深海の羽衣〖参ノ箱〗
記憶の箱に鍵を差し込むのは、これが三個目。正直なところ、うんざりだ。
それでも、なんとなくではあるけれど、分かったことがある。
ひとつは、蓋を開けてから次に蓋を開けるまでの間に、エピソードがいくつか再現されるということ。もうひとつは、再現されるエピソードには共通点があるということだ。
一個目は、おそらく、父親に関した記憶だろう。
二個目は、自分のコンプレックスだろうか。
もしそうだとすると、三個目の箱はいったい、どんな記憶を再現するのだろう。
私は、ため息をつきながら箱の蓋を開けた。
私は、自宅の居間で母と向かい合って座っていた。算数の教科書とドリル、筆記用具が入った手作りの手提げ袋が、座卓の上に投げ出されている。
なるほど、あのときの記憶か。
虚弱体質だったこともあって学校も休みがちだった私は、友だちがかなり少なかった。友だち同士で遊びに行く同級生を見ては、うらやましく思っていたものだ。
友だちが欲しいのなら自分から声をかけるべきではないのかと思うのだけれど、同い年の子たちと話した経験があまりなかった当時の私は、恥ずかしい話だが、彼らとどのように話せばいいのか分からなかったのだ。そんなある日、私は、同級生から勉強会に誘われた。
おそらく今は、母に勉強会参加の許可を求めている場面だ。
「それで?」
目の前にいる母は、腕を組み、ふんぞり返るように背筋を伸ばし、私を見下ろしている。母お得意の高圧的な態度。そして、威圧的なひと言。
これまでと同じく、このあと何が起こるのか分かっているのだけれど、しかたなく記憶を再現した。
「お友だちのお家で、一緒にお勉強しようって誘われているの。」
しまった。あのときは、こんなにぶっきらぼうな話しかたじゃなく、もっとおびえていたはずだわ。気付かれるかしら……。
何か言われたら、言い返さなきゃ。
母が大きく息を吸っているのが見え、私は奥歯を噛みしめて身構えた。しかし母は――、
「行く必要なんてあるの? 勉強は一人でやるものでしょ。今すぐ断りなさい。」
記憶通りに言い放って、居間を出ていった。
母の足音がフェードアウトする。私は再びため息をつくと、のっそりと立ち上がって黒電話の前にぺたんと座った。そして、受話器に伸ばした自分の手をぼんやりと見た。今は、どうやら小学四年生らしい。幼いぽってりとした手ではなく、やわらかな少女の手をしている。
母の言葉や態度はいつも、お前には反論の権利などないと言わんばかりのものだった。当時の私は、いや、大人になってからでも、母の言葉はいつも絶対で疑ったことなどなかった。
でも考えてみれば、小学校も高学年になっているのだ。家族に頼まれた用事も買い物も、一人でできる年頃だ。しかも、行くのは同じ町の住人。知らない人の家でもないのに、許可を求める必要性なんてあったのだろうか。ましてや断ることを強要するなんて、母の行動は、理論的という言葉から最もかけ離れたものだと言える。
「一番の勉強法はね、誰かに教えることなんだよ。」
いつか娘がそう言っていた。それなら、友だちと一緒に勉強することは、そんなに悪いことじゃないじゃないか。
私は、受話器を持ちあげダイヤルを回し、友だちに電話をかけた。そして、手作りの手提げ袋をひっつかみ、全力で家を飛び出した。その瞬間、世界がゆがんだ。
場面が変わったはずなのに、再び居間で母と向かい合っていた。
……絶望って、このことかしら。
さっきと同様に腕を組み、ふんぞり返るように背筋を伸ばして私を見下ろす母の目を盗み、今の状況を把握しようと、周囲や自分に目をやった。
たしかに居間だけど、家具の配置がさっきと違っているわね。私は……、高校の制服を着ているわ。でも、新しいわね。ということは、高校生になったばかりってことかしら。だとすると──、
「それで?」
「クラブはお母ちゃんの言った通りに華道部に入ったから、部活はバドミントン同好会に入りたいの。」
間違いない。この記憶だ。
私が通っていた学校ではクラブと部活動は別のものだった。クラブは授業の一環として行うもので必修だったため、生徒全員が何かしらのクラブに所属しなければならなかった。母は私に華道部に入るように強要し、私はそれに従った。でもこの時点では、部活動はどこに所属するかを決めていなかった。
運動と名のつくものから逃げ回っていた私が、唯一好きだったスポーツがバドミントンだった。
これまで、運動と縁のなかったのだ。運動部に入りたいと言ったら、二つ返事で許可してくれるかもしれない。当時の私は、淡い期待を胸に抱いていた。
「バドミントン同好会?」
母は、眉をピクリと動かした。
「オリンピックの選手にでもなれるっていうならいいけど、なんにもなれないならやる必要ない。そんな、何の役にも立たないバドミントンなんかじゃなく、華道部に入りなさい。茶道部があるならそっちをやらせるところだけど、無いんだったらそれで仕方ない。華道とか茶道なら、花嫁修業になるでしょ。」
なんともおかしな理論だ。母自身、バレーボールが好きだったけれど、バレーボールの選手になったわけじゃない。あまりのバカバカしさに、お腹の底から笑いが突き上げる。さすがに笑い出すわけにはいかない。私はお腹を押さえて必死にこらえた。
世界がゆがみ、場面が変わった。しかし、またも私は、居間で母と向かい合っていた。
食器棚のガラスに写る自分の姿は、高校生より、もう少し成長しているように見えた。社会人の記憶のようだ。ということは、あの記憶か……?
私は高校卒業後、すぐに就職をした。職場は自宅からそう遠くないこともあり、一人暮らしをせずに親元から通っていた。
「それで?」
まさか、同じセリフを三回も聞くとは思わなかった。というよりも、母の語彙力に驚いた。
「友だちの部署の、慰安旅行に行きたいの。」
当時、私が勤めていた会社では、社員をねぎらう旅行へ行く日にちが部署によって違っていた。そのため、他の部署にいる友人からお誘いを受けることもしばしばあったのだ。
「なんで他の部署の旅行にまで行かなきゃならないの。そんなもの行く必要ない。今すぐ断りなさい。あんたの部署の旅行だって、仕方ないから行ってもいいって言ったくらいなのに。」
そのあと、母は、何やらぶつくさと管をまきながら、居間を出ていった。
どの口が言ってるのかしら。自分は、あちこち遊びに行って、家族を心配させていたくせに……。
私は、こんな理不尽な命令に従い続けていたというのか。いや違う、理不尽なのは分かっていたのだ。分かっていたのに、従っていたのだ。まるで、マリオネットのように。
コトンと音を立てて、四個目の記憶の箱が座卓の上に姿を現した。次は、どんな記憶の再現なのだろうか。私は、鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んだ。