4:突然の縁談
――ハンス・ガイダー辺境伯令息がプレンディス子爵家を訪れた理由。
それはあまりにも信じられないような話だった。
「ノーマ・プレンディス嬢。こんな場で非常に申し訳ないのですが、あなたに婚約を申し入れたい」
ノーマの頭の中は、一瞬真っ白になった。
(コンヤク……? コンヤクって、婚約のことですよね? 誰と、誰が? まさかハンス様と私が? え?)
しかしどう考えてもそのまさかとしか考えられない。
ハンスはたった今、ノーマに婚約の申し入れをした。それは確かなる事実であった。
理解が追いつかずに目を回しているノーマはもちろんのこと、彼女の弟は固まり、子爵夫人も息を呑んでいる。
だが、ただ一人動じていないのはプレンディス子爵だった。
「ハンス様。ご婚約の件、承りました。ガイダー家のご子息に娘を気に入っていただけるなど、光栄のいたりでございます」
「……感謝します。ですが、ご令嬢の意思は確認しなくてよろしいのですか」
「ちょうど娘は今後の身の振り方に困っているところでして。侍女になるしかないのかと嘆いておりましたものですから、こんなお話がいただけるなど夢のようでございます」
一体目の前で子爵とハンス令息が何を言っているのか、ノーマにはまだ呑み込めなかった。
だがどうやら自分の将来のことについて話し合われていることはわかる。彼女の人生を左右するような非常に大切な話を。
「では私は早速書類などを用意させます。ノーマ、ハンス様と何かお話しなさい」
父にそう言われ、ノーマはわけがわからないながらも仕方なしに口を開いた。
「ええと……、ハンス様、これは何かの間違いですよね?」
「やはりお嫌ですか、私との婚約は」
不安げにこちらを見つめてくるハンス。彼が今自分の目の前にいるのだと改めて認識し、ここに来て初めてノーマの中に衝撃が生じた。
辺境伯というのは、伯爵よりも上位であり侯爵に相当するほどの上級貴族である。プレンディス家のように爵位が子爵で、それも貧乏な家の者が言葉を交わしていいような身分ではない。
しかし実際ハンス・ガイダーはノーマ・プレンディスの目の前にいて、しかも、婚約などという理解できないことを言っている。ノーマがパニックになるのも当然だった。
「あわわ、あの、その。嫌とかじゃ、でも」
「……すみません。あなたの意に沿わない婚約であることは私もわかっています。ですから決して嫌な思いはさせませんよ」
どうやら彼はギャデッテ王女から婚約破棄されたことで辺境伯を怒らせ、婚約者が見つかるまで帰ってくるなと言われたらしい。すでに何件もの未婚の令嬢の家を回ってみたが結局婚約を望む家はなく、半ば諦めの気持ちを抱きつつプレンディス子爵家へやって来たという。
そんなことを聞かされてしまえば、簡単にNOと言えなくなってしまった。あまりのことで驚きしかなく、未だに受け入れられない気持ちでいっぱいだが、どうやらプレンディス子爵も乗り気なようだしで逃げ場がない。
子爵夫人もすぐに「とってもいいお話じゃない。ノーマ、千載一遇のチャンスですわ!」などと言い出すし、弟にまで後押しされるような事態になってノーマは完全に首を縦に振るしかなくなってしまっていた。
あれよあれよという間に子爵が書類を持って来て、サインをする。
ハンス令息も同じように書類を書いてしまえば……それだけで婚約の成立だった。
「正式な婚約者になってすぐプレンディス嬢を連れて領地に戻り、それからまもなくして結婚式を挙げようと思います。できればひっそりしたものがいいので子爵ご夫妻には申し訳ないのですが」
「了解いたしました。娘をどうぞ、よろしくお願いします」
ノーマが口を挟む余地は少しも与えられない。
勝手に全てが決まり、ノーマはなぜか、今この瞬間からハンス・ガイダー辺境伯令息の婚約者になってしまったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
実はこのとんでもない展開を昨晩のうちから予想していたと子爵から聞かされた時、ノーマは腰が抜けそうになった。
「婚約者を失った彼は必ず新たな令嬢を探すだろう。大抵の貴族はいくら金目当てでも田舎の領地に嫁ぐなど嫌がるだろうが、お前ならそれが適任だ。
侍女になったところで明るい未来はない。次期辺境伯夫人として生きた方がずっと賢いということはお前にだってわかるだろう?」
父の意見は正しいとノーマも思う。でも自分にそんな大役が務まるなんてとても思えなかった。
自分はあの婚約破棄劇を面白がって見ていた大勢の中の一人。ハンス令息にふさわしいだなんて思えないのに。
「行ってきなさい。私たちはお前の幸せを願っている」
そう言いながら微笑む父に見送られ、ノーマは少しの文句を言う暇さえなく、ハンスの乗って来たという馬車に乗せられ、ガイダー辺境伯領へと連れて行かれることになった。
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