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偽者の仕業に候

 鵜木様たちに秘策を伝えてから、三日が立った。


 今日は数馬さんに留守を任せて、午後の往診に行ってきたよ。比較的容体が安定している患者しかいないから、往診のときに数馬さんががいなくても大丈夫だった。置いてくる薬も決まっているしね。往診からの帰り、少し寄り道をして帰る。


 そろそろ、事件の第一報が出る頃合いだ。


 いつもの辻に、例の読売(よみうり)――瓦版売りがいるぜ。人だかりが凄いな。どれどれ……


「さあさあ、聞いた聞いた! つい先日、二代目霞小僧が、呉服問屋の日高屋と油問屋の湊屋に押し込みを働き、店の者を皆殺しにした件、まさか知らねえ奴はいねぇだろう。まさか義賊の霞様が、と江戸中が大騒ぎした大事件よ。だが、その押し込みが、二代目霞小僧を騙る偽者の仕業ってえことがわかり、奉行所の旦那がたも目の色変えているってぇ話だ!」


 どよめきとともに、行き交う江戸っ子たちが歩みをとめ、瓦版売りの周りにつめかける。瓦版売りは、ぐるりとあたりを見回し、口上を続けた。


「なんと、ゆうべ本物の二代目霞小僧が、呉服問屋の松喜(まつき)屋に忍び込み、店の者が誰も気がつかぬ間に蔵の中は空っぽだ。ほれぼれするようなお手並みじゃねえか、おい。しかもそれだけじゃねえ! その本物の霞小僧様が、江戸の町のあちらこちらに、この書き付けを残していったのさ。いいか、両の耳をかっぽじいて、よーく聞きやがれ!」


 瓦版売りは一枚の書き付けを掲げ、大声で読み上げ始めた。


「二代目霞小僧、参上。先日、日高屋と湊屋に押し込みを働きしは、霞小僧の名を騙る偽者の仕業に候――」


 瓦版売りを取り巻く人垣から、ふたたび大きなどよめきがあがる。


「な、こういった次第よ。偽の霞小僧と、本物の霞様の一件、詳しいことは、この瓦版にぜーんぶ書いてある! さあさあ、買った、買った!」


 江戸っ子たちが、我も我もと瓦版を手にとり、食い入るように紙面を見つめる。


「やっぱりねえ。霞様が押し込みを働くなんざ、変だと思っていたぜ」


「なあに、調子のいいことを言ってるんだい。霞小僧が押し込みを働くなんざ、世も末だって頭を抱えていたじゃないか」


 そんな振り売りの夫婦のやりとりが聞こえる。人混みにもみくちゃにされながら、その辻を通り過ぎて、一息つく。


 やれやれ、大変な騒ぎだな。でも……なにもかも、予定どおりだ。


――昨夜(ゆうべ)、松喜屋に忍び込み、蔵のお宝の半分を盗み出したのは、私と数馬さんだ。もちろん、仕込み――事前に松喜屋へ忍び込み、家の見取り図を作って家の者が普段どこにいるかを調べたり、使用人の様子をうかがったり、蔵に忍び込んでお宝の内容とだいたいの量を見積もったり、といったことは、数馬さんよりも忍びの技に長けた私の役目だ。


 二代目霞小僧を名乗て盗みを働き、二代目霞小僧参上云々の書き付けを残したのは、津坂の一味をつつくためさ。まあ、見てなって。


 松喜屋は江戸で五本の指にはいる呉服屋だ。そして、村上主膳の息がかかっており、最近は津坂の手の者が多く出入りしている。そのことを弥助さんから聞き、二代目霞小僧として盗みに入る標的の候補に挙げたんだ。実は、二日前、松喜屋に忍び込んでいるときに、ちょうど津坂が来ていたのさ。


 津坂と、松喜屋の主との会話を、天井裏からこっそりと聞かせてもらったよ。


「津坂様、先日の日高屋の件、さすがでございますな。なにしろ、日高屋には手前どもの仕入れ先を、いくつか横取りされてしまいましてな。さ、これは手前どもからの、ほんの御礼の気持ちにございます」


 ごそごそと包みを開く音がして、何かがすっと畳の上を滑る音がする。おお、これはきっと、金銭の授受ですな。


「ふふふ、山吹色の菓子折りとは、古風な趣向よな。まあ、たかが商家の一軒や二軒、つぶすことなど容易いわ」


 津坂はくっくっ、と押し殺すように笑った。おおっ! 山吹色の菓子折りとな。まさか、本当にそんな場面に出合えるとは。天井板を外して、覗き込みたい衝動に駆られたが、ここは我慢のしどころだぜ。


「その翌日の湊屋の押し込みも、きっとどこぞの油問屋からの……」


「おっと、松喜屋。その先は口にせぬほうが身の為だぞ」


 そういいつつも、津坂の声音は愉快そうに聞こえる。


 気分がいいと、誰しも饒舌になるものだ。そうかい、そうかい。日高屋と湊屋が襲われたのは、同業者から津坂に相談があったってことかい。だんだん、筋書きが読めてきたぜ。まあ、そういう事情ならば、こっちとしても良心の呵責なく、松喜屋に盗みに入ることができるってもんさ。


 そして昨夜(ゆうべ)、私と数馬さんで、松喜屋の蔵を破ったんだ。もちろん、忍びと盗っ人ではやり口が違うから、盗んだ金子を運び出す手筈や隠しかたは、佐吉さんから教えてもらったよ。


 蔵を破るには、合鍵を作るか錠前を外すか、あるいは鍵を盗み出すか、のどれかだ。錠前破りの技は、里にいるときに弥助さんから仕込まれている。腕利きの職人が技術の粋を尽くしたような錠前だったら、きっと歯が立たないと思うけれど。仕込みで忍び込んだときに一度破っている錠前だから、二度目はもっと簡単さ。


 火箸を短く切り、やすりで細く加工して作った道具を錠前の鍵穴に突っ込んで――ここをこうやって、ここをこう。がちゃり、と音を立てて錠前が外れるのを見て、数馬さんは


「おいおい、えらく鮮やかだなあ。本職の盗っ人、顔負けじゃないか」


と、あきれ顔だった。


「そんなことないって。数馬さん、行くよ」


と小声で囁き、蔵の中に入った。数馬さんが入り口で見張りをしている間に、私が千両箱を開けて、三重にした布袋に小判を入るだけ詰め込み、数馬さんに渡す。蔵を抜け出て、一旦錠前を締め直し、盗んだ金を松喜屋の床下に運び込む。また蔵に忍び込み、同じ作業の繰り返しだ。何度目かで、千両箱はすっからかんになった。


 仕上げは、これだ。


『二代目霞小僧、参上。先日、日高屋と湊屋に押し込みを働きしは、霞小僧の名を騙る偽者の仕業に候』


と書いた書き付けを、蔵の前と、店の前とに貼り付けた。佐吉さんの筆跡をまねて書いたものさ。本当は、佐吉さんに書いてもらうのが確実だけれども、骨盤が痛くて、まだ体を起こせないからね。


 そして、もう一つ。


 陽炎の伝七の一味が使っていたという盗っ人文字で書いた書き付けを、蔵の前に貼り付けてきたよ。書いてある内容は、千造という男が見れば、一目瞭然さ。まあ、この書き付けが津坂の手に渡らない可能性もあるから、もし千造がこれを目にすることがなくても、全体の計画には支障がない。まあ、千造が読んでくれれば儲けもの、ってくらいかな。


 あとは、奉行所にちょいとお邪魔した。ちょいと、ね。


 そんなこんなで、昨夜は夜通し大忙しだった。


 松喜屋の蔵を破ることは、巳之吉親分と鵜木様には伝えてあった。


「松喜屋は佐吉さんが盗みに入るつもりで、下調べをしてあった店なんです。錠前の型どりも合鍵つくりも済んでいます。家の者も使用人も、蔵から離れた部屋で眠っているそうだから、うちの患者の伝手で島帰りの人に蔵破りを頼みます。金は松喜屋の中に隠しますから、盗みにはならないし、蔵を破った人のことは詮索無用に願います」


と言う、苦しい説明をする羽目になったけれどね。なにしろ、錠前破りなんて特技があると知られちゃ、ろくなことないよ。ちなみに数馬さんから教えてもらったところによると、流刑の島は八坂島、というらしい。


 鵜木様は私の説明に


「そうかそうか」


と頷いていたけれども、巳之吉親分は


「松喜屋なら、同業のお(たな)を乗っ取ったりつぶしたり、と、いい噂はきかねえ店だ。なるほどなあ」


といい、にやりと笑った。うーむ、親分てどこまで勘づいているんだろうな。


 まあ、そんなこんなで、偽の霞小僧一味を焚きつけてあぶりだす材料はそろったぜ。あとは、連中が動くのを待つだけさ。


 いまは、松喜屋の主も町方の取り調べがあるだろうから、しばらく動けまい。鵜木様が、日が暮れるまで松喜屋の主を引き留めておいてくれる手筈になっている。店の者に賊の手引きをしたやつがいるかもしれない、という口実で、家族も使用人も、みんな店で缶詰だ。こそっと津坂のところに、連絡にいかれても困るからね。松喜屋が津坂のもとに駆け込むとするならば、暮六つ以降だ。


 津坂の一味は、佐吉さんが本物の二代目霞小僧だと知っている。大怪我で動けないはずの二代目霞小僧が盗みを働き、押し込みを働いたのが偽者だという書き付けを残したこと瓦版で知ったなら――まずは真偽を確かめるために、松喜屋の様子を伺いに行くか、養生所を狙うだろう。松喜屋は町方の手の者で固めてあるから、連中の目は嫌でも養生所に向かうはずだ。


 津坂の一味がうまく網にかかってくれるか、どうか……


 はやる気持ちを抑えながら、私は養生所への帰路を急いだ。


 養生所の門まであと少し、というところで、何者かの気配を感じた。


――誰かが、身を潜めて養生所の様子を伺っている。


 津坂の手の者かと思ったけれど、それにしては殺気がない。相手はひとりだけだな。おそらくは、養生所を取り囲んでいる板塀の、右の角を曲がったところに潜んでいるようだ。大通りから養生所へと続く道からは外れているとことだから、養生所に用がある人間が通らない場所だ。手軽に身を潜めるにはうってつけだろう。


 何食わぬ顔をして歩きながら、誰かの視線を感じる。やっぱり、なりゆきを観察しているような、そんな雰囲気だ。あたりに他の気配がないかと探ったけれども、いまのところは、その一人だけのようだ。


 放っておこうかとも思ったけれど、敵をおびき寄せるという我々の策を邪魔されたら敵わない。ちょいと、どんな奴か見に行くか。


 養生所の門をくぐり、建物にははいらず、そのまま右に曲がり、木塀の内側にそって、足音を忍ばせながら歩く。相手が潜んでいる角までいくと……いたいた。息を殺して、まだ養生所の門あたりを眺めているらしい。そのままそこを通り過ぎて、十分距離をとり、あたりに人の気配がないことをもう一度確認する。


 よし、大丈夫だな。音もなく塀によじのぼり、塀の向こうに着地した。秘術を使わなくても、忍びならこれくらいの木塀は一気に飛び越えることができるけれど、まだ真昼間だし、私もいつものなり(・・)だから、ね。忍びの術を使えるってのを知られると面倒くさいことになる。どこで誰が見ているかわからないから、用心するにこしたことはない。


 そのままそっと塀沿いに進み、相手の背後に近づく。むむっ、この後ろ姿には見覚えがあるぞ。


「どうされました、荒木殿」


 背後から声をかけられた荒木殿は、飛び上がらんばかりに驚き、ばっと振り返って一気に飛び退る。振り向きざまに刀の柄に手を添え、鯉口を切ったのが見えたので、私も一足飛びに間合いをとった。危ない危ない、下手すりゃ抜き打ちでばっさり、だ。


「やっ、これはこれは……ゆき殿ではないか」


 私の顔を見た荒木殿の顔は、つい今しがた狼狽したことなど無かったかのように、満面の笑みを湛えている。何食わぬ顔をして鯉口を納める荒木殿に、素朴な疑問をぶつける。


「荒木殿、このようなところで、何をなさっているのです」


 荒木殿は懐に手をいれて、にっこりと笑いながら答えた。


「いや、先ほど怪しいものたちが養生所の前でうろついているのを見かけたものでな。また、先日のごろつき共のように、ゆき殿に悪さをしでかるのではないかと思い、陰から見張っていたのだ」


 あのう……端から見れば、荒木殿こそ養生所の前でうろついている怪しいやつですよ。


 まあ、どうせ本物の二代目霞小僧が現れた、という話をききつけて、佐吉さんの様子を探りにきたってところか。もしかすると、本当に養生所を襲ってくる奴がいないか見張っていたって可能性もあるな。この間は、ごろつきをとっちめてくれたしな。


 さて、荒木殿が乱入するのは想定外だ。ま養生所の外で暴れられると、策が台無しになるから、養生所の中に入ってもらうしかないか。ここで全部説明している暇もないしね。


 養生所の門に回り込み、


「数馬さん、今、帰ったよ。お客さんもいるよ」


 と声をかける。


「ああ、お帰り」


 と声を返した数馬さんは、私に伴われて診療室の中に入ってきた荒木殿を見て、目を丸くした。部屋の中には巳之吉親分もいて、想定外の人物の登場に、やはり驚いた様子で腰を浮かせる。


 荒木殿は、何食わぬ顔をして辺りを見回す。たぶん、佐吉さんの姿を探しているんだろう。佐吉さんは、大部屋にいるので、荒木殿からは佐吉さんの姿は見えない。


「親分さん、数馬さん、荒木殿が私たちのことを心配して、養生所の前で見張ってくれていたみたいなんだ。そのままいられるとややこしいから、連れてきたよ」


 最初に口を開いたのは、巳之吉親分だった。


「これはこれは……荒木の旦那。とんと、ご無沙汰しておりやす。今日は、養生所にどういったご用件で?」


 荒木殿は横目で私をちらりと見たあと、わざとらしく咳払いをする。このまえ、荒木殿のうちにお邪魔したときに聞いた話では、巳之吉親分と懇意にしていて佐吉さんのことを聞いたって言ってたよな。やっぱりというか、巳之吉親分と懇意ってのは真っ赤な嘘らしい。


「ああ、うむ、怪しい連中が養生所の前で嗅ぎまわっているのを見かけたから、気になって見張っておったのだ」


 さっきも聞いた、空々しい言い訳だ。数馬さんと巳之吉親分は顔を見合わせて首を捻る。


「数馬さん、ちょっといい? 親分さん、荒木殿とここで少し待っていてください」


  無言でうなずき立ち上がった数馬さんと二人で、診療室の外に出る。


「ゆきさん、どういうことだい?」


「身を潜めて養生所の様子をうかがっている奴がいるなあ、と思ったら、荒木殿だったんだ。まあ、殺気とかはまったく感じなかったから、襲おうとしていたわけじゃないと思うけれど……」


 診療室の中に残っている荒木殿や巳之吉親分に聞こえないように、数馬さんも声を潜める。


「この前も、津坂の役宅に忍び込もうとしていた男がいて、荒木かもしれない、という話だったな。どうやら、偽の霞小僧の一件を探っているといったところか」


「うん、たぶんそうだと思う。でね、ついでだから、荒木殿にも一枚噛んでもらおうかと思って。外でうろつかれて、策を台無しにされたら嫌だもん」


「そうだな。巳之吉親分もいることだし、滅多なことはしないだろう」


 数馬さんも、頷く。


 荒木殿の正体がわからないし、この一件についてどこまで知っているかもよくわからない。佐吉さんのことを見張っていて、津坂の屋敷に忍び込んでいるくらいだから、佐吉さんが霞小僧だということと、津坂が押し込みの黒幕だってことは知っているかもしれないけれど、それも確実ではない。ちょいと、大立ち回りに噛んでもらうだけにしよう。


 数馬さんとボソボソと打ち合わせを終えて診療室の中に戻ると、巳之吉親分と荒木殿が他愛のない世間話をしているところだった。


 数馬さんと二人で荒木殿の前に腰をおろし、軽く一礼をして話を始めた。


「荒木殿、折り入ってお願いしたいことがあります」


「ん、なんだ?」


 居心地悪そうにしつつも、荒木殿は鷹揚に答える。何を頼まれるのか、興味津々といったところだろう。ただ、どうにも食えないところがあるから、見た目で判断するのは禁物だな。


「そのまえに……親分さん、佐吉さんのことを、差し支えない範囲で荒木殿に話しますね」


「ああ、かまわねえ。おゆき先生の好きにするといいさ。どっちにしろ、おゆき先生の策に、あっしも乗っているんだ」


 ちらりと荒木殿を見ると、開き直ったのか涼しい顔だ。うーむ、食えん。


「荒木殿、この養生所で、佐吉さんという人を匿っています。この人は、湊屋さんが霞小僧の押し込みにあったときに、賊の姿を見ているらしいんです。生き証人の佐吉さんを殺そうと、養生所が襲われたのは、荒木殿も御存じですよね。そのときは、荒木殿に危ういところを助けていただきましたから」


「ああ。そうだったな」


 ちょいちょい荒木殿の痛いところをつついているつもりだが、敵もさるもの、素知らぬ顔である。むむ、ここらへんは年の功ってやつだな。


「荒木殿に助けていただいた日の晩も、もう一度別の連中に襲われました。これではキリがありません。ですから、巳之吉親分さんに頼んで、次に連中が襲ってきたら、一網打尽にしようと思っているんです」


「ほう、それは面白そうだな」


 荒木殿は身を乗り出す。ま、本気かどうかはわからないけれど。まあ、話にはのってきてくれそうだから、もう一押しだぜ。


「私たちだけでは心許ないですから、荒木殿にもご助力いただければ百人力です。どうか、お力添えをお願いできないでしょうか」


 私が一気に言い切ったあと、数馬さんが畳みかけるように続ける。


「いま、ゆきさんが言ったとおりです。ゆきさんの腕がたつとはいえ、敵がどういう手でくるかもわからない。それに、ゆきさんが怪我でもしたら、養生所としても、患者たちも困ってしまいます。荒木殿のお力を借りられれば、私たちも心強い。どうか、お願いしいます」


 私たちの話を聞いていた巳之吉親分も、はた(・・)と膝を打つ。


「こいつはいい。荒木の旦那、どうか一口、乗ってくれやしませんかね。旦那がいてくれりゃ、あっしも一安心だ」


 ふふふ。荒木殿、さすがにこれでは断れまい。


 私たちから半ばごり押しに近い形で頼まれた荒木殿は、一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。もっとも、そんな表情も一瞬のうちに掻き消えたが。


「その話、承知した。いい退屈しのぎになろうよ。しかも、ゆき殿のような美しい女子(おなご)に頼まれては、断るわけにもいくまい。それにしてもここの養生所の医者は揃いもそろって美男美女、拙者としては、なんとも居心地が悪うござるな」


 荒木殿は、そういってにやりと笑った。ふと数馬さんのほうを見ると、今の荒木殿が口にした歯の浮くようなお世辞に、何か物言いたげな顔だ。結局は何も言わなかったけれど。うんうん、呆れる気持ちはよくわかるよ……


 荒木殿が、巳之吉親分から聞いたといって、佐吉さんの情報を私から聞き出そうとした、ということは、敢えて巳之吉親分には知らせなかった。


 とりあえず今日のところは荒木殿とむやみに敵対したくない。それに、私も数馬さんも巳之吉親分には知られたくない裏の顔がある。荒木殿がどこまで知っているかわからないから、むやみに荒木殿を刺激しないほうがいい。


「ときに、その佐吉という男はどこにいるのだ? 姿が見えぬが」


「荒木殿、御心配なく。騒ぎになると怪我に障りますゆえ、別の部屋で寝かせています」


 そう私が答えると、荒木殿はさらに問いを続けた。


「そうか。その……佐吉、という男を、もっと安全な場所に移すわけにはいかぬのか?」


 お、きたきた。やっぱり、佐吉さんのことが気になるようだな。


「いえ、腰の骨がひどく折れていますから、ここから動かさないほうがいいかと」


 嘘ではない。骨盤からの出血が大したことなく済み、峠は越したとはいえ、寝返りさえままならぬ身だ。動かそうとすると、戸板に乗せて運ぶか、大八車に乗せるかしかないし、何かと人目につく。それに、移動時のちょっとした振動でも骨折したところに響くから、静かに移動なんてことは無理さ。


 それ以上は、荒木殿も訊いてはこなかった。


「それでは、荒木殿も来たことですし、もう一度、首尾を説明しますね」


 今日の策について、一通りの説明を終えたあと、私たちは賊が襲ってくるのを待ち構えた。


 実は荒木殿に話していないことが、まだあるけれど――これは、私と数馬さん、そして巳之吉親分の胸のうちにとどめておいたほうがいいだろう。数馬さんも親分も、私が何も言わずとも、察してくれたようだ。


 本物の霞小僧が現れ、村上主膳の息のかかった商家が被害にあったことで、津坂の一味が必ず動く。そして、連中が目をつけている佐吉さんを殺しにくるだろう。私はそう踏んでいる。だが、待ち構えて四半刻が立つ頃には、ふと自信が揺らぐ。


――連中は、養生所を襲いにくるだろうか。もしかして、私の読みが外れているのではないか……


 放っておくと、考えはどんどん悪いほうに傾く。だが、焦燥は策に綻びを生むだけだ。私は、それを里の大人たちから学んだ。


 桐生の里が敵の襲撃を繰り返し受けていたころ、里の周りの木の上で、何日も待ち伏せしたじゃないか。やれやれ、江戸に出てきたら、すっかり気が短くなっちゃったよ。もっと、のんびり待とうぜ。


 そう思い直したときに、養生所に近寄ってくるかすかな気配を感じた。


 診療室から出て、土間に耳をつける。複数の人間の足音だ。足音を忍ばせて近寄ってくるけれども、忍び歩きには遠く及ばない、素人の歩き方だ。距離は、門から十間ってところかな。ざっと、十人か。


 私は振り返り、皆に声をかけた。


「敵が来ます。かなり大勢ですから、気をつけて」


 荒木殿が不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。


「そうかそうか。ようやく拙者の出番だな。それでは、さきほど聞いた手筈どおり、俺は土間で連中を仕留めるとしよう」


 荒木殿に土間を任せて、私は診療室の前に立つ。


 荒木殿は、医者殺しの一件のときに黒田の屋敷で私と数馬さんの太刀筋を見ている。あのときの私たちは顔を隠していたけれど、荒木殿の腕前なら、ここで私が剣を振るったら、あのときの二人組の片割れが私だということに気が付くだろう。私から注意を逸らすために、前衛として頑張ってもらうことにしたよ。


 数馬さんは診療室にひいた布団に潜り込んでもらっている。佐吉さんの振り、ってやつさ。巳之吉親分が、寝ている数馬さんを守るように立ちはだかる。本物の佐吉さんは別の部屋にいて、鵜木様や、腕に覚えのある同心が傍についている。


 よし、来たな。


 養生所の引き戸が猛烈な勢いで蹴破られて、夕日の残照とともに、むさくるしい風体の浪人が飛び込んできた。右手に持つ白刃が、鈍い光を放つ。先頭の男に続き、幾人もの浪人どもがなだれ込んでくる。


 ああ……心張り棒も外してあるから、戸はちゃんと開くのに。この半月で、戸が何回壊れていると思っているんだ。また、弥助さんに直してもらわなきゃ。


 怒声をあげながら斬りかかってくる浪人を前に、荒木殿は少し膝をたわませて腰を落とし、抜き打ちで鋭い一撃を放った。その切っ先は、先頭に立つ男の左頬の肉を削ぐ。


 思わぬ一撃に怯んだ男の腹に、荒木殿は渾身の当身をいれた。昏倒し、ゆっくりと前に倒れる男に視界を遮られ、後続の浪人たちは何が起こったのかわからない様子で、立ち尽くした。


 荒木殿は素早く右斜め前に飛び込み、別の男のみぞおちに刀の柄頭を叩む。男は驚愕の表情を浮かべ、腹への一撃に息を吸えず、口をパクパクと開け閉めしながら、その場に膝をついて倒れこんだ。


 腹を押さえてのたうち回る男をまたぎ、別の浪人が荒木殿に斬りかかる。真っ向からの一撃を、体を開いてかわした荒木殿は、身を沈めて強烈な体当たりを男にくらわした。たまらず後ろに吹っ飛び、尻もちをついた男の腹を、荒木殿が思いっきり踏みつける。


 おお、さすがに手際がいいな。ちょっと動きに無駄が多いけれども、見切りも悪くない。なによりも、こういった乱闘に慣れていることがよくわかるぞ。


 荒木殿がまたたくまに三人を仕留めたが、なにしろ敵は多勢だ。荒木殿が三人目の相手をしている隙に、三人の浪人たちが診療室に迫る。


 ちらっ、と荒木殿を一瞥すると、目があってしまった。ううむ、私の太刀筋を観察するつもりだな。ちょいと嫌だな……


 そう思ったところで、三人の、頭巾の侍が三方から荒木殿を取り囲む。顔を隠しているし、身なりも整っている。こいつらは浪人じゃない。たぶん、津坂の手下だろう。どうやら連中は、荒木殿を強敵と認識したらしい。


 荒木殿は目の前の敵に気をとられ、私から視線を外す。こっちとしては好都合だ。

 

「この浪人、なかなかに腕が立つぞ」

「いや、我ら三人がかかれば、いかに腕が立つとはいえ、敵ではあるまい」


 連中のやりとりを小耳に挟みながら、こちらに向かってくる敵を冷静に見定める。一人は手槍を手にしていて、あとの二人は打ち刀だ。この連中のうち、刀以外の得物を手にしているのは、こいつだけだ。


 大番屋で日高屋の人たちの骸の検分に立ちあったときに、手槍か直刀での刺し傷が致命傷となっている骸があった。下手人は、きっとこの男だな。するってえと、こいつらが偽の霞小僧ってことかい。


「なんだ、評判の女武芸者と聞いたが、ただの男女(おとこおんな)じゃねえか」


「いやいや、よく見りゃ、かなりの上玉じゃねえか。これは殺すにはもったいねえ。生殺しにして、ゆっくり楽しまさせて貰うとしようじゃないか」


「おお、そいつはいい。どうせ、盗んだ金子の分け前は雀の涙ほどだ。それくらいの褒美があってもよさそうだな」


 私を取り囲んだ連中が、下卑た笑いを漏らす。所詮、女の細腕――自分たちのほうが腕がたつ、と信じ込んでいるんだろう。いやあ、絵に描いたような下衆だな。だんだん気分が悪くなってきたぞ。


 そのとき、ぎりっと歯噛みするような音が背後で聞こえた。え? 数馬さん? なんだか、布団の中で数馬さんが怒っているような……まあ、いいか。


 

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