白いものでも黒
数馬さんも巳之吉親分も黙り込んだままだ。耐え難い沈黙のなか、私は恐る恐る尋ねる。
「ええと、そのおさよって人、なぜ数馬さんが下手人だという嘘を?」
数馬さんは、ゆっくりと目を開き、深く息を吐いた。
「ゆきさん、それは……」
そのとき、ただならぬ気配を感じ、私も数馬さんも動きを止める。養生所に向けて、幾人もの人間が駆けてくる気配だ。
「盗賊改か」
そう呟く数馬さんの顔を見上げる。もう、気配ばかりか足音まで聞こえてくる距離だ。
「数馬さん、どうする。逃げるかい?」
たとえ相手が盗賊改でも、数馬さんだけなら逃げ延びることは容易いだろう。だが、数馬さんは私の言葉に頭を振る。
「いや、俺は殺しとは無関係だ。逃げたら最後、本当に下手人にされちまう。ここはおとなしく、捕えられることにしよう」
その数馬さんの腕を、巳之吉親分ががっしりと掴み、強い調子で語り掛けた。
「若先生、そりゃあもっともな話だが、相手は泣く子も黙る盗賊改だ。お前さんがシロなのは、俺もまったく疑っちゃいねえ。だが、連中の手に落ちたら最後、地獄の責め苦で、白いものでも黒と言わされちまいやすぜ」
数馬さんは表情ひとつ変えず、静かに答える。
「そいつは困ったな。なにしろ、俺には身の証がない。でもまあ、知らぬ存ぜぬで押し通すしかあるまい」
親分の言葉に、遠い昔、テレビの時代劇や時代小説で仕入れた責め問の知識を思い返し、思わず身震いする。親分の言うとおり、自らが下手人であると言うまで苛烈な責め苦が続く。そもそも盗賊改が捕えるのは、殺しや火つけなどを働いた凶賊だと目星をつけた相手だ。責め苦の途中で死んだとしても已む無し、とみなされる。
七蔵という男を斬ったのは私だけど、私が斬ったという証もない。それに、下手に、忍びに襲われたなんてことを話したら、それこそ数馬さんの正体がばれてしまう。
どうする。私に何ができる。考えろ――
そう思いつつも、咄嗟のことに考えがまとまらない。
「数馬さん……」
名を呼び、手を握るしかできない私に向けて、数馬さんはかすかに微笑んだ。
「大丈夫だよ。耐え抜いて見せるさ。これでも体は頑丈なたちだからな。いいかい、ゆきさん。俺のために無茶をするんじゃないぞ」
もう。無茶をするなっての、いつも私が数馬さんに言っていることじゃないか。こくり、と私が頷くのをみて、数馬さんも軽く頷き返す。
慌ただしい足音とともに、建屋の戸ががらりと開き、十人ほどの捕り方がなだれ込む。間違いなく、盗賊改だ。
火事羽織に陣笠、という姿の与力が、じろりと養生所の中を見回す。その横に立つ、白襷姿の同心が、数馬さんに向けて十手をぐいっと突き出し、声を張り上げる。
「養生所医師、乾数馬だな」
「いかにも」
数馬さんの声は、落ち着きはらっていた。
「さきほど七蔵なる男を殺めたること、明白である。神妙にいたせ」
同心はそういうと、私のほうを向いた。
「そなたが評判の女武芸者殿か。この者をかばいだてすれば、そなたも只ではすまぬぞ」
数馬さん一人を捕えるにしては、いささか捕り方が重装備すぎるものな。捕り物道具を手にした連中の半分以上は、私のほうを向いている。私が抵抗するのを、見越しての布陣か。
「ゆき殿への乱暴狼藉は、避けていただきたい。その七蔵なる男、顔も名前も知らん。何かの間違いではないか」
数馬さんの言葉に耳を貸すこともなく、取り方が数馬さんの手と体を、縄できつく縛り上げる。
「申し開きは後でゆっくり聞いてやるわ」
そういいながら同心はにやりと笑い、巳之吉親分のほうを向いた。
「お前は、西町の御用聞きか」
「へい、定町廻りの旦那から十手をお預かりしておりやす、巳之吉ってもんで」
頭を深々と下げる巳之吉親分に、同心は嫌味たらしく言葉を投げかける。
「われらが捕えしこの乾という医者も、そこなる女武芸者も、西町の定町廻りとは昵懇にしてるときく。だがこの者は人を殺めし極悪人。万が一にでも手出しは無用、とお前の主に伝えておけ」
へい、と形ばかりは平伏する巳之吉親分が、両手をぎりりと握りしめる。
捕り方が乱暴に縄を引き、数馬さんの体ががくんと揺れるのを見て、私は歯を食いしばる。耐えろ。数馬さんが耐えているんだ。私が堪えずに、どうする。
通りすぎざまに、数馬さんがそっと囁く。
「心配ない。きっと戻るから」
引き立てられていく数馬さんの背に、巳之吉親分が声をかけた。
「若先生、身の証は、あっしらがきっと立てまさあ。だから、自棄をおこしちゃならねえぜ」
その巳之吉親分を、同心が鋭くにらみつける。
「ひかえよ。たかが御用聞き、身の程をわきまえい。それとも、西町の定町廻りは犬の躾もできぬか」
巳之吉親分はへい、と言い下を向いたまま黙り込んだ。
捕り方が養生所の門をくぐり出ていくやいなや、私は巳之吉親分に頭を下げた。
「親分さん、こうしちゃいられない。こうなったら、数馬さんが責め殺される前に、一味を捕えて突き出すしかありません。だけど、相手は忍び。すぐには尻尾をださないでしょう」
親分は握りしめた拳をようやく開き、頷く。
「おっしゃるとおりで。こうなったら、若先生が下手人だと出鱈目をぬかしやがった、おさよを当たるしかねえ」
染弥と梅千代、の名を聞いたときの数馬さんの様子を思い浮かべる。驚くわけでもなく、どこか観念した様子にも見えた。数馬さんの心のうちが、まったく読めない。おさよという女が、数馬さんが下手人だと証言した理由に、数馬さんは思いあたるところがあったのではないか。
「親分さん、その、おさよって人のことと、染弥さんという人のこと――そして数馬さんとの間になにがあったのか、知っているかぎりのことを、すべて教えてちゃくれませんか」
親分の顔をまっすぐに見つめると、親分は一瞬戸惑いの色を浮かべた。
巳之吉親分は言いよどむ。親分は優しい。きっと、私を傷つけまいとしてのことだろう。
「親分さん、そのおさよって人、何もしていない数馬さんを殺しの下手人だと偽の証言をするなんて、尋常じゃありません。嘘だとばれたら、その女もお咎めなしというわけにもいかない。よほどの理由があるんでしょう」
巳之吉親分は、まだ逡巡している。
「親分さん、私だってもう子供じゃありません。数馬さんと染弥って芸者がどんな関係かってくらい、察しがつきますよ。どうかお願いします」
親分はようやく心を決めたように頷き、診療室にどっかりと胡坐をかき十手を肩に担ぐと、私に座るよう促した。
「いいでしょう。あれは若先生がこの養生所にきたばかりの、ひよっこ医者だったときのことだ。あの頃の若先生は、田舎から出てきたばかりの青っちょろい若造でね」
十年前、数馬さんは剣の師である塚田千之助殿を追い、江戸に出てきた。その数馬さんが、どのようにして上柴様の隠密になったのかは、私も知らない。だけど、養生所の見習い医者になった時点で、すでに隠密廻りのお役目についていたときく。
「染弥ってえのは、元は立浪一の売れっ子芸者でね。器量よし、気風よし、芸も言うこたぁねえ。それに頭も回るときちゃ、身請けしたがる旦那衆が押し寄せたってきくぜ。だが、染弥は男に縛られるのはまっぴらごめん、とさっさと自前芸者になっちまった。その侠がうりの染弥が、情夫を囲ったってんで、みなびっくり仰天さ。その情夫てえのが、見習い医者だったころの若先生だ」
情夫、か。やっぱり、男と女の関係だったということだ。養生所の見習い医者なんて給金はないに等しい。隠密廻りとしての扶持がどうだったかは、父にも聞いたことがないからわからないけれど。まあ、つまりはひもだ。
「あの、くそ真面目な若先生が、どういう料簡で芸者の情夫なんぞになっていたか、俺にはさっぱり見当もつかねえ。だが、当時の若先生は、二日とあけず染弥のところに通っては朝帰りさ。当時は養生所にほかの医者もいたが、朝帰りするわ三日に一度は休むわで、若先生のやつ、毎度毎度大目玉をくらってやがった」
ああ、それで何となくだけど、合点がいった。医者と隠密っていう二束のわらじは、ちときつい。そのうえ女のところに通い詰めるなんて器用な真似は、数馬さんには到底無理だ。小平太さんなら、大丈夫そうだけど。
その染弥って人も、きっと上柴様の隠密だったんだろうな。だが、染弥、という名を聞いたときの数馬さんの表情からすると、ただの仲間ってわけでもあるまい。その考えに、なぜか胸がちくりと痛む。
「梅千代も、器量は悪くねえし頭も回る。それもあって、半玉のころから染弥に可愛がられていましてね。染弥が自前になってからも、染弥のうちに、よく顔を出してたそうですぜ。そこで、若先生とも顔馴染みだったってぇわけで」
「それで――その染弥って芸者は、どうしているんですか」
本当は、聞かなくてもわかっている。上柴様の配下だった江戸市中隠密廻りは、数馬さんを除き、村上主膳の手でみな殺しにあったのだから。
巳之吉親分は、当時の記憶をたどるように目を細めた。
「あれはちょうど九年前ぇの今頃だ。声のかかった座敷に染弥が来なかったので、梅千代が探しに出かけ、外堀に浮いている染弥を見つけたのさ。全身を滅多斬りにされた、ひどい有様の仏だったぜ」
そのときの様子を思い出したのか、巳之吉親分はひどく顔をしかめた。
「その日の朝、染弥のうちに泊まっていた若先生が、染弥とひどく言い争いをして家を飛び出して行った、と下働きの女が言いやしてね。奉行所の旦那がたも、いの一番に若先生が下手人と疑って番屋にしょっぴいたぜ。だが、染弥が斬られたころ、若先生は養生所にいた。これは三好先生も、ほかの医者も一緒だったから、身の証はまったく問題ねえ。半刻も経たねえうちにお解き放ちさ。だが、その日――若先生は突然、行方をくらましちまった」
ただの想像だけど、染弥という芸者は、村上主膳による隠密狩りの中で、斬られたのではないか。そして他の仲間も殺され、数馬さんはひとり江戸を逃れた。
「ほらみろ、やはり後ろめてぇことがあるんじゃねえか、っていう輩もおりやしたが、もう昔の話さ。結局のところ、染弥を殺した下手人は、わからず仕舞いだ。だが、梅千代のやつは、染弥を殺したのは若先生に違ぇねえと、ずっとずっと言い張っておりやしてね。三年ほどの間は、番屋にも毎日押しかけて、乾数馬は見つかったかとか、殺しの下手人を放っておくつもりかとか騒ぎ立てる始末さ。身請けされてからは、ぱたっとそれも止みやしたがね。だが、梅千代が若先生を恨んでいるのは、間違いねえ」
三年、か。こいつは厄介だ。相当に一途な女らしい。数馬さんを姉芸者の仇と思い込んでいるのか。死罪であれ責め苦の途中であれ、数馬さんが死ねばいいと思っているんだろうな。さて、うかつに動くと、ますます頑なになりそうだ。どうしたものか……
だが、どうにもこうにも、気持ちのつかえがとれない。いったい、なんだこりゃ。
黙り込んだ私の顔を、巳之吉親分がそっと覗き込み、肩をぽんとたたく。
「なあ、おゆき先生。若先生にとっちゃ、お前さんはなくちゃならねえ相手さ。染弥と一緒にいるときも、今のように屈託のない顔はしちゃいねえ。これはあっしが太鼓判を押すぜ。だから、今話した昔のこたぁ、あまり気にしなさんな」
にっこりと笑う巳之吉親分の顔をみて、胸のつかえが、すうっと軽くなる気がした。その心の動きに、自分自身でちょいと驚いたけれど、おかげで胸のつかえの正体がわかったよ。
ああ、そうか。数馬さんと、染弥って人の関係が気になっちゃっていたんだな。これは所謂、嫉妬の一種か。つまりは……ええと……私が数馬さんに惚れているってことかいっ!
知らず知らずのうちに真っ赤になっているであろう私を、巳之吉親分が温かい目で見守ってくれているのが、またなんともきまりが悪い。むうう、この場をなんとか納めねば。
「お、親分さんっ、ありがとうございます」
や、やはり内心の動揺を抑えきれん。いかんせん、私は前世でも色恋沙汰には疎かったのだよ。それが、いきなり中級者向けの、重い状況ですよ。だが、そのあとの言葉は、意外にすらすらと口をついて出てきた。
「死んだその染弥って人のこと、気にならないといえば嘘になります。でも、もうこの世にいない人と張り合っても拉致があかない。今は、私ができることをやらないと」
巳之吉親分は、ふっと口の端を緩めた。
「さすが、おゆき先生だ。だがな、好いた惚れたってえのは、理屈で割り切れるもんじゃねえ。もし、つれえことがあれば、あっしでよければ相談にのりやすぜ」
人生の先輩らしく有難い言葉を残し、巳之吉親分は去っていった。巳之吉親分も、鵜木様に今回の一件を相談してくれると言ってくれた。
戸口まで親分を送りながらも、私の頭は猛回転だ。どうする。どうすれば、そのおさよって人の偽証を覆せる。
おそらくは、おさよと例の忍びの一味は繋がっている。場合によっちゃ、連中がおさよの口を封じるかもしれない。まずは、おさよの身を守らないとな。




