第一章 第十幕
■■ 第十幕 墜茵落溷 ■■
波の穏やかな内湾で岸の際まで深い水深がある港では大型の船舶も停泊が可能なため、古来より港湾都市が形成されて栄えることが多い。海運により数多の国々から万の船が行き交うポルトフィオは、各地の様々な名産や資源が集まる都市である。モノが集まる所には自然と人が集まり、街は活況を呈する。
「おお!さすが都ともなると栄えてんなぁ。」石畳の道を行く多くの人々の間を縫って進む馬車、千客万来を呼びかける店の売り子、豊富な品揃えの店舗。これまで通ってきた町とは比べ物にならない活気に、健太は率直な感想を述べた。
店先から漂う美味しそうな匂いにつられてエリスがフラフラと一行から離れていきそうになるのを、シロッコが引き留める。「おい!そんなもんは後だ。いつでも買えるんだから。」
拓也達はまずシロッコ達の盗賊団、虎穴虎子団のアジトへ行くことにしていた。拓也達の護衛を引き受けたとはいっても、その旨の報告が必要ということだ。また彼らを顔見せしておくことで、他の盗賊団メンバーの襲撃の対象から除外するという目的もある。
「お前は本当に行かないのか?」との拓也の問いに、健太は大仰に答える。「ハッ!そんな人殺しがウジャウジャいる所になんか行けるかよ。俺は自分の部屋に戻らせてもらうぜ!」
「無駄に死亡フラグ立てんなよ。」冷ややかな拓也のツッコミに、健太は言う。「フン!そんな一銭の得にもなんないような所に行ってるヒマはない。俺の文才を理解してくれる出版社があるはずだ!」
先日総ダメ出しを喰らった作品を持ち込みするらしい。「まあ、構わんけど、夕方には宿に来いよ。」拓也は見込みは無いだろうと思いつつも、自分の人相も伝えといてくれと言いつつウキウキで離れていく健太を見送った。
「しかし、こんな街中に盗賊団のアジトなんて、本当にあんのかよ?」両手いっぱいの菓子やパンを抱えたエリスを引きずり戻してきたシロッコに対して、拓也が言った。
「そりゃモチロン、盗賊団でーすなんて看板出してるワケじゃねーからな。アタシらが奪った品を買い取る商人なんてのは、いくらでもいる。アイツらにとってはどんな手段で手に入れたかなんて関係ないからな。」とシロッコが答える。
「でも、治安隊の方々から目を付けられたりは、しないんですか?」マフィンを齧りながら、エリスが問う。
「兄貴が商人連中との繋がりから、商人ギルドに話をつけてある。国なんてどこも商人ギルドから金借りてて強く出らんねーもんだから、その庇護下にある組織や個人にゃ手を出せねーんだよ。」エリスの抱えた中から饅頭を取りながらシロッコが答えた。
そんな会話をしつつ表通りから一本裏手の道へ進んで行くと、「ここだ。」とシロッコが指差した。『二虎商店』と書かれた看板が掛かっているが、道沿いに商品が並んでいるわけでもなく、外から見ても何の店なのかはわからない。中の様子も見えず足を踏み入れ難い雰囲気を漂わせているその店に、シロッコはズカズカと入っていく。
薄暗い店内には見るからにガラの悪い男が4人、カードゲームをしていた。シロッコの姿を見るや、彼らは急に愛想の良い顔つきで迎え入れた。「姐さん、おかえりなさいやせ!」
「兄貴はいるか?」と問うシロッコに、顔に大きな傷のある男が申し訳なさそうに「すぃーやせん、首領は商人ギルドの会合に出てやして…」と答えた。「いるって言ったじゃねーか!テメェ!」とシロッコがルイージの足に蹴りを入れる。「サーセン、いらっしゃるって聞いてたんスけどね…」ルイージが詫びる。前歯の抜けた大柄な男がシロッコに言う。「急に入った会合らしいんスよ。昼には戻るって言ってましたけどね…」
「しゃーない、待つか…」とシロッコは先ほどまで男達がカードをしていた席に座った。モヒカン頭の男が拓也達に席を勧める。両腕にタトゥーの入った男がいそいそと茶を運んできた。
………
……
…
賑わう街の中を、死んだ魚の目のような虚ろな目つきの男が歩いていた。拓也達の評価が厳しいのだ、と思っていた。三つの出版社を回った。「こんなもののために、印刷所の手を働かせろと?」異口同音に唾棄された。時代や文化が違えば、受け入れられないのだ。ガリレオやゴッホが抱いた苦悩とは、このようなものだったのかと健太はひとり共感した。
意気消沈しながら、オープンテラスの喫茶店で昼食を摂ることにした。食欲はあまりなかったが、メニューを見ると馴染みのないものが目についたので、サバサンドとミルクティーを注文した。揚げた鯖が挟まれたサンドだった。一瞬ウェッと思ったが、一緒に挟まれたトマトや玉ねぎ、香草とレモン果汁が良い感じにマッチしていた。
隣の席ではガタイの良い厳ついおっさんがふたり、チェスのようなボードゲームをやっていた。サバサンドを齧りながら、何の気なしにその対戦を眺めていた。駒の形はチェスに似ていたが、動きはどちらかというと将棋に近いようだ。
食べ終えて席を立った時、白髪交じりの男が頭を抱えていた。「ほら、どうした?早く降参しろよ。」相手の顎髭の男が煽る。「ぬぬぬ…」と唸る男の脇から「コレ、こうやったら逆に相手の詰みじゃねーの?」と駒を動かして、つい口を挟んでしまう。一手で形勢の逆転した盤上を凝視して、今度は相手の顎髭の男が唸り始めた。勝ち筋を完全に断たれたことを悟った男は、健太に対して再戦を申し出た。「いいだろう。藤井くん昼食監視部の俺に、勝てると思うなよ?」気分転換になるかと思い、健太は対局を受けた。
改めてルール等を確認する健太に対し、知らなかったのか?と男達は疑問を呈した。対局しながら、自身が転移者であること、元の世界の将棋やチェスならルールは知ってるからそれを応用したことなどを健太は説明した。「流石は転移者ということか…」と言う相手に対し、健太は問う。「転移者って、この世界ではどういう扱いなんだ?」
………
……
…
今より遠く昔のおよそ千五百年前、世界は魔神大戦の災禍に見舞われた。人間を遥かに凌ぐ力を持つ魔神同士の戦い。人間の存在など、魔神の眼中になかった。が、それ故にその強大な力と力のぶつかり合いの余波で多くの人間が犠牲となっても、気にも留められなかった。そんな魔神に立ち向かった者たちがいた。少年は時の名工の剣を携え、檄を飛ばした。彼の親友は身の丈を超える大剣を振るい、時に身を挺して友を護った。彼らの勇敢さに心打たれたうら若き巫女は、神弓を引いた。少年に請われて仲間となった偉大なる白金の魔女は魔神の業火を凍らせ、千万の光の槍を撃ち込んだ。多くの人々の生命を奪い、住む家を、糧を得る畑を踏み荒らした魔神は、か弱き人間の手によって打ち倒された。
「その白金の魔女というのが、転移者だったということです。」エリスが語る。二虎商店内のテーブルにはエリスが買ったパンやら菓子やらが並べられている。「なるほど、大昔の英雄パーティのひとりが転移者だったのか。」ソーセージを挟んだパンを食べながら拓也が言う。
「てゆーか、その魔女がいなけりゃ到底勝てなかったって話だ。」揚げパンを食べながらシロッコが言う。「現代に伝わる魔法の始祖だからな。」
「その当時は魔法は無かったのか?」と問う拓也に、エリスが答える。「そうですね。神話などでは魔法が登場しますが、歴史上に記載されている人物で魔法を使用したのが記録されたのは、それが初めてです。」
「その魔女は、俺達の世界から来たのかな?魔法とか使えるなら、また別の世界からかな?」と拓也は疑問を口にした。「ニホン語とは違う言語だったようです。戦いの後に彼女が人々に残した言葉が、こんなものでした。"While there is life, there is hope.(生きてある者よ、希望を持て)"」とエリスが言ったのを聞いて、拓也は驚いた。「英語だ。俺達の世界の人間だ…」
………
……
…
未だ意識の戻らぬ拓也と健太の病室に、玲奈は立っていた。本来なら、このように見舞いに来ることも禁じられていた。夜間の学校への侵入、その際の不慮の事故による同級生の負傷。警察での取り調べの後に学校から言い渡された処分は、一週間の停学および自宅謹慎だった。学校にバレないように、授業中の時間帯に訪れていた。「どーしてくれんのよ?」点滴に繋がれた少年達に、ため息交じりに言う。返答はない。
警察の調査でも、あの機械が何の装置なのかはわからなかった。機械の仕組みはわからないが、落雷により通電し、傍にいた拓也と健太が感電、その衝撃で廊下に吹き飛ばされた、感電による意識喪失、というのが警察の見立てだった。
そんな筈はない、玲奈は思った。感電の衝撃で飛ばされたとしても、拓也達が倒れていたのは明らかに壁で隔てられた場所だった。壁や窓もろとも破壊しながら吹っ飛ばない限り、そうはならない。事件ではなく事故として処理しようと、警察が都合よく描いたシナリオとしか思えない。
あの装置が関係しているに違いない、と玲奈は考えていた。そもそも誰が作ったのか?何の目的で作られたのか?それらを調べるのは復学してから、などと待つつもりはない。既にその調査をクラスの友人に頼んでいた。
玲奈のスマホが鳴る。友人からのメッセージだ。
「天文部が廃部になる前の顧問のセンセに聞いたケドよくわかんないんだってサ なんか当時の部員のひとりがジューリョクハ?リョージョクハ?とかを観測するのにフーゾクキ?ゾーフクキ?とかなんとかそんなカンジのヤツつくろーとしてたみたいなそんなカンジっぽい話 難しい話はワタシのあたまじゃワカランよ」
「それ作った部員のひとって誰?」玲奈は返信する。一寸の間をおいてメッセージが届く。「あー聞いてなかったや 聞いとくね」再度返信する。「お願いね ありがと」
「はぁ…」ため息をつきつつ、窓の外を見る。ビルの立ち並ぶ街並みに低く飛ぶ旅客機が通り過ぎていく。