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アジトに戻る頃にはすっかり暗くなっていた。
なんだかどっと疲れた……。
あの男のせいで結局今日の昼間の稼ぎはほぼ水の泡だ。
かわりに男の所持金だけでも持って帰れたのが不幸中の幸いか。
「お、ノア。お帰りー……ってなんか疲れてる?」
私の姿を見つけたレオが二階から降りてきた。
「まぁ、ちょっとな……」
濁した私の言葉に「ふーん?」とレオはあまり興味もなさそうに返す。
「そういう時は飯食って寝るのが一番だぜ、ノア。飯まだなら親父の店にでも食いにいかねぇ?」
「……そうだな、行くか」
こうなったらあいつの金でたらふく食ってやる。
レオと私はアジトを出ると、寂れた通りにある一軒の店の前にやってきた。
相変わらず開いているのかどうか──そもそも店なのかすらもわからない建物だ。
ここではレオが親父と呼んで慕う男が酒場を経営している。
詳しくは知らないけど、育ての親みたいなものだと思う。
血は繋がっていないらしい。
レオが店の扉を開けると、途端に眩しい光が零れた。
中からどっと男たちの笑い声が響いてくる。
「親父ぃ! なんか適当に飯くれ!」
騒がしい声に負けじとレオは声を張り上げる。
狭い店内の奥で、客に交じって酒を飲んでいた大柄な男が手を挙げた。
「なんでぇ、レオとノアじゃねぇか! さてはお前らまた何か盗ってきたな?」
「親父がタダメシくれるってんならその必要もねぇんだけどな」
「馬鹿言え、お代はきっちり頂くぞ」
へいへいと適当に返事をして、空いている席に腰を下ろすレオ。
親父さんは呆れたように一息ついて、店の厨房へと姿を消した。
私もレオの向かいへと腰を下ろす。
料理が出来上がるのを待っている間、私はぼんやりと宙を見ていた。
煌々と光を放つ水晶のようなものが、くるくると回りながら天井近くを漂っている。
そういえばこれも遺跡産の魔道具なんだっけ。
割とよく見つかるもののようで、一般市民の間にも流通している必需品だ。
遺跡というワードであの男の顔が思い浮かぶ。
人には色々聞いておいて、結局あいつ名乗りもしなかったな。
思い出したらまた段々と腹が立ってきた。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
出会ったときに感じた既視感も結局わからずじまいだった。
これ以上は考えても仕方ない、私は首を振って頭から男の顔を消す。
「それにしても、今日のノアはすごかったな」
「なに、今日は一体どんな活躍をしたんだ? はい、おまちどう」
厨房から出てきた親父さんが、大皿を運んで会話に入る。
机の上に置かれた緑と茶色の山が、香ばしい匂いを纏って照り輝く。
今夜のメニューはスタミナ肉野菜炒めか。
「聞いてくれよ親父。ノアのやつ、人混みの中から一気に6人も財布盗ったんだぜ?」
「へぇ、そりゃすげぇ。俺も気を付けねぇと盗られちまうな」
わははと豪快に笑う親父さんは、なかなか変わり者だ。
「で、お前はどうだったんだよ、レオ」
「あー……いや、俺は──」
「リンゴ一個だったな」
言い淀むレオの代わりに私が答えてやった。
「かーっ、情けねぇ。おいお前ら聞いたか? 今日のレオの獲物はリンゴ一個だとよ!」
親父さんが振り返って叫ぶと、親父さんと飲んでいた客の男たちが、ゲラゲラと笑いながら「ヘタレ」だの「みみっちい」だのとからかいだす。
「だーっ!うるせぇ!お前らそろいもそろいやがって!」
お前ら、の中には私も含まれているんだろうな。
笑いを堪えつつ、その今日の獲物を盗られたことは絶対に秘密にしようと誓った。
きっとここぞとばかりに私まで笑われる。
「ほら、二人とも食え食え。特にノアは細っこいからな。いっぱい食って大きくなった日にゃ、いつかそこに載る日がくるかもしれんぞ」
親父さんが指さした壁には掲示板のボードがあり、お尋ね者の貼り紙が何枚か貼られていた。
いつからそこにあるのか、どれもそこそこに年月を感じる。
「別にお尋ね者になりたいわけじゃねぇよ」と突っ込みを入れるレオ。
それに同意しようとして、古びた貼り紙の一枚に目が留まる。
「あっ──!」
「な、なんだどうした?」
私は思わず音を立てて立ち上がった。
親父さんとレオが目を丸くして見ていたが、そんなことを気にする余裕もなかった。
褐色の肌、癖のある長めの髪、エメラルドグリーンの瞳──
そこにはご丁寧にもカラーで描かれたあの男の顔があった。
男の顔に見覚えがある気がしたのは、酒場の張り紙のせいだったようだ。
西の国の遺跡盗掘者、ハロド・エルナンド。
数年前から単独で世界各地の遺跡を荒らす国際的な指名手配犯だ。
ただ神出鬼没でなかなか尻尾を出さないせいか、世間での認知度は低いらしい。
親父さんに聞いても「こんなやついたな」程度の認識だった。
黙ってその話を聞いていたレオが、料理をほおばりながら顔をのぞかせる。
「そいつがどうかしたのか?」
「あ、いや……前に街で見かけた気がして」
私の言葉にレオは信じられない様子で「まさか」と返した。
「曲がりなりにも指名手配されてんだろ? どうやって王都の門の警備を抜けるんだよ」
「そう……だよな」
街を出入りしようと思ったら、警備兵のいる4つの門のどこかを通らなければならない。
いくら世間での認知度が低くても、指名手配書が出ているとなれば警備に引っかからないはずがない。
けど、あの顔は確かに夕方出会った男だ。
一体どうやって街に入ったのか。
その後は特にハロドについての話が出ることもなく、ただとりとめもない雑談を交えながら夕食を終え、私たちはアジトへと戻った。
男の正体はわかったが、代わりに増えた新たな謎に、私は悶々としながら眠りについたのだった。
翌朝。
文字通り朝飯前に市場のリンゴを頂戴した私は、真っ赤な果実をかじりながら、ぶらぶらと街中を歩いていた。
巡回する兵士を警戒しつつ、適当な獲物を探す。
「なんか……いまいち気分が乗らねぇな……」
今日も王都は晴れ晴れとした天気だというのに、いまいち気分はさえなかった。
きっとそれも昨日失敗しかけたせいだ。
降り注ぐ陽射しを帽子で遮りながら、通りの端で空を見上げる。
その横、路地裏に続く陰から伸びる手に、私は気が付かなかった。
「──む、ぐっ──!?」
突然口元を覆われ、何だと思う暇もなく陰の中に引きずり込まれる。
バタバタともがく私の耳元で、聞き覚えのある低い声が聞こえた。
「やーっと見つけたで、ノア猫」
「なっ!?」
最悪だ。
見上げた先にあったのは、獰猛な笑みを浮かべたあの男の顔だった。
「ハロド──んぐ!」
「しー、なんや、知っとったんかいな」
叫ぼうとする私の口を抑えて、ハロドは肩透かしを食らったような顔をする。
「なら話は早いな。ノア猫、遺跡の盗掘手伝ってもらうで」
「野良猫みたいな呼び方すんじゃねぇ! だいたい場所は昨日教えてやっただろ、一人で行けよ」
「詳しい場所はお前にしかわからんやろ、ノラ」
「ノアだ!」
くそ、人をおちょくりやがって。
なんとかハロドの腕から抜け出そうとするが、やはり力ではかなわない。
余裕のある笑みがムカつく。
「なに、案内だけでええねん。そしたらあんたの財布も返したるし──」
ぱっと拘束が解けたと思ったら、頭の影がなくなった。
男が指先でくるくると私の帽子をもてあそぶ。
「この帽子もな。……あんた綺麗な赤髪やな、珍しい」
「っ、返せ!」
慌てて帽子に手を伸ばす私を嘲笑うかのように、ハロドは帽子を高々と掲げる。
「ほな、遺跡まで案内──!静かに」
ハロドが息をのんで私の手を引き、建物の壁に背をつけた。
耳を澄ますと、通りの方から金属のこすれ合うような音と、誰かの話し声が聞こえる。
「ほんとにいるのか? こんだけ捜したってのに……」
「仕方ないだろ、絶対見つけろって仰ってるそうだから」
「一体どこにいるんだか」
「王都からは出てないはずだ、つべこべ言わずに捜すぞ」
街の兵士だ。
規則的な鎧の音は路地裏の入り口を通り過ぎ、街の中へと消えていく。
「ふぅ……もう王都にいるんがばれたんか? 早いな……」
「あ、おい……!」
「そろそろ潮時か」と呟いて、そのまま立ち去ろうとするハロドを慌てて引き留める。
「オレの帽子返せっ」
「ほな」
「……わかった、遺跡まで案内する」
不本意ながらも仕方なくうなずくと、ハロドは私に帽子を被せたその手で、乱雑に頭を撫でた。
「夜の12時、噴水広場。……逃げんなや?」
その手を払いのけようとした私の手は空を切り、顔を上げるともうそこにハロドの姿はなかった。
路地裏の奥を見ても、通りの方を見てもハロドらしき姿はない。
「どこに消えたんだ、あいつ……」
ぽつりと呟いた言葉はただ静寂の中に吸い込まれるだけだった。