12:ネリーの怒り
応接室に場所を移して話すうち、ネリー・ガイダー嬢とはすぐに親しくなった。
気取らない口調、親しみやすい笑顔。なのに貴族令嬢としての気品がないわけでもなく、とても元気で可愛らしい令嬢と言葉を交わしている間にいつしか、ノーマの心は先ほどにも増して随分と晴れやかになっていた。
昨晩の憂鬱さが嘘のようだとさえ思った。
「ありがとうございます、ネリー様……ではなくネリー。私のような者にも色々とお話しくださって嬉しいです」
「ノーマちゃんはあたしの義姉なんだから当然だよっ。ところで、」
ネリーはキラキラした笑顔で言った。
「お兄ちゃんとの結婚式、どうだったの?」
うぐ、と思わず固まってしまったのがノーマは自分でもわかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「偽装結婚!? じゃ、じゃあ、誓いのキスもやらなかったってこと!? もちろん、初夜も!?」
「ネリー、そんな大声を上げてはいけません! 私、別に気にしておりませんし」
「いーえ。この問題ばっかりはそういうわけにはいかないよ。ったく、お兄ちゃんったらどれだけクソヤローなの!?」
婚約者との旅行があったらしく数日間屋敷を空けており、つい先ほど帰って来たばかりのはずのネリー。
しかし彼女は疲れを見せることなく立ち上がり、怒りの形相でハンスの部屋へ向かって走り出していた。
ノーマは慌ててそれを追う。外で控えていたヘラが驚いた顔で「どうなさったのでございますか!」と問いかけて来るが、それに構っている暇はなかった。
「ですからおやめください! ハンス様のお部屋に突撃などということは!」
「ノーマちゃん、泣き寝入りは良くない! こういう時はビシッとやってバシッと言わなきゃダメだよ」
ネリーに偽装結婚の話をしたことを深く後悔した。この短時間だけでもノーマは、ネリーがそう簡単に意思を曲げない人間であろうことを理解している。つまりハンスのところへ殴り込みに行くことを決めた以上、穏便にことが済むはずがないのである。
しかし必死に止めようとしたところでノーマは非力だ。当然のように追いつけるはずもなく、ようやくハンスの部屋へ辿り着いた頃には、兄妹が睨み合っているところだった。
(ああ、まずいです……)
「お兄ちゃん。帰って来てみれば何なのこれは? せっかく可愛いお嫁さんをもらって来てくれたと思ったら、偽装結婚だなんて。バッカじゃない!?」
「それをお前に言われる筋合いはない。この話は両親にはするなよ」
「ギャデッテ殿下がそんなに良かったの? あたし、あの人ずぅっと嫌いでさ。だから婚約破棄の話を旅先で聞いて飛び上がったくらいなのに」
婚約破棄を喜ぶのは不謹慎な話である。だが、ギャデッテ王女について何も知らないに等しいノーマがどうのこうの言える問題ではない。
まあそんなことはどうでもいいのだ。ともかく、ネリーの怒りを鎮めなければ。
「ネリー。私、大丈夫なんです。元々縁談がまるでなかった私のような行き遅れ女を娶ってくださっただけで、ハンス様のお優しさが知れるというもの。これ以上のことを求めるわけにはまいりません」
「ノーマちゃん、でも……」
何か言いかけるネリー。しかしその言葉を遮ったのはハンスだった。
「お前に夫婦のことを言われる筋合いはない。婚約破棄の翌日に婚約者を決めねばならなかった俺の気持ちなど、考えもしないくせに」
ネリーがキッと兄を睨みつけ、しかし黙り込んでしまう。図星だったのかも知れない。
確かにそうだとノーマも思った。彼はギャデッテ王女に一方的な婚約破棄をされてからまだ十日と経っていない。なのにこんなに早く結婚するのは普通ありえない話なのだ。婚約解消した場合でも一ヶ月は決まらないのが普通である。
――そんな急なことで愛してもらえるだなんて考え、傲慢にもほどがある。
「本当に私、このお屋敷でいられるというだけで幸せなんです。ですから心配は要りませんよ」
笑顔でそう言ったのは、半ば自分へ言い聞かせるための言葉だった。
ノーマのような役立たずがこんなところにいられるだけで幸せだ。ネリーやガイダー夫妻はノーマを良く思ってくれているようだし、ヘラだって認めてくれる。何も問題はないはずなのだ。
ネリーは渋々と言った様子で帰って行った。
それに続くようにしてノーマも彼女の後を追ってそっと部屋を出る。ハンスの近くにいるのはなんだか居心地が悪かったからだ。
――その後散々ネリーから兄への愚痴を聞かされたのは、また別の話である。
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