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筋金いりの人でなし

 米問屋の鶴見屋まで、養生所からは歩いて四半刻ほどかかる。川瀬町で五代続く、そこそこのお(たな)だ。鶴見屋の主は、その表長屋の一室におさよを住まわせている。巳之吉親分の話によると、子はない。


 おさよの家に向かいながらも、私の考えはまとまらない。巳之吉親分の話から察するに、おさよは数馬さんを染弥(そめや)殺しの下手人だと思い込んでいる。


 だが、染弥殺しの真相を知らないのは、私も同じだ。芸者・染弥も数馬さんのように上柴様の隠密で、村上主膳の手先によって殺められたのだと目星はつけた。だが、それもこれも憶測でしかないんだよね。


 さっき巳之吉親分の話を聞いたときには、自分の読みに筋が通っているような気がした。でも、ほかの線もあるのではという気もするなあ。


 なにしろ、染弥が殺されたのだって、もしかすると染弥が上柴様を裏切ったために、元の仲間の手で始末されたってこともあるしな。


 染弥が殺された朝、数馬さんど言い争っていたというのも気になる。お役目にかかわる件で揉めていたのか、男女の仲のもつれなのかすら、想像もつかない。私が知る今の数馬さんは、私情で人を殺めるような人ではない。だが、二十歳そこそこの数馬さんなら、軽はずみな行動をとってもおかしくはあるまい。


 困ったなあ。物事を冷静に見ようとすればするほど、自分が冷静じゃなくなっていく。


 そもそも、考えたところで私には、恨みで凝り固まった相手の説得なんて無理なのだよ。もう、無理! 絶対に無理! 小平太さんや弥助さんに相談したいけれども、その間におさよが消されてでもしたら、取り返しがつかない。まずは、正攻法でおさよと会うしかあるまい。まずは、おさよが数馬さんのことをどう思っているかを知らないと。それに、おさよの周りを張っていれば、例の忍びの一味が現れるかもしれない。見張っている間に、策を練ろう。


 ぐるぐると考えているうちに、いつの間にか目的地にたどり着く。


 おさよの住いは、人形屋だった表店の二階だ。前の持ち主が店を手放したあと、鶴見屋の主が買い取り、おさよを住まわせているらしい。その家の前までくると、ちょうど戸口から二十五、六ほどに見える女が顔を覗かせていた。整ってはいるが、どちらかといえば地味な顔立ちだ。どこか物思いに耽るような目で、ぼうっと表を眺めている。


「おさよさんですね」


 近づいて声をかけると、おさよは我にかえり、怪訝な顔をしつつも丁寧に頭を下げた。今の私は、編み笠で顔を隠した男装だ。


「わたくし、養生所の医師で冴木ゆきと申します。乾先生が人を殺めしところを、おさよさんが目の当たりにしたときき、仔細を伺いたく」


 編み笠の縁を持ち上げ、おさよに顔を見せる。案の定、おさよはきっと私を睨みつけたあと、顔をそむけた。


「そのことでしたら、お役人様にすべて話しました。お引き取り願います」


 そのまま背を向けて、逃げるように家の中に入ったおさよの後を追い、するりと戸口から滑り込む。


「おさよさん、私は乾先生が人を殺めたなど信じておりません。いえ、私は、あの男を殺めたまことの下手人を知っている。ですから、おさよさんが偽の証言をした理由(わけ)を知りたい」


 そういいながら編み笠を外し、おさよに顔を晒す。


 おさよは私の顔を見るなり、けらけらと笑いはじめた。


「ふん、なり(・・)で若衆かと思ったけれど、こんな綺麗な娘とは思わなかったよ。養生所で女武芸者が医者をやっているって聞いたが、あんたのことかい」


 うわ、いきなりはすっぱ(・・・・)な言葉遣いになったよ。こっちが地かい。


「いかにも。おさよさん、お役人に出鱈目を言って無実の者を罪人に仕立て上げれば、偽の証言をしたものも罪は免れまい。なぜ、そこまでするのですか」


 またもや鋭い目つきで私を睨みつけたおさよは、憎々し気に言う。


「はんっ、無実だって? あの乾って野郎は、とんだ食わせもんさ。善人面して医者なんぞやりやがっちゃいるが、あいつは正真正銘の人殺しさ」


「いったい、どういうことですか」


 思い込みで凝り固まっている人間に、いきなり反論しても聞く耳は持つまい。まずは、なんとか話を引き出すしかないな。傾聴、傾聴、と。


「あいつは……数馬って野郎は、十年ほど前、あたしの姉芸者だった染弥姐さんの情夫(いろ)だったのさ。引く手あまたの売れっ子だった染弥姐さんが、なんであんな田舎臭い若造を気に入ったのか、あたしにはわからないね。きっと数馬がうぶな振りをして近づいて、あの(つら)で染弥姐さんをたらしこんだんだ。挙句の果てには、染弥姐さんを滅多切りにして殺し、外堀に捨てやがった。血の通った人間のすることじゃないね。あいつは鬼さ」


 ぎらぎらと光る眼が憎悪に燃える。相手が興奮すればするほど、こっちは冷静になっちゃうよ。まいったな、説得って雰囲気じゃないや。予想どおりだけど。


「染弥さんが殺されたとき、乾先生は養生所にいて身の証は確かだった、と十手持ちの親分さんからは聞いておりますが。乾先生を下手人だと思う理由(わけ)が、なにかおありか」


 おさよは、鼻で笑う。


「ふん、町方の役人や、その手先の話なんざ、あてになるもんか。身の証だって怪しいもんだね。それに、いざとなれば殺しを他人に頼むことだって何だってできる。数馬が江戸から姿を消していたのが、なによりの証さ。ほとぼりが冷めたら何食わぬ顔をして養生所に戻ってきてやがる。あたしは(はらわた)が煮えくり返ったね。とにかく、数馬って野郎は筋金いりの人でなしさ。あんたも、数馬に(たら)し込まれたくちだろう?」


 おおっと、私に飛び火してきたぜ。どこか蔑むような目つきでじろじろと眺めまわされると、なんだか居心地が悪い。


「図星のようだね。男のなり(・・)をしちゃいるが、中身は青臭い生娘(きむすめ)かい。せいぜい、数馬に身も心もぼろぼろにされるがいいさ。さ、帰っておくれ」


 下世話な人だなあ。さすがに此処までいわれちゃ、ちょいと反論もしたくなるよ。でもまあ、言っても無駄。ここはおとなしく引き下がるとしよう。最後にもうひとつ。


「おさよさん、乾先生に殺しの罪をなすりつけし一件、誰かに頼まれましたね。もし、九年前に染弥さんを殺した真の下手人と、今度の一件で乾先生を嵌めた連中に関わりがあるとしたら、おさよさんはどうしますか」


 いや、まあ、私もそんなこと知らない、ってのは内緒だ。鎌をかけるってやつさ。私の言葉に、おさよは顔色を変えた。


「そりゃ、どういうことだい。あんた、何か知っているのかい。おい、ちょっとお待ちよ」


 私の腕を掴もうとするおさよの手を振り払う。これで、この一件、裏で糸を引いている連中がいるっていう目星がついたぜ。


「外堀であがった男は、私が斬りました。前触れもなく私を襲ってきた連中のひとりです。奴らは間違いなく、忍びだ。おさよさんに話を持ち掛けた者も、連中の仲間でしょう。何が正しいのか自分の目で見て、自分の耳で確かめるしかない。この一件も、乾先生と染弥さんの一件も、だ。私が何を言っても、きっとおさよさんは信用しないでしょうから」


 茫然と立ちすくむおさよを残して、部屋の外に出る。


 自分の目で見て、自分の耳で確かめるしかないってのは私も同じだ。人に言えた義理ではない。なにしろ、九年前の事件のことを私はろくに知らないのだから。だが、憎しみで凝り固まったおさよの心に綻びが出るかどうかで、そのまた次の一手が決まる。無理なら無理で、別の手立てがある。


 それまでに、盗賊改に捕えられた数馬さんが持つかどうか――最悪の事態を思い描き、思わず立ち止まる。自分自身の心の臓の鼓動が、やたらに大きく聞こえる。


 まだだ。まだ、やれることは山ほどある。立ち止まっている暇なんてないぞ。そう自分自身に言い聞かせ、私は再び歩き始めた。

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