第三話 把握
目の前で泣いているエリーシャはどうしたら泣き止んでくれるのか。31年間生きてきたが非常に残念なことに女性経験はない為、女性の扱いはド素人なのだ。友人の恋愛話は何度か聞いたことがあるし、パートナーに対する愚痴は数えきれないほど吐かれたことがある。しかし俺自身の経験は公園で泥団子を作っている3歳児と同じ、0なのだ。ああ、そんなことを考えるだけで俺も泣きそう…。
そこでふと俺はあることに思い至った。これは、明晰夢か転生か、はっきりさせることができるのではないだろうか。いやしかしこの方法は…何というか、実験と称したセクハラだだろう。ルーカスという人物の人望と皇帝という立場に縋ってこのようなことをするのは気が引けるが、仕方がない。
覚悟を決めた俺は玉座から立ち上がり、段差を数段降りたところで跪くエリーシャの傍に寄る。その後一息ついてから身を屈めてその身体を優しく包み込んだ。
「……へい、か…」
「涙が止まるまではこうしておくのがよかろう」
何を偉そうなことを言っているんだと自分で自分に突っ込みたい所だが、それが出来ないくらい今の俺には余裕がなかった。エリーシャに今の心拍数がバレてしまっては、面目丸潰れだろう。柔らかな肌と、フローラルな香り、そして見た目よりも華奢な身体。そのどれもが俺にとっては刺激の強いものだ。必死に外部からの情報を遮断しようとほかの事に考えを巡らせる。
そもそも俺がこんなみっともない真似をしたのは、実験のためだ。俺は女性経験がない故に女性の肌の質感や匂いといったものはわからない。そして今感じたそれらはどれも想像にしては現実的過ぎる。自分の今の状況は素晴らしいが、明晰夢という線がほぼ消滅してもう一つの仮定が確定的になったことにため息をつきそうになってしまう。
最早これ以上検証する必要はない。夢なんかではありえない、これは間違いなく現実だ。なぜミリオンネーションズの世界に入り込んでしまったのかは謎だが、事実として受け止めるほかないだろう。しかし物語で読んでいる分には面白いのだが、いざ実際に自分が転生という状況に直面すると焦燥感というか、ホームシックというか、なんとも言えない憂鬱な気分と帰りたいという気持ちが湧くものだな。
自分に呆れることなど人生において数多くあったが、今この瞬間も自分に呆れてしまった。転生してしまったというのに、少しワクワクしているのだ。ミリオンネーションズという俺の愛するゲームの中の、自分で丹精込めて創り育てたキャラに転生した。そしてエリーシャの報告を聞く限りではエリーシャをはじめとする俺が一人一人愛情を注いだ仲間たちに囲まれている今に幸福を感じているのだ。幸福だけではなく、不安や期待などさまざまな感情が俺の中を渦巻いている。
先ほど少し悲観的になってしまったが、一度転生した以上またいつか元の俺に戻る可能性はある。その時までにこの人生を謳歌しても悪くないんじゃあないかと今は思う。
「お見苦しい姿をお見せしました…」
俺が自分の事を考えている間に胸の中にいるエリーシャはいつの間にか泣き止んでいたようで、ほんのりと頬を赤く染めながら謝罪してきた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、落ち着きました。陛下に抱きしめられたのは初めてですが、とても安心します」
「…そうか。落ち着いたのならばもう何点か確認したいことがあるのだが良いか?」
「勿論でございます。何なりとお聞きください」
その言葉を聞いて俺は腕に収めていたエリーシャを解放し、玉座に再び腰かけた。
「まずは周辺地理の把握のために派遣した第十軍についてだ。周囲の安全確認ができていない以上無闇に行動するのは避けたい所なんだが…」
「仰る通りかと。ですので彼らには何らかの生物に遭遇した場合は位置だけを把握して即時帰還するように厳命してあります。村落を発見した場合も接触はせず、報告のために一時帰還するよう命じました」
「であるならば彼らに関しては大丈夫であろうな」
流石はエリーシャだ。ゲーム内での能力を受け継いだだけで指揮がないと臨機応変な対応ができないのではないかと心配していたが杞憂だったようだな。エリーシャがこの様子ならほかの配下達も皆同じだろうが、彼らは恐らく自律して行動することができるのだろう。ミリオンネーションズの中ではある程度のコマンドを事前に入力しておくことによってそれに沿って行動していた彼らだが、自分自身で思考して行動できるようになったのは大きな進歩だろう。この世界で生き延びていくにあたってそれも一つの懸念材料だったがあっさりと解消されてしまった。
「では次に、倉庫や宝物庫に関してだ。在庫は変化しているか?」
「申し訳ありません、それに関しては現在調査中でございます。倉庫は倉庫管理人が補佐官たちと協力して種類と数を一つ一つ確認中です。何せ莫大な在庫を抱えておりますので確認作業に時間を要しております。宝物庫の方は陛下の御許可をいただかないと立ち入ることができませんので未だ手つかずの状態です」
「そうであったか。宝物庫には後程私とエリーシャで向かうとしよう」
「畏まりました」
なるほど、これはゲームにない設定だな。倉庫も宝物庫もその中にある物資を消費するのはプレイヤーである俺以外にはいないのだが、宝物庫の中身を使用したり、確認するためには一々パスワードを入力する必要があった。面倒な仕様だが、一部ユーザーからは凝っていて良いと高評価だったものだ。
ミリオンネーションズは国家運営シュミレーションゲームで、基本的には戦争で得られた戦利品や国内での農業、漁業、畜産、紡産など国産品が税収として納められ、それらは倉庫で管理していた。また設定として世界中にとしてモンスターが存在するためモンスター討伐戦を度々行い、それらの報酬やモンスターの素材もプレイヤーが獲得する。レアドロップやレア装備品、財宝類などは宝物庫に収納していた。
実は宝物庫は倉庫よりも広いという公式設定なのだが、これは通貨である白金貨、金貨、銀貨、銅貨に加え、ガチャ用素材である虹水晶が宝物庫に入っているためらしい。どうでも良いことだがミリオンネーションズの運営は設定厨で有名だったからな。
「その他の場内の設備はどうなっている?」
「すべてが通常通り稼働しております」
「それは良かった。この先の行動方針を固めなければならない為他の者達とも会って色々と話をしたい所なのだが…」
「でしたら、直ぐに全配下に集合をかけましょう。彼らも皆この非常事態に見舞われて陛下にお会いしたがっていますので」
「ならば第十軍が全員帰還した時点でそのようにするか。…ところでエリーシャ、現在の時刻を教えてくれ」
「…?現在は21時46分ですが……」
21時!?そんな時間なのに第十軍は偵察に出ているし補佐官たちは倉庫の確認に勤しんでいるというのか…。これじゃあブラック企業になってしまう。
「やはり全員の集合は明日にしよう。本日は各自作業を中断し、休養を取るように命じろ。第十軍が全員帰還するのは何時頃になるか目処は立っているか?」
「畏まりました。彼らが出立したのが15分ほど前ですので、おそらく今頃探索を終えて帰還しているかと存じます」
「成果報告は明日で構わん。全員の帰還を確認し次第休養を取るように伝えておけ」
「承りました」
「取り敢えずは以上だ。エリーシャも大変だっただろう、今日はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます。しかし陛下にお仕えし、お役に立つことが私共配下の喜び。歓喜はあれど、疲労など感じることなどございません」
「…そうか。まあ私も今日はこれで休む故、下がって良い」
「ごゆっくりとお休みなさいませ。では失礼いたします」
エリーシャはそう言って静かに立ち上がると来た道を戻って玉座の間から出ていった。
しかしあの忠誠心はもう恐怖の域に達しているな。人間なんだから仕事をしていれば疲労は感じるだろうよ。なのにそんなのは感じないって一体どんな精神してるんだ…。明日他の子たちにも会えるようだけど、みんながみんなエリーシャみたいじゃない……よな?
というかそもそもエリーシャはなぜ泣いたんだ?今度聴いてみるのは…野暮ってもんだな、辞めておこう。
まあともかく明日もやることが山積みだな。今日のたった20分弱の皇帝ロールプレイでかなり疲れたから休みたいのは山々なのだが、一人になったこのタイミングで一つ確認しなきゃいけないことがある。
メニューをどうにかして開かないとこの人生、詰みだ。
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