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「とりあえず、突っ込みたいことは色々とあるんだけど」
遥か高い街の城壁を乗り、いや飛び越えて、草原に降り立った私たちは遺跡を目指して西へ歩き出していた。
満月の光を浴びて、起伏のある草原の道なき道を進む。
「痛っててて……何も殴ることないやんかー……」
肘を食い込ませたみぞおちの辺りをさすりながら、ハロドは恨めしそうに私を見降ろしていた。
「人を荷物みたいに抱えて降ろさないからだろ、ほら行くぞ」
「はいはーい……」
草原には不規則な起伏の他に、大きな岩の塊や、古代文明の名残と思われる朽ちた柱なんかが転々と存在する。
私たちはできるだけ王都から見えにくいように、そうしたものの影を利用しながら進む。
確か昔遺跡らしき入り口を見つけたのは王都から出て西へしばらく歩いたところ、切り立った断崖の下だったはずだ。
乱立した古代の柱跡に紛れて、子供しか興味を示さないような隙間の陰にあったのを覚えている。
「そういや、結局さっきの魔導銃、か? あれは一体なんだったんだ?」
私は隣を歩くハロドを見上げた。
何かしら兵士にも気付かれない街への侵入ルートがあるのだろうとは思っていたが、まさか城壁を乗り越えるとは思いもしなかった。
そのおかげでこうして私も兵士に見つかることなく街を抜け出せたわけだけれども。
ハロドは虚空を見つめて言葉を探しているようだったが、やがて口を開いた。
「一言で言うなら、あれも遺跡産の魔道具や。引き金を引けば高速で伸び縮みする光の手形が発射される。さっきみたいに高いところ登るとか、離れたところにあるもん取ったりとか……まぁ、使い方は色々あるで」
「へぇ、便利なもんだな」
「ただし連続では使えへんっていうデメリットもあるけどな」
話を聞いて納得した。
朝兵士から身を隠した時、彼の姿が一瞬にして消えたように見えたのも、きっとこの魔導銃を使って建物の上に登ったのだろう。
どこから盗ってきたのかは知らないが、遺跡にはずいぶんと変わった魔道具が存在するらしい。
そうこうしているうちに、目的の場所が見えてきた。
比較的なだらかな断崖の横から崖下へと回り込む。
「えっと、確かこのへんに……あ、あった。あそこだ」
崖に寄り掛かった巨大な柱の下、そこには記憶の中の姿と変わらず、地下へと続く小さな階段がひっそりと存在していた。
ハロドは細やかな装飾に囲まれた階段に近づき、その奥の暗闇をじっと覗き込むと、ぱちんと指を鳴らす。
「ビンゴや! 確かにこれは地下遺跡やで。しかもまだ王国にも見つかってなさそうや。お前ようこんなとこ見つけたな」
リュックに吊り下げたランタンを取り出し、中に入る準備に取り掛かるハロドに「おい」と声をかけた。
「それで、約束のオレの財布は?」
「せやったせやった、……てか俺の財布はどうしたんや、お前持ったまま逃げたやろ」
私は自分のお腹を軽くたたく。
「ごちそうさまでした」
「お前なぁ……まぁええわ、約束は約束やし」
ハロドはリュックから小袋を取り出すと私に放って寄越した。
同時にへらへらとしていたその掴みどころのない雰囲気が、真剣なものに変わる。
「あとそれとな、ほんまに遺跡の中までついて来る気なんか、ノア。見た感じこの遺跡は多分そこまで大きくはないやろうけど、それでも何があるかわからん。下手したら死ぬ。逃げるんなら今のうちやで?」
私は王都の街での日々を思い返した。
レオと、仲間たちと、悪さをして過ごした日々は、彼らに出会う前とは比べ物にならないくらい居心地のいい、笑顔であふれる毎日だった。
首から下げたペンダントをそっと握りしめる。
私はハロドの目を見つめた。
「オレも行く。ここまで来て逃げられるかよ。オレは王都に戻るつもりはねぇ」
「……さようか」
私の琥珀の瞳を見つめ返したハロドは、リュックの中からもう一つランタンを取り出すと、それも私に手渡した。
「ほな、これも持っとき。予備のやから俺のより少し小さいけど、お前にはちょうどええやろ。使い方はわかるか?」
ランタンの中には親父さんの店でも見た、あの水晶が入っている。これも魔道具のようだ。
私はランタンを右手に持って顔の前で軽く揺らした。
中に入っていた水晶がふわりと浮かび、ぼんやりと光を放ち始める。
「ええみたいやな。じゃあノア、準備はええか」
「いつでも」
「はぐれんなや」
ハロドは荷物を背負いなおし、光を灯したランタンを掲げて、ゆっくりとその暗闇の中へと足を踏み入れる。
ハロドに続いて、足を踏み外さないよう私も慎重に階段を下りながら、期待か不安か、胸が高鳴りだすのを感じていた。
夜の草原に浮かんだ二つの光が、人知れず静かに闇の中へと消える。
明かりの消えた広い屋敷の廊下を、手持ちランプの光が一つ、揺れながら進む。
硬い靴底の音が静寂の中で小さく響く。
それらは重厚な扉の前で止まると、ノックの音に変わった。
「入れ」
威厳のある低い声が短く応える。
重い扉がゆっくりと開いた。
「失礼いたします、旦那様──お客様がお見えでしたか、これは失礼いたしました」
最低限の明かりだけが灯されたその部屋には、二人の男性がテーブルを挟んで向き合っていた。
「いい。それより見つかったのか」
「いえ、捜索を続けておりますが、今だに発見の報告は届いておりません。もしかすると、既に王都を出ているという可能性も」
「あれに警備を抜けられるほどの能力はないと思うがな。まぁいい、何者かに連れ去られている可能性もある、捜索範囲を広げて続けろ」
「かしこまりました」
燕尾服の男が一礼して部屋を出ると、それまで黙って様子を見ていた男が口を開いた。
「なんかあったんですか?」
「たいしたことではない、飼い猫が一匹逃げ出しただけだ。問題ないと判断して今まで捨て置いていたが、利用価値ができたのでな」
「へぇ、毛並みの綺麗な赤い猫ですか」
対面に座る男が目を細める。
「……それで、用件はなんだ」
「ここ数年、遺跡を荒らして回るうちの国の不届き者がいるんは知ってます? どうやら最近はこちらの方で動いとるようですけれど。あれにはうちの国も散々やられまして」
独特な発音でしゃべる男は苦笑いを浮かべた。
「どうですやろ、ここは一つ協力して遺跡を守るというんは。遺跡を荒らされると困りますからねぇ……お互いに」
「ただで動くつもりはない」
「もちろんわかってます。お互い目的が同じ以上、探し物に協力するんは難しいですけれど、飼い猫探しくらいやったらお手伝いできるかと」
二人の男の間、テーブルの上に浮かぶ水晶がゆらりと揺れる。
「……いいだろう」
「では交渉成立ということで」
二人の男が交わす握手を、オレンジ色の水晶の光がおぼろげに照らし出す。
揺蕩うように浮かぶその魔道具を見ながら、男が呟いた。
「いったい先に見つけるんは誰でしょうね。私か、あんたか、それとも──あの男か」