言いがかりも甚だしい
群がる野次馬達のせいで人垣ができているが、数馬は身の丈六尺近い。背伸びをすれば、なんとか様子を窺うことができた。
騒ぎの主は、四人の侍だ。抜き身を構えた三人が、残る一人を三方から取り囲んでいる。囲まれている侍は、四十絡みでがっしりした体躯だ。ととのった身なりで、灰色の小袖と袴に、黒い羽織を纏っている。腰に携えた大小に手をかけることもなく、落ち着きはらった様子だ。
「さて、人違いであろう。拙者、中井慶蔵と申す。往来で斬りかかられる身の覚えはござらん」
取り囲む三人の侍は、口を閉ざしたまま、殺気を湛えてじりじりと間合いを詰める。風体からすると、しかるべき家中の家来衆だろう。
(あの男の落ち着きよう、只者ではあるまい。だが、いくら腕がたとうと、三人が相手ではいささか分が悪かろう)
どちらに義があるか、通りすがりの数馬にはわからない。だが、三対一でのなぶり殺しになるようなら、止めにはいる心づもりだ。
野次馬達が固唾をのんで成り行きを見守るなか、中井と名乗った男から見て右手にいる相手が、八相に構えて駆け寄る。そのまま上段に振りかぶり、中井の肩口に向けて、白刃を斬り下ろす。それを見た、野次馬の幾人かが悲鳴を上げる。
だが、中井は躰を右に開いて斬撃をかわし、無造作に足払いをかけた。踏み込んだ足を刈られた相手は、勢い余ってつんのめり、もんどりうって倒れこむ。
それを見た左手にいる侍は、
「おのれっ!」
と叫び、中井の背に向けて斬りかかる。だが、中井は振り向きさまに腰の大刀を鞘のまま引き抜き、相手の胴を薙ぎ払う。さほど鋭くもない一撃だが、飛び込んできた相手の胴に深々と食い込む。痛恨の一撃をくらった相手は、地を転がり悶え苦しむ。
残る一人は、すっかり臆した様子だ。
「う……ぐ……」
剣を正眼に構えながら、じりじりと間合いをとる相手に、中井はにやりと笑いかけた。
「矢島一刀流か。勝田藩指南役、橘誠吾殿門下の方々とお見受けする」
中井の言葉に、相手は狼狽を隠せない様子だ。地に伏して悶える同輩たちを一瞥し、一瞬逡巡し――勝ち目はないと悟ったのだろう。
「ええい、覚えておれ」
と捨て台詞を残し、衆目を集めるなか、脱兎のごとく走り去る。その後ろ姿を野次馬達が興味深そうに眺め、囁きを交わし合う。中井は足早にその場から立ち去っていった。
数馬は人混みをかきわけ、中井のあとを追う。
(あの中井という男、真剣での立ち合いであの落ち着きようとは、只者ではあるまい)
数馬の見たところ、中井の太刀筋はさほど鋭くない。それでも相手を手玉にとれるのは、真剣での立ち合いに慣れているからだ。そして、数馬は思う。
(どこか、塚田先生に似ている)
傍から見れば絶体絶命の危機に瀕していても落ち着きはらい、鮮やかな手並みで敵を翻弄し、風のように立ち去る――中井の纏う空気に、数馬は塚田千之助と似た臭いを感じた。
(もしや、公儀の役目につく者かもしれん。いや、御老中様に仕える者とは限らないか。だが、ほかに先生の消息を知る手がかりもないのだ。まずは、あの男に話をきこう)
淡い期待を抱きながら、数馬は中井を見失わぬよう足早に歩く。田楽や蕎麦などを食べさせる屋台見世が立ち並ぶ通りを、中井は振り返ることもなく進んでいく。数馬は中井のあとを、つかず離れず追う。
中井は、そこそこ繁盛している煮売り屋の店先で立ち止まった。店の前で呼び込みをしている男となにか言葉を交わしたあと、中井は店の手前の角を曲がり姿を消す。
数馬もその後を追い、角を曲がる。人どおりのない裏路地を進む中井の背に駆け寄りながら、数馬は大きな声で呼びかけた。
「中井殿、しばしお待ちください」
その声に立ち止まって振り返った中井は、怪訝そうな様子で数馬を見た。
「なにか御用か。さきほどの騒ぎの場から、ずっと拙者のあとを追っておられたようだが」
数馬は中井を真正面から見つめる。
「私は乾数馬と申す者。行方の知れぬ知り合いを探すため、つい先ほど八田からこの江戸にやってきたところです。中井殿、塚田千之助という名に聞き覚えはありませぬか」
微かな期待をこめた問いに、中井は頭を振る。
「いや、知らぬ名だ」
半ば予想していた答えではあったが、数馬は落胆を隠せない。
「そうですか。いや、突然呼び止めたこと、平にご容赦願います」
一礼をし、背を向けて立ち去ろうとした数馬は、行く手を一人の男に遮られた。いつのまに、背後を取られたのか――いくら中井を追うことに気を取られたとはいえ、男たちが近づく気配すら数馬にはわからなかった。
男は、さきほど中井が立ち話をしていた煮売り屋だ。小柄な引き締まった体つきで、歳は五十すぎくらいか。男が右手に匕首を持っていることに気がついた数馬は、気色ばむ。
「何をする」
煮売り屋と中井の顔を交互に見比べつつ、数馬は刀の柄に手を添えながら後ずさる。煮売り屋は客商売に似合わぬ、射抜くようなまなざしで数馬を見ながら匕首を引き抜く。
「お前さん、なぜ塚田様を追っていなさる。いったい、塚田様とどういったご関係で」
中井も、それに言葉をかぶせながら鯉口を切る。
「乾殿とやら、返答によってはただではおかぬ」
数馬は眼前の二人の放つ気に威圧された。首筋から背にかけて、さっと血の気が引くのを感じる。
(この者たちは、塚田先生のことを知っている。しかも、この煮売り屋の言葉から察するに、塚田先生の敵というわけでもなさそうだ。どうにか、この場を切り抜けねば)
そう思いながらも、数馬は刀の柄にかけた己の手が小刻みに震えていることに気がつく。指がかじかんだように冷たい。無理もない、数馬にとって真剣での立ち合いは、これが初めてなのだ。
「待て! 私は幼き頃、塚田千之助先生に命を救われ、剣を学んだ。一年に一度は八田の国を訪れる先生が、もう一年半も姿をみせぬ。もしや先生の身に何か起きたのではないかと心配になり、行方を追っているのだ」
必死に訴える数馬の言葉もむなしく、煮売り屋はじろりと数馬を睨みつけた。
「見え透いた嘘を言うんじゃねえ。それならお前さん、なぜ塚田様と中原の旦那の関わり合いを知っているんでぇ」
(――中原?)
数馬には聞き覚えのない名だ。
「ふん、答えられめえ。おおかた、お前さん、上柴様に仇なす連中の犬だろうさ。いい加減、観念しな」
言いがかりも甚だしい。さすがに、数馬もむっとして言い返す。
「おい、なぜそう決めつける」
だが、煮売り屋ははなから聞く耳を持たない。
「問答無用。訳はあの世で聞くぜ」
ぎらりと光る匕首を手にとびかかってくる男に向かい、数馬は鋭く踏み込む。
体の震えは、いつの間にかおさまっていた。幼き頃から、師の動きを目に焼き付け、それをひたすらになぞり、剣を振り続けてきた。恐れも迷いも手放せば、身体がひとりでに動く。
数馬の予想外の動きに、男は驚いたように目を見開いた。数馬はその左頬に、思いっきり平手をくらわす。ぐん、と首を右にねじるようにして、男はよろめきながら倒れる。
すかさず振り返った数馬は、半ば抜刀しかけている中井に向けて、一足飛びに間合いを詰めた。低い姿勢から両の足で地を踏みしめ、短く息を吐きながら目にもとまらぬ速さで抜刀する。渾身の一撃は鈍い光を放つ弧を描き、中井の首筋へと伸びた。
「ま、参った」
中井は、ぽろりと得物を取り落とした。中井の首筋に押し当てられた刃は、皮一枚の深さで食い込んでいる。数馬が少しでも刃筋を引けば、首筋から血が噴き出すだろう。
もとより、踏んだ場数でいえば、中井に比べると数馬などほんのひよっこだ。だが、その経験の差をも圧倒する、神速の一撃だった。
「その剛剣、まちがいなく塚田千之助殿の縁の者であろう。すまぬ、我らの早合点だ」
中井の言葉に、数馬は刀を納める。中井は首筋をさすりながら、数馬に話しかけた。
「だが、なぜ拙者が塚田殿と関わり合いがあると知っているのだ」
数馬は口ごもった。なにしろ、中井に目を付けたのは、ただ師と雰囲気が似ていたからだ。それがこんな騒ぎになってしまい、いかにも説明しにくい。
「いや、なんとなく……そんな気がしたので……」
「なんとなく?」
予想外の言葉に驚いたような中井の様子を見て、数馬は申し訳なさげに肩をすくめた。
「はい……なんとなく」
しばらくじっと数馬の顔をみつめていた中井は、愉快そうに破顔した。
「おぬし、実に面白い男だな」
これは、褒められているのか、けなされているのか。判断しかねて首を傾げる数馬の肩を、中井はぽんと叩いた。
「よし、気に入った。俺の名は、中原半四郎だ。塚田殿とはちょっとした知り合いでな。まずは、おぬしに会わせたい相手がいる」
数馬が平手で張り倒した煮売り屋の男は、いつの間にか姿を消していた。
中原に導かれるままに裏路地から表通りに出て、行く先も告げられずに肩を並べて歩く。
(世間は広いようで狭い。江戸に来てすぐに、先生の知り合いに会えるとはな。こいつは、実に幸先がいい)
数馬は、喜びに胸を膨らませる。この先に待ち受ける苛烈なさだめを、このときの数馬は予想だにしなかった。




