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嵐のあと、彼女のこと。

 見渡す限り、砂、砂、砂、の平野。外から来た人間は方向感覚が狂うらしい。でも物心ついた頃からこのだだっ広い砂場を遊び場にしてきた俺にとっては道とそれ以外の区別が何となく分かる。

 依頼人を砂漠の向こうの行きたい場所へ案内するのが俺の仕事だ。道案内は店舗を持たず身一つでできる仕事だし、嫌な客なら断ればいいし、いい加減な俺にはぴったりの仕事だ。養う家族もいないので無理をする必要も、盗賊に襲われて死んだ後の心配をする必要もない。


 一人の生活は気ままでいい。でもごく稀に、犬でも猫でも、一緒に暮らすもんがいたらなぁ、と思うことがある。そしてそれは大抵、大砂嵐の時だった。

 土地柄、砂嵐には慣れているものの、数日間家に閉じこもるしかない大砂嵐はやっぱりつらい。

 一日目は寝て過ごすから苦にならない。二日目は溜まってた家事なんかをしてそれなりに充実する。三日目は酒を飲みつつだらだら保存食を食べて、四日目はどこからか入り込んだ砂を玄関の隅に掃き寄せながら、外に出たいなぁと思う。

 ようやく嵐が通り過ぎた後は街中が砂まみれで、あちこちが壊れてるし、道端はゴミだらけだし、空気はざらざらしてるし、家から一歩出ただけで乾いた笑いがでる。とはいえ、珍しい飛来物を見つけるとちょっとした稼ぎになるので、片付けはちょっとしたお祭り騒ぎだ。


 風音が止んだ途端、今度は人の声で外がざわめきだす。家に閉じ込められていた住人たちがわらわらと出てくるからだ。ひさしぶりーなんて呑気に会話しつつ地面に目を光らせて、のんびりした口調とは裏腹にわっさわっさとゴミを集めていく。これはもうこの土地に住む人間の習性だし、嵐の後の風物詩だ。

 瓦礫の中にはありとあらゆるものがある。異国の言葉が書いてある木片や、刃の折れた古びた剣、黒ずんだ銀のスプーン、指輪やネックレスなんかも。服に至っては淑女のドレスからおっさんのパンツまでないものはない。ただしどれもこれもズタボロのくしゃくしゃだ。

 迷子の牛やら羊やらもいて、元気なら飼うし、弱ってたら食う。広場ではじゅうじゅうと肉が焼かれ続け、腹が減ったら肉を食い、満足したら片付ける、それをみんなで繰り返しているうちに嵐の前の日常が戻ってくる。


 ゴミだろうが宝石だろうが生き物だろうが、飛来物は最初に拾ったやつのものだ。それがこの街の決まり。だから年に一度あるかないかの大砂嵐はちょっとした幸運を手に入れるチャンスでもある。そうじゃなけりゃやってられない。

 一年前の大砂嵐の後、玄関の前で倒れていた彼女を拾った。

 身体中砂まみれで、服はボロボロで、血の気のない顔をして、揺さぶっても目は閉じたままで、でも生きていた。砂人形みたいな薄茶色のかたまりを洗ったら、異国の顔立ちをしたかわいい女の子になった。

 耳聡い行商人が家にやってきて、言い値で売ってくれといわれたけど断った。黒い髪と黒い目の女は珍しい。それに砂漠の向こうの国では特別な価値がある。聖女の条件に当てはまるからだ。聖女候補に認定されるだけでも結構な報奨金が手に入るらしい。聖女候補にならなくても欲しがる男は多く、買い手に困ることもない。

「人間は売れない。当たり前だろ?」そういった俺の上着の裾を彼女がぎゅっと握った。


 俺が彼女を売らなかったのは大砂嵐の後だったからだ。犬でも猫でも、一緒に暮らすのに悪くなさそうなもんなら何でもよかった。犬でも猫でもいいんだから言葉が通じない異国の人間だって構わない。

 彼女が最初に口にしたのは俺の名前で、幼児みたいなたどたどしい発音がかわいかった。彼女を売らなくてよかったと思った。

 ごはん、とかトイレ、とか必要不可欠な単語を彼女は着実に覚えていった。子供ってすごいな、と単純に感心した。出会った頃、俺は彼女のことをせいぜい十二、三くらいだと思っていたのだ。だから同じベッドで寝起きだってできた。もちろん、最初は彼女を寝室のベッドに寝かせて、俺は居間の床で寝てたさ。でもそれはダメだと彼女が身振り手振りで拒絶した。

 俺は砂漠の地面の上でも熟睡できる。だから問題ないと何度もいった。彼女は喋ることは苦手なものの、俺が何をいっているかは大体分かっているようだった。にもかかわらず勝手に居間の隅で寝ようとする。

 めんどくさくなって彼女を肩に担ぎ、ベッドの上に投げてやった。そのまま俺も隣で寝た。それからも俺が床で寝ようとすると彼女も床で寝ようとするので、お互いの安眠のため同じベッドで寝ることになってしまった。

 まさか成人してたとは。しかも俺と同じ歳だとか信じられない。

 年齢を知ったとき、もしかしたら本物の聖女なのかもしれない、と思った。だってあまりにも童顔すぎる。精霊の力がなせる業なのか? と真剣に思った。「嘘だろ?」を連呼したら本気で彼女が怒ったので焦った。流行りの菓子屋で焼き菓子を買ってきて、なんとか機嫌を直してもらった。やっぱり子供じゃん、という思いは心の中で呟いた。


 しごとほしい。切羽詰まった表情で彼女が何度もそう口にするものだから、汚れた皿を洗ってもらった。それだけでは満足してくれなかったので服も洗ってもらった。仕事としてやってもらったから少しだけお金も渡した。彼女は受け取ろうとせず、あたりまえ、といった。でも俺は彼女の手にお金をねじ込んだ。仕事をしたらお金は絶対だ。ただ働きとかありえない。そう伝えると、ありがとう、と彼女はいった。


 あたりまえ、といって彼女が食事を作ってくれるようになった。火のおこし方や水の汲み方はぎこちなかったけれど、彼女の料理はおいしかった。おいしい、と思わずいうと彼女が目を細めて笑う。かわいい、と思わずいうと彼女の頬が赤くなった。もう一度かわいい、といおうとしたら口にパンを突っ込まれた。

 家の仕事をしてくれる給料、といって月に一回お金を渡す。実際、外で飲み食いする回数が減った分食費は浮いた。彼女が家のことをいろいろしてくれるおかげで床が砂でざらつくこともないし、いつも清潔な着替えがあるし、本当にすごく助かっている。彼女一人分の生活費を差し引いたとしても余りある働きっぷりだ。

 事実をひとつひとつ伝え、拒む彼女を説得しつつ、お金の入った袋を押しつけた。


 彼女は俺がいいやつだと勘違いしている節がある。犬でも猫でもよかったから拾った。だから何もしてくれなくてよかった。予想外にかわいかったから得をしたと思った。だけどそれをいうのはあまりにも酷い気がしていえなかった。

 彼女は俺からお金をもらいたくないんだろう。正当な対価だけど、それでも嫌なんだろう。俺が彼女を売らなかったから、自分が俺に所有されているとそう思っているんだろう。そんなことないのに。犬も猫も嫌なら出ていく。彼女もそうして構わないのに。だけど俺はそれをいわない。

 言葉をもう少し覚えたら街でも働ける。そういってやるとほっとしたように彼女は笑った。でもずっとここにいろよ。思わずそういうと困ったように眉毛を下げて頷いた。


 ときどき彼女は夜中に泣く。そして小さな声で俺の名前を呼ぶ。彼女の嗚咽も俺を呼ぶ声も、ものすごくちっちゃくて、俺はなかなか起きることができない。

 夜中に起こされて、めんどくさい、とか、つらい、とか思うこともある。でもそれ以上にびっくりする。だって泣いてるんだ。彼女の性格から察するに、ひとりで泣いて泣いて泣いて、本当にどうしようもなくなって、やっと俺を起こすんだ。ちっちゃい声で名前を呼び続けるんだ。


 俺は身体を起こすと、彼女を膝に乗せて抱きしめる。ぎゅうっと彼女を抱きしめて、左右にゆらゆら身体を揺らす。まるで子供だまし。俺、こんくらいしかできねぇもん。

 彼女は俺の肩に額をくっつけて、されるがまま揺れている。すんすん鼻を啜りながら、俺の名前をひとりごとみたいにぽつんと零す。「何だよ?」ってわざとらしい明るい声で話しかけると、「甘えてばっかりでごめんね、ありがとう」って彼女はいう。そんなのいらないのに。

 ごめんねもありがとうもいらない。そんな言葉いわせたくない。どうしたらいいか考えてみるものの、結局俺には分からない。だから毎回、ただ彼女の背中を撫でる。

 怖くないよ。あんたはひとりじゃないし、俺はそばにいるし。そう、手のひらに思いをこめる。超能力者じゃあるまいし、伝わるわけがない。

 好きだよ。思わずそんなことを口走りそうになる。だけど、それは彼女が求めてるもんじゃない。それくらいバカな俺でも分かるさ。


 しばらくすると彼女は「ありがと、もう大丈夫」そういって恥ずかしそうにちょっと笑う。必ず大丈夫、っていって笑うんだ。全然大丈夫じゃないのに。だけど嘘でも強がりでも、大丈夫っていえなくなったら、彼女は大丈夫じゃなくなってしまう。そんな気がする。

 俺がいるから彼女は無理をする。でも俺がいなかったら大丈夫っていえないかもしれない。だから俺をそばに置いとけよ。俺は気が利かねぇし、ゆらゆらするくらいしかできないけど。でも体温は高いほうなんだ。寒いより暖かいほうが気持ちいいだろ? そんな単純なのがいい。


 名前だってもっと大きな声で呼べ。何回も呼んでくれ。起きなかったら殴ってもいい。顔でも腹でも急所でも殴っていい。手をぎゅっと握って、握りこぶしで、強くやっちゃっていいんだ。料理は得意だろ? 肉を叩いて伸ばすみたいに思いっきりばんばんやってくれ。

 大丈夫、身体は丈夫なんだ。それにそんな細い腕で殴られても怪我なんてしようがない。たとえ怪我したって呼ばれないよりましだ。


 何にも見えない真っ暗な部屋、彼女の体温を感じて、彼女の涙に濡れる。抱きしめられてるのは俺のような感覚に包まれて。もしかしたら夢なんじゃないかな、なんて思う。暗くて、あったかくて、ちょっと息苦しい、だけどいい夢だ。

 華奢な身体を抱きしめ、重ねられない唇を彼女のこめかみにそっと落とす。そして、今すぐ大砂嵐がきたらいいのに、なんて思うんだ。あんなに鬱陶しいもんを望む日がくるなんてなぁ。

 甘えているのは俺のほう。あんたは俺が思ってるより、あんたが自分で思っているより、きっとずっと、強い。




2021/12/27投稿

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え?付き合ってないの?本当に???みたいな二人が好きで書いた話。

この二人まだキスもしてないんだぜ…!


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