第四部最終話 父と子と
風間内匠頭が座敷を去ったあと、私と数馬さんは鵜木様に伴われ牢屋奉行の役宅の裏口に案内された。ここならば、他の罪人たちに見られる心配はない。それに、どうやら人払いもされているようだ。
すぐに、牢屋同心に伴われた丑松さんがやってきた。
丑松さんは憔悴した様子だが、意外にしっかりとした足取りだ。私と数馬さんの顔を見て、丑松さんは照れたような笑いを浮かべた。
「先生がた、三途の川を渡りそこねちまいましてね」
思わず丑松さんに駆け寄り、両の肩を抱きかかえる。
「丑松さん……よかった……よかったよ…」
もう、涙声だ。
「すまねえな、おゆき先生。江戸っ子の意地だってんで、せいぜい格好つけて引き回されたのはいいが、いざ死罪を免れるってえなると、嬉しさがこみ上げちまう」
そう言うと、丑松さんは数馬さんに話しかけた。
「若先生、どうせ俺もすぐにお迎えが来る身さ。ご面倒をおかけしやすが、倅のところに連れて行っちゃくれませんかね」
鵜木様は私たちの顔を見回す。
「丑松が死罪にならず生き延びていることを知っているのは、お奉行の腹心数名と俺、牢屋奉行山辺佐内様、それに山辺様の信頼篤き者のみよ。このことが公になれば、お奉行の足許をすくおうとする者どもの恰好の餌だ。いうまでもないが、この一件、どうか内密に頼む」
もちろんさ。西町奉行の情けには、しっかりと報いなきゃなるまい。
「しかと、心得ました」
そう言って一礼をする私に向かって、鵜木様は言い添えた。
「巳之吉にはまだこのことを伝えておらぬが、あの男なら問題なかろう。俺が津坂に謀られれても道を踏みはずにすんだのは、巳之吉のお陰よ。足を向けて寝られぬわ」
その晩、暮六つの鐘がなってから、数馬さんと私は牢屋敷を出た。数馬さんは、大八車を引いている。大八車には丑松さんを乗せて、筵をかけてあるよ。傍目にには、牢屋敷で死んだ者の骸を、縁者が引き取ったように見えるだろう。
養生所まですぐそこ、というとこで、何者かの気配を感じる。私が立ち止ったので、数馬さんも大八車を引く足を止めて、怪訝そうに私を見る。
ええと、この気配には覚えがあるぞ。
「荒木殿、何か御用ですか」
ちょうど、以前隠れていたのと同じ、養生所を囲む塀の曲がり角から、荒木殿が顔を覗かせた。
「いや、見抜かれ申したか。ゆき殿は、げに恐ろしき女子よな。美しき花には棘があると申すが、ゆき殿の棘はまこと痛うござるよ」
歯が浮くようなお世辞と軽口に、めまいがするよ……ううっ。
「して、ゆき殿、その大八車の荷はいったい?」
にこにこと笑いながらも、荒木殿はしっかりと大八車を注視している。相変わらず食えない人だな。
このあいだ養生所で大立ち回りがあったあと、なんで荒木殿が養生所の周りにいたのかを、巳之吉親分が根ほり葉ほり訊こうとしたけれど、のらりくらりとした受け答えで、さっぱりわからなかったそうな。荒木殿の狙いはよくわからないけれど、今日はめでたい日だ。まあ、いいか。
「佐吉さんの父御が亡くなったので、仏様を引き取ってきたんですよ」
そう説明すると、
「ああ、あの霞小僧の……」
と荒木殿はつぶやき、合点がいった様子だ。
「それは失礼をした。今宵は冷える。仏といえども寒かろう。早く養生所に運んでやるのがよかろうよ」
足早に立ち去る荒木殿の背を見送ってから、養生所の門をくぐる。門をしっかりと閉めたあと、筵を剥がして、丑松さんを助け起こした。
「やれやれ、乗り心地はいいとは言えねえが、こちとら仏だ。贅沢をいっちゃいけねえな」
丑松さんが大きく伸びをする。そこに、巳之吉親分が現れた。私たちが帰ってきた音をききつけ、出迎えにきてくれたのだ。
「ああ、先生がた。お帰りなさいやし……えっ」
丑松さんの姿を見て、巳之吉親分が絶句した。目の玉が飛び出そうなくらい、両の眼を見開いている。しまった、驚かせすぎちゃったよ。
「親分さん、なあに心配ねえ。幽霊や物の怪なんかじゃねえよ。足はあるぜ、ほら」
そういっておどけながら足を指さす丑松さんの横で、慌てて言い添える。
「親分さん、いま説明しますから、とりあえず中に」
「え、ええ。そ、そうしますかい」
さすがの巳之吉親分も、事の次第がわからねば茫然とするしかあるまい。
数馬さんに肩を支えられながらも意気揚々と歩く丑松さんは、まるで胸の病のことなど忘れてしまったかのようだ。命の灯が消えるまえに、炎がぱっと強く揺らぐ――その瞬間を私たちは目にしてるのだろう。
佐吉さんが寝ている大部屋の引き戸を開けながら、声をかける。
「佐吉さん、今、もどったよ。いい? 驚きすぎて、ぽっくりと逝かないでね」
我ながら、どこか弾むような声音だ。うれしさを、胸のうちにしまっておけないよ。
丑松さんが死罪になったと思っている佐吉さんの表情は、かたくこわばっている。布団から蒼白な覗かせた佐吉さんは、私の傍らにいる丑松さんの姿を見つけ、眼を見開く。
「おとっ……つぁん」
佐吉さんの枕元に座った丑松さんは、優し気な声音で佐吉さんに語り掛ける。
「佐吉、心配かけてすまねえなあ。堪忍しておくれ」
そう言って、丑松さんは佐吉さんの手をとり、しっかりと握りしめた。
「おとっつぁん、本当におとっつぁんなのかい……」
手のぬくもりを確かめるように、丑松さんの手をかたく握り返した佐吉さんは、その手と丑松さんの顔を交互に眺める。
「西町のお奉行様が、お情けをくだすったのさ。二代目霞小僧は市中引き回しのあと死罪になった――お前は倅とともに穏やかな余生を過ごせ、と、お奉行様から直々にお言葉を頂戴したってえ次第だ」
私は、丑松さんの言葉に付け加えた。
「佐吉さん、巳之吉親分さん、丑松さんは死んだことにして、養生所でお預かりします。西町奉行の風間様から直接、仔細を伺いました。このことは鵜木様を含め、ごく一部の者しか知らぬこと。どうか内密に頼む、と鵜木様からの言伝です」
ようやく事情をのみこんだ巳之吉親分は、にっこりと笑う。
「そうかい、さすが天下のお奉行様だ。えらく洒落た幕引きじゃねえか。よかったな、佐吉」
佐吉さんの双眸から、涙がとめどなく流れ落ちる。
「おとっつぁん、俺は……俺は、とんでもねえことをしちまった。俺のせいで、おとっつぁんが……」
最後は声にならず、佐吉さんは震える手で丑松さんの手を握りしめ、男泣きに泣く。
「佐吉、もう何もいうな。どうせ、俺も老い先短けえどころの話じゃねえ、じきにお迎えが来る頃合いさ。それにお前もとんだ大怪我だ。こりゃあ親子ふたりで、ゆっくりと養生しろってえ、お天道様のお取り計らいに違えねえ。な、それでいいじゃねえか」
丑松さんは、晴れ晴れとした顔で佐吉さんに語り掛ける。佐吉さんは、言葉もなく、袖で涙を拭いながら何度も何度もうなずいた。
「先生がた、さ、親子水いらずにしてやりましょうや」
気を利かせた巳之吉親分が、私たちを促す。
腰をあげかけて、傍らの数馬さんが、丑松さんと佐吉さんの姿をまぶしそうに見ていることに気がつく。憧憬と優しさとが入り混じった横顔だ。
「数馬さん、行こう」
そっと声をかけると、数馬さんも立ち上がった。
「ああ」
手と手を取り合う丑松さんと佐吉さんの姿を見て、思う。
この父と子が共に過ごせる日々は、残りあとわずかだ。
だが、親が子を思い、子が親を思う気持ちを噛みしめながら、この親子はかけがえのない日々を穏やかに過ごすことだろう。
義賊と謳われた霞小僧の物語は、ここに幕を下ろした。
その陰に父と子の強い絆があったことを知るものは、私たちしかいない。
(第四部・完)
これにて第四部は終了です。
今回のお題は、
・世話物
・江戸っ子は義賊が大好き
・なぜか現場に出張る町奉行
・討ち入りで般若の面は様式美……なのか
でした。
第五部も、テレビ時代劇あるあるパターンでお送りします。
第六部は特別回(特番的なイベント回)の予定です。
作者繁忙期につき、第五部公開は七月末~八月の予定です。
第五部開始前に、また幕間回を挟みます。
よろしくお願いいたします。




