回るマシュマロの日々
女はずるい。だっておっぱいがついている。俺がそれを知ったのは高校一年の冬だった。
「ねー冬也、この数学のプリントやってよ」
部屋着なのかやたらモコモコしたパーカーを着た梅香が、笑顔で面倒を押し付けてくる。
「やだよ」
「やってよー」
「無理。めんどくせぇ」
「つめたーい! ねーマシュマロも冬也ってひどい奴だと思うよねー? 困ってる女の子に優しくしてあげたらいいのにねぇー」
マシュマロは問いかけに何も答えないまま、キャベツを両手で持ちガツガツと食べている。
でっかい黒い目はどこを見てるのか何を思ってるのかさっぱり分からない。でも、いつまでも見ていたくなるくらいにかわいい。
「ねー、冬也なら十分もかかんないと思うからさぁ、マジでやってよプリント」
しつこく自分の課題を俺に押し付けようとしているのは、同じマンションに住む幼なじみの梅香だ。顔はそこそこいいらしいが、他が色々悪いので台無しだ。
「今やれば? 分かんねーとこは教えてやるよ」
「えー、そんな暇ないー」
平然とそういってのける図々しさがすごい。俺もそういうの見習って嫌なもん人に押しつけて生きていきたい。押しつけられて生きるのはまっぴらだ。
「俺も暇じゃないんで」
あーとか、もーとか、梅香が奇声を発している。正直なところ、梅香の学校の進度は俺の学校より大分遅いし、ちらっと見た感じすぐ解けそうではある。
だけど梅香の課題は梅香がやるべきものであり、俺がやってやるいわれはない。都合よく使われるのも癪だ。ただでさえマシュマロを飼い始めてからやたらと部屋に入り浸られてうんざりしている。
助けを求めるようにパールホワイトハムスターのマシュマロを見つめても、ヤツは食後の運動を楽しむように回し車に夢中だ。何の役にもたたない。だがかわいい。
「どうしたらやってくれるわけ?」
「なんでそんなにやりたくないわけ?」
「数学は生理的に無理だっつーの!」
生理的に無理だろうが学生であるかぎり、数学からは逃れられない。
俺は肩を竦めてスマホを横に持ち、ゲームを始める。ああイベントが忙しい。
マシュマロが回し車を走る音と、スマホから流れる好戦的なBGM、ぶつぶつと何かをつぶやいている梅香の声が狭い部屋でごちゃごちゃ混ざる。なかなかに騒がしい。でもまぁ不快ではない。
「なんかお礼でもすればいいわけ?」
梅香の声が低い。
「そうだなー、まぁ、報酬によっては考えなくはないなー」
派手な戦闘エフェクトを眺めつつ答える。
「じゃあおっぱい触る?」
つるっ、と指がすべった。違うそこじゃない。俺が選びたかったのはそのコマンドじゃねぇ。あー、あー、あー、あー、死んだ。
「梅香うるせー! 邪魔すんな!」
「冬也こそ無視すんな!」
「無視してねぇよ!」
「おっぱい触っていいからプリントやってよ!」
「それが人にものを頼む態度かよ!」
「そっちこそなんなの? ドS気取りなの? 全然似合わないんですけど! 今まで彼女いたことないくせに!」
「だまれ! おまえだって彼氏いたっつっても一ヶ月で振られただろ!」
「振られたんじゃないし! 振ったんだし!」
「どうだかな!」
罵りあって沈黙。睨み合いながら乱れた呼吸を整える。
「で、どうなの? 触るの? 触らないの?」
「……プリントやってやる」
悔しいがおっぱいに罪はない。
仕方ないんだ、俺は健全な男子高校生で、彼女はいなくて、機会があるなら逃せない。
梅香はにやりと笑い、堂々と胸を張ってみせた。誘われるように俺の腕が上がる。
手のひらを梅香の胸にそっと押しつけた。あ、意外にでかい。それに、
「硬い」
「ブラでがっちり守ってますしー」
梅香の声が得意げだ。そもそもモコモコパーカーがぶ厚くて感触がよく分からない。おっぱいを触っている事実に興奮はするものの、あまりおっぱいが感じられない。
ボールを掴むときのようにぐっと指に力を込める。ぐにっと今までとは違う感触を僅かに感じた。すると梅香が身をよじり、俺の手から逃れる。
「もう終わり! プリントよろしく!」
早口でそういった頬が赤い。
「おまえ、こんなこと他でやるなよ」
差し出されたプリントを受け取りながら思わずつぶやく。
「やるわけないじゃん」
「ならいい」
何がいいのか自分でも分からないまま印刷された数式を眺める。簡単なはずなのに、なぜかうまく頭が回らない。そんな俺を笑うように、カラカラカラカラ、車輪が回っている。
2019/11/28投稿