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後日談3:愛し合った二人の末路※ギャデッテside

 ――愛する人と添い遂げたい。


 ギャデッテの願いは、ただそれだけだった。

 もちろんその他色々な邪念がなかったと言えば嘘になる。それでも彼女の行動理念は、愛しい一人の男のためだったことは間違いない。


 フランツ・エルプリス公爵令息。

 ギャデッテが初めて好意を持った人物である。


 彼とギャデッテは燃えるような恋に落ちた。

 出会いのきっかけはとある夜会。たまたまうるさい婚約者であったハンス・ガイダーを連れずに参加していた時、彼と出会ったのだ。


 ギャデッテを敬愛し、優しく、見目も良くて婚約者の何倍も何倍も男らしいフランツ。

 彼を好きになるのはあっという間だった。目を合わせたその瞬間に運命を感じたくらいだ。


 彼のためなら何でもできる。

 邪魔なハンスに適当な罪を被せて婚約破棄し、これで憂いなくフランツと一緒にいられる。そのはずだったのに。


「なんで……なんでワタクシがこんな目に……ッ」


 引き千切れた修道女の服を纏ったギャデッテは、壁に顔を押し当てて咽び泣いていた。

 ここは戒律の厳しい修道院。問題を起こした貴族女性などが送られて来る監獄のようなところだ。


 この場所では王女として誰かを顎で使うこともできないし、着替えだって掃除だって自分でやらなければならない。その上信じてもいない神とやらに祈り、赦しを乞うだなんていう屈辱を強制される。

 だがまだそれは我慢できた。一番ギャデッテにとって許せないことはフランツと引き離されたという事実だった。


 公爵令息フランツは、あの辺境伯家の連中に嵌められたのだ。

 いつでも優しく、ギャデッテを褒め称えてくれた彼が悪人なはずがない。


(そうよ。彼は不当に陥れられただけ……)


 姉と父に見捨てられ、頼りにしていた母はおらず、あの憎々しい兄ですらもうこの世にいない。

 そんな状況でギャデッテにとって唯一であるフランツまで失われてしまうなんて彼女にはあまりにも耐え難いことだった。


(ワタクシがフランツを救ってやりましょう。この忌々しい修道院から抜け出して、彼と再会したら、ワタクシたちをこんな惨めな目に遭わせた全員に復讐してやるのよ。そうだわ、これはワタクシたちの恋の障害に違いないわ! 恋には障害がつきものだっていうもの。ここからワタクシたちの大逆転劇を始めるのよ――!)


 気づけば涙は引っ込んでいた。

 破り捨てた修道服を体に巻きつけ、自分にあてがわれた部屋の窓を勢いよく開ける。

 窓には鉄格子が嵌められていて逃げ出せないようになっていた。けれど――。


「こんなもの、愛の力の前では無力よ!!!」


 修道院に連れて来られた昨晩は怒り過ぎていて冷静な判断力が失われていたけれど、この程度の鉄格子なら突破できる。

 姉のメルグリホほどではないが、ギャデッテだってやわな娘ではない自覚はあるのだ。


 部屋のドアを蹴破り、引きずり倒す。

 そしてそのドア板を手に取るとそれをぶん回し、周囲の壁ごと鉄格子にヒビを入れた。


「これでッ!」


 ギャデッテは足早に鉄格子に駆け寄り、ヒビに手を入れて完全に破壊すると、サッと窓の外へ身を乗り出す。

 ふと下を見下ろすと、そこは断崖絶壁だった。


 ザブンザブンと波打つ海。海は視界いっぱいに広がっていて、落ちれば溺れることは間違いない。

 それでも、こんなところに閉じ込められたまま死ぬよりは何百倍もマシだろう。


 恐怖や逡巡といった感情があったのはほんの一瞬のことで、すぐに覚悟を決めた王女は、金髪を朝陽に煌めかせながら空中へと踏み出した。

 全ては、愛する彼のために――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 それからギャデッテは、彷徨い続けた。

 幸いなことに海で溺れ死ぬことはなかった彼女だが、異国の地に辿り着き、言葉の通じぬ中で祖国へ帰る方法を探さなければならなくなったのだ。


 泥にまみれ、妙な男に襲われたりした。しかし彼女は決して歩みを止めることはない。

 自慢の金髪が薄汚れて見る影もなくなった。誰も今の自分を見ても王女だと思わないだろうとギャデッテは思う。それでも一つ、確信があった。


「フランツなら絶対、ワタクシに気づいてくれるもの。だから」


 必ず、彼の元へ行かなければ。


 祖国への船に乗れたのは、修道院を逃亡してから一年も経った頃のことだったろうか。


 そしてやっとギャデッテの知る故郷へ帰って来て、それでも彼の姿はどこにもなくて。

 探し続けた。探して探して求めて求め続けて――。


「やっと、見つけたわ……」


 もはや人間なのかどうかもわからない姿に成り果てたギャデッテは、そう呟いて、ばたりと倒れ込む。

 彼女の体を受け止めたのは、一体の白骨。――彼女が愛する青年の亡骸だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 フランツはとっくのとうに死んでいた。

 小さな山の洞穴で、乾き切った血溜まりの中に沈むその亡骸がどうして彼とわかったかと言えば、感覚としか言いようがない。

 夜を明かそうと思って洞穴にたまたま入り、中で死体を見つけた瞬間に悟ったのだ。ああ、彼なのだわ、と。


 フランツは最期、口から血を吐いて死んだらしい。

 うつ伏せになって息絶えている。決して楽な死に方ではなかっただろうことは容易に想像できた。

 骨だけになってしまった手には、最期まで何か書いていたのだろうか、ペンのようなものが握られている。傍にノートも落ちていた。


「――――」


 ギャデッテはそれをおもむろに拾う。

 そのノートは生前、彼が愛用していた日記帳であった。「殿下の愛らしいところの一つ一つを忘れないよう、このノートに書き留めているのですよ」と彼は言って笑っていたか。


 思い出すと同時に、つぅーっ涙が頬をつたっていくのがわかった。


「何やってんのよ……貴方が死ぬ瞬間、ワタクシはここにいなかったじゃない。あれは嘘だったの……?」


 そう言いながらノートのページを開く。

 そしてそこに記されている文字に静かに目を落とした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そのノートには、毎日一言が記されているだけだった。

 例えば、『今日も王女が面倒臭い』とか、『あの王子(チャーム王太子)がうざったらしいけど使えるものは使っておこう』とか。


 それは、いつでも清らかに思えた彼とは思えない本音の数々であり、すぐに呑み込めるようなものではない。

 それを読んでギャデッテは愕然とした。


 ――とんだ腹黒じゃないの。


 自分が愛した男がこんな人間だったことを今更知って、一体どうしたらいいのかわからなくなる。

 毎日毎日書き連ねられているのはギャデッテの愛らしいところなんかじゃない。傲慢なところが嫌だ見下す態度が気に食わない、そんな愚痴ばかりで。


 今すぐ破り捨ててやろうと思ったくらい、ひどい内容だった。

 彼は公爵家の嫡男だったが、実は母親の不貞で生まれた子であり、父公爵と常に対立していた。

 そんな彼が地位を確立するにはどうしても王族を娶ることが必要だったらしい。それで選ばれたのが、ハンス・ガイダーとの不仲が有名だったギャデッテである。


 つまりフランツはギャデッテを愛してなんかいなかった。ただの都合のいい駒としてしか考えていなかったということだ。


「なん……で」


 洞穴に横たわる亡骸に問いかけるようにしながら呟くギャデッテは、この感情をどこにぶつけていいかわからない。

 それなら。もしもこれが本当であるのだとしたら、自分の今までの努力は一体何だったのだろう?


 一方的に愛していただけで、向こう側からはなんとも思われていなかった。そんな男のために自分は彷徨い歩き続けたというのだろうか?


 ページがだんだん後の方へ進んでいく。

 ハンス・ガイダーに婚約破棄したこと、そこから面倒臭いことになっているというぼやき、そしてついに王太子がやらかしてその余波で廃嫡されたということ。

 ちなみに一ページ丸々チャーム王太子への呪詛が綴られていたりした。

 それから平民落ちし、それでもなんとか生き足掻こうとして山賊になって山に立て篭もったこと。


 なのにその中で繰り返される、『彼女に会いたい』という言葉の意味がわからなかった。

 『彼女』とは誰なのか。何もわからない。わからないけれどページをめくり続け――ギャデッテは最後のページを開く。


 そこには震える文字で、こう書かれていた。



『もうダメだ。毒が回り始めて動かない。

 毒虫にやられた。ここまでなんとか戻れたが、もうじき僕は死ぬだろう。

 この世界に僕が残せるものは何だろうか。

 財産も地位も全て全て失った僕に何かすることはもうできない。僕の生きた証は何も残らない。

 けれど一つだけ、たった一つだけ方法があるとするならばそれはこの日記だ。

 ここに遺書を綴る。誰かに読んでもらえるなんて思わない。だが願わくば、いつの日か彼女に届きますよう――。


 後悔ばかりの人生だった。

 生まれて来なければ良かった。家出でも何でもしていれば良かった。貴族として生きるなら生きるでそれだけの力をきちんとつければ良かった。

 振り返って考えてみると、僕は何もしていなかったのだと痛感する。何かできたはずなのに、怠惰によってそれを全て潰したんだ。

 そんな愚か者の僕にとって唯一の奇跡、それがギャデッテの存在なのだと思う。


 最初はただ都合のいい道具のつもりだった。

 見た目はいいがただそれだけだ。もしも彼女がこれを読んだら激昂するだろうが、実際そう思っていた。

 わがままで傲慢なところがどうにも気に入らない。それでも王女という有用な手駒なのだから丁重に扱ってやっていた。


 なのにどうしてだろう。

 いつの間にかうざったらしい王女は僕の中で価値が上がっていった。

 道具としての価値じゃない。なんとも言えないその感情が恋なのだと気づいたのはもっと後――そう、離れ離れになった後だった。


 僕はまたもや後悔した。

 好きだった。ヒステリックで上から目線でことあるごとに自慢ばかりしてくる女だったけれど、そんな嫌だと思っていたところすら可愛くて、懐かしくて。

 彼女が修道院に入れられて僕が平民に落とされて……もはや彼女のことを考える理由なんてこれっぽっちもなくなったはずなのに、また会いたいとそう思ってしまったんだ。


 馬鹿だよな、僕は。

 だからここで死ぬ。様々な悪事をやって来たんだ、当然の報いだと言われるだろうし、僕自身だってそう思うから死を拒むつもりはない。

 でも……せめて最期に君と会いたかったな……。


 もしも、もしも殿下、あなたがこれを読んでいるのなら、これだけは聞いてほしい。

 僕があなたに敬意を持っていたのは嘘だ。ただ、愛があるのかと問われたら、僕は間違いなく頷くだろうということを。


 愛しておりました、ギャデッテ殿下。

 こうして勝手に逝ってしまう僕を許』



 日記はここで終わっていた。

 彼の命が尽きたのであろう。「遺書ぐらい最後まで書きなさいよ」と、思わず恨み言が漏れ、ポロポロと両目から洪水のように涙が溢れ出した。


 最後の文は『許して』なのか『許さないで』なのか、一体どちらだったのだろう。

 ギャデッテにはわからない。わからなかったが、


「絶対……絶対の絶対、許してなんてやらないわ」


 たとえ最後は本心だったとしても、嘘でこちらに近づいて来て偽りの愛を囁いていたこと、到底許せるはずがない。

 だからギャデッテは、日記に向かって言ってやった。


「待ってなさいよ、フランツ。貴方がワタクシにひれ伏して謝るまで説教してあげるから……」


 そうしたら来世で、今度こそ一緒になってやってもいいわよ?


 そう言おうとして、しかしギャデッテの言葉は続かなかった。

 もう何日水を飲んでいないかわからない喉が痛み、それと同時に激しい眩暈が彼女を襲う。


 今まで『フランツと再会する』という強い執念だけを頼りに動いていたのだ。その理由を失えばこうなるのは当然だった。

 目の前が暗くなる。世界から音が失われ、全て全てが遠くなり――――消えた。




 平民に落ちたフランツ元公爵令息、そして修道院から前代未聞の脱走を果たしたギャデッテ元王女の行方を知る者はもう誰もいない。

 愛し合った二人の亡骸は、折り重なるようになって洞穴の中で静かに眠り続けることだろう。

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