第一章 第十一幕
■■ 第十一幕 干戈不息 ■■
「参謀?」健太は尋ね返した。「そうだ、興味はないか?」白髪交じりの男は改めて聞いた。
オストロ海の東はヴィテーリ帝国、西はフランディス王国が領有していた。港湾都市ポルトフィオも面するこの海は海上交通や漁業権など両国の紛争の火種だった。ガストルディ伯爵領国の主導により同じくヴィテーリ帝国に属する近隣国と共同で、西のフランディス王国に進軍した。その主張は、王国が海賊を組織・支援して航路の安全を脅かしているというものであった。オストロ海に沿って都市を陥落させていった帝国は王国の海軍力を削ぎ、優位に立った。陸海から援軍を投入する帝国軍に対し、充分な準備のできていなかった王国は散発的な抵抗しかできずに無益に兵を失って危機に陥った。帝国に有利な講和の準備へと進みかけていたところに、後背を狙う敵が現れた。東のイズバーン帝国である。この異教徒の国は西に兵が集中しているのを見て、帝国の東を越境してきた。宗教対立もあり長年にわたり断続的に戦争を繰り返してきた相手である。これに対応するため帝国正規軍は西の戦線から抜けざるを得ず、フランディス王国内での進軍速度は当然低下した。この間に準備の整った軍を組織して防衛・分断作戦を実行した王国側の反撃により、西部戦線は膠着状態に陥っていた。
健太とボードゲームをしていたふたりの男は、ガストルディ伯爵領国軍の将官であった。第一線を退いて士官学校で後進の育成に務めていたが、増援の方針により前線へ復帰するのだと言う。
「軍の組織改革で士官学校が設立されたのが1年ほど前だ。成績優秀な者、見込みのありそうな者は先行して士官候補生として尉官待遇で既に前線へ送られているが、参謀が足りておらんのだよ。」白髪交じりの男、ファーゴ少将は言った。
「西部戦線は3ヵ国の連合軍だ。その連携ということもあって、前線指揮官だけでなく横断的な作戦を立案できる参謀が必要なんだ。」顎髭の男、パガーニ少将が付け加える。「ガストルディ伯の方針で、軍の内外を問わず有能な人材を登用せよとのことなんだ。」
「無論、素養をはかるため試験などはあるがな。」ファーゴ少将は言う。「まあ、ゲームとは違うからな。荷が重くてできないと言うなら、それでも構わんがね。」
父親以上の年齢の男ふたりの視線を受けながら、健太はやや意地になって返した。「出来らあっ!」
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「え!!同じ値段でステーキを!?」驚きを隠せず拓也は聞いた。「そうなんスよ。店主が意地張っちゃってね。結局それで利益も出なくなって店潰れちゃったんスよ。」顔に大きな傷のある男が答える。
二虎商店内で盗賊団・虎穴虎子団の男達と語らっていた。見た目は厳ついものの、話をしてみると存外に陽気で気さくな男達だった。シロッコ達と同じように、やむにやまれぬ事情で法を犯すことでしか生きられなかったのだろう。根っからの悪人、というわけではなさそうだ。そんな男達と他愛のない会話をしていると、店のドアが開く音がした。
「シロッコ~~~~!!」入口を見るよりも早く、ひとりの男がシロッコのもとへ駆け寄り抱きついていた。「ああ!もう!離れろって!!」シロッコは顔に頬擦りしてくるその男を引き離そうとするが、がっしりと抱きついて離れない。「怪我は無いかい?お腹減ってないかい?お風呂に入れてあげようか?」シロッコの言葉など聞く耳も持たずに怒涛の如くまくし立てる。「ちょ…落ち着けって!いったん話を聞けよ!」とシロッコが言っているが、お構いなしにひとしきり頬擦りし続けた後に、漸く唖然とした表情でその光景を見ている拓也とエリスに気づいた。
「おや、お客人かな?」男は服装を整えて拓也達に挨拶した。「初めまして。二虎商店店主、ゼッフィーロ・レオナルディと申します。本日はどのようなご用命で?」先ほどまでとは別人のように、礼儀正しい所作だった。
「兄貴、商店の客じゃねえ。」シロッコが言う。どうやらこの男がシロッコの兄、つまり虎穴虎子団の首領らしい。盗賊団の頭目と聞いていたので筋肉質で粗野な男を想像していた。しかし妹と同じヘーゼルブラウンの瞳を持つこの若人は、思いのほか街の女性達が振り返りそうな好青年だった。「コイツらの護衛として契約したから、暫く戻らないぞ。」とシロッコが兄に向けて言う。
「ほう…」と拓也を見ながらゼッフィーロが言う。「ふむ…ほう…うむ…」拓也とエリスを交互に見ながら、何か納得したようだ。「シロッコ…」妹の肩に手を乗せながら言う。「兄ちゃんは応援してるからな!ダメだったら、いつでも帰ってきていいんだからな!」
「は?何だよソレ?ダメだったらって、どういうことだよ?」合点がいかないシロッコは言うが、兄のほうは聞いていない。「大丈夫だ!頑張れ!兄ちゃんはいつだってお前の味方だからな!」
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「ハイランドか…時期が悪いかもしれないな…」残念なイケメンシスコンは言った。口外はしないでほしい、と前置きして続けた。「今日の会合なんだがな、フランディス王国との戦争での増派に向けての軍需品が当分は高値で売れるってのと、それに伴う増税の兆候についての話だったんだ。」
「またか…」シロッコが言う。「商業国家だったのがほんの1~2年で軍事国家になってくな。」
兄は言う。「うむ。これまでオストロ海に沿って進軍してたろう?もともと王国は北のバリカスと何年も戦争続けてるから、南部が手薄だったんだ。で、そこに攻め込まれて慌てて南部諸侯の兵をかき集めて抵抗してる。今、王国の軍は北と南に集中してるってワケだ。つまり中央部はさらに手薄になった。帝国はテット・ド・シュヴァル山地の北を進軍して敵の背面に周って、東西から挟み撃ちにしようと考えているらしい。」
「大陸中央部も戦火に包まれるってコトか…」眉間にしわを寄せてシロッコが言う。
「ああ。フランディス側では帝国正規軍が東部戦線に移ったことで前線が持ち直しつつある。帝国の兵力が減ったことでの油断もあるだろう。その虚を突くつもりだろうな。」ゼッフィーロが言う。「それでも、交戦中の帝国との国境には最低限の兵は配置するだろう。ハイランドへ向けて北上するとなると、その影響を受けないとも言い切れん。」
「戦争の影響を受けそうな地域を迂回することはできないのか?」拓也が問う。
「迂回するとなると相当な遠回りになるな。」シロッコが答える。「結局はアルペ山脈の切れ目にあるシュテラヴィアを通ることになる。そこまでの最短の街道が、帝国とフランディスの国境のすぐ近くなんだ。」
「ある程度の危険は承知で、それでもできるだけ早くハイランドへ向かいたいです。」エリスが言う。拓也としても元の世界に帰る方法の手がかりがハイランドにあるならば、できるだけ早く辿り着きたい。ただ、エリスの旅の理由がどれほど喫緊のものであるのかは知らない。
「ふむ、であれば、できるだけ早く通過してしまうのがいいだろうな。」ゼッフィーロは言う。「中部侵攻が始まる前に、な。」
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「そういうわけだ。2~3日中にはこの街を出発するぞ。」後から宿に到着した健太に拓也は言った。「え…ああ、そうか…」と生返事な健太に、拓也は違和感を覚えた。
「どうした?何かマズイのか?」と聞く拓也に対して、健太は曖昧な返事をする。「まさか、あの本が出版になったとか、そんなことじゃないよな?」十中八九それは無いと思いつつも聞く拓也に健太は答える。「いや、そうじゃないんだ…」はっきりした態度を取らずまごついていたが、いよいよ決心したという風情で健太は今日のことを語った。
「正気か?」と拓也は言う。「そんな戦争なんかに参加してる場合じゃないだろ。今俺達がすべきことは、元の世界に帰る方法を探すことだ。一体、何考えてんだ?」
詰問する拓也に対して健太は返す。「そりゃ、わかってるさ、俺だって!けど、このままハイランドへの旅を続けても、生き残れる気がしねーんだよ!途中で死んじまったら、そこで終わりだろ?」
死に対して怯える健太に拓也は言う。「そんなこと言って、それで軍に入るとか意味わかんねーよ。死ぬのが怖いのに、殺し合いに身を投じるつもりなのか?」
健太は反論する。「参謀だ。最前線で戦う兵とは違う。ヤベー魔物とかがうじゃうじゃしてる中に、お前達と旅を続けるよりはまだ生き残れる可能性が高いと思うんだ。」
苛立ちを隠せず拓也は言う。「お前、それ自分のコトだけかよ?自分が死なないコトしか考えてねーじゃねーか!」
身を固くして健太は返す。「そうじゃない!帰る方法だって、軍の情報網を使えば見つけられるかもしれないだろ。何人かで探すよりも、何千、何万の軍のほうが情報は得やすいはずだ。俺だって、何も考えなしに言ってるワケじゃねーよ!」
こめかみに手を当てながら拓也は言う。「そんな、いち軍人のために、あるかどうかもわかんねーコトについて軍が調査なんてするか?軍のトップとか、政治のトップとかに立つわけでもあるまいし。」
拳を握りつつ健太は言う。「この世界のヤツらにとって、転移者ってのは特別な意味を持つって聞いた。昔の勇者パーティの魔女のおかげでな。俺自身にそんな魔女みたいな能力はないケド、それでも俺達の世界との繋がりとか行き来する方法とかは、連中にとっても興味を持つ可能性があるだろ?」
ため息をついて拓也は言う。「お前、どうしたいの?俺達はこの国には残るつもりはないぞ。お前が残ったとして、俺達が帰還の方法を見つけたら、どうすんだ?お前置いて、俺は帰っちまうぞ。」
叩かれた犬のような顔つきで健太は縋りつく。「待ってくれよ!帰る方法探すのは俺もやるって言ってるだろ。そこはイーブンなんだから。お前が先に見つけたら、俺に知らせて待っててくれよ!」
目を閉じて拓也は言う。「もういい。お前はお前で好きにしろ…」
そもそも参謀として登用されるかも、まだわからない。登用されたとしても、軍が帰還方法の調査に協力する保証もない。参謀とて、戦場から遠く離れた場所にいられるわけではない。元の世界の現代のように通信が発達していないのだ。後方とはいえ戦場に出て、作戦の立案・修正などしなければいけない。大敗すれば後方の幕僚とて無事では済まないこともあろう。すべてが自分の都合良くいったケースで想定していて、話にならない。そう考えつつ、拓也は思い出した。ああ、コイツの書く物語って、そんな話ばかりだったな…。