夜の淵で〜上級魔術師の所望〜
「お待たせいたしました」
バーのマスターはウイスキーの入ったロックグラスをカウンターに置く。
「半年ぶりくらいになるのかな?」
伊織は目の前に差し出されたグラスに手をかける。
「ああ。去年の年末に会ったのが最後だから丁度半年ってとこだな」
先に店に来ていた陸は既にビールを半分以上飲み終えていた。
「この歳になると時の流れが本当に早くて嫌になるよ」
「確かにな。そう言えば、弟子を取ったんだって?」
「おやおや、しっかり僕の情報を仕入れちゃって。もしや僕の隠れファンかな」
上機嫌な様子で伊織はウイスキーを飲む。
「お前程の有名人の情報ならファンじゃなくてもいくらでも入ってくるだろ」
「まあ、そういうことにしておこう」
フフっと伊織は笑う。
伊織は上級魔術師の中でもトップクラスの魔力を誇る有名な魔術師である。
このレベルの魔術師ともなれば任務も危険性の高いものが多い。それらを颯爽と遂行する姿から、伊織は実力に対する尊敬とは別に所謂ヒーロー的な人気も集めていた。
「それで、どうしてまた? そういうタイプじゃないだろ」
伊織は優秀な魔術師ではあったが、お世辞にも面倒見が良いとは言えないタイプだ。人当たりは良いものの、人に指導するような真っ当さを持ち合わせているかと言えば答えは否である。面倒なことは嫌い、その時の気分で行動する。まさに我が道を行くタイプだ。
自分が注目されることに気分を良くしているのか、最近こそしっかり任務に就いているものの、昔は気分が乗らないと言う理由で任務をすっぽかすこともしばしばあった。
そんな伊織の性格からして、弟子を取るなんて行動は意外としか言いようがないのである。
それに加えて、伊織と陸の二人が同じ課の同期として共に任務にあたってい頃、陸は幾度か伊織に指導を仰いだことがあった。しかし毎回よく分からない理由をつけては、伊織は陸の頼みをのらりくらりと断っていた。
そんなことがあったため、伊織が弟子を取ったと最初に聞いたときは、陸はなんの冗談かと思ったのだ。
「まあね。気分かな?」
はぐらかすようにそう言うと、伊織は陸がつまんでいたナッツに手を伸ばす。
「なんだそれ」
わずかな沈黙が流れる。
店内には二人の他に女性客が一人。
静かなバーには心地よいジャズが流れている。滑らかなピアノの旋律は日々の出来事を忘れてしまいそうな程、甘美で美しい。
「⋯⋯年を取ったからかな。ふと自分がいなくなった時のことを考えたんだ」
伊織はゆっくりと口を開く。
「これだけ任務をこなしたんだから、もういつ死んだってきっと世間の役に立ったとは言えると思う。だけどね、役割を全うしたとは言えないんじゃないかと思って」
「役割?」
ビールグラスから視線を話し、陸は伊織を見る。
「そ。今までは持って生まれた力を使って世の中に貢献してれば、それで充分だと思ってた。でも力や知識は受け継がれることに意味があるのかなと思ってさ。特に自分みたいな力を持っていれば尚更。誰かに受け継いで初めて自分は役割を全うしたことになるんじゃないかと、そう思ってね」
「⋯⋯お前、死ぬのか?」
「いや、どう考えても早死にするタイプじゃなくない? 流石にまだ死にたくないんだけど。どちらかと言えば陸の方が早死にするタイプでしょ」
うん、絶対そう、と言いながら再び伊織はナッツをつまみ出す。
「案外真面目なんだな」
陸は感心したように言う。それは冗談ではなく、素直に出た言葉だった。
「そう思ってなかったの?」
「ああ、全然。それにそこまで自分の役割を全うしようと考えているなんて、正直驚いたよ。俺は全然そんなこと考えたことなかったし」
「まあ僕もこんなことを考え出したのは最近のことだよ。それに、陸は真面目だって言ったけど、これは自分のためでもある」
「ん?」
「僕らは皆生きていればそれだけで価値があるけど、与えられた役割を全うすることで、更に各々の人生に意味を持たせることが出来ると思うんだよね。どうせ生まれたならさ、この人生にも意味を持たせてあげたいじゃない」
伊織は穏やかに話す。その言葉は美しいピアノの旋律と混じり合うように空間を漂う。
陸はその言葉を噛みしめるように頷いた。
「なんかこんな話をしていると、俺らも大人になったんだなって感じるよ」
くくっと笑う陸。
「まだまだ子供でいたいけれどね」
「同感」
陸はそう言うとグラスに残っていたビールを飲み干した。