スプラッタ・プラットホーム
夏のホラー企画参加作品です。ざっと検索した感じですが、スプラッタ少ねえなあと思って書きました。
指ぬきグローブに手を通し、駅員タナカは腰の刀の柄頭を左の親指で撫でる。
今一度、神水を口に含み内より清め、深い呼吸によって丹田に気力を溜める。
時計は深夜二時を指している。まもなくだ。
まもなく奴らが帰ってくる。
幽霊電車がやってくる。
A県B市にあるC駅。都市部から離れ、やや田園風景残る立地に立つこの駅は、都市部へと繋がるD線と、一転して山あいの温泉行楽地へと向かうE線をつないでおり、F電鉄の一駅として長年地元の人々や観光客に愛されてきた。
時は盆。死者たちが冥土より舞い戻り現世に残る人々との邂逅を果たすとされるこの時期。死者たちの里帰りも現代化が進み、臨時運行の冥土発現世行きの幽霊列車が使われるようになっていた。
だが、この死者の里帰りにはある問題があった。好ましくない黄泉がえり問題である。
冥土の法は仏の法、人の法とはちと違う。ゆえに重犯罪者などの現世側にとって黄泉がえる事が望ましくない人物もまた、分け隔てなく御仏の御慈悲によって帰ってきてしまう事があるのだ。
現世側からの幾度かの抗議は行われたが、御仏の御心までは治外法権である。望ましい成果は得られなかった。
ゆえに、水際対策がとられたわけである。
実に簡単な話だ。好ましくない黄泉がえりを駅から出さなければいいわけだ。ブッ殺して冥土に送り返すのである。
プラットフォームにサイレンが鳴る。本日最初の幽霊列車がやってくるのだ。
駅員タナカはイヤフォンからの駅員トノイケの指示を待つ。この業務は一班二人一組で行われる。一名が現場作業員として強制力の行使を行い、もう一名は駅構内に設置されたカメラを使っての好ましくない黄泉がえりの特定および現場作業員の誘導を行う。
一班の持ち場は二両、幽霊列車は十両編成であるからプラットフォームには五名の現場作業員がいる。そして、駅改札付近には、プラットフォームでの取りこぼしに備え三名の現場作業員が後詰として控える。
幽霊列車が停車し、他界の瘴気がむわりと煙る。そして、幽霊列車の降車口が開いた。
その瞬間に、駅員タナカは抜刀、構える間も無く駆けていた。
駅員トノイケの無線から好ましくない黄泉がえりGを発見したのである。
このGという男、立件されただけで強盗殺人三件、強盗致傷六件、事後強盗七件、窃盗二十六件を数える凶悪犯であり、逮捕のきっかけとなった事件では妊娠八ヶ月の妊婦に出会い頭に切りかかり殺害、その後財布などを奪い逃走するという残忍な手口による犯行を行った男であった。逮捕、起訴された結果は当然死刑。時の法務大臣も更正の余地なしと速やかに刑の執行を許可したほどの悪漢である。
駅員タナカは刀をやや青眼に構えつつ腰を落とし力をため、走りの速力をのせた突きを放つ。
駅員タナカの突きは、プラットフォームに足を下ろしかけたGの脇腹に突き刺さり、肋骨をへし折り、臓器を切り裂きながら、胴を抜け上腕部の内側にまで達する。駅員タナカはそのまま足を止めずにGを突き押し壁に叩きつけると、Gを足蹴にしつつ、荒々しく刃を返す返すしながら無理矢理に刀身をGの肉体から引っこ抜く。そして、血ぬれの刃が上段に構えられ、初撃によってもはや動けぬGに渾身の袈裟斬りが振り下ろされる。
深い切り込みを入れられたGの肉の袋は内側からの圧にすら耐えられず破れ、その中身をプラットフォームにぶちまけた。
残心しつつ息を整える駅員タナカに駅員トノイケの無線が飛ぶ。
好ましくない黄泉がえりHである。
このHという男の好むところは姦淫。それも相手の意思を問わぬ強姦である。罪を数えれば、強姦および強姦致傷合わせて二十三件、傷害罪四件であり、被害者には十代未満の少女も含まれる。表面化しにくい性質を持つ性犯罪の性質を鑑みれば犯した罪の実数はこの程度に留まらぬだろう。Hの人生は、再犯と逮捕と収監の繰り返しであり、終生Hの身辺では怪しい噂が絶える事はなかった。
駅員の気配を察したのか、Hは幽霊列車からプラットフォームに飛び降りると改札へと駆け出していた。すかさず、駅員タナカは追いかける。
先手を取って距離を取ろうとしたHであったが、しょせんは地獄の責め苦に苦しむだけが日常の黄泉がえり、鍛え抜かれた駅員の脚に瞬く間に距離を詰められる。
ひゅっと空を切る音がして、駅員タナカの駆けながらの追い太刀がHに向かって振り下される。Hはとっさの防衛反応で左腕をかざして守ろうとするが、刃はかざされたHの腕を切り落とし、なおも肩口に食いかかり、根元からHの左腕を切り落とす。
痛みに足のもつれたHに対し、駅員タナカは追いつきざまにもう一太刀振り下ろすと、今度はHの右の肩に突き立って、それも根元から切り離す。
両の腕の切り株から血を吹き出しながらHはもうろうと虚空を見上げ、駅員タナカは中段構えからの腰の回転を加えた横一文字の払いでもって、Hの胴を両断する。
Hの体は血だまりの噴水となって床を染め、返り血まみれの駅員タナカはすれ違う黄泉がえりたちに良い旅をと微笑みかける。
二名の好ましくない黄泉がえりを始末した駅員タナカであったが彼の業務はまだ終わらない。
駅員トノイケの報を受け駆けつけると、そこにいたのは好ましくない黄泉がえりIであった。
このIという男、一言で言えば変態である。犯した窃盗は軽いとはいえ数知れず、だが問題はその執着にある。Iが好んだ物、それは小学生児童の上履きである。Iは使用済みの上履きを偏愛した結果、小学校への不法侵入および窃盗を繰り返した。Iの偏愛は時を経るにつれてさらに深化し、やがて上履きを食する事に歓びを見出すに至り、デミグラスソースでじっくりコトコト煮込んだ煮込み上履きを食した翌日に、ピロリ菌の中毒により死亡する事で幕を下ろす。つまり、現世においてはついに罪をあがなう事はなかったのである。
Hの逃走によって持ち場を離れていた駅員タナカは急ぎ自分の持ち場に向かう。すると、そこにはうつむき加減で歩くIの姿があった。
一見うなだれたような姿のIではあったが、しかしその眼差しは獲物を狙う野獣のごときどう猛さを奥に秘め、足元の高さへ向けて舐めるように視線を走らせている。
駅員タナカは追いついてのすれ違いざまに、Iの膝の裏の腱に刃を走らせ断ち切る。膝の制御を失ったIが倒れかけたその時に、駅員タナカはIの首根っこに素早く刀を一筋を走らせてから、追撃の上段回し蹴りを顔面に蹴り込む。接合面の支えを失っていたIの頭は駅員タナカの足によってサッカーボールのように飛んでいき、頭脳の制御すらなくなったIの残りは痙攣しながらその場にばたりと倒れ込んだ。
無事好ましからざる黄泉がえりを送り返した駅員タナカであったが、彼の胸には冷ややかな感触が残っていた。
なぜならば、駅員タナカの制式ローファーがIの顔面にめり込んだその瞬間、Iはどこか恍惚とした表情を浮かべていたかのように見えたからである。変態の底の知れなさは、訓練された駅員をもってもしても計り知れぬものがあるのであった。
時計は深夜四時を指していた。もう少しすれば日が登り始め、幽世の者たちの時間も終わる。
最終の幽霊列車がプラットフォームに滑り込み、乗降口の扉が開く。
駅員タナカは駅員トノイケの指示に従い先手を取って乗降口の死角にまわり、最上段に刀を構え、後は振り下ろすだけの格好で好ましからざる黄泉がえりを待つ。
駅員タナカの太刀は振り下ろされた。しかし、硬い感触が刀身を伝って駅員タナカの手に届き、不意打ちは失敗に終わった事を示す。
その好ましからざる黄泉がえりはJであった。
このJという男、ヤクザである。しかも、現代には文字通りに死滅した兵隊くずれの武闘派である。ガダルカナル帰りのこの男、たとえ戦後を迎えても、もう平時の人にはついぞ戻れず。人の心は海の向こうに置いてきて、悪鬼羅刹の道に生き、誰にもかえりみられずおっ死んだ。そんな男であった。犯した罪などもう数える事に徒労を感じるほどである。
Jの手に握られていた物、それは地獄からくすねてきた鬼の金棒であった。こんな男でも現世に何ぞ未練でも残したのか、例年の強制送還に備えて用意してきたのだろう。Jは金棒の先端で降りたプラットフォームに傷跡を引きながら、駅員タナカに向き直る。
駅員タナカはしびれの残る手をぐっと握って自制して、静かに青眼に構える。駅員トノイケは持ち場をいったん他の班に任せ、駅員タナカがこの難敵に注力できる状況を作る。
Jが、一、二と、ステップを踏んだかと思うと、地をするような旋回運動から金棒の横払いがぐいんと伸びてくる。間合いを測っていた駅員タナカは不意をつかれかけたがバックステップで素早く跳びのき、逆に空ぶったJが金棒の遠心力つきの自重に一歩二歩よたつく有様であった。
駅員タナカが見るところ、金棒の威力はまさに見た目の通り、しかし何よりも厄介であるところはその長さであった。
駅員タナカの刀の長さはおおよそ二尺三寸、つまり七十センチほどであるが、刃を当て切ろうとするならば間合いはもう少し短い方が望ましい。一方の金棒といえば長さはおよそ五尺ほど、つまり百五十センチほどになり、得物の長さで倍はある。しかも、威力は長く持ち遠心力をのせた先端付近ほど大きくなるから、長さを存分に活かしてくるのは予測できる。
しかし、違いがあるならば重さと軽さにあるだろう。金棒の重さは威力に化けるが枷にも化ける。元より鬼が使うための代物である、人に軽々振り回せる物ではない。抱えて機敏に動くなどできるものでもないし、先ほどのように仕掛けの位置に予測がつくのでもない限り、早い打ち込みの防御に使うのは難しい。つまり、詰められればそれまでなところがあるのである。
考えている時間はなかった。始発の時間が近づいている。始発前に血みどろのプラットフォームの後始末をすることになっている清掃員のおばちゃんが、遠巻きに露骨な舌打ちをしてくる。
駅員タナカはかっと気力の息を吐き、Jは羽織物を脱ぎ捨てて、般若と龍成りの登り鯉の彫り物を背負った上半身に力を込める。
一息の間も与えずに駅員タナカはJの間合いに詰め寄るが、当然にJの金棒が飛んでくる。駅員タナカは伏せるように身を屈めJの金棒を頭上にやり過ごす。
しかし、これがJの狙いであった。駅員タナカの頭上を通り過ぎた金棒は爆撃機のように旋回し、Jの肩に担ぎ上げられその身に抱えた破壊力をぶちまける準備をする。Jは金棒を肩に担ぐと重量挙げでもするようにそれを高く掲げ、そして実に単純に振り下ろした。
駅員タナカはなまじ伏せてしまったために足の運びが滞って逃げの一手が打てなかった。
駅員タナカの頭上に金棒が降ってくる。まともにくらえば骨身もまとめてただではすまない一撃だった。
もう一度、かっという気力の息の音がする。
駅員タナカは逃げなかった。むしろ、前に大きく踏み出していた、Jの喉笛に食いつこうとする獣のように。
金棒が駅員タナカの肩に食い込む。鎖骨が折れる音が肉体を通じて駅員タナカの体に響き、肉体は暴力にねじ伏せられる。
しかし、駅員タナカは受けた。体でもって、金棒の一撃を受けきってみせたのだった。
Jの喉から血の筋がいく筋も赤い線を引いている。Jの喉には駅員タナカの刀が突き立てられている。飛び込みざまに放たれた突きであった。
金棒のスイングによる運動は先端付近で最も大きな力を発生させる。それはつまり、根元に近づくほどに威力が減ぜられるという事である。
ゆえに、肉を切らせて骨を断つ。駅員タナカの戦法は実に単純なものだった。
痛手を負った駅員タナカは這ってすがりつくようにJににじり寄る。しかし、刀を握る手にはしっかりと力が込められて、少しずつ、少しずつ、その先端をJの喉奥深くまで押し込んでいく。
Jは穴の空いた喉からひゅうひゅうと呼気を漏らしながら、駅員タナカを押しのけようともがいたが、やがて刀の切っ先が首の背から顔を出すと、脱力しもう動かなくなった。
夜明けが近いのかプラットフォームからのぞける空は白んだ群青に染まっている。
駅員タナカはベンチにもたれかかり、負傷と疲労にもだえる肉体をいたわる。見れば、作業を終えた他の駅員たちは皆もうプラットフォームを後にしていた。
夏の日の少し早い夜明けが始まろうとしている。駅員タナカは昇り始めた太陽に、目を細める。
特別手当て、一万五千円。
サラリーマンの夜明けであった。
三途の河原の渡し口。
現世から追い返された好ましからざる黄泉がえりたちの人だかりが、渡りの船を待っている。
その人だかりの中に菩薩が御一人。
地蔵菩薩様であった。
地蔵菩薩様は、黄泉がえりたちの、一人々々にお声をかけていらっしゃる。
「学ばれたか、これ応報なり」
「応報の巡りの元を思われよ」
そのように、賽の河原に腰掛ける亡者どもに説いてまわられる。
地蔵菩薩様の願われておられる事はただ一つ。
いつか、この亡者たち誰しもが、自らの罪業が生み出し、そしてはまり込んでしまった地獄から解放される事。
ただ、それだけでございました。