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しけたツラなんぞ、しなさんな

 市中引き回しを終え、瑞江町の牢屋敷に戻ったのは昼八つ前だった。


 力を使い果たし、目をつぶりぐったりとした様子の丑松さんが、馬の上からおろされるのを見守る。


 重罪人の場合は、市中引き回しの終点が、江戸の南のはずれにある鈴城(すずしろ)の刑場だ。そこで衆人環視の中、斬首が行わる。そして、その首は丸三日間、晒されることになるのだ。


 丑松さんは罪を減じられたため、このまま牢屋敷で刑が執り行われ、骸は所縁の者に引き渡される。


 崩れるようにその場にしゃがみ込んだ丑松さんに、数馬さんと私は駆け寄った。数馬さんは丑松さんを素早く横に寝かせて、脈をとる。


「疲労が強い。気力でここまで持たせたのでしょう。これ以上無理をさせると、心の臓にも負担が……」


と鵜木様に言いかけた数馬さんは、途中で口をつぐむ。あと半刻も経たぬうちに、丑松さんは命を落とすのだ。


「若先生、最後の最後まで、手間かけさせちまって、すまねえ」


 そう言いながら、にっと笑う丑松さんに、私たちはかける言葉を失っていた。これでよかったのか。もっとできることがあったのではなかったか――


「なんでえ、若先生も、おゆき先生も。しけた(つら)なんぞ、しなさんな。福の神が逃げちまう」


 晴れ晴れとした表情で旅だとうとする丑松さんを、笑顔で送り出したいと思っても、胸のうちで苦い想いばかりが去来する。


「丑松、いくぞ」


 牢屋敷の同心が声をかけた。


「へい、ただいま」


 丑松さんは、よろめきながら立ち上がり、同心に伴われて歩き始める。牢屋敷の建屋の陰には死罪場があり、そこで斬首が行われるのだ。


 沈鬱な表情でその背を見送る私たちに、鵜木様がそっと声をかけた。


「乾殿、ゆき殿、これへ」


 なんだろう? 数馬さんと顔を見合わせる。丑松さんの斬首に立ち会えとでもいうのだろうか。


 鵜木様に案内された先は、牢屋敷の敷地内にある、牢屋奉行の役宅だった。鵜木様と共に、役宅の奥座敷に通される。鵜木様に事情を聞こうとした矢先、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。


 座敷に入ってきた人物に、鵜木様は深く一礼をした。私は、その人物の顔を見て、思わず驚きの声をあげそうになる。


 風間内匠頭(かざまたくみのかみ)――西町奉行、その人だ。


「お奉行、養生所の乾数馬殿と冴木ゆき殿をお連れいたしました」


 再度、頭を下げる鵜木様の横で、私は激しく動揺する。十日前、津坂の屋敷に西町奉行を呼び寄せたのが、私たちだとばれちまったか。嫌な汗が出てくる。私も数馬さんも、叩けば埃が出る身だ。町奉行の前なんて、居心地悪いことこの上ない。いざというときに如何にしてこの場を逃れるか、猛烈な勢いで策を練り始める。


 隣の数馬さんも、町奉行の登場は予想もしていなかったことだろう。私のように、あからさまに動揺している様子はない。だが、全身の筋肉が張り詰めているのが気配でわかる。


 頭を下げる私たちを前に、風間内匠頭は口を開く。

 

「西町奉行、風間内匠頭かざまたくみのかみだ。驚かせてしまい、すまぬな」


 案外とざっくばらん(・・・・・・)な口調に、私たちは戸惑いながら頭をあげた。風間内匠頭は齢四十過ぎ。中肉中背の体躯だ。一昨年、若年ながら異例の抜擢で西町奉行の職についたという。この前、津坂の屋敷で見たときには陣笠を被っており表情もよくは見えなかったが、なるほど、いかにも切れ者らしい顔つきだ。だが、あの晩、津坂たちに向けた鋭い視線はそこになく、やわらかな眼差しだ。


「乾殿、ゆき殿、こたびは霞小僧を騙り押し込みを働きし賊どもを捕えるにあたり、ご助力くださったと聞く。それに、これなる鵜木を盗賊改方与力・津坂政之助より守りくださりしこと、礼の言葉もござらん」


 風間内匠頭の穏やかな声に、相手が町奉行であることも忘れ、ふと自分の警戒心が緩むのを感じる。


 おっと、いかんいかん。気を引き締めなきゃ。ちらっと横目で数馬さんを見たが、何を考えているのかは読み取れない。現役時代は若造だったとはいえ、さすが元・公儀隠密。こういうときに心のうちを隠すのは、私より一枚も二枚も上手だ。


「また、生き証人である佐吉の命を狙いし賊のために、養生所が三度(みたび)にわたって襲われたときく。それもこれも、江戸の治安を守る我ら町奉行所の力が及ばず起きた出来事。このとおりだ」


 そう言って、風間内匠頭は私たちに向かって頭を下げた。

 

 なんてこったい。町奉行に頭を下げられちゃったよ。慌ててこちらも頭を下げるが、想定外の展開に、内心の動揺を隠しきれない。が、数馬さんの様子は相変わらずだ。まあ、普段だったらもっと表情に出る人だ。この状況で表情が変わらなさすぎるのが、いつもと違うといえば違う。


 風間内匠頭が私たちをここに呼び寄せたのは、単に礼を言い、詫びるためだけではあるまい。これから何を言われるか……ごくりと唾を飲み込み、次の言葉を待った。


「そなたらを見込み、折り入っての話がある。ほかでもない、丑松のことよ。丑松ではなく、その子、佐吉が二代目霞小僧だということは、この鵜木から聞いておる。もちろん、丑松が三十年前に江戸を騒がせた、初代霞小僧だということもな」


 そこまで言うと、風間内匠頭は声を潜めた。


「今から述べることは、他言無用に願いたい。丑松親子の、命に係わることよ。腹を割って話したいのだ。構わぬか」


 構わぬか……と言われても、町奉行に言われちゃ断るわけにいかぬではないか。うむむ。ちらりと隣を見ると、数馬さんが頷き、問いの主に告げる。


「私どもに、できることであれば」


 その答えを聞き、風間内匠頭は小さく頷き、ほう、と息を吐いた。


「こたびの一件、西町の奉行所としても頭を悩ませておる。丑松が初代霞小僧だとはいえ、三十年も前の話だ。旧悪免除という法があってな、お咎めなしよ」


 遠い昔に、時代劇で仕入れた知識を引っ張り出してくる。旧悪免除とは、たしか時効のことだ。凶悪犯以外は、一年くらいで時効になるんだよな。霞小僧は人を殺めないことで定評のあった盗っ人だ。たしかに、とっくの昔に時効だよね。


「だが、丑松が倅の佐吉をかばい、自分が二代目霞小僧だと最後まで言い張りおった。そもそも、こたびの一件、偽の霞小僧一味を捕えるにあたり功があったゆえ、我らとしては佐吉を流罪にとどめるつもりであったが、横やりが入ってな。まことの二代目霞小僧を――そう名乗る丑松を、市中引き回しのうえ死罪、ということにせざるを得なくなったのだ」


 風間内匠頭は苦々しげに言った。


 横やり、というのは、村上主膳が介入したということだろう。そもそも、盗賊改が凶賊でもない二代目霞小僧を捕えようとしたのも、村上からの指示らしいからな。


 この男は――風間内匠頭は、村上主膳のやりくちに不満を抱いている。そして、それを我々に隠そうとしていない。こりゃ、驚きだ。


 村上主膳の息がかかっていない者が、町奉行という要職についているということは、風間内匠頭にはなにか特別な後ろ盾があるやもしれん。


「乾殿、ゆき殿。あの丑松という男、肺を病んでいると聞いている。あの者の命は、あとどれくらい持ちこたえるか、申してみよ」


 ふいに、風間内匠頭が問う。


「おそれながら、もって、ひと月ほどかと」


 数馬さんの答えに風間内匠頭は頷き、続けて口にした言葉に、私は息をのんだ。


「丑松の死罪は行わぬ。丑松が病で命を落とすまで、養生所で身柄を預かってはくれぬか」


「それは……それは、まことのことにございますか」


 さすがの数馬さんも、驚きを隠せない。市中引き回しまでやっておきながら刑をとりやめることが可能なのか。


「むろん表向きは、二代目霞小僧は斬首となり、骸は佐吉が引き取ったということにする。これは、この風間が町奉行としてできる、せいいっぱいの抵抗よ。丑松が天寿をまっとうするまで、佐吉とやらとともに、穏やかな日々を過ごさせてやるがよかろう」


 風間内匠頭の穏やかな声が、体中に染み入る心持ちがする。


「手厚きお取り計らい、ありがとうございます」


 そういって頭を深々と下げる数馬さんの眼に、かすかに涙が浮かんでいた。

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