第十話 廃ホテル
二人揃って現場に出向いたら、きっとまたニヤニヤされるんだろう、と覚悟しながら向かった待ち合わせ場所だった。しかし、実際はそこで待つ比津井蓮にそんな余裕はなかった。そわそわと不安気で、落ち着かない様子。一緒にいる陸上部の男子らしき生徒も、無言のまま難しい顔をしていた。
「あ!」
円珠の姿を見つけ、蓮が駆け寄る。
「円珠! よかった、来てくれた!」
その様子にただならぬ雰囲気を感じ取り、円珠が眉を寄せる。
「なんかあった?」
見れば、待ち合わせの時刻であるにも拘らず、そこにいたのは蓮を含め一年の部員三人だけなのだ。
「俺たち、嵌められたかも」
「は?」
「嵌められたって、なに?」
後ろから杜波里も声を掛ける。
「待ち合わせの時間、違うみたいなんだよっ」
「どういうことだよ?」
「先輩たちと、一年女子、既にあのホテルに行ってるみたいなんだ」
「はぁ?」
要領を得ない蓮の話と、他のメンバーの話を纏めると、二年の先輩たちは一年の女子数人を連れ、先にあの廃ホテルに向かっている。あとから来た一年男子にさっき連絡が入り、「中で待ってるから来い」と言われたようだ。
「絶対何か仕掛けてるって!」
蓮は、一年男子を脅かす目的で先に行っていると、疑っていた。
「陸上部って、人数これだけ?」
「いや、二人は塾があるから行けませんって最初から断ってる。先輩たちは渋い顔してたけど、こんな所、来なくて正解だって!」
廃ビルを見上げ、蓮。
確かに、雰囲気はある。お化け屋敷が苦手な人間には、見ているだけでもキツそうな、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
「メイが中にいるんだよ。なぁ、円珠、行って皆を連れ戻してきてくれよぉ」
情けない声で懇願する蓮は、どうやら建物に入ること自体、拒否するらしい。
「円珠、私たちだけで行きましょ」
杜波里が建物を見上げ、言った。それは多分……連れて行かない方がいい、の意。
「わかった。蓮、お前らはここで待っててくれ」
「え、でも」
三人のうちの一人が声を上げる。
「俺、行ってもいいけど?」
お化け屋敷好きがいたようだ。しかし円珠は首を振った。
「お前らにはわかんないだろうけど、ここ、マジでヤバいぞ」
「えっ?」
「嘘だろっ?」
顔を引きつらせる男子たちに、杜波里も続ける。
「霊感ない人にはわからないかも。かなり本気でマズいわよ、ここ」
険しい顔で告げる杜波里に、行ってもいいと口にした男子生徒も黙った。
「メイ、大丈夫なのかよっ!」
蓮が円珠に詰め寄る。
「蜂須賀さんの他に、誰がいるかわかるか?」
「えっと、野中と竹早と……」
「市原も!」
「そう! 女子は四人。先輩は三人……だと思う」
「わかった。見つけて、連れ戻してくるから」
円珠が蓮の肩をポンと叩く。
「頼むよ、円珠!」
蓮が両手を合わせ、頭を下げた。
「行こう、杜波里」
じっと建物を見つめたままの杜波里に声を掛ける。
「そうね」
良からぬ不安を抱えたまま、円珠は杜波里と共に廃ホテルの門を潜った。
◇
廃ホテルの中は、真っ暗だった。そして、そこそこの規模だったのだろう。とても、広い。
入ってすぐはロビー。物が散乱し、所々窓ガラスが割れている。置かれているソファやテーブルには埃が積もり、壁にはスプレーで書かれたらしき落書きもあった。
「円珠、何か感じる?」
携帯のライトで辺りを照らしながら、杜波里が訊ねる。
「……嫌な感じはする……けど?」
「なにそれ」
呆れ顔で返され、円珠が頭を掻く。
「俺、そこまで強い破穢の力持ってないんだよ。見えはするけど、気配とかそういうのはよくわからないんだ」
兄である雨継は破穢の力が強く、異質な者たちの気配を察知する能力にも長けている。だが円珠は、視界に入れば見えはするが、気配を感じる力がない。
「杜波里にはわかるんだろ? どうなんだよ?」
悔しいが、ここは杜波里を頼るしかなさそうだ。
「……そうね。一階には低級霊が数体。私の気配に気づいて隠れてるけど。大きい力は上の方から感じるわ。蜂須賀さんたちの気配も、上ね」
「そっか。じゃ、上に行くとするか」
何気なく灯りを上に向ける。天井には、あるはずのないシミが見えた。
エレベーターは勿論使えない。階段を探し、上がる。カツン、カツンという二人の足音が冷たく響く以外、音はない。
二階に上がると、長い廊下。ここから上は客室ばかりかと思いきや、宴会場と思わしき広い桟敷が数か所。畳の何枚かは持ち上げられ、床の一部が見える。小さな舞台があり、当時はここで催しなども行っていたのであろうことがわかる。
「ここは何もないわね」
杜波里が呟く。上に行けば宿泊のための客室だろう。一体どこに「それ」がいるのかわからない。一つ一つ部屋を探すのは骨が折れそうだ。
円珠と杜波里は再び階段に戻り、上を目指す。三階にはレストランらしき場所があったが、ここにも特に問題はなさそうだった。
「蜂須賀さんたち、いないな」
建物内からはなんの音もしない。陸上部の面々は本当に上の階にいるのだろうか?
「探しましょう」
上へ、上へと向かう。もし陸上部の二年が、一年を脅かそうとしているのなら……どこだ? これだけ部屋がある中で、何かを仕掛けるにしてもヒントなしではきつい。そんなことを考えていると、携帯がブルル、と震えた。
「蓮からだ。先輩たちから連絡が来たらしい。最上階のスイートルームだとさ」
携帯の画面を杜波里に向ける。
「最上階ってことは、五階ね」
二人はそのまま五階へと急ぐ。四階から五階へ上がる階段の踊り場に、人影があった。向こう側が少し透けているソレは、この世のものではない。それでいて、この世のものであるかのようにそこに見えている。杜波里がいても存在を隠そうとしないということは……
「円珠、避けて!」
杜波里が叫ぶより少し早く、ソレは円珠に向かって飛び掛かってきた。獣のように四つん這いになり、ものすごいスピードで襲ってくる。
「うわっ」
避けたが間に合わず、顔の前でクロスさせた腕に、一筋の血が流れる。
「のろま!」
後ろから杜波里の檄が飛んだ。いや、暴言か。
みるみる間に杜波里の髪が赤へと変わる。その双眸もまた、ルビーのように煌めく。円珠を背に庇うと、
「縁尽きたる魂よ、理の渦に沈め。我の力となり、その命を捧げよ!」
そう口にし、腕を伸ばす。「オオオオオオ」という咆哮に似た声を上げ、悪霊が杜波里の手の中に吸い込まれていく。
「……ふぅ」
小さく息を吐き出す杜波里の後ろで、円珠が所在なさげに頭を掻く。
「ごめん」
くるりと振り向いた杜波里は、何も言わずに円珠の腕を掴む。
「ぬおっ?」
驚く円珠に、真顔で言った。
「怪我、見せなさいよ」
「へ? あ、ああ大したことは……」
袖をめくられ、擦れた感触に顔をしかめる。切り傷というのは地味に痛いものだ。
杜波里が腕に顔を近付ける。そして、傷を舐めた。ぺろ、と舌なめずりをする杜波里の目は、どこまでも深く、赤い。
「おいっ」
驚いた円珠が腕を引く。危うく、見入ってしまいそうになった。
「毒でも仕込まれてたら困るでしょ? 確かめただけよ。そんなに怖がらなくてもいいじゃないの」
「怖がってねぇよ! ただっ」
魅せられたのだ。妖艶な赤に。人ならざる者の美しさに、心を掴まれていた。
「ただ、なによ?」
杜波里に言われ、ハッとする。
「ただ……驚いただけだ」
口を尖らせ、円珠はプイッと横を向いた。
「今のがここにいる悪霊の正体なのか?」
階段の上を照らしながら円珠が言うと、杜波里はスッと目を閉じ、
「残念だけど、今のは雑魚。もっと強いのが控えてるから、次は油断しないで」
「……そうか。わかった」
円珠は気合を入れるために、パンと自分で自分の頬を叩いた。




