9:「君を愛することはない」
口づけも愛の誓いも何もない形式だけの結婚式が終わり、ディナーを迎えた。
しかしそれは決して楽しいものではなく、ピリピリとした空気に包まれている。ガイダー卿は無言でちびちび酒をやっているし、夫人は申し訳なさそうな目をノーマに向けて来るばかり。
ただ一人平然としているのはこの不穏な空気を作り出した張本人であるところのハンスだけだった。
「……ご馳走様でした。お料理、美味しかったです」
食事を終えたノーマは耐え切れなくなって沈黙をわざわざ破る。
彼女の声にガイダー卿が「なら良かった!」と笑ったが、昨日のあの豪快な笑い方とはまるで違って見える。せっかくの結婚式なのに、と、ノーマは胸が苦しくなる思いだった。
(変ですね。元々私、結婚しないつもりだったくらいなのに。結婚できただけでも幸せだと思わなくては。……それに、今日は初夜なのですから)
もしもこれがハンスの望まぬ結婚だとしても、嫡男であるところの彼と結婚した以上は妻としての務めをしっかり果たさねばなるまい。
それにもしかすれば、体を重ねているうちに愛が芽生えるかも知れない。そんな風に思って、ノーマは無理矢理笑顔を作った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
初夜用の寝間着に着替えて夫婦の部屋――大きめのベッドが一つしかない――で待っていると、すぐにハンスがやって来た。
彼は薄青のパジャマ姿だというのに、別にそれを気にした様子もなく当たり前のように部屋へ入って来る。そしてノーマの存在に気付いたのか赤い瞳でチラリとこちらを見ると、言った。
「待たせたようで悪い。だが、身構えなくていい。初夜は行わないからな」
「えっ」
「俺は愛してもいない女性を抱く趣味はないんだ。これは親父を騙くらかすための偽装結婚だ。だから、今日だけではなくこれ以後も君とのそういうことを行うつもりはないと断言しておこう」
その言葉にノーマの頭は真っ白になった。
初夜をしない。それはつまり、本当に形式のみの婚姻関係ということになる。そして、本当に彼の言葉の通り、これからずっとそういうことをしないとしたら……?
「で、でもっ! ハンス様はガイダー家の長男で嫡男なのでしょう? 跡取りはどうするのですか」
「養子でも取ればいいだろう。それに、うちには妹がいる。妹に適当な男を婿に迎えさせて産ませるのもいいだろう。……ノーマ・プレンディス。俺は決して、君を愛することはない。だから、そのつもりでいてくれ」
冷たい声音で、はっきりと拒絶された。しかも旧姓で呼ばれて。
つまりハンスはノーマのことを、父親を黙らせるための道具としか捉えていなかったのだ。
――一緒にいれば自ずと愛が芽生えるだろう。もし仮に愛することができずとも支え合うことができるかも知れない。
そんな風に考えていた自分がノーマはとても馬鹿らしくなった。最初から人間として捉えられていないというのに、どうやって愛し合ったり支え合ったりできるだろう。
婚約者を見つけなければ勘当すると言われたから適当に婚約者を見つけた。ハンスからすればただそれだけのことで、ノーマ自体になんらかの興味があって結婚したわけではない。事前に「他の令嬢に断られたから」とはっきり、間に合わせであることは言われていたはずだ。その時、言葉の意味を真面目に考えずに少しでも自分を選んでくれたなどと考えたのが間違いだった。
ノーマの幸せな未来予想はガタリと音を立てて崩れ、後は虚しいがらんどうが広がっていた。
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