ギターケース。
それからあとのことは山路教授が受け持ったし姉が俺の仲介なしで直接山路教授とやりとりしたからだいたいの経緯しか知らんのだが、交渉は“パワハラがあった”というか“それがパワハラだったかどうかはともかく会社側と平岡に非があった”ことを前提として、具体的に慰謝料の金額がどれくらいで残業代がどれくらい降りるかどうかの交渉に入ったらしい。
平岡は地方に飛ばされることが決まったそうだが、姉が復職できるかは知らん。
「なんであんなクソゴミの言う事まじめに聞いてたんだろ。あーもう信じらんない。ついでにあんたに抱き着いてぶるぶる震えてたのもいま考えたらおぞけがする。うげー」
姉が言っていた。どうやら姉は退化も可能なデジモンだったらしく、そうそう元々はこういうやつだったと思う。洗脳が解けたようでなによりだが、洗脳されてたときのが性格よかったんじゃねーか、こいつ。
まだときどき「こわくなる」ことはあるが、長くても十分くらいで“こわさ”の峠は越えることを理解して一人でなんとかできてるらしい
とりあえず平岡を会社から殺せたんならよかったんだろーなーと思いながら、大学の図書館でちょっと調べ物したあと夕方くらいの時間帯に大学から駅に向かう道をスマホ見ながらだらだら歩いてて信号青だったから渡り出したら、左側からきた銀色のスカイラインが結構なスピードで突っ込んできてまあ減速するだろと思ったらそのまま止まらない。やべ。と思った瞬間に向こう側まで走り抜けれたらよかったのにビビって体が固まる。ぶつかる。時速70キロ超 (たぶん)の鉄の塊に跳ね飛ばされて俺の身体がフロントガラスにぶつかってそのまま屋根の乗っかって、ぐるっと回って道路に落ちる。体の中からばきって感触がして硬いアスファルトでしこたま頭を打った。自力で救急車呼ぼうとスマホ取ろうとしたんだけど一ミリも体が動かなかった。そもそもスマホは砕け散っていた。
あれ? 俺、青信号渡ってたよな? といまさら目だけ動かして信号機を確認したら丁度歩行者用信号が青から赤に変わるところだった。俺を撥ねたスカイラインから運転してたやつが降りてくる。はよ救急車呼んでくれ、と思ったら、そのおっさんは無表情で俺を見下ろす。つーか平岡だった。どうするつもりなんだろうと思ったらくそ勢いをつけて腹を蹴られる。目の前が真っ赤に染まる。何回も何回も平岡の硬い革靴の靴先が腹に食い込む。おーい、死ぬって。と思ってから、ああ、そっか、殺す気なのか。と、ようやっと思い至る。
なにがやべーって一言もしゃべらんのがやばい。
平岡にとってもう言葉は無意味なんだろう。だって殺すんだから。
せめて「おまえらのせいで俺の人生めちゃくちゃだ!」くらい言えよ。そしたらこっちだって「てめーのキャリアがぐちゃぐちゃになったのはてめーがパワハラやってたからだろーがwwwぷぎゃーwww」くらい言えるのに。
平岡が全体重載せて靴の踵を俺の頭に叩きつけた。バスケットボールをドリブルするみたいにして俺の頭が跳ねる。視界が明滅する。頬のあたりに濡れたぬるい感触。血っぽい。周りに見てるやつはちらほらいるんだけど平岡の明確な殺意を前にして誰も俺を助けにこない。警察呼ぶ気配もない。これが例の「誰かがやるだろうと思って誰も救急車呼ばない現象ってやつかー」と妙に冷静な部分で考える。似たような場面に傍観者側で遭遇したら俺は警察とか救急車とかちゃんと呼んでやろーかなとだけ思う。それからいま見てるだけのやつら末代まで祟ってやるからな。もちろん平岡も。
ようやっと誰かが近づいてきて、そいつが黒いドでかい棒みたいなものを振り回してフルスイングした。平岡が不意を突かれて腕でそれを防いで二、三歩よろめく。ギターケースの二撃目が平岡を襲って、素手だった平岡はそれに抵抗できずに後退って、そのままスカイラインまで戻って、乗り込んで逃げ出す。
「本谷! 本谷! しっかりして」
おい、相羽。
わかったから。
でもしっかりするのは無理だからゆさぶらないでくれ。
いまいろんなところが無限大にいてーから。
死ぬから。まじで。




