふっ飛ばさず穴を開けたのは、杜波里なりの配慮だったらしい。
「蜂須賀さん!」
倒れているメイに、円珠が駆け寄る。抱き起すが、意識はない。
「円珠、あれ!」
杜波里に促され目を向けると、そこには一人の男が立っていた。きちんと制服に身を包んだ、ホテルマンのような男が……。
「お客様、困りますよ、扉を壊すだなんて」
貼り付けたような笑顔でこちらを見ている男は、人ではない。
「……さっき下で感じたより、ずっと強い気を感じるわ」
杜波里が鋭い声でそう告げた。目の前に転がっている陸上部二年と思わしき数人を見て、円珠が拳を握る。
「魂を喰った、ってことか」
文字通り、餌を屠り力を付けたということだ。
「杜波里、あいつが喰った魂って、どうなる?」
もし、喰らった魂ごと杜波里に取り込んだら……。
「安心なさい、ちゃんと返してあげるわよ」
「それを聞いて安心したぜ!」
円珠が、指で印を結ぶ。
「縛!」
ホテルマンに向け、見えない縄を放つ。が、
「消えたっ?」
術を放った途端、姿を消したのである。




