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第五部最終話 冬晴れの空

 木枯らしが吹きすさぶ中、猛烈な勢いで数馬さんの身体が宙を舞い、どすんと地面に叩きつけられる。


 うへえ……今のは結構、腰にきたはずだぞ。全然、受け身をとってないもん。土埃を浴びながら傍で見ている私も、ハラハラ物だ。うわ、数馬さんてば、めちゃくちゃ顔をしかめているよ。こりゃ、本当に効いてるわ。


 倒れた数馬さんの前で仁王立ちになっているのは、小平太さんだ。


「なんでぇ、数馬さん。もう終わりかい」


 挑発するような小平太さんの言葉に、数馬さんは飛び起きる。


「まだまだ! もう一度!」


 小平太さんはにやりと笑う。


「そうそう、その意気だ。どこからでも来な」


 一足飛びに間合いを詰め、小平太さんの襟を取った数馬さんは、またもや豪快に宙を舞う。


 うわあ……思わずこっちまで目をつぶっちゃうよ。基礎がなってないから、見ちゃおれん。


 二十回ほど同じようなことを繰り返し、ついに数馬さんは地面に大の字になったまま、動けなくなった。うんうん、投げられてから飛び起きるのって、思ったより体力を消耗するんだよね。


 志乃が自ら命を絶ってから、ひと月が過ぎた。数馬さんの手足は、すっかり元の状態に回復したよ。本人が言うには、素早く抜刀しようとすると、握りこみがまだ遅いらしいけれど。


 そんなわけで、宣言どおり、四日前から数馬さんに体術や手裏剣術を教え始めたんだ。数馬さんは、普段は刀を持ち歩かない。だから余計に、無手で敵を制する手立てが必要だ。


 今日も、養生所の裏手――つまり私達の住む長屋の前で稽古をつけていたら、小平太さんがやってきた。


 いつものように、弥助さん謹製のダーメンコルセットを持って来てくれた小平太さんは、初めて目にする私たちの稽古に、興味津々だ。


「おゆき坊、随分と面白そうなことをやっているじゃねぇか。どれ、俺も一汗流させてもらうとするか」


 いや、数馬さんには小平太さんのこと、私の仲間だって伝えていないんだけど。ちょ、ちょいと待って!


 心の中で慌てふためく私をよそに、数馬さんは神妙な顔をして小平太さんに頭を下げる。


「では、よろしくお願いします」


――そして、今の惨状である。


 小平太さんは体術と暗器の達人だ。いくら数馬さんが剣に関しては凄腕でも、得物がなければ敵う筈もない。これでも小平太さんからすると、じゃれて遊んでいるくらいの手加減具合だ。なにしろ、小平太さんがまともに技をかければ、一発で肩か肘が壊れるもん。いまは、後に残るような怪我をしない程度に投げ飛ばしているのがわかるから、あまり心配ないな。


「数馬さんとやら、今日はこれぐらいにしておくか」


 傍らで膝をついて見下ろす小平太さんの声に、数馬さんはぎこちなく体を起こす。何度も地面に叩きつけられているから、見るからに、体の節々が軋んでいそうだよ。まあ、二、三日もすりゃ治るだろうけど。


「参りました。すごいな、まったく歯が立たない」


 顔から滴る汗をぬぐいもせず、肩で息をする数馬さんは、すっかり観念した様子だ。小平太さんは、真顔で語り掛ける。


「まあ、筋は悪くねえ。だが、なにしろ身体の使い方がなっちゃいねえな。まずは受け身をしっかりととれにゃ、話にならねえ。細けえところは、おゆき坊から教えて貰え。ただ、おゆき坊とお前さんとじゃ、如何せん背丈も膂力(りょりょく)も違いすぎらぁな。ときたま俺が相手をしてやるからよ」


 正座になり、姿勢を正した数馬さんは、神妙な顔で頭を下げる。


「ありがとうございます。でも、小平太さんも弥助さんも、なぜ俺に、ここまで気をかけてくれるのですか」


 どうやら数馬さんは、小平太さんも仲間だと気が付いていたらしい。まあ、いつも弥助さんの遣いで来ているから、あたりまえか。


 数馬さんの問いに、小平太さんは、にやりと笑う。


「そりゃあ……うちのおゆき坊が、数馬さん、あんたに惚れているからに決まっているだろうが」


 唐突に話を振られて、面食らう。あっという間に顔が、かあっと熱くなっちゃったよ。ちらりと数馬さんを見ると、こちらもゴクリと唾を飲みこみ、目を白黒させている。


「ちょ……っ、こ、小平太さん、何いってんの!」


 思わず駆け寄り、小平太さんの袖をちょいちょいと引っ張ると、いきなり視界いっぱいに空が広がった。


「わわわっ!」


 小平太さんに腕をとられ、背負い投げの途中で宙に放り投げられた私は、空中でくるりと身体を捻って体勢を立て直し、両足と左手とで着地する。小平太さんとの間合は、およそ四間。うわあ、こりゃまた盛大に投げ飛ばされちゃったよ。


 私の飛びっぷりに、数馬さんは目が点になっている。ぶん投げた本人は、涼しい顔だ。


「おゆき坊、腕はなまっちゃいねえようだな」


「もう……びっくりだよ」


 土埃を払いながら戻ってくる私に、小平太さんは楽し気に言う。


「数馬を鍛えるついでだ。今度からおゆき坊にも稽古をつけてやるからな」


 こりゃまた、願ってもない。剣の稽古は数馬さんや秋月先生に相手をしてもらっているけれど、体術は相手がいないもんね。にこにこ笑う私を見て、数馬さんは苦笑いだ。


 まあ、小平太さんと数馬さんの顔合わせも無事に、といっていいのかどうか微妙だけど済んだし、いまのところは万々歳かな。


 小平太さんによると、佐々木劒持の手下は、水無川衆の残党を追い続けているようだ。残党といっても、いまや銀次って人しかいないんだけどね。うまく逃げおおせているだろうか。


 数馬さんが江戸に戻っていることを、佐々木劒持が知っているのかどうかは、さっぱりわからない。ただ、今のところ数馬さんを狙う動きはない。


 そして――数馬さんの、私への気持ちを知ったあとも、私達の関係は今までと変わらない。抱きしめられたのも、あれっきりだ。でも、今はそれでいい。こうやって、何気ない日常を、共に過ごせるだけでいい。


 次の日の明け方。


 私と数馬さんは、住谷(すみや)橋に来ている。上方へ旅立つ、おさよを見送るためだ。


 あの日、偽の証言をしたと鵜木様に申し出たあとのおさよは、吟味方の詮議に、よどみなく答えたらしい。


「ええ、数馬先生に捨てられた志乃っていう女が、あたしにこの一件を持ち掛けてきたんですよ。あたしはね、姉芸者の染弥を数馬先生に殺されたと思いこんじまって、その話に乗りましたよ。でも用済みになった途端、志乃の仲間に殺されかけましてね。恐ろしいったらありゃしない。それに、数馬先生から(じか)に話を聞いて、数馬先生が染弥姐さんを殺した下手人じゃないと、納得しましたよ。でも偽の証言をしたのは紛れもない事実。ほんとうに数馬先生には、取り返しのつかないことをしてしまいました。お役人様、どうぞ、きついお仕置きをくださいまし」


 荒木殿の妄想したとおりの筋書きになっているのが、なんだかなあ、って感じだけど。


 当の数馬さんが今ではピンピンしているし、数馬さんからも鵜木様を通じて減刑を願い出た。だから、おさよに申し渡された沙汰は、江戸所払いという、驚くほど軽い刑で済んだよ。でも主だった鶴見屋からは、とっくに三行半(みくだりはん)をつきつけられている。今のおさよは、頼る相手がいない独り身だ。


 だが、旅装に身を包んだおさよは、晴れやかな顔だ。


「妾暮らしなんて、やっぱりあたしには性にあいませんよ。上方で踊りと三味(しゃみ)でも教えて、のんびりと暮らすことにしますよ」


 そう言うと、おさよは数馬さんに深々と頭を下げた。


「あたしの思い込みと不始末で、数馬先生にはとんだ借りができちまいました。一生をかけて、償わさせてもらいますよ。立浪の女の、意地ってものがありますからね」


 数馬さんは朗らかな笑顔を返す。


「いいんだよ、おさよさん。上方は冷える。体に気をつけて、達者で暮らすんだぜ。この時期なら、雪が積もる前に着けるだろう」


「おさよさん、無理はしすぎないでね」


 そう声をかけると、おさよはにっこりと笑い、私の耳に口を寄せて囁いた。


「数馬先生、九年前と比べて随分としっかりした、いい男になっちまって。しかも、あれだけ優しい人は、滅多にいやしないよ。これで腕っぷしさえ強ければ、何もいうことが無いんだけどねえ。でも、おゆき先生が一緒なら大丈夫さ。いいかい、惚れた男の手は、けして放しちゃいけないよ」


「う、うん……は、はいっ!」


 思わずどぎまぎして、顔がかあっと赤くなる。うむむ、頭から湯気が出そう。明らかに挙動不審な私を見て、怪訝な顔をしている数馬さんの視線を感じるぞ。ううう。


 そんな私たちに、おさよはもう一度、一礼した。


「さて、あたしはそろそろ行くとしますよ。先生がたも、どうか達者になさってくださいな」


 まだ薄暗い空を仰ぎ見ると、澄み渡った空には、ふわふわとしたわた(・・)雲がまばらに浮かんでいる。絶好の旅日和だ。


 おさよの後姿が見えなくなるまで見送ったあと、数馬さんと肩を並べて養生所へと歩き始める。


「なあ、おさよに何ていわれたんだい?」


 うう……そ、そんなこと言えるかい。


「ええとね、数馬さんの腕っぷしが強ければ、何もいうことがないのにね、って言われたよ」


「そうか」


 数馬さんは軽く微笑み、それ以上は聞かなかった。ふう、なんとかごまかせたぞ。


 ま、それはともかく、腕っぷしが弱いことになっている数馬さんを、忍びの連中がもって回った手口で嵌めようとしたってのは、いかにも説明に困る。


 でも――どうやら、数馬さんに懸想して情を交わした志乃の仲間が、たまたま忍び崩れだった、ってことで収まったみたい。


 忍び崩れだということが役人に嗅ぎつけられると面倒だから、こんな(はかりごと)をした。で、志乃の取り合いで仲間内でも刃傷沙汰となり、勘助が七蔵をめった斬りにした、と。そのあとは、志乃が残った男どもを惑わして、盗賊改から解き放ちになった数馬さんを襲わせたけれども、私と荒木殿が返り討ちした。志乃と若い男が逃げたとはいえ、深手を負っているから長くはもつまい。勘助が三日前に死罪となり、これにて一件落着――という筋書きさ。


 全部、鵜木様から教えてもらった話だけどね。巳之吉親分が上手く話を合わせてくれたから、本当に助かったよ。うん。


 歩いているうちに、だんだんと空も明るくなってきた。大きく息を吸い込むと、鼻の奥がツンとする。


「ねえ、数馬さん。あの銀次って人、どうするのかなあ」


 独り言のように漏らす。


「さあな。仇を討つといっても、容易じゃなかろう」


と、数馬さんはぽつりと言った。


 そうこうするうちに、あたりは振り売りや、仕事場に向かう大工などの職人で賑わってきた。人に聞かれるとこと(・・)だから、この話は一旦お開きさ。


 佐々木劒持に一矢報いたい、って言っていたよね。でも、一人っきりでどうするつもりなんだろう。それに、裏の世界の住人が江戸で生きていくとなると、手っ取り早いのは悪事に手を染めることだからなあ。大丈夫だろうか。


 そう思ったところで、普請中の、小さな表店の前を通り過ぎる。もう、大工たちが、てきぱきと道具を広げ始めているよ。


「ほう、新入りのわりに、道具の手入れ具合が申し分ねえ。身も軽いし、お(めぇ)、なかなか見込みがあるぜ。こいつぁ掘り出しもんだな」


 頭領が、朝からご機嫌な声だ。


「へぇ、ありがとうございやす」


 なんだ、なんだ。若い男の声に、やたらと聞き覚えがあるぞ。


 数馬さんも私も、同時に声の主を見る。腹掛と股引という大工姿に身を包んでいるのは、紛れもなく銀次だ。


 私たちが見ていることに気がついた銀次は、にっと笑い会釈をする。


 銀次は、江戸で生きる手立てをちゃんと見つけたらしい。銀次に笑顔を返し、数馬さんと顔を見交わす。数馬さんも、ちょいと嬉しそうだ。


「ゆきさん、行くか」


「うん」


 すっかり寒い季節になったのに、身体がポカポカと温かいよ。いや、温かいのは心の(うち)、か。



――譲れぬ想いを胸に抱き、生きる者たちがいる。


 恋と恨みに身を焦がし、自ら死を選んだ志乃。一族の仇を討つという大義名分に身を投じた、水無川衆の男たち。想いの果てに命を落とした彼らの生き方を、責められはしまい。


 私も数馬さんも、譲れぬ想いがあるが故に、自ら剣をとっているのだから。それが、いつかは敵に(たお)されるかもしれぬ道でも。


 そして、譲れぬ想いを胸に抱きつつ、新たな生き方を選んだ者たちがいる。ときに惑い、ときにくじけることがあったとしても――おさよも銀次もきっと、たくましく、したたかに浮世を生き抜いていくことだろう。


 彼らの進む道が、この冬晴れの空のように、明るく穏やかでありますように。


(第五部・完)




これにて、第五部は一件落着です。


今回のお題は、


・主人公に恨みをもつ人物が登場

・むかしの女

・主人公の女難

・捕まって拷問

・大怪我のはずが、謎の超回復

・主人公の正体を知った人は、とりあえず旅に出る


でした。テレビ時代劇あるある。


あと、江戸時代の責め問(拷問による取り調べ)に絡み、起こりえるであろう疾患を題材にしてみました。


毎度の幕間回(高木パート)を挟んでの、次回、第六部は前回のあとがきで予告したとおりの特別編。九年前の隠密狩りに絡む物語です。というわけで、主役は数馬。11月末~12月の公開を予定しております。


引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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