第九話
練兵場を後にした俺は一度自室に戻って支度を整えた後、城門前に来ていた。既に禁闕守護軍と第十軍の面々が待機しており、先頭で俺を出迎えてくれたのはテオドール、ワーグナー、ギルベルトの三人だ。
「待たせたな。準備は大丈夫か?」
「万事抜かりございません。いつでも出発できますぞ」
「よし、ならばさっそく出発しよう―――ところでさっきから気になっていたのだが、移動はどうするつもりだ?」
「どうするも何もいつも通り女神の風狼に乗っていけばいいんじゃねえのか?まあ、村までなら徒歩でも大差はない気もするけどよ」
「ふむ…いや、ギルベルトもいることだ、女神の風狼に乗っていくとしよう」
ミリオンネーションズでは基本的に拠点間の移動は転移によるものだったが、それは支配下状態にある拠点に限られる。つまり支配下以外の場所には騎獣、或いは徒歩で移動しなければならなかったのだ。騎獣も様々で、最初のうちは徒歩と大差ないほどの速度しか出ない馬だったが、今俺たちが騎獣にしているのは陸海空すべてを圧倒的な速度で走破できる女神の風狼だ。
俺の言葉を聞いて皆が続々と女神の風狼を召喚して騎乗を始めている。まあこの仕様にも慣れたのでいつも通り俺も召喚操作を実行。どこから出てくるのかと思っていたら、俺の身体の横に黒い楕円形の渦巻いている穴のようなものが出現。その中から俺の身長の三倍はあるであろう、巨大な白狼が姿を現した。
あくまで移動用の騎獣は戦闘能力はない筈なんだが―――こんな巨体に体当たりでもされたもんなら全身の骨が砕けそうだ。狂暴じゃないといいんだけど…。
俺が心配しているのを感じたのか、召喚したフェンリルが俺の顔をべろりと舐めた。そのままスッと背を低くし、俺が背中に乗りやすい姿勢をとってくれる。皆がいる前でこれ以上情けない姿を見せるわけにもいかないので意を決して飛び乗るとフェンリルも立ち上がった。
一目見たときから大きいとは思っていたが、いざ背に乗ってみると想像以上に高い。乗る前は背を跨ぐのに足をかなり開かなければならないのではと心配していたが、毛に覆われている実際の体躯は軽く足を開いた状態で跨がって丁度良い程度だ。
「陛下、全員準備完了だ。いつでも行けるぜ」
「では村へ向けて出発しようか」
「おうよ!オレ達が先行するから陛下は後ろからついてきてくれ!」
「わかった。頼りにしているぞ」
「任せてくれ。じゃあ先に行くぜ!」
そう言って駆け出したワーグナーを先頭に横3列で隊列を組み城から出発する。城を出るや否や急激に加速したフェンリルたちはたちまち地面から離れ、空中を蹴って空を駆け始めた。最初はしっかりとフェンリルの身体を足で挟んでいたが、どれだけ速くなろうと空中を駆けようと一切振動は来ないし風も感じない。フェンリルが何かのスキルを使っているのか、或いは魔法的な何かを誰かがかけてくれているのか。考えたところで答えが出ないのはわかっているからそういうものだと思っておくことにしよう。
出発してから一分もしないうちに村が見えてきた。人型モンスターの集落である可能性も考えたが中で動き回っている村人を見る限りそうではなさそうだ。徐々に高度と速度を落とし村の正面口に降り立つ。村は丸太を組み合わせた簡素な柵で囲まれているが、これで防げるのは精々イノシシやクマといった害獣程度だろう。俺達はもちろん、モンスターに襲われでもしたらたちまち村は壊滅してしまいそうだ。
正面口に降り立ってすぐ、中から若い男と中年の男がこちらに向かって歩いてきた。衣服は麻か何かの布でできているがボロボロで中年の男は兎も角、今が男盛りであろう若い男も頬がこけて痩せているように見える。
俺が男たちの身なりを観察していると二人が土下座に近い姿勢をとり、中年の男が口を開いた。
「はるばるお越しいただいたところを申し訳ございません、旅の方々。チナ村にはあなた方をおもてなしできるものが何一つとしてありません。お食事や宿をお探しでしたらもう少し南にあるアリリオ辺境伯領都まで行かれるのがよろしいでしょう」
「あなたはここの村長か?」
「は、はい。私は村長のゴジョと申します。横にいるのは息子のビクトルです」
「私たちはかなり遠くから旅をしてきていてな、この周辺に詳しくないのだ。周辺地理を教えてもらえると助かるのだが…無論、対価は支払うつもりでいる」
「いえいえ、その程度対価をいただくほどではございません。立ち話もなんですから、私の家においでください。狭苦しいですが10人くらいなら入れると思います」
「そういうことならばありがたく招待を受けるとしよう。共は3人で十分だ。ギルベルト、ワーグナー、テオドール以外はそのまま待機、フェンリルは戻しておけ」
「「はっ」」
虚空へと姿を消すフェンリルを見てゴジョとビクトルが目を丸くしていた。フェンリルについて何も聞いてこないのはこの世界でも使われているからなのか、はたまたこちらへの気遣いか。
村の門から歩いて一分もたたずに村長の家に到着した。簡素な木造の家で、家具も椅子と机くらいしか見当たらない。中では奥さんがお茶を出してもてなしてくれた。村長は早速説明をするといってどこからか持ってきた地図を机の上に広げた。ちなみに俺とギルベルトは村長と机を挟んで座っているが、ワーグナーとテオドールは俺の後ろで立っている。(なぜか二人とも同席を拒否したため)
「まずはここが今いるチナ村です。オールストン王国のアリリオ辺境伯の中の最北に位置しております。オールストン王国の最北領がアリリオ辺境伯領ですので、実質国の最北端ですな。村の北東に広がる森はクーヴェ森林地帯と呼ばれております。この森林地帯を挟んで北方に位置するのがルンドマルク公国です。ルンドマルク公国の東にあるスヴァルド帝国と同盟関係で、確か先祖が同じだったはずです。この二国と王国は仲が悪く、数年に一度戦争が勃発しております」
「なるほど。そうなるとこの村は戦場と化すのではないか?」
「おっしゃる通りです。昨年、先代陛下が王太子殿下に譲位なさって王国の国王が変わりました。しかし新王は先代陛下よりも野心が強く、つい三か月前に公国と小規模ではありますが戦争を繰り広げたのでございます」
「だからこの町はどこか活気がなかったのか。村人たちはさぞ疲弊していることだろう」
「はい。更に軍事費を増やすため税の負担が増え、毎日苦しい生活を送っております。……話がそれてしまいましたが、ざっくりの説明となるとこんなところでしょうか。あとは地図には描かれていませんが南にはウッデンバリ連合国、西にはエクレフ共和国があります。もっと広域で詳しい地図はアリリオ辺境伯領に行けば入手できると思います」
「そうか、感謝する。頼みを増やして申し訳ないのだが、この辺りの国の法や身分制度や貨幣制度なんかについてもわかる範囲で教えてもらえるか?」
「ええ、良いですとも。私の知っている範囲でお話しさせていただきます。まずは身分制度についてなのですが……」
俺の頼みを快く引き受けてくれた村長が話し始めると同時に激しく家のドアがノックされた。
「―――ゴジョさん、大変だ!クーヴェ森林の方から赤魔猪が十匹くらい向かってきてる!!」
「はぁ…まだいたのか。女子供は集会所に避難させて男どもは武器をとって門前に集合するように伝えてくれ」
「ああ、わかった!」
そして声の主はドアから遠ざかっていった。しかし、赤魔猪はミリオンネーションズ時代の序盤で登場する危険度10のモンスターだ。ワーグナーの報告通り、この世界にも同じ種類のモンスターがいるんだな。
「旅の方、話の途中ですみません。私も赤魔猪を迎え打つために向かわなければなりませんので、話はここまでにさせていただきます。皆さまも私共が戦っている間にアリリエ境伯領へ向かわれるのがよろしいでしょう」
「村人たちのみで勝てるのか?」
「どうでしょうか。先日も同様に襲撃されましたが、その時は半数が負傷しながらもなんとか撃退に成功しました。今回もまあ、どうにかなりますよ」
「半数とはかなりの量じゃないか。王国―――それこそアリリエ辺境伯領に助けを求めればよいのではないか?」
「何度か村の者を行かせましたが、毎回何かと理由をつけて断られてしまいました。このような北の果ての小さな村に助けに来るものなどおりませんよ」
そう言って苦笑する村長を見て切ない気持ちになってしまったのは仕方がないだろう。彼らは何も悪くないのに、ただ生活している村の位置が悪かっただけで戦争にもモンスターの襲撃にも巻き込まれているのだ。それらの災難から守ってくれる庇護者がいないとはなんとも可哀そうな話だ。まあ、今回に限ってはモンスターによって被害を受けるようなことはさせないけれど。
「村長、情報を教えてもらった対価を払うとしよう」
「はい?」
いきなり話が変わったからか、村長が思わずといった様子で聞き返してきた。
「森林から向かってきているモンスターは我々が迎撃させてもらう」
「い、いえいえ、そのような事は!こんなちっぽけな村のために旅の方々まで危険な目に合う必要はございません!」
「心配するな。これでも我々は腕っぷしに自信があってな」
「しかし…」
「ふむ。ならば共に村の門まで向かおう。もしも危ない状況になったら、村の助けを借りてもよいだろうか?」
「…わかりました。しかしくれぐれもお気を付けください。奴らは非常に凶暴ですので…」
「フ、フフッ…」
「な、何かご無礼を?」
「いやいや、村長は心配性だなと思っただけさ。とりあえず急いだほうが良いのだろう、門に向かおう」
村長とテオドール、ワーグナー、ギルベルトを連れて村の門に向かう。そこには覚悟を決めた顔をして集まった村人の男たちがいた。うちの連中は―――全員何事もないかのようなすまし顔で整列している。村人たちと対照的過ぎてシュールだな。
「親父、遅かったじゃねえか…っておい、あんたらさっきの旅の人だろう。さっさと逃げな!」
「ビクトル、言葉遣いに気をつけなさいと常々言っているだろう。それにこの方々はな、今回助っ人として共に戦ってくださるそうだ」
「ほ、ほんとか?」
「ああ。とはいっても戦うのは一人だけだがな」
「ッ!別に同情なんか求めてねえんだ、そんなんするくらいならとっととどっか行け!」
「気を悪くさせたのならば謝ろう。しかしこれは君たちを馬鹿にしてではないのだ」
「…どういうことだよ」
「単純に一人で十分だということだ。村長には先ほど言ったが、我々は腕には自信があってな」
「過剰な自信は戦場で命取りだぜ。そうやって言って死んでいった連中を俺たちは戦争で見てるんだ」
「まあ、過剰な自信かどうかは見ればわかるだろう。もう赤魔猪は迫ってきているからこちらで片付けさせてもらうぞ…ワーグナー!」
「ハッ!」
いつもは砕けた様子のワーグナーだけど、こういう時はピシッとするんだなあ。
「一匹残らず始末しろ。死体は村に寄付するからなるべく綺麗に狩ってこい」
「畏まりました!」
返事をしてすぐに地を蹴り、空中に飛び上がる。その直後に赤魔猪11匹は糸が切れた操り人形のように動きを止めたのだが、何が起こったか村人には見えなかっただろう。
空中で素早く短弓を構えたワーグナーは地上を走る赤魔猪に向けて矢を射出。それと同時にスキル『猟犬の如き矢』と『複製』を使用して総ての赤魔猪の脳天を正確に撃ち抜いたのだ。
ワーグナーの働きに満足して横を見ると、眼球が飛び出んばかりに目を開き、あんぐりと口を開けた村人たちが固まっていた。
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