悪役令嬢の彼女の正体は
今日は午前中からみっちりと家庭教師を招いて勉強会が行われた。私の出来が悪いのか、授業が長引いてしまい気付けば時計の針が午後三時を回っている。昼食を取る時間はあったけれど食べた気がしなかった…。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あぁ~~」
バフーッ!!
疲れから少し横になって楽になりたいとベッドに倒れ込む。
(転生してから初めての授業。お嬢様って悠々気ままに過ごしていると思ったら、こんなに学ぶことがあって大変なんだ…。ごめん、前世のお嬢様達偏見持ってた)
このまま寝てしまいたい…。そう思うと自然と瞼が落ちてきて。うとうとして船を漕いでいると──
コンコンッ
ノックの音が聴こえ、まだ授業があるのかと思い飛び起きた。
「ハッ!!は、はいぃ!!」
「失礼致します。シアラお嬢様、お客様がいらっしゃいました。部屋にご案内にしてもよろしいでしょうか?」
「え?えぇ、大丈夫よ。通して頂戴」
「畏まりました。お連れ致します♪」
扉越しでパタパタと小走りに走る音を後にメアリーは去っていった。
「やけに楽しそうに話していたけど…メアリーにとってもよく知っているお客様なのかしら?」
名残惜しくもベッドから立ち上がるとドレッサーの前に座り、髪を整える。
「はぁー、ノックされた時、またあの鬼ババアかと思った…。メアリーでほんっとよかった……」
今日は淑女の嗜みマナーを学んだ。女教師が強烈で逐一小言を言われ、意見しても遮られ、挙句の果てに言い足らないのか授業が終わった後も小言を言いに戻ってきたと思った。あのババアならやりかねない。
「私が1言ったら10返ってきて口では敵わないわ~小姑か!!」
先程あったことを思い出し、ぶちくさ呟いていると……
バンッ!!!!
その時勢いよく部屋の扉が開いた。
そこにはロングヘアに縦巻きロール。ハーフアップには大きなリボン。あたかもお嬢様ヘアをした女の子が立っていた。
こ、この娘は──
「ラズリ嬢っ!!!!」
――――――――――
「もぉ~、気安くラズリって呼んでって何度も言ってるのに~水臭いな~シアラは。つれなーい」
頬を膨らませながらソファーに腰掛け、優雅にお茶を含む。お茶を飲む所作さえも気品があり、同じ令嬢でも品の違いを感じさせられる。
「い、いや~だって貴女と私は身分が違いますし……」
本物のお嬢様ここに現るの如し。まさかの人物の登場に冷や汗をかきながら紅茶を口に含む。
ラズリ・アーサー
この世界の悪役令嬢である。彼女はヒロインをいじめたことにより、ロキとの婚約を解消され、断罪される。そして私は彼女の登場スチルでいつも傍に居たモブ女A(勝手にAと呼んでいる)
モブ女とラズリが会話をしているところなんてゲームのシナリオにはない。だってモブだから。
(ラズリを崇拝している取り巻きモブだと思っていたけど、友達だったんだ)
「ねぇ、話聞いてる?シアラ昔からぼ~としてるとこあるけど、今日いつにも増して酷くない?」
ソファーから立ち上がり、向かいのテーブル越しに座っている私の横に座ると心配そうに、顔を覗き込む。間近で見る彼女は、ぱっちりした目にくるんくるんな睫毛がいかにもお嬢様感を醸し出している。
「き、今日は家庭教師が来てて勉強を教えてもらってたから疲れが出てしまって……」
翡翠色の瞳に見つめられ吸い込まれそうになりながら、転生者とバレないよう怪しまれないように気を遣いながら答えていく。
「ふ~~ん」
納得しているのかしていないのか曖昧な返事を返すと、ラズリは私の顔をまじまじと見て、目にかかっていた前髪を上げた。
「──確かに隈が酷いわね。今日はスキンケアを念入りにして寝た方がいいわ」
「あ、ありがとう。そうするわ」
意外にも心配してくれてい、る……?
テーブルにあるお茶菓子のクッキーを一つ摘み、彼女は話を続けた。
「さっきの話に戻るけど、シアラも来月から学園に通うでしょ。一緒のクラスになれたらいいな~って」
ぎゅっと組まれた腕に、頬を摺り寄せられ若干驚く。
(な、なんだこの可愛さー!!!!悪役令嬢小動物みたいでかわゆ♡)
「そ、そうだね~」
うんうんと頷くけれど、一緒のクラスになることは分かっている。ゲームのネタバレになるから本人には口が裂けても言えないけど……。もちろん、ロキとも同じクラスになる。
あれ?そういえばラズリってゲームのシナリオではロキの“婚約者”だと自ら公言して学園内で周知されていた。だけど先日ロキから聞いた話ではラズリは“婚約者候補”の一人だと──。婚約者候補の一人は彼女は知っているのだろうか?既にゲームのシナリオからは外れていることになるのだろうか…?
その辺をはっきりさせておきたいと思い、私はいくつかラズリに質問をしてみることにした。
「ねぇ、ラズリはロキ様の婚約者…よね?」
「そうよ」
テーブルにある、クッキーを頬張りながら答える。頬張りすぎて、ほっぺがリスみたい。
「それは…ラズリのご両親から伝えられたの?」
「ええ、そうよ。生まれた時に私が婚約者にどうかってお話があったの」
クッキーを平らげ、紅茶を口に含む。
やはり、貴族の人達は一族の存続を大事にしているから婚約の話も事前に決まっているんだ。でもそれって──。
私は数々のゲームや漫画を読んで常々疑問に思っていたことがある。当人達の気持ちはどうなのって…。
考えるより先に好奇心の方が勝ってしまい、口を付いていた。
「親同士が決めた結婚に対して抵抗はないの?」
そう訊ねると、ラズリはう~~んと腕組みをして思案し、考えがまとまったのか口を開いた。
「…ロキとは昔からの知り合いで、幼馴染。国王様の右腕だと言われているのが私のお父様なの。それで同い年の子供がお互いにいて一緒に過ごすことが多かった。家族ぐるみの付き合いで長いから自然と家族みたいなものになっていたと思っていたわ…」
紅茶を含み、一息つくとラズリは話を続けた。
「……ある日、ロキと森で遊んでいたら私、迷子になっちゃったの。いつも遊び場にしている屋敷の裏側にある森。行き慣れている森だったのにその日は天候も悪くて暗がりだったからいつもと景色が違うように見えて…。段々暗がりが広がってこのまま誰にも見つからずに死んじゃうと思って必死に助けを呼んだわ。それでもいくら叫んでも誰も来なくて……その時運悪く足を怪我して動けない状況で……」
余程怖かったのだろう。話しながらラズリは震えていた。
「叫び過ぎて声が出なくなってもうダメだって諦めかけた時、声が聴こえたの―。ラズリーーーーっ!!!!って」
ティーカップの水面を見つめる。紅茶の水面にラズリの嬉しい表情が写し出されていた。
「…ロキが、見つけてくれた……。汗と泥まみれになりながら……。こんな姿のロキを今まで見たことなくて。可笑しくて、でも嬉しくて泣きながら笑ってしまったわ」
汗と泥まみれのロキを思い出したのか、ラズリは小さく笑う。
「そんな姿になるまで探してくれて…。その時、私…胸の奥がきゅんって苦しくなって──」
胸を両手で押さえ、微笑むラズリは恋する乙女の顔になっていた。
「この事件からすぐ婚約の話が本格化して、正式に婚約者の話があってこのチャンス逃すもんかって思ったの!!」
ガバッと立ち上がり、ラズリはガッツポーズを披露する。
「私、ロキのこと家族ではなく一人の男の人として大好き♡ロキが私を助けてくれたように今度はロキが困っている時一番に私が助けたい、力になりたいっ!!」
ソファーに腰を落とし、ティーカップを持ち上げる。
「大好きな人の婚約者になれて、とっても幸せ。最高の祝福を授かったわ」
照れながら満面の笑顔なラズリ。見てるだけで幸せのお裾分けを貰っている気分になる。
悪役令嬢になる前のこの娘はこんなにも可愛らしい恋する乙女だったんだ…。
もしかしたら始めからそうなのかも知れない。私はヒロイン目線でしかラズリを見ていないから…。新たな一面を知ることが出来たな~。
──ん?
待てよ、ラズリの話から推測するに婚約者はラズリしか存在しない。では、婚約者“候補”とは?存在するの?
候補という言葉が彼女から一度も出てこない。これは──可哀想だけどカマかけてみよう。
「ラズリはロキ様が大好きなんだね。でも―王子だから他にも婚約者候補がいる……可能性はある…かしら」
私が例えば話を言うや否や、ラズリは明らかに顔色を悪くして、大きな瞳から涙がポロポロと頬を伝う。
(ヤバい泣かしたっ!!!!)
泣き出すラズリに恐る恐る声を掛ける。
「ラ、ラズリごめんなさい。冗談よ。ロキ様の婚約者はラズリただ一人よっ!!」
「う…グスッ…。実は…私はロキが好きだけどロキは私の事を一人の女性として好きなのか分からないの。もしかしたらシアラが言うようにロキには好きな人がいてロキの中では婚約者になっているかもしれないわ……」
水滴を溜めた瞳から瞬く度、大粒の涙になって零れ落ちる。
あ…、こんなこと言わなければよかったな……。心底、自分勝手なことをして後悔した。私は申し訳なさと、どうしたらいいのか分からず、隣に座っているラズリの背中をそっと摩った。
「──大丈夫よラズリ。貴女は可愛くてとっても綺麗だわ。きっとロキ様もラズリの事一目置いているわ」
頭をよしよしと撫でる。
「ええ、ありがとうシアラ」
――――――――――
その後、ラズリはクッキーとラズリが手土産として頂いたカップケーキを全て食べ終え、帰って行った。
よく食べるし、可愛いし、素直でいい娘で──。なんで悪役令嬢になってしまったんだろう……?
まぁ、本編の学園生活が始まれば後々知ることになるからそれまでのお楽しみとしておこう。
それにしてもラズリの反応からあの感じだとラズリは婚約者候補がいる事を知らないみたいね。婚約候者補の話はロキの冗談?|シアラ(この娘)とロキの関係性が記憶を辿ってもいまいち分からない。親しい間柄だったらおちょくる事だって無きにしも非ず。はっきりさせたい。
何か探る方法がないかと考える。ちらりとラズリが来てからお茶菓子とティーセットを運び、そのままずっと傍で給仕をしていた執事長のヴィンセントが後片付けを始めていた。
(ヴィンセントなら、婚約者候補について何か知っているかも──)
後片付けがひと段落したタイミングを見計らって声を掛ける。
「ねぇ、ヴィンセント」
「はい。何か御用でしょうか?シアラお嬢様」
ワゴンで作業をしていた手を止め、私が腰掛けているソファーの傍まで寄り、膝をつく。
「…ヴィンセントは私がロキ様の婚約者候補だってことは知ってるの?」
私がそう訊くと、ピキッとヴィンセントの片眉が上がったような気がした。訊いたらいけない事だった?
すぅーと息を吸う音が聞こえ、ヴィンセントは話始めた。
「はい、存じております。シアラお嬢様がロキ様の13人の候補の一人と…」
いつものように右手を左肩に添え、快く答える。さっきのはきっと気の所為だ。普段と変わらない優しい微笑みを浮かべている。
でも、これで確信した──。婚約者候補は存在する。
「そう。ありがとう。ラズリがあんなに婚約者を名乗っていたから候補なんて存在しないと思っただけよ」
「あの感じだとラズリ様には伝わっていないのではないでしょうか?ラズリ様のお父様が話されなかった可能性が高いかと…」
「ええ、ヴィンセントと同じ事を思っていたわ。あの調子だとずっと泣いてそうだもの……」
泣き顔のラズリを思い出す。
「──恋する乙女は大変ね…」
私は前世では両親が不仲だった。そんな二人の姿を見て、結婚願望なんて到底持ち合わせてなくて。生涯独身になる覚悟だったから、結局恋も経験しないまま死んじゃった。現実の男を好きになれなかったのも原因の一つなんだけどね。
今になって一度でも経験しておけばこうゆう時、ラズリの気持ちに寄り添えたのかな…。どうしても第三者目線で見てしまう。
ぼうっと前世を思い出していると、ヴィンセントが真正面にいて私の顔をじっと見つめていた。
そして、肩をポンっと押されると私は衝撃でソファーの腰掛けに背中から倒れ込み──
───チュッ
私の足の間に片膝をつき、ソファーに乗り上げると、腰掛けに手を置き、ヴィンセントは口付けをした。