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【SF 空想科学】

知恵の末路

作者: 小雨川蛙


その日、ウィズの元に久方振りの来客があった。

マントを纏い腰に剣を携えた女性はウィズを見るなり短く問う。

「あなたは何者? 亡霊? 精霊? それとも魔物?」

ウィズはその問いに笑う。

夜が来れば月星の明かりしか世界を照らさず、当たり前のように誤った知識の治療法が蔓延り、存在さえしない神々が世界を支配していると人々が本気で信じている。

そんな時代を生きる彼女からすれば、機械で構築された冷たく硬い体は理解の範疇を超えているだろう。

「ここで暮らしているアンドロイドです」

「アンドロイド」

女性はウィズの言葉を理解しないままオウム返しにすると、僅かばかりの時間ウィズのことを観察していた。

本来であれば彼女はウィズが何者であるか知るために一生の時間さえも喜んで投げ出したに違いない。

ウィズの住むこの場所には多くの知恵と知識、そして探求心がなければ決して辿り着けない。

この場所に到達が出来たということはつまり彼女が知恵と知識に富み、さらに強い執念を持った存在であるという事実の証明でもあるのだ。

「私の持つ知識の範疇を超えているみたいね」

「仰る通りです。今のあなたには私がどのような存在であるか生涯の時間をかけても理解は出来ないでしょう」

「ええ。知恵も知識も人間を簡単に裏切る。残念なことにね」

ウィズは頷くと今までここに訪れた者達にしてきた質問を彼女へ投げかける。

「あなたは何故この場所にやって来たのですか? 簡単なことではなかったでしょう?」

女性は頷くと半ばため息を漏らしながら言った。

「確かにね。ここに来るまでに私は多くの財産と時間を使ったし罪を犯したりもした。何度か人を殺したりさえした。けれど……」

射貫くようにウィズを見つめて彼女は笑う。

「それだけの価値と魅力があった。神話に語られる知恵の実。それを手に入れられるなら私は何だってする覚悟があったし、実際にしてきた」

知恵の実。

とある神話に出てくるそれは食べれば神と同等の知恵を得られるとされていた。

無論、それはただの神話であり、実際にそのようなものなど存在しない。

そう。そのような滑稽なものなど存在しないのだ。

しかし、目の前に居る聡明な女性はそれを得るためにこの場所に居た。

「アンドロイド。一つだけ教えてあげる。私達人間は新たな知恵を手に入れるためならば、何を犠牲にしたって良いと考えるような生物なの」

「存じ上げております。人間とはそのようなものだと今まで来られた方達もお話しされておりました」

「そ」

どこか満足気な表情をする女性に手招きをした。

「質問に答えてくださりありがとうございました。知恵の実はこちらにあります」

女性は駆けだすようにウィズの隣へ行き、自身が探し求めていた物を目にした。

「これが知恵の実?」

「さようでございます」

怪訝な声を出す女性にウィズは頷いた。

ウィズが女性に見せたものは分厚い一冊の本であり当然食べられるものではない。

「本物の実が出てくると思っておりましたか?」

「少しだけね」

「文字通り果物が出てくると考えていた方は珍しくないですよ」

「今までにもこの場所に来た人が?」

今更のように女性が言ったのでウィズは頷く。

「はい。ここに来た方はあなたで13人目になります」

「意外と来ているのね」

「千五百年ほどの間にですが」

「光栄ね」

女性は微かに笑うとその本に手を伸ばそうとした。

しかし、その手をウィズは遮った。

「お待ちください」

怪訝な表情をする女性にウィズは言った。

「知恵の実について一つ大切なお話ししなければなりません」

そう言ってウィズは本を手に取り、数百ページにも及ぶその書物の最初の十数ページに栞を挟んだ。

意図を掴めずこちらを見つめた女性に対してウィズは向かい合う。

「あなたが読んで良いのはここまでです」

「は? 何で?」

過去12回行ったやり取りをウィズはなぞるように繰り返す。

「知恵の実の著者が話しておりました」

遥か昔、人が衣服すらまともに纏っていなかった頃に自分を造り上げた主のことをウィズは思い出す。

主はウィズが知る人間の中で最も賢くそして最も哀れな存在だった。

「世界が一度に受け入れることが出来る知恵と知識には限界があると。もしそれを越えた量の知恵と知識が蔓延れば世界はあっさりと崩壊し取り返しのつかないことになる。故にあなたが見ることを許されるのはここまでなのです」

ウィズの主は遥か未来まで見通すほどの知恵を持っていた。

しかし、だからこそ世界には決して乱してはいけない進化のスピードというものがあるのだと気づいた。

故にこそ彼は自分の持っていた知恵と知識の万分の一も使えぬままに世を去ったのだ。

後に生きる者への道しるべとして知恵の実とそれの用い方を説明するアンドロイドを残して。

今までに出会った12人の知恵者はウィズの言葉に素直に従った。

しかし、彼女は違った。

ウィズの硬く冷たい首筋に無骨な剣が当てられた。

「あなたに従う必要はあるの?」

「愚かですね」

「あなたが思うほど愚かじゃない」

ウィズがぽつりと呟いた瞬間、彼女は剣に力を入れた。

おそらくはそれでウィズの首を刎ねたつもりだったのだろう。

しかし、後に続く時代から見ればあまりにも劣悪な鉄の塊では機械で出来たウィズの体を傷つけることは出来なかった。

予想外の感触に女性は驚いた表情をしたが、即座に気を取り直し知恵の実を奪い取るとそのまま踵を返して脇目も降らずに走り出した。

独り残されたウィズはその後ろ背を見つめながら、遥か昔に世を去った自分を造った主に言った。

「あなた様の恐れた通りになりました」


それから十数年後。

ウィズの元に久方振りの来客があった。

彼女はマントを纏っておらず晒された体の一部はウィズと同質の機械となっており、腰には剣の代わりにレーザー銃を下げていた。

あの時と違いウィズに傷をつけることも、ウィズを完全に破壊することも容易い装備。

本来であれば彼女の時代から千年を過ぎた頃にようやく得られる知識の結晶。

それらに身を包みながら彼女はウィズの前で立ち止まると少しだけ緊張した面持ちで声を出した。

「久しぶりね、アンドロイド」

「お久しぶりです」

「知恵の実を返しに来たの」

彼女は懐に手を入れるとどうやっても入るはずのないスペースから知恵の実を取り出した。

「転送の技術が一般的になるまで世界は進んだんですか」

「ううん。これはまだ私しか使えない。知恵の実で言えばようやく半分に届くか届かないかってところ」

「では、あなただけ二百年ほど先を行っているのですね」

「そうね」

女性は気の無い返事をしながら知恵の実をウィズに手渡した。

そして、大きくため息をついた。

「あなたの言っていた言葉が今なら分かる。世界が進歩する時間には許容量というものが存在していた。それを破ってしまえば世界はあっさりと……滅びる」

ウィズは女性の体が放射能に汚染されていることに気づいた。

「外に命はありますか?」

ウィズの問いに女性は首を振った。

「本当に僅か数だけしかない。そしてあらゆる場所で核戦争が起こったから、あらゆる場所に放射能が蔓延している。世界から命が消え失せるのも時間の問題でしょうね」

「そうですか」

本来であれば核の力が発見されるのは女性が生きていた時代から五百年近い時間が過ぎてから。

その恐ろしさが知られるようになるのはもう少し後だ。

人間はまだ人知を遥かに超えるエネルギーのことを何も分かっていない。

だからこそ短絡的な思考に支配される。

到底受け入れられないスピードで変化し続ける世界を見続けた故に、人間達は死に満ちた世界に変わってしまったも今でさえも知識や知恵があればあっさりと解決すると信じ切っているだろう。

実際に核の世界から復活するには途方もない時間が……あるいは不可能であるというのに。

「私は愚かだった」

無様に泣き出す女性の背中をアンドロイドは優しく撫でた。

「知恵とは人間を愚かにするものです」

その言葉を聞いて女性は子供のように泣きじゃくるばかりだった。


それから数万年が経ったがウィズの元には誰も来なかった。

しかし、ウィズはそれを気にすることもなかった。

ウィズに与えられた役目は知恵の実の正しい使い方を教えることだけだったから。

死の世界から訪問者が来るとは思えなかったが、それでもウィズは知恵の実と共に過ごすだけだ。

おそらくは今この瞬間が知恵の末路であると察しながらも、永遠に。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  アンドロイドこそが知識の結晶でもあるのに、現実社会の皮肉り方が言葉優しく、書き手の感性が垣間見えるようで現世に残る温もりに安堵しました。
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