後日談5:これからもずっと
――ハンスと二度目の結婚をしてからの日々は目まぐるしく過ぎていった。
これからは形だけではなく本物の次期辺境伯夫人になのだからとガイダー夫人からたっぷり色々な心得などを叩き込まれたし、メルグリホ王女の仕事の相談を受けたり、その一方で領地で乗馬をネリーに教えてもらったり……。
もちろん妻としての務めも忘れない。
朝から晩まで、それはそれは慌ただしい毎日であった。
そして気づけば季節は巡り、ネリーが婚約者の元へ嫁いで行くことになった。
義妹というよりは気の置けない友人的存在になっていたネリーと離れるのは辛い。だが、彼女の幸せを祝い、ガイダー家総出でネリーたちの結婚式に出席した。
……そこでの出来事は思い出すと恥ずかしいので割愛しよう。
そして結婚式からの帰り道、たまたまプレンディス子爵領を通りかかり、久々に実家に帰って来ることになったのだった。
「考えてみれば婚姻後、一度も顔を見せていなかったからな。ご両親も心配されているだろう」
「どうでしょう。度々手紙は送っていますし、王家からの慰謝料とかを色々仕送りしているので娘のことはそっちのけで大喜びしているかも知れませんが」
「もしそうであれば、ノーマの素晴らしさをわからせてやるまでだから安心しろ」
ノーマは自分がそんなにすごい人間じゃないことくらい自覚している。
しかしハンスの目は真剣そのもので、恐ろしさすら感じるほどだった。
実際、ハンスが『わからせる』場面はこの数ヶ月間で何度となく目にしていたのだ。
元は子爵家の娘であるノーマへの風当たりは強く、蔑んでくる貴族も多い。特にメルグリホ王女と親しくしていることが気に入らないという人物が多いのだろう。
それを言葉だけで次々とねじ伏せてしまったのがハンスだった。
その内容はとにかく甘く、甘くて甘くて甘過ぎて、皆がこぞって逃げ出してしまうのである。隣で聞かされるノーマは赤面どころではなかった。
……ともかく。
幸いなことに、プレンディス子爵夫妻はノーマが戻って来たことを喜んでくれた。
「まあ、ノーマじゃありませんの。お帰りなさい。もう二度と娘の顔を見られないかと思っていから嬉しいわ」
「ガイダー辺境伯様やご子息まで。はるばるお越しくださりありがとうございます」
そんなわけで無事、子爵邸の中に迎え入れられた。
貧乏から脱したものの資金は領地の整備などに回しているのだろう、屋敷はノーマが暮らしていた頃と同じで小さく貧素なままだ。それにノーマはひどく懐かしさを感じる。
「ノーマはここで暮らしていたんだな。いい屋敷だ」
「ガイダーのお屋敷とはまるで比べ物になりませんけれど……」
「ノーマの生家というだけでも価値がある」
「そう言っていただけて嬉しいです」
そんな風に話すノーマとハンスのベタベタっぷりを見てプレンディス子爵夫妻はドン引きしていたようだが……最終的には「幸せならそれで良し」との結論に至ったのか、ニコニコしていた。
理解のある両親で助かったと思う。
それからしばらく、食堂でたくさん話した。
夫人はハンスをいたく気に入ったようで、「この方ならこれからもノーマを任せられますわ」と上機嫌だった。きっと今の様子を見れば最初の頃のハンスの態度など想像もできないだろうし、それをわざわざ教えるつもりもないが。
そして話が一段落つくと、プレンディス子爵は「ぜひ一度ガイダー辺境伯とお話ししてみたかった」と言ってガイダー卿と、子爵夫人もガイダー夫人と個別に話し始めた。
子爵としては、とりあえず両者の仲を親密にしておいて商談に持ち込みたいという算段だろう。夫人たちはただ世間話がしたいだけらしい。
(商売下手な父様でもガイダー卿なら騙したりしないと思うので大丈夫だとは思いますし、ガイダー夫人も気がいい人なので大丈夫でしょう。
そんなことより今の今まで忘れていましたが、弟はどこに行ったのでしょう? もう学園を卒業しているはずなのですが)
ガイダー家に嫁いでから実に一年以上の月日が経ち、ノーマの弟も学園を卒業してこの領地にとっくに帰って来ているはずだった。
しかし屋敷の中に彼の姿は見えない。首を傾げていたちょうどその時だった。
「賑やかな話し声がすると思ったら……姉様、帰って来てたのか」
そう言いながら現れた人影が一つ。
それは一年以上ぶりに会う、茶髪茶目の少年。言うまでもなく弟であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ガイダー令息、姉がいつもお世話になっております」
弟はハンスに形式的な挨拶をすると、すぐに「姉を借りて構いませんか」と言い出した。
あまりノーマと離れたくないらしいハンスは嫌そうにしたが、きっと彼の前では話しづらいことなのだろうと悟ったノーマは頷き、弟と一緒に食堂を出ることにした。
「大丈夫ですよハンス様、すぐに戻って来ますから」
過保護だと思いながらもそれをうっとおしく思わないのは、それだけノーマもハンスにぞっこんな証拠だろう。
そして場所は変わって、ノーマの自室だった部屋――今は空き部屋となっているらしいそこで姉弟は向き合っていた。
(一体どんな話をされるのでしょう)と身構えるノーマ。弟は彼女へ、改まって言った。
「あのさ、姉様に会えたら聞きたいと思っていたことがあったんだ」
「――――」
「姉様は今、本当に幸せなのかい?」
その漠然とした問いに、ノーマは思わず笑ってしまった。
「ふふっ。急に何を言い出すかと思えば……。私はもちろん、幸せですよ」
「僕は後悔してるんだ。僕の力が足りなかったばっかりに、姉様を身売り同然の形で嫁がせてしまった。それに王家に怪我を負わされたって言うじゃないか。いくら無事だったとはいえ許せる話じゃない。
嫌だったら戻って来ていい。いや、戻って来てもらいたい。
だから本気で答えてほしい。姉様は今、本当に幸せなのかい?」
思い返せば色々なことがあったと思う。
ハンスとの結婚が理想の結婚とはとても呼べないものだった。だから何も知らない者からすればノーマは不幸に思われるのだろう。
弟が心配してくれていたのは嬉しい。
だけれど――。
「私は今、とっても幸せなんです。
ガイダー邸で侍女のヘラたちとみんなで掃除をして、馬に乗って野山を駆け回って、領民の皆さんと触れ合って。
そして何より大好きな人と過ごせることができて。
だから、私は大丈夫です。
これからもずっと私はガイダー領で生きていきます。
ハンス様ともっと愛し合って、赤ちゃんを作って、死ぬまで添い遂げる。これが私の幸せです」
不安そうな顔をする弟ににっこりと笑いかけて、ノーマは断言する。
もしもハンスがいたら恥ずかしくて言えなかったかも知れない。……普段からもっと恥ずかしいことをしているのだが、それはさておきだ。
「わかった。なら、いいよ」
弟は諦めたような、困ったような顔で肩をすくめた。
そして――。
「結婚おめでとう、姉様。もしもガイダー令息に泣かされることがあったら僕が守ってあげるから戻って来るんだよ」
祝っているのか祝っていないのかよくわからない、祝いの言葉をくれたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「弟殿と何を話していたんだ、ノーマ」
「だから別に何でもありませんって。ハンス様、過保護過ぎです」
「それでも心配なんだよ……」
帰りの馬車で、疑り深いハンスとそんなやりとりをしながら、ノーマは苦笑する。
今日も不器用で過保護な夫はとても愛おしくて――これからもずっと一緒にいようと、改めて思った。
〜完〜
後日談はこれにて終了。本当の本当に完結となります。
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