シーン#01 ライト
腕時計が振動する。出動要請だ。ベッドから跳ね上がり仮眠室から飛び出て男子更衣室に速足で入る。見渡す限り今回も私が一番乗りのようだ。殺風景だが綺麗に管理されているロッカールームを一瞥する。名前の書かれた個人のロッカーから専用の戦闘服を取り出して着替え始める。腰まで着たところで遅れて誰かが入って来る気配がした。私は首だけで振り返る。
「相変わらず早いね」
息を切らせながらそう親しげに話しかけるのはジニャスだ。背丈はあまり変わらないがハーフの好青年な上に頭脳明晰で隙がない。そして私たちの第三次戦闘部隊のリーダーだ。
「ああ。出動要請に遅れる訳には行かない」
そう言って正面のジッパーを腹部から首元まで一気に上げた。少しだけ息苦しさを感じるが、この息苦しさこそが今から仕事が始まる合図であり歓迎すべきものだ。
「ほんと。相変わらずだね」
ジニャスは朗らかな表情でフフと笑う。仕事前にしては緊張感が欠如しているように思われるが、これでジニャスは場の雰囲気を上手くコントロールするらしい。以前指揮官のピーマンがそのようなことを言っていた。その言動の意味を考えながら専用のグローブをはめ終えた頃、カイが頭を掻きながらゆっくりとした足取りでやって来た。猫背気味のせいで背が低く見えがちだが私よりも少し高いらしい。痩せぎすなのがその身長差を感じさせないのだろうか。
「カイも相変わらずだな」
片足をベンチに置いて専用のブーツの靴紐を結びながらジニャスはやれやれと肩をすくめる。ジニャスはこうやっていつだって誰にでも声をかける。私にはこの行為の重要性が良く分からない。私は私以外の人間には興味がない。
「はあ。こんな早朝によぉ。ったく。ざけんじゃねえ」
カイはジニャスの声を聞いているのか聞いていないのか、独りごとのようにそうぶつくさ呟いてゆっくりと着替え始めた。私は私の準備が整ったので男子更衣室の裏の準備室に入ることにした。更衣室の奥の短い通路を抜けると広いとは言えない空間に沢山のモニターが投影されているのが分かる。その空間の端の席にジスが既に席についていることが窺えた。小柄な上に目立たない大人しい隊員だ。
「あ、ライトさん。おはようございます」
「ああ。おはよう」
ジスと交わす会話はいつもここで終わる。変化と言えばこの早朝の出動要請に合わせて「おはようございます」と挨拶されたことぐらいだろう。
私は特に彼女に関心がないので装備したグローブやブーツ、そしてヘルメットに不具合が無いか点検する。そうしているうちにジニャスとリリ、遅れてレベッカがやって来た。彼らはジスを交えて雑談し始めたようだ。リリはまだ眠たそうな表情をしていて、レベッカはいつ見ても細い。あれでAHIに立ち向かうというのだから不思議だ。
「ジスは相変わらず早いなあ! お、リリ。おはよう」
「おはようございます。皆さま」
「ジニャスさん、リリさん、おはようございます。レベッカさんも」
「おはよう、みんな」
ライトは会話に加わることなく一人でヘルメットの汚れを丁寧に擦り落としていた。そして指揮官のピーマンが出動口から現れた。
「おはよう諸君。ん?またカイは遅れているのか」
ピーマンもジニャスと同じようにやれやれとする。隊員内に笑みがこぼれて、空気が弛緩していくのを感じる。他人を引っ張っていく役割を持つ人種は皆そうするのだろうか。そう考えるとピーマンとジニャスはどこか似ているような気がする。そんな和やかな雰囲気の中、カイが当然という様子で入室した。
「遅いぞ!カイ!」
「ああ?いきなり怒鳴んなよなァ」
「遅れなきゃこうやって怒鳴る必要もなくなる。取り敢えず空いている席に座れ。さて、今回の出動要請についてだ」
いつもこんな風に出動前の作戦会議は始まる。ピーマンが言うには深夜に対人類生命体が帝都トウキョウ周辺に出現したそうだ。現場に駆け付けた第一次特殊戦闘部隊、通称「フジ」の情報によるとその対人類生命体は全長凡そ二十メートルでキツネのような頭部と細長い後ろ足、そして特徴的な薄い膜状の翼を有しているらしい。第二次特殊戦闘部隊、通称「タカ」はその「フジ」の調査結果からその対人類生命体を分析しデータベース「タロウ」と照合した結果コウモリと断定した。どうやら今回はコウモリ狩りをすることになりそうだ。
「対象が帝国領海上に出られると厄介だ。必ず領土内で対象を殲滅するように。戦略としては対象を山間部の方に追いやるように三方から囲い込む。具体的にはチチブの方角だ」
準備室のモニターに立体映像でシズオカ基地、帝都トウキョウ、トチギそしてチチブを含む詳細な地図が表示された。地図上には砂漠に似た荒廃した土地が広がっているが、私たちは作戦の為にその土地に名前を付けてポイントとしている。その名前の由来は知らないが。
次に私たちの隊員の名前も表示されて具体的な動きがシュミレートされる。私はリリと共にシズオカ基地からチチブ方面に直線的な動きをするようだ。ジニャスとレベッカは周り込むように帝都上空を越えてトチギからチチブに向かう。残りのカイとジスは帝都上空にジニャスとレベッカと同方向に向かうが、二人はそこからチチブ方面に向かう。つまり三方向からコウモリを囲い込み、チチブ背後の山岳地帯で戦闘を行うという作戦だ。
「腕がなるねえ!」
ジニャスは誰に話しかけるでもなく独り言のようにそう呟く。恐らくここにいる誰もが同じような気持ちでいるのだろう。心地良い緊張感を保ったまま作戦会議は続く。
「対象であるコウモリの翼の部分は柔らかくて薄いと思われる。そのためにまずはそこを攻撃して飛行という移動手段を奪う。どのような攻撃を仕掛けてくるか不明だが、反撃の隙を与えないように全員での一斉攻撃を行う。翼の次は頭部を狙え」
任務内容が具体化されていくにつれて高揚感が増してくる。今から私の正義を遂行するのだ。ピーマンによる作戦会議は終了し、各々がこめかみにプラグを差し込んでそのままヘルメットを着用する。出動口には移動距離の遠い順に並んで最後の確認を行う。オールクリアの報告が脳内でこだまする、つまり出動許可だ。ジニャスとレベッカが出発用の台に両足を固定し、勢い良く飛び出して行く。フジヤマの頂上に向けて並べられたレールに沿って加速し、数秒で目視出来ないほど遠くに進みやがて飛び立つ。
次はカイとジスの番だ。私は私のルーティンとして装備の再チェックを行う。
「神よ。人類の繁栄の為に力をお分け下さい。地球の与えし試練に抗う勇気と奇跡を」
横に並ぶリリはリリで彼女のルーティンをこなしていた。両眼をギュッと瞑り、両手の指を互い違いに組んで胸の上部で固定する。この細い指で何を祈るというのだろう。この動作には意味があるそうだが、私は宗教というものに関心がないので分からない。ただ彼女にとって宗教が特別なものであることは理解しているつもりだ。
前方の二人の出動許可が出る。そして数秒後に私たちにも出動許可が出された。台に両足を固定して、前傾姿勢を取る。リリも同じような体制を取り、カウントが背後で始まる。スリー、ツー、ワン、ゴー。全身にかかる強い負荷。この間は視覚も聴覚も役に立たない。そして訪れる解放感。加速したスピードを維持しながら戦闘用スーツの各機構が作動して全身が包まれる。さて私たちの仕事が始まる。
私たちはひとまずシズオカ基地からチチブ方面の上空まで飛び出した。早朝の空気はひんやりとしていて、太陽が普段よりも眩しく感じる。リリは日の光に当てられて気分が良くなったのか、呑気にあくびをしているようだ。リリの顔は見えないが、左手の動きがあくびのそれだった。私は基地からの電波を受信出来ていることを確認するとヘルメット前面に表示される案内に従いチチブ方面を目指す。
「快晴ですね。上手く退治出来そうです」
「いや。雲の上はいつだって快晴だろう」
「え、そうなんですか?」
リリはこうやって気の抜けた発言をよくする。かつてジニャスがリリの言動に対して癒し系だと前向きに形容していたが私にはジニャスの考え方が良く分からなかった。必要とされている知識の欠如は決して褒められるものではない。
「そうだ。行くぞ、時間だ」
オペレーターの指示に従ってリリと共に対象のコウモリを目指す。全身で風を切り、絶滅した鳥類という種族が感じていたであろう疾走感を味わう。地上には低い木々が点々と生えており、残りは建物と兵器の残骸か砂漠だ。この辺りで人類が生活を営んでいた痕跡は自然に還元されずに消えないシミのように残る。時間の経過と共に太陽が上昇して視界が開けていく。
『ジニャス及びレベッカ、トチギ上空に到着』
『ジス及びカイ、帝都上空に到着』
他の隊員から連絡が入る。ヘルメット前面にはチチブの方角と対象までの凡その距離が表示されていて、他の隊員の現在位置は腕時計のスイッチを押すことで確認出来る。確かに四人とも問題なく到達している。
「ライト及びリリ、対象に向けて飛行中」
遠く離れた他の隊員からのメッセージはプラグを介して脳内に送られているという。いつもメッセージを受けると不思議な感じがする。脳に直接語りかけてくるような感じ。その仕組みは良く分からない。
『こちらピーマン。ライト及びリリはそのまま滑空。ジス及びカイは三十秒後、ジニャス及びレベッカは六十五秒後に対象に向けて突撃を開始せよ』
「了解」
『了解』
『了解』
そのまま飛行を続けているとぼんやりとしていた対象の姿がはっきりと確認できた。なるほどあれは準備室のモニターでみたコウモリという生物に似ている。ただモニターで見たコウモリと異なるのは全身が紫かかっていて毒々しい所だ。恐らく発見直後の深夜では毛皮の色まで確認できなかったのだろう。
対象は雲の方に後ろ足を伸ばして空虚を掴むようにして宙に浮いている。その逆さに浮く姿は奇妙奇天烈だった。黒くてらてらした大きな瞳がキツネに似た小顔には不格好で不快感を覚える。と言っても不快であれば不快であるほど能力を出しやすい。
『三十秒経過』
オペレーターから時間の経過を知らされる。私は出来る限り空気抵抗を産まないように右手でそっと腰に取り付けてある武器を取り外した。懐中電灯型の武器はモードに入るとアドレセンスに反応して光を放出するよう出来ており、そのアドレセンスが可視化されてソード状の武器になる。個人の体格や性格に合わせて支給されたと噂されるこの武器を心から気に入っている。
『六十五秒経過』
『よし、各員モード状態に移行し、すみやかに攻撃開始だ』
目を閉じて集中力を高める。私は何のために闘うのか。何のために人類に敵対する地球からの刺客に抗うのか。その理由は何だ。自らに問う。その理由は何だ。それは私の掲げる正義のためだ。与えられた任務を遂行する。誰かがやらねばならないことを私がやる。
それが私の「正義」のアドレセンス。
全身が熱を帯びているこの感覚。官能的な高揚感と大いなる義務感。武器を持っている右手に力と思いを込める。体内で生み出された爆発的なこのエネルギーは武器に集約されて放出される。武器の先から鋭利に輝く金色の光を視線の端で確認して対象までの距離を一気に詰めるために速度を上げる。
武器を両手で構えて片翼を支える骨格と思われる部分に標準を付けて急接近。視野の外では既に何名かの隊員が同様に翼への攻撃を開始したようだ。遠距離からのビーム砲による攻撃はジスによるものだろう。片翼の膜状の部位はビームによって容易く破れた。物理攻撃が通用することがこれで確認できた。
ゼロ距離寸前の所で武器を縦に振るう。視界が一瞬にして金色の光に包まれる。何かをぶった切った感触があった。すぐさま上方向に大きく旋回して空中で回転。次なる攻撃対象である頭部へと標準を合わせる。
対象のコウモリは悲壮感のこもった耳をつんざくような悲鳴を上げた。どうやら両翼への攻撃は功を制し、コウモリのコウモリらしいと考えられる部分は断裂され恐らくの移動手段は奪われた。しかしその悲鳴は確かな波動を伴っており、骨の芯まで響く強い振動を受ける。この波動には耐える以外の選択肢が無い。これで頭部への連続的な攻撃は不可能になった。
作戦通りにいかないのは常だ。地球から送られる刺客はいつだって謎に満ち溢れている。いつもこうやって戦ったことのない対人類生命体が出現する。歓迎だ。この状況に歓迎する。私は私の任務の遂行を阻害する全ての障害を歓迎する。そして必ずその障害を排除してやる。
そう心に誓った瞬間、全身に力がみなぎるような感じがした。そして波動による影響を全く感じなくなった。チャンスだ。再びコウモリの頭部に標準を付けて武器を構える。コウモリの頭部でジニャスとレベッカが、脚部ではカイが攻撃を繰り広げている。
爆発的な速度でコウモリの頭部に近づき渾身の力を込めて武器を縦に振るう。食らいやがれ。苦悶に満ちたように口を大きく開けた頭部を分断するように一筋の光が縦にほとばしる。そして遥か上空から隕石のように武器を構えたリリがコウモリの頭部に最後の一撃を加える。鋭く鈍い音を伴って大きな両目が飛び出そうなほど脳天は凹み、青い液体が頭部のあらゆる所から溢れ出す。青い液体を帯びながら凹んだ部分からリリはゆっくりと上空に戻る。
そしてコウモリはその姿を影のように薄めていき、灰色の粘土細工のようになって消滅した。
『対人類生命体の生命反応の消失を確認した。ご苦労、任務完了だ』
極めて事務的な口調でピーマンから任務完了の連絡が入った。ご苦労という労いの言葉を聞くたびに私は満たされる。全身を包むアドレセンスは失われて、後に残ったのは強い疲労感。各隊員もその場で立ち尽くして茫然としているのが伺える。アドレセンスを放出した後はいつだってそうやって気が抜けたようになる。
そうしてそれぞれは我に返ったようにシズオカ基地に帰還する。太陽の光を背に受けてほのかに身体が温まって行くのを感じる。それも相まって普段よりも疲れが出ているような気がする。
「よっ、お疲れ」
「ああ」
そうぼんやり考えていた帰路の途中でレベッカが話かけて来た。
「やっぱライトのひと振りは見応えがあるわね。無駄がないと言うか。ムキムキって言うのかな?腕太いし」
「これは日々の鍛錬の成果だと思う。それに剣というモノはむやみやたらに振ればいいものじゃない」
「ふうん、武士道ってやつ?じゃ、また後で」
レベッカは速度を上げて去って行った。私は後ろ姿を目で送りながら帰還後の行動について考え始めた。まずは十分な休養を取らなくては。いつでも出動出来るように体調を整えるのも私の任務だ。ところで「武士道」というものは何のことだろうか。
今作は基本的にキャラクターの語りメインで進んでいきます。
語りから分かる各キャラの個性や、仲間への印象なども楽しめるような作品にしていきたいです。
第2話は7月8日午前1時投稿予定です。何卒。