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夜通し、しっぽり

 消えた鵜木様の足取りを追って、私は江戸の町に繰り出した。


 今の私は、編み笠に小袖・小袴という男装だ。経験上、この格好ならば女だと思われず、人目につきにくい。


 養生所を出て町屋をつっきり、堀沿いを東に四半刻ほど歩くと、東西町奉行所の同心たちの組屋敷が整然と立ち並ぶ一画にはいる。


 鵜木様の家を訪ねると、下男がひとりで留守を守っていた。察するに、鵜木様は独り身らしい。


「旦那様がお帰りならず、あっしは心配で心配で……」


と、下男は肩を落としている。使用人にも慕われる人柄のようだ。


 町奉行所同心の組屋敷は、それなりに敷地が広い。他の同心たちのように、鵜木様の屋敷の敷地内にも棟割り長屋が建てられており、町人が住まっている。長屋の木戸をあけて覗き込むと、粗末だがこざっぱりとした身なりの女性が三人、井戸の周りでかしましく話し込んでいる。


 ちょいと、声をかけてみるか。


「もうし、少し物を尋ねるが……」


 見慣れぬ来訪者に、おかみさんたちは興味津々だ。


「鵜木殿を尋ねてきたのだが、留守のようだ。どうされたか知らぬか?」


 男装のときには、男言葉を使うようにしている。そうすれば、相手は少年武芸者だと思ってくれる。女武芸者だと知れると、この江戸では私くらいしかいないもの。あまり、私が鵜木様の身辺を嗅ぎまわっている、と思われたくないのだよ。なにかと面倒そうだから。


 女性陣は顔を見合わせてから、一気に話し始めた。


「さあねえ。鵜木様の朝餉(あさげ)は、あたしがいつも作って運んでいるけれども、今日はいなかったねえ」


「どうせ、お役目じゃないのかい。ほら、霞小僧の押し込みで、最近、町方の旦那方も大変そうだもの」


「さあて、どうかね。コレでもできて、夜通し、しっぽりといってるんじゃないかい?」


 女たちはケラケラと笑い合う。


「なあに馬鹿なことを言ってんのさ。もうすぐ日暮れだよ。いくらなんでも、しっぽり行きすぎじゃないかい」


「いやいや、鵜木様だって、よく見りゃ、そこそこの男振りじゃないか。それにあれだけ、お優しいんだ。いい人の一人や二人、いてもおかしくないさ」


「そうさね。おぼこな町娘だったら、今をときめく定町廻りの旦那に優しく声をかけられただけで、ころっと転ぶだろうさ」


「あたしがあと二十も若けりゃ、鵜木様をものにしてるよ」


「はん、あんたが四十若くても、地獄の閻魔様も貰ってくれねえさ」


 だんだん、話が妙な方向になってきたので、礼をいって早々に退散する。いやはや、女性の井戸端会議とは、実に恐ろしいぜ。こちとら、うぶな十五歳なのだよ。


 それはさておき、だ。巳之吉親分曰く、鵜木様は急死した兄の跡を継いで、西町の同心になったばかりだそうだ。まだ、このあたりの定町廻りとなって日が浅いが、ここの町人で、鵜木様を悪くいう者は一人もいない。医者殺しのときの対応を見て思ったけれど、生真面目だが情が深く、面倒見がいい人だからな。


 養生所が襲われた夜以来、鵜木様は奉行所に出仕しておらず、組屋敷にも戻っていない。これは、きっと、津坂の屋敷あたりにいるのだろうと当たりをつけ、津坂の役宅に向かう。


 盗賊改の役宅がある辺りは、町奉行所の役人が住まう地区とは違い、昼間も人通りが少ない。これじゃ、よそ者が歩いていると、ちょっと目立ってしまうよ。人目につかぬよう注意して、津坂の屋敷が見える位置に身を隠した。


 しばらくすると、人目を忍ぶような様子の鵜木様がやってきた。巻羽織に十手という、定町廻り同心のなり(・・)のままだ。鵜木様は、思いつめた様子で津坂の役宅の門を叩く。


「南町奉行所の同心、鵜木精一郎と申す。津坂様に取次ぎ願いたい!」


 だが、門は開かなかった。鵜木様は、ひたすら門を叩く。


「お頼み申す! お頼み申す! 火急の用件ゆえ、なにとぞ、お取次ぎ願いたい!」


 おそらく門の内側では、突然の来訪者への対応を相談しているのだろう。こっちの読みでは、この一件、盗賊改の組織ぐるみの犯行ではなく、津坂の独断だ。ならば、津坂としても、このように鵜木様に居座られて、他の盗賊改の同僚や部下に見とがめられるのは、避けたいはずだ。そろそろ、何かの動きがあるだろう。懐から棒手裏剣を取り出し、そっと門に近づく。


 予想たがわず、四半刻も経たぬうちに、役宅の門がゆっくりと開いた。門の内側を覗き込んだ鵜木様は、ばねで弾かれたように、後ろに飛び退った。


 その瞬間、私は右手に持つ手裏剣を振りかぶりながら、門に向かって駆け出す。


「なにをする! 拙者を、南町同心鵜木精一郎としってのことか?」


 鵜木様は十手に手をかけて、門から距離をとろうとしたが、その問いに返事はなく――門の内側から飛び出してきた男が、鵜木様めがけて白刃を振り下ろす。 だが、その切っ先が鵜木様に届く前に、私が放った手裏剣が、剣を持つ男の左手を砕いた。


「ぐわぁ!」


 男は、津坂の手下の、同心だろう。刀を取り落とし、砕かれた左手を右手でおさえて膝をつく男を前にして、鵜木様は茫然と立ち尽くす。


「鵜木様、さ、早くこちらへ」


 私が囁くと、鵜木様は放心状態のまま、かろうじて頷いた。だが、がくがくと膝が震え、一歩も踏み出せない。うわ、だめだこりゃ。


 私たちがもたついている間に、役宅の門から、二人の侍が出てきて、抜刀した。手を砕いた男と、この二人には見覚えがあるぞ。養生所を襲った連中だ。このうち二人は、一旦、私がひっとらえたんだけどな。大番屋にひったてれてすぐに、盗賊改の同心だという身元が割れて、お解き放しになったとか、なんとか。


「なんだ、おぬし。その男をかばいだてすると、容赦せぬ……うわっ!」


 なにも、相手が最後までしゃべり終わるのを待つ必要もない。先手必勝さ。とびかかって、左の拳で肝臓へ鋭い当身をいれると、相手はそのまま崩れおち、地べたを這って悶絶する。


「おのれ、なにやつ!」


 地に臥す二人の仲間を横目でみながら、残る一人の男が上段に振りかぶり、斬りかかってきた。太刀筋を見極め、素早くその懐に飛び込み、右の掌底で相手の下あごをかち上げる。相手は、そのままかくん、と膝をつき、顔面から地面に突っ伏す。顎をゆさぶられて、脳震盪を起こしたのだ。


「鵜木様、ひとまずここを離れましょう」


 追っ手が増えると面倒だ。茫然とする鵜木様は、私の声に、我にかえった。


「あ、ああ。かたじけない」


 私にいざなわれ、鵜木様は案外しっかりした足取りで走り出した。


 まずは養生所に戻ろう。私は、鵜木様を連れて、走った。まだ日暮れ前だから、いくら津坂でも、人通りの多いところで鵜木様を斬るような真似はしないだろう。みるからに盗っ人や博徒といった風体の輩ならともかく、鵜木様はれっきとした町方の同心だ。江戸っ子ならば、巻羽織に十手というなり(・・)を見れば、誰だって鵜木様が町方の役人だとわかるからね。


 私たちは、仕事帰りの職人でごった返す大通りまでたどり着くと、歩調をゆるめた。定町廻り同心は、一日中町中を警邏しているから、足腰は割と丈夫だ。だが、追手を気にしながら逃げるのは、息が切れる。普段ならさほど問題のない距離でも、危うく斬られそうになる、という非日常的な体験をした鵜木様は、息も絶え絶えだ。無理もなかろう。


 念のため辺りの気配を窺うが、津坂の手の者が追ってくる様子はない。やれやれ、どうやら諦めてくれたかな。


「鵜木様、ここまでくれば、まずは一安心です」


 そういって、私は編み笠の端を軽く持ち上げて、鵜木様に自分の顔を見せた。


「ややっ、これは……ゆき殿であったか」


 鵜木様は少し驚いた風に口を開いたが、すぐに畏まり、頭を下げた。


「これは……恥ずかしいところをお見せした。それに、危ないところをお助けくださり、礼の言葉もござらん」


 頭を下げようとする鵜木様を押しとどめ、私はその耳元でささやいた。


「まずは、巳之吉親分のところに行きましょう。話はそれからです」


 巳之吉親分は、暮六つには一度、自分の店に戻るはずだ。今から店によれば、ちょうど会えるだろう。


 巳之吉親分の店の暖簾をくぐり、編み笠をとっておかみさんに挨拶をする。


「あら、おゆき先生……あっ! これは鵜木の旦那も」


 おかみさんは、私に続いて暖簾をくぐった鵜木様を見て、驚く。巳之吉親分から、鵜木様が行方をくらましていることを、聞いているのだろう。


「おかみさん、親分さんが戻るまで、二階をお借りできますか?」


 おかみさんは心得た様子で、鵜木様と私を二階に案内した。さすが巳之吉親分のおかみさんだ。余計な詮索をしないから、助かる。


「うちの人は、もうじき帰ってきますので、それまでゆるりとお過ごしくださいな」


 そういって出された茶を、鵜木様はぐいっと飲み干した。胡坐をかいた両膝に置いた両手が、小刻みに震えている。荒い息を整える鵜木様を、私は黙って見守った。


 おかみさんが階段を下りてすぐに、


「なんでえ、上に誰かいるのかい?」


 という声が階下から聞こえた。お、さっそく巳之吉親分が帰ってきたみたいだぞ。


 巳之吉親分は、おかみさんと二、三言、言葉を交わしたあと、階段をのぼってきた。


「これは……鵜木の旦那、よくご無事で」


 巳之吉親分は、私と鵜木様の顔を見比べた。どうやら、私たちの様子から、ただならぬことがあったと察したようだ。


「親分さん、鵜木様は先ほど、盗賊改の与力で、津坂様という御仁の手の者に、危うく斬られるところだったんです」


 私の説明に、巳之吉親分は顔色を変えた。


「なんだってえ、旦那。そりゃ、本当のことですかい」


 鵜木様は、掠れた声で、巳之吉親分の問いに答える。


「ああ、ゆき殿の言ったとおりだ。俺は……二度目の押し込みがあった晩に大怪我をして助けられた男が、養生所で治療を受けていると、津坂様に申し上げた。それが、このようなことになろうとは……」


 目をつぶり、唇を噛みしめる鵜木様の肩に、巳之吉親分がそっと手を添えた。


「二度目に養生所が襲われたあと、鵜木の旦那はそのまま飛び出しちまったから、御存じじゃねえかもしれやせん。二度目に養生所を襲ったのは、盗賊改の同心ですぜ。おゆき先生がそいつらをひっつかまえたのを、大番屋にしょっぴいていったら、上からの命令で即刻、お解き放しだ」


 鵜木様は、大きく目を見開き、巳之吉親分の顔を凝視した。


「巳之吉、それは……まことか?」


「鵜木様、親分さんの言ったことに相違ありません。さきほど鵜木様を斬ろうとした連中、養生所を襲い、佐吉さんを殺そうとした者たちでした」


 言葉を失い、うなだれる鵜木様に、どう言葉をかければいいだろう。気まずい沈黙が流れる。


 沈黙を破ったのは、巳之吉親分だった。


「連中が旦那を殺そうとしたのは、役宅の前で騒がれると困るからでしょう。盗賊改が定町廻りを斬るなんざ、古今東西、聞いたことがねえ。よほど後ろめてえことがないと、そんな物騒な真似はしねえはずだ。それに、生き証人の佐吉を殺そうとしたのは、佐吉が連中の顔を見たと思ったからに違えねえ」


 巳之吉親分の勘働きは鋭い。実際に津坂の屋敷に忍び込み、話を盗み聞きした私と違い、断片的な情報だけで真相に迫っている。巳之吉親分は、押し殺すような声で鵜木様に告げた。


「ねえ、鵜木の旦那。めったなことは言えねえが――この霞小僧の一件、十中八九、その津坂って与力が黒幕ですぜ」


 鵜木様が、ごくりと唾を飲み込む音が、やたら大きく聞こえた。一呼吸おき、鵜木様は口を開く。


「巳之吉、きっとお前のいう通りなのだろう。信じたくはないが、こうなると信じざるをえん。凶賊を捕えるべき盗賊改が、押し込みを働き、罪のない町人を殺めるなど、あってはならぬことだ」


 そして鵜木様は苦渋に満ちた表情で、吐き捨てるように言った。


「知らぬこととは言え、俺は、そんな連中の片棒をかついでしまった。かくなるうえは、お奉行に一部始終をお話ししたうえで、この腹を切り、詫びるしかない」


 いやいや、ちょっと待て。気持ちはわかるし、鵜木様が正義感の強い、同心の鑑みたいな人だってこともわかったけれど、この一件、腹をかっさばいても埒はあくまい。


「鵜木様、たとえお奉行様が鵜木様の話を信じてくださったとしても、(あかし)がありません。盗賊改の津坂が黒幕だという動かぬ証拠をつかまなければ、連中の罪を問うことはできぬでしょう」


 佐吉さんが生き証人といっても、津坂の罪を問うには、決め手に欠ける。連中は佐吉さんが何か見たんじゃないかって疑ってかかっているけど、当の本人は、陽炎の伝七の一味にいた千造って男のことしか覚えていないもん。大きな声じゃいえないけれど、ね。


「そうですぜ、旦那。なにしろ、相手は盗賊改だ。ちょっとやそっとのことじゃ、言いがかりだってんで一蹴されるのが落ちさ」


 巳之吉親分と私にたしなめられ、鵜木様は落ち着きを取り戻した。


「鵜木様、連中をあぶりだす策があります。乾先生や佐吉さんとも相談したいので、これから巳之吉親分さんと一緒に、養生所に来ていただけますか?」


「わかった。ゆき殿、一足先に、養生所に戻ってもらえぬか。我らが連れたってあるくと人目に立つ。俺と巳之吉は、少しあとでここを出るとしよう」


「わかりました。それでは一足先に、失礼いたします」


 養生所へと急ぎ足で歩きながら、考える。一味をあぶりだし、裁きが下るような状況を作らなければならない。そして、佐吉さん――本物の二代目霞小僧の手柄にしないといけない。それか、替え玉を使って、本物の二代目霞小僧が死んだことにするか。


 鵜木様たちの手を借りられるにしても、所詮、町方が盗賊改の与力を捕えることはできないからなあ。


 実行犯だった手下の連中を町方に任せて、本丸の津坂はこっちで斬るしかない、か。


 一足先に養生所に戻り、数馬さんに事情を説明する。鵜木様が津坂の役宅に出向き、連中に始末されかけたことを聞いた数馬さんは、顔をしかめた。


「とことん汚い連中だな」


「うん、それで、今から鵜木様と巳之吉親分がここに来るんだ。例の策を二人に相談してみる。鵜木様たちが来るまでに、佐吉さんにも、さわりだけ話しておくね」


 鵜木様と巳之吉親分がいきなり来たら、びっくりしちゃうもんね。


 佐吉さんが寝ている部屋に行き、その枕元に膝をついて顔を覗き込む。おっと、寝ているぜ。貧血が強いから、ちょっと起きただけで疲れちゃんだ。でも、起きてもらわなきゃな。


「佐吉さん、起きて。寝ているところごめんよ。大事な話があるんだ」


 佐吉さんは眠い目をこすりながら、目を覚ます。


「ん? あ……ああ、おゆき先生かい。すっかり眠りこけちまった。すまねえ」


「佐吉さん、今から定町廻りの鵜木様と巳之吉親分がくるけれども、佐吉さんを捕えるためじゃないから安心して」


「な、なんだって」


 二人が来る、ときいた佐吉さんは、一気に目が冴えたようで、顔をこわばらせた。


「大丈夫だよ。鵜木様たちは、押し込みが働いたのが偽者だってこと、ちゃんとわかっている。霞小僧を騙る一味をお縄にするためには、どうしても町奉行所の助けを借りなきゃいけないんだ。そして、本物の霞小僧……つまり佐吉さんの協力も、必要なんだ」


 佐吉さんは落ち着いた様子に戻ったが、不安げな表情だ。


「でも、この体じゃ、できることなんざぁたかが知れている。どうしろっていうんですかい?」


「大丈夫、連中をおびき出すための餌を撒くんだ。その手伝いをしてもらうよ」


 そういった私は、たぶん、少し顔が綻んでいただろう。


 相手を説得するには、まずは自分が策に自信をもたなきゃだめだ。過信と自信は違う。なるべく穴がないように――綻びが出たときには、二の手、三の手をうてるように、策を練ればいい。


 私は踏んだ場数(ばかず)がまだまだ足りないけれども、数馬さんという頼れる仲間がいる。小平太さんや弥助さんからも、知恵を借りることができる。それに、底知れぬ相手ならともかく、津坂の企みも手の内も、ある程度はわかっている。ならば、この一件、どうにかなるさ。


「佐吉さん、私に任せちゃくれないか」


 佐吉さんは黙って私を見つめ――そして、頷いた。


「わかったよ。俺は、あんたを信じるよ。先生に助けてもらった命だ、煮るなり焼くなり、先生の好きなように使ってくれ。ただ、俺に身になにかあったときには、おとっつぁんのことを頼む」


 佐吉さんの信頼を、無下にするわけにはいかない。それに、佐吉さんのことをむざむざと死なせるつもりはないさ。さて、ここからが正念場だ。


 しばらくすると、鵜木様と巳之吉親分がやってきた。


 数馬さんに案内されて、佐吉さんのいる部屋に入ってきた巳之吉親分は、その傍らに腰をおろす。怯んだように目を伏せた佐吉さんに、巳之吉親分は穏やかに語り掛けた。


「なあ、佐吉よ。湊屋が襲われた晩に、お(めぇ)さんが見聞きしたことを、そっくり、こちらの鵜木の旦那と俺に教えちゃくれねえか。霞小僧を騙って非道な押し込みを働く盗賊がのさばったんじゃ、まっとうに商いをしている連中が、浮かばれねえ」


 てっきり、最初に正体を問い詰められると思っていたのだろう。佐吉さんは拍子抜けしたように問う。


「親分さん、湊屋が襲われた夜、俺がそんな真夜中に何をやっていたか、お聞きにならないんで?」


 佐吉さんは痛みに顔をしかめながら、体を半分起こす。その背を支えるように手を添えた巳之吉親分は、優し気な声で答えた。


「佐吉、お(めぇ)の正体くれぇ、わざわざ聞かなくても、おおかた見当がついてらあな。どうせ、二代目霞小僧ってとこだろうさ。だがな、そんなことを今、こと細かに問い詰めたところで、このヤマが解決できるわけでもねえ。非道な押し込みを働いた連中がお縄になるわけでもねえ。確かなのは、お前があの悪党どもの仲間じゃねえってことさ」


 ひと息おいて、巳之吉親分は言葉を続けた。


「なんていったって、お(めぇ)はあの、丑松さんの倅だ。ひと一倍真っ正直で、働き者の丑松さんに育てられ、父親に孝を尽くしているお(めぇ)が、どんなに道を踏み外しても、人を簡単に殺めるような連中とつるむ筈がねえ」


 その言葉を聞いた佐吉さんの双眸に、みるみるうちに涙が溢れる。目を伏せ、肩を震わせ、ぽたぽたと布団の上に涙の染みができた。


 巳之吉親分の横で、鵜木様が生真面目な顔をして、うんうんと頷く。鵜木様も、佐吉さんの傍らに片膝をつき、その顔を覗き込むように話しかけた。


「そうだ、佐吉とやら。今回の一件、裏に盗賊改のものがいる。奉行所としては、捨ておけんのだ。すまぬが、我らに力を貸してくれぬか」


 盗賊改の津坂が裏で糸をひいている、ということを佐吉さんには話していない。鵜木様からその話を聞いた佐吉さんは、目の玉が飛び出るんじゃないかってくらい、目を見開く。


「盗賊……改だって?」


 畳みかけるように、巳之吉親分が言葉を続けた。


「今きいたとおりよ、佐吉。天下の盗賊改の与力が、裏で押し込みの糸を引くなんざ、天と地がひっくり返らあな。この鵜木の旦那も、ついさっき、危うく盗賊改の津坂って野郎に斬られかかったところさ。それだけじゃねえ、怪我をしたお前が眠り続けている間、お前を殺めようと養生所を襲った連中がいてな、そこのおゆき先生が捕らえてくださったんで、三人揃って大番屋にしょっぴかれたんだがな。そいつらが揃いも揃って、盗賊改の同心と身分が知れた途端、お解き放しさ。そんな連中、のさばらせておく訳にゃいかねえんだ」


 私と数馬さんが黙って見守る中、佐吉さんは右の拳でぐいと涙をぬぐい、まっすぐに顔をあげて巳之吉親分を見た。


「よござんす。もう何も言わねえ。まずは、連中を何とかするのが先決だ。この一件が終わったら、町方の旦那と親分さんに、俺自身のことを何もかもお話しいたしやしょう」


「ああ、頼むぜ」


 その様子をみて、私もほっと胸をなでおろす。なにしろ、佐吉さんは世間を騒がせた二代目霞小僧、その人だ。鵜木様が、ここで佐吉さんを問い詰め始めたら場のおさまりがつかない。きっと、ここに来る道すがら、巳之吉親分がうまいこと説明しておいてくれたんだろう。さすが親分。


 おもわず、ふぅ、と息をついた私の背を、誰かがポンと叩いた。思わず、しゃきっと背を伸ばす。ああ、数馬さんか。うん、ここからが正念場だもんね。まだ気を抜けない。わかっているよ。


 巳之吉親分は、どかっと胡坐を組みなおし、私を見た。


「さて、おゆき先生。そろそろ始めやしょうかね」


 全員の視線が、私に集まる。私は皆の顔を見渡す。数馬さんが、小さく頷くのが見えた。

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