表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/92

意趣返し

 巳之吉親分は、そのまま朝まで佐吉さんの番をしてくれた。一度様子を見に行ったら、


「先生がたも事件続きでお疲れでしょう。佐吉のことはあっしに任せて、どうぞゆっくり休んでくんねえ」


と言ってくれたので、その言葉に甘えることにしたよ。


 夜が明けてから、佐吉さんのいる部屋を覗くと、佐吉さんが寝息を立てている傍らで、親分が帰り支度をしていた。


「親分さん、お陰様で私も数馬さんもよく寝られました。朝餉を作ったので、親分さんも一緒にいかがですか」


と声をかける。


 親分さんは、苦み走った顔に笑みを浮かべ、片手をあげる。


「礼には及ばねえ。あっしもこれだけゆるり(・・・)と寝たのは、久方ぶりでさぁ。朝餉はうちの女房が支度しているだろうから、気持ちだけいただきやすぜ」


 そう言って、親分さんは帰っていった。いやあ、相変わらずの男振りだぜ。


 昨晩、大番屋で預りの身となった津坂たちは、昼までに評定所へと移送されるだろう。なにしろ、西町奉行が直々に奴らが悪事を白状する場面に立ち会っていたのだ。いくら評定所が腐っていたとしても、津坂たちの罪を問わずに済ませることはできまい。


 あとは、佐吉さんの身柄がどうなるか、だ。ある程度動けるようになったら、瑞江(みずえ)町の牢屋敷に収監され、お白洲を待つことになるのだろうか。


 十両盗めば首が飛ぶ、と言われている。本当ならば、佐吉さんは死罪を免れまい。偽の二代目霞小僧の一件で、事件の解決に協力した功績が、どれだけ考慮されるか……


 そんなことを考えながら、午前中の外来を終えた。


 数馬さんは、一足先に外来の患者を診終えて往診の支度をしている。


「数馬さん、傷の具合はどう?」


 往診の患者に使う薬の調合を手伝うため、数馬さんの横に腰を下ろす。


「ああ。ゆきさんが手当してくれたお陰で、痛みもない。すっかり治っちまった気分だぜ」


 屈託のない笑顔で答える数馬さんの顔を見て、ほっとする。よかった、いつもどおりだ。


 昨夜(ゆうべ)、泣き顔は見られずにすんだけど、きっと数馬さんは気がついたのだと思う。お互いちょいと気まずくて、そのあと妙にぎくしゃくしちゃったよ。ごめんね、数馬さん。


「ねえ、数馬さん。佐吉さんへのお沙汰って、どうなるのかなあ」


 支度をしながら、尋ねる。答えは、私たちがいくら考えてもわからない。あとは、成り行きに任せるしかない。だが、黙って待つのはどうも落ち着かない。だから――答えは出ないと思っても、ついつい問いを投げかけてしまう。


「さあな。あとは、お上のお情け次第ってやつだな。さすがに市中引き回しのうえ獄門、ってことはないだろうが」


 数馬さんがふと手を止めたのに気がつき、その顔を見る。さきほどの笑顔は消え、片膝を立てて私のほうを見いてる。その眼差しは、どこか愁いを帯びていた。


「ゆきさん、この一件、どういう結末になるかはわからないが……ゆきさんは、できる限りのことをした。それは間違いない。だから……」


 そこまで言って、数馬さんは口を閉ざした。


 はっきりとは口にしないけれども、数馬さんは佐吉さんが死罪になると考えているのだろう。そして、そのことで私が傷つくのを心配してくれている。


「うん、わかっているよ。数馬さん、ありがとう」


 私の答えを聞き、数馬さんは微かに微笑み、頷いた。


 そのとき――息せき切って走ってきた何者かが、壊れた戸口から飛び込んできた。巳之吉親分だ。


 肝が据わっており、大抵のことには動じない巳之吉親分が、血相を変えている。ただならぬことが起きたに違いない。


「先生がた、一大事ですぜ」


 全速力で走ってきたのだろう。巳之吉親分は両膝に手をおいて身をかがめ、肩で大きく息をしている。息を整えたあと、巳之吉親分は事の顛末を話し始めた。


「朝方、盗賊改の連中が丑松さんを捕えようとしたんで、やむをえず西町の旦那がたが丑松さんの身柄を押さえたんですがね。やっこさん、旦那方が仔細を訊く前に、『手前が本物の霞小僧でござい』と白状しちまいやがった。鵜木の旦那が言うには、西町の奉行所は津坂の一件とこの件で、大騒ぎだ」


 なんだって。佐吉さんが意識を取り戻したことは、まだ丑松さんには伏せてあった。丑松さんは、佐吉さんが目を覚ましたら、自分が霞小僧だと名乗り出るつもりでいたからね。


 だけど、なぜ今更、盗賊改の連中が……


「盗賊改の連中の、西町奉行所への意趣返しか?」


 数馬さんの問いに、巳之吉親分が頷いた。


「ええ、鵜木様の読みでは、そんなとこでさあ。丑松さんはあのとおり、肺の病だ。番屋には連れて行かずに、まだ長屋にいますぜ。丑松さんの容体について、先生がたの話を聞きてえってのが鵜木の旦那からの言伝だ。お願いできますかい?」


 巳之吉親分と私たちのやりとりで、目を覚ましたのだろう。大部屋から佐吉さんの呻き声が聞こえた。


 慌てて、様子を見に行くと、佐吉さんが痛みに呻きながらも布団から這い出ようとしている。


「駄目だよ、佐吉さん! まだ、折れた腰骨がぐらぐらなんだ。またずれちまう」


 だが、佐吉さんは私の言葉にも首を振り、なおも這って動こうとする。


「おとっつぁんが……こうしちゃいられねえ。先生、後生だ。な、俺をおとっつぁんのところに行かせてくれ」


 歯を食いしばり、泣きながら懇願する佐吉さんを、私は引き留めることしかできない。


「それだけはだめだ。佐吉さんに何かあったら、それこそ丑松さんが心配するよ。丑松さんの様子は、私たちが見に行ってくるから」


 あとから部屋に入ってきた巳之吉親分が、傍らにしゃがみこんで佐吉さんに話しかける。


「そうだぜ、佐吉。今、お(めぇ)が行ったところで、何もなりゃしねえ。だいたい、お(めぇ)が二代目霞小僧だってことは、今じゃ西町の旦那がたも皆、知っている話さ。だから、今は先生がたと西町の旦那がたにお任せするんだ」


 巳之吉親分は、私と数馬さんの顔を交互に見た。


「若先生、おゆき先生。佐吉は、あっしが見とくんで、先生がたは鵜木の旦那と丑松さんのとこにいってくんねえ」


「わかった。ゆきさん、行こう」


 数馬さんは丑松さんがいつも使っている薬を手早く懐にいれた。痰切れをよくする薬と、咳止め、それに痛み止めだ。私も愛刀を手に、走り出す。


 丑松さんの長屋の前には、野次馬が大勢詰めかけていた。人垣の向こうで誰かが言い争う声がする。


「丑松なるもの、親子二代にわたり盗みを働きし罪、明白である。我々盗賊改にお引渡し願おう」


「ならん。この者の身柄は西町奉行所で預かる。お引き取り願いたい」


 鵜木様の声だ。盗賊改の役人と、丑松さんの取り合いをしているってわけか。


「養生所の医者だ。患者の薬を持ってきた。道を開けてくれ」


 数馬さんの声に、野次馬達も道を開ける。こういうところ、江戸っ子たちは聞き分けがいい。相変わらず、筋のいい野次馬だぜ。


 人垣を分けて出てきた私たちを、鵜木様は目ざとく見つけた。


「おお、これは乾殿とゆき殿か。手間をかけるな。拙者はこれなる盗賊改方の御仁と話がある故、先に丑松の家に行ってくれぬか」


 盗賊改の同心が、じろりと私たちを睨みつけた。


「こやつら、何者だ。丑松は大罪人。会うことは罷りならん」


 吐き捨てるように言い放った盗賊改の同心に、鵜木様も負けじと言い返す。


「この者たちは養生所の医者よ。たとえ丑松が罪人であろうとも、医者にかかることは問題なかろう。そもそも、盗賊改は養生所に多大なる迷惑をかけているではないか。そこもとらに、あれこれ言われる筋合はない」


「な、なにをっ」


 言い争いを続ける二人を後目に、丑松さんの家に入る。


 津坂が養生所を襲わせたことは、事が事ゆえ、まだ内密のはずだ。だが、一夜明けたいま、盗賊改のなかでも周知の事実となっているのだろう。痛いところをつかれ、盗賊改の同心は引き下がったようだ。舌打ちをして去っていく気配を感じた。


「丑松さん、養生所の乾だ。入らせてもらうよ」


 薄暗い家の中、きちんとたたまれた布団の横で、丑松さんは正座をして待っていた。


「これはこれは、若先生。とんだところをお見せしやして」


 口調はしっかりしているが、呼吸は相変わらず苦しそうだ。こうやって座っているだけでもつらかろう。


 数馬さんと並んで、丑松さんの前に座る。すぐに、鵜木様も戸口から入ってきた。


「乾殿、ゆき殿、面目ない。盗賊改が西町奉行所の鼻を明かそうと、丑松を捕えようとしたのだ。(かしら)の井出戸田守様や津坂以外の与力は、偽の霞小僧の一件とは無関係とはいえ、我らに弱みを握られたのが、よほど面白くないらしい。くだらぬ意趣返しよ」


 鵜木様は溜め息をつく。


「丑松の身柄が盗賊改に渡りでもしたら、責め苦であることないこと白状させられるに違いない。お奉行直々の命で、丑松の身を守るために、西町奉行所で丑松を捕えることにしたのだ。だが、こちらの顔を見るなり、丑松自ら、自分が霞小僧だと名乗ってな。いったい、どうしたものか」


 数馬さんは、薬を丑松さんに手渡しながら、穏やかな口調で話しかけた。


「丑松さん、佐吉さんは目を覚ましたよ。命に別状はない。しばらく養生すれば、動けるようになるだろう。それに、佐吉さんのおかげで、偽の霞小僧一味を捕えることができたよ」


 私たちの後ろで、鵜木様が言い足す。


「そうだ。それに、偽の霞小僧一味が幾度となく、佐吉を殺そうと養生所を襲ったが、これなる乾殿とゆき殿のお陰で、佐吉には傷一つない。佐吉が押し込みを働いていないという証をたてられたのも、養生所の先生がたのお陰よ」


 丑松さんは、深々と頭を垂れた。


「そうですかい。倅が、本当に世話になっちまって。先生がたには礼の言葉もねえ。本当に、ありがとうございやす」


 そして、顔をあげた丑松さんは、澄んだ瞳で私たち三人の顔を見渡した。


「だが定町廻りの旦那も先生方も、ひとつ考え違いをなさってやすぜ。初代霞小僧も、二代目霞小僧も、その正体はこの丑松でさあ。佐吉はまったくの無関係だ」


 鵜木様は、切なそうな顔で数馬さんと私に言う。


「丑松はこの一点張りだ。こういい張られては、俺にはどうにもならん」


 ついにこの時が来たか。私と数馬さんは言葉を失い、顔を見合わせることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=280266431&s ツギクルバナー script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ