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隠密医者 ~ 時代劇大好き少女がゆく(『第六部 番外編 隠密狩り』開始。3月14日第五部まで改稿)  作者: 薮田一閃@江戸でござるよ
第一部 剣術バカが行く ~ 時代劇大好き少女の師匠は、謎多き剣の達人
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自宅で孤独死! みたいな新聞の見出しは勘弁だ

 今年の夏は、一際暑い。


 ジリジリと焦げるアスファルトの路面がうらめしい。うわあ、遠くの景色が揺らいでる。もうすぐ蜃気楼が見えるよ、これ。


もう一件、まわらなきゃ……もうひと踏ん張りだぞ!


と、気合いをいれたときに、ブーンという、蜂の羽音のような耳鳴りとともに、視界が揺らぐ。


「おっとっと。最近は油断すると、すぐこれだもんなあ……」


 意識を集中すると、すぐに耳鳴りも眩暈もおさまる。歩行中に幽体離脱しかけるとか、本当に洒落にならない。耳鳴りと眩暈は幽体離脱の兆候だ。半年くらい前から、「これ」が起き始めた。寝入りばなにブーンという音が聞こえて、自分の霊体がズルっと自分の体から中途半端に抜け出るのがわかった。最初はレム睡眠期の金縛りかと思っていたけれど、それにしては毎回、ズルっという感覚が妙にリアルで気持ち悪い。そのうちに、寝ている自分の体を自分で見下ろせるようになってしまい、やっぱりこれは幽体離脱だろう、と認めざるをえなくなった。


 そのうちに、幽体離脱がどんどん頻繁に起きるようになってきて、ここ二週間は、歩いているときまで「これ」の兆候があらわれるようになる始末。


「そろそろ……かな」


 多分、そろそろ私の寿命の限界が来ている。うん。覚悟しているよ。


――先生が亡くなって、今年で十年になる。


 十年前、先生が使った秘術で、瀕死の重傷だった私は生きながらえている。でも先生によると、先生の守護の力は有限なんだそうだ。期間的には、だいたい先生のそのときの余命。あとは、私の身体のポンコツ具合との兼ね合いで、私の寿命の限界がくる。


「私にもよくわかりませんが、多分十年くらいです」


と、先生は申し訳なさそうに言っていたけれど、ピッタシです。さすがです、先生。


 そして、十年前のその日、私は先生に、精いっぱい残りの人生を生き抜くことを誓った。死ぬ直前に自分の人生を振り返ったときに、後悔しないような生き方をします、と先生に言ったら、ぎゅっと抱きしめられた。


「まったくあなたって人は……」


 直球勝負しかできない弟子で、心配かけてばかりですみません……と小声で謝ったら、ますます強く抱きしめられた。


「その日まで、あなたを守ります」


 そして、先生は……先生の霊体は、淡い光になって消えた。それから先生の姿は見ていないけれど、たぶん、残った力を、私を守るために使い続けているのだと思う。


 それからの十年は怒涛のように過ぎた。後悔しない生き方を、と決めた私の行動は、無駄も躊躇もなかった。やってみたいことがあったから。


 先生が前世から持っていたという、人の霊体や妖を見る力。先生の魂の力で守護されている私にも、言葉で説明しがたい能力が宿っていた。能力というほど大したものじゃなくて、本当に微妙な力だけど。


 その力に最初に気がついたのは、入院中に集中治療室を出て、一般の病棟にうつり、リハビリ室に通うようになってからだ。


 リハビリ室には、いろいろな患者が集まってくる。脳梗塞で半身麻痺の人。マンションから飛び降りて、脊髄を損傷し、下肢麻痺になってしまった女子高生。股関節を痛めて手術をしたサッカー少年。バイク事故で太腿を骨折したおじさん。

 

 自分自身のリハビリをしながら、ぼんやりと周りの患者を眺めていた私は、その患者のどこが悪いのか、なんとなく見ただけでわかった。そう、あくまでも「なんとなく」。すれ違いざまに、「腕のこの筋肉が動いていないよ」とか、「脚の、あのへんを走っている神経がダメだな」とか、そんなことがわかった。


 最初は、自分の思い込みだろう、と思っていたけれど、リハビリをしながら他の患者さんたちと仲良くなってよくよく話を聞いてみると、全部、私が感じたとおりだった。


 かたっぱしからリハビリ室にくる患者さんに話しかけて仲良くなっているものだから、いつからかリハ室のスタッフの皆さんからは「ぬし」と呼ばれていた――リハ室の(ぬし)ね。ううむ。


 悪いところがピカーっと光ったりしたら、わかりやすいんだけどな。いかんせん「なんとなく」だから、人にも説明が難しい。ちなみに、脳のなかとか、内臓系のことはさっぱりわからん。わかるのは、骨と筋肉と神経だけだ。


「どーすんだ、これ……」


 入院中だった私は、自分の微妙な能力を確信し、そして途方にくれた。「なんとなく」わかるだけだし、私が治療できるわけでもなし。テレビにでていた、ヒーラーみたいな能力があれば、また別なんだろうけど。いやいや、ああいうのが本物かどうかわからんし、現職警察官のヒーラーとか、興味本位で雑誌に書かれて、思いっきり叩かれるだろ。


(いっそ医者になっちゃえば、いいんじゃね?)


 警察の仕事に未練がなかったわけではないけれど、この体では、現場の警察官として満足な働きができない。それは自分でも嫌だ。そして、「今」の自分の力を活かすには、医者になるのが一番いいと思ったうえでの決断だった。


 退院した日に先生から――正確には先生の霊体だけれど――先生の「力」と、自分の身に起きた出来事について聞いて、自分のこの能力の出どころに合点がいった。

 

 そして、その年に警察を退職して、地元の大学の医学部の三年生に学士編入した。医学部の学士編入というのは、医学科以外の専門で大学を卒業した者が、教養課程をすっとばして専門課程に編入できる制度さ。


 警察を退職する前に、高木さんには自分の「力」のことを話して、医者になるつもりだということを伝えた。


「お前はほっとくと無理しすぎるから、俺はそれだけが心配だよ」


と、すっかり保護者モードで言われたけれど、無理しすぎなのは、高木さんのほうだよ。職場では顔色ひとつ変えないけれど、腰痛、悶絶するくらいひどいんでしょう? こちとら、特殊能力でお見通しだぜ。心配だなあ、この人。


 先生の術のことと、自分の「残り時間」のことは言わなかった。これ以上、兄貴分に心配かけたくないし、ね。


 国家試験に受かってから二年間の初期研修医生活を経て、私は整形外科医になり、県警本部の近くにある県立病院で働き始めた。


 それから、四年の月日が流れ、現在に至る。


 警察学校の同期や、同じ署だった人たちとは、警察を辞めてからもずっと交流が続いていて、


「今度、俺のことも見てよ」


と、よく言われる。県警本部に近いこともあって、高木さんの剣道の教え子たちも、ときどき受診しにくる。ちゃんと怪我を治して、しっかり修行するんだぞ!と、姉のような気分になるよ。


 例の能力は、外来のときに大活躍だ。短時間に沢山の患者さんをさばける。悪いところがわかったとしても、必ずしも良くなる訳じゃないんだけど、余計な治療や検査をしないで済むし、見落としもない。地味だけど、現場ではかなり便利な力だよ。


 でも、私が医者になってから頑張っていることは、他にある。


 整形外科ってね、リハビリが重要なんだ。手術しない場合はもちろん、手術した場合も、手術してからが治療の本番だ。患者さんが社会復帰できるかどうかや、スポーツに復帰できるかどうかは、いかに質のいいリハビリを継続して提供できるかどうかにかかっている。


 うちの県は、医療過疎の県だから、リハビリの療法士の数も少ないし、昔ながらの療法を漫然と続けている病院も多い。整形外科の開業医さんのところも、専門のリハビリスタッフを抱えているようなところは稀だ。


 私に残されている時間はあまりないし、所詮、一人の人間が一生のうちにできることなんて限られている。だったら、「うちの県のリハビリを改革するぜ運動」を立ち上げようじゃないか! と思ったわけだ。


 といっても、私のような若造が一人で吠えても何も変わらないんだが、幸い、昔の事故で私が入院した病院のリハビリ室の主任さん以下、スタッフの人たちが超乗り気で、話はトントン拍子に進んだ。


「まさか、『ぬし』が整形の先生になるとは思わなかったよ!」


と、当時、私の担当だった理学療法士の八木先生に言われたけれど、その呼び方……やめてください……ナンパか! という勢いで、リハ室に来る人たちに声をかけまくっていた当時のイタい自分を思い出すと、顔から火がでそうだよ……


 この四年間は、県内の各地で医療関係者向けのリハビリ研究会を月イチで開催して、新しい知識や最近の流れをみんなで共有するようにしている。


 リハビリで定評のある他県の病院を見学に行って、真似できるところは、うちの県内の病院でも取り入れてもらった。


 術後のリハビリで、リハ室のスタッフと協力してデータをとって、連名で学会発表を沢山したし、論文も結構いい雑誌に掲載されたよ。


 リハに力をいれている病院、と業界で認識してもらえたことで、いいスタッフが県内外から集まってくるようになった。


 うん、もう大丈夫だ。軌道にのるまでは何年もかかるだろうけど、あとは、これまで一緒にやってきたみんなが何とかしてくれる。

 

 休日は、県内を飛び回って、市民講座でリハビリ体操のレクチャーをして、正直、休む暇もない。今日も、市民講座を掛け持ちしている途中での、幽体離脱未遂だった。


 幽体離脱したがる身体を、だましだまし抑え込んで、家に辿りついた。なんだか、妙に疲れるなあ。


 そろそろ、人生を畳む準備の仕上げだ。なるべく人に迷惑をかけないように。


 過労死したと思われると、職場のみなさんに迷惑がかかるから、来週から週末はちゃんと休もう。労働基準局に入られると困る。


 県立病院の女医が自宅で孤独死! みたいな新聞の見出しも勘弁だ。延命治療拒否の書類をちゃんと作って、入院せざるをえないな。


 自分の葬儀や墓のことも、一通りの手続きはしてあるし、身辺整理については弁護士に頼んである。


 私が担当していた患者さんたちは、全員、信頼できる医者に紹介してある。


 警察学校の同期の集まりにも、顔を出しておくか。それから……


 次の週末。


 私は高木さんと一緒に、県警の武道場に来ていた。


 結局、この体になってからも、私は剣を捨てられなかった。右脚は義足で、左膝は相変わらず九十度くらいしか曲がらないけれども、杖をつかずに歩けるくらいまで回復した。でもこの脚では、一撃目の踏み込みはなんとかなるものの、次の一足(いっそく)は出ない。何度練習しても、床を踏みしめる軸足の踏ん張りを利かすことができなかった。だから、この十年間は、一撃目の打ち込みと切り返しの精度を、極限まで高めてきた。


 今の自分の剣が、どこまで通用するかを確かめたい――そう思い、高木さんに立ち合いをお願いした。まだ自分の身体が動くうちに、これだけはやっておきたかった。


「……いいか?」


「はい、お願いします」


 十年前の、あの事故以来、高木さんとは剣を交えていない。


 私は呼吸を整えて、木刀を構えた。

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