二足の草鞋
おさきさんが茶を持ってくるまで待たぬか、と荒木殿に引き留められたが、先を急ぐ故と丁重に断った。人の好意を無にするのも気がひけるが、毒でも入っていたらかなわん。荒木殿がそれ以上、強く引き留めることはなかった。
養生所へ帰りながら、考える。今日の収穫は、荒木殿の狙いが佐吉さんだった、ということだ。ごろつきどもをとっちめたのが、佐吉さんを匿っている私たちに近づくための狂言だったという可能性も、否定はできない。
ただ、黒田の屋敷にいた忍び装束の二人が、私や数馬さんだと気がついて見張っていたわけではなさそうだ。だって、刀を傍に置かずに私を中に招き入れたし、隙だらけだったもん。太刀筋は一度しか見ていなし、真剣勝負では何が起こるかはわからないが、剣で尋常に立ち会えば負ける気はしない。私たちの素性を怪しまれていないことがわかっただけでも、一安心だぞ。まあ、なぜ荒木殿が佐吉さんを見張っているかは、わからないけれど――
夕七つの鐘が聞こえる。もう、すっかり秋だな。いつの間にか、吹く風も涼しくなっているよ。日も短くなってきているしな。
煮魚や焼き物のいい匂いがする。仕事帰りの職人が、少し早めの夕餉にと煮売り屋に立ち寄り、うまそうにぱくついている。ううっ、人が食べているものはおいしそうに見えるな。数馬さんに、味噌田楽でも買って帰ってあげようかな。佐吉さんはまだ粥かな。隣でいい匂いのものを食べちゃ、悪いかなあ……
そんなことを考えながら歩いていたが、なんだか背後から視線を感じる。そして、誰かが近寄ってくるようだ。まあ、敵じゃなさそうだけど。
「もうし、おゆき先生」
声を潜めて、巳之吉親分が話しかけてきた。あっ、無事だったんだ、と胸をなでおろす。鵜木様の件で無茶をして、危ない目にあってるんじゃないかと、少し心配だったよ。
「親分さん、どうしたんです? 内緒話みたいな声で」
巳之吉親分は、素早くあたりに目を配り、囁いた。
「申し訳ねえ、ちょいと帰り道に、あっしの店に寄ってくれますかい?」
道端では話せない話なのだろう。それに、養生所を襲った盗賊改の連中をひったてるときに、鵜木様は姿を見せなかった。鵜木様に関わる件かな。
「では、これから寄らせていただきます」
そう頷き、一旦、巳之吉親分とわかれる。親分の様子だと、私と一緒にいることすら、誰かに見られたくないようだ。だから、話も養生所ではなくて、巳之吉親分の店で、ということだ。
巳之吉親分は、おかみさんに立ち食い蕎麦屋をやらせている。一度、数馬さんに連れられて立ち寄ったことがあるけれど、ここからは目と鼻の先だ。切絵図とにらめっこして、主な通りと目印となる大店などは頭に叩き込んであるから、道に迷うことも少なくなってきたよ。
商売道具を担いだ職人や棒手振りが行き交う賑やかな大通りを進み、ちょいと大きな醤油屋の角を曲がると、巳之吉親分の店だ。
蕎麦屋の戸をくぐる。店の中には、おかみさんと客が二人だけだ。巳之吉親分曰く、屋台ではないのに立ち食いにしているのは、酒を飲んで酔った客が居座らないようにするためらしい。
「こんにちは。親分さんはいらっしゃいますか?」
おかみさんは、巳之吉親分よりも一回りくらい若い。体つきはほっそりしているが、顔は少し丸く、どこか愛嬌のある風貌だ。なによりも、笑顔が可愛らしい。数馬さんによれば、客あしらいがよく、日参する常連客も相当数いるそうだ。
私の顔を見たおかみさんは、心得た様子で
「まあまあ、おゆき先生。さ、狭いところですが」
と、二階に案内してくれた。こういう飯屋の二階は、密談や逢引きに使われることがある。立ち食いの店で二階、というのは珍しいけれど。
細く、急な階段を使って二階にあがると、巳之吉親分が座って待っていた。
「わざわざご足労いただき、申し訳ございやせん。先生のお耳に入れておきたいことがございやして」
巳之吉親分の向かいに腰をおろすと、おかみさんが茶を持ってきたので、ありがたくいただく。さきほど、荒木殿の家を訪問したときには気がつかなかったが、喉がからからだ。ふう、なんだかんだで緊張していたんだな。
「おゆき先生、ゆうべ養生所を襲った侍は、早々に盗賊改が身柄を預かっていきやした。信じたくねえことだが、どうやら連中は二人とも、盗賊改の同心らしいんで」
やっぱりそうか。私があまり驚いていないので、巳之吉親分は不思議に思ったようだ。
「おゆき先生は、御存じだったんで?」
「いえ、ごろつきに養生所が襲われた件で、親分さんからひょっとしたら鵜木様が一枚かんでいるかもしれない、ときいていたものですから。それに、身なりからして浪人ではないだろうし、いきなり斬りかかってくるあたり、荒事には慣れていそうでした。盗賊改の者ときき、納得した次第です」
――盗賊改の役宅に忍び込んで、盗み聞きしたから知っている、なんてことは、言えないよね。私の適当な返事を真に受けたかどうかはわからないけれど、巳之吉親分は頷いて話を続けた。
「そうですかい。まあ、それはいいとして、だ。昨日の朝、ごろつきどもが養生所を襲った件で、あのあと、鵜木の旦那をちょいとつついてみたんでさあ。佐吉が養生所にいるのは、先生がたとあっしのほかは、鵜木の旦那しか知らねえこった、なんで、ごろつきどもが知っていたんですかねぇ、ってね」
「鵜木様は、なんと?」
私の問いに、巳之吉親分は腕を組み、むっつりと首を横に振る。
「鵜木の旦那は、だんまりを決め込みなすった。口をへの字にして、うんともすんとも言わねえ。佐吉が養生所で治療されているってえのを漏らしたのは、やっぱり鵜木の旦那に違えねえ」
「鵜木様はなぜ、そんなことをされたのでしょうか」
重い沈黙が流れ――巳之吉親分は重い口を開いた。
「あっしは、鵜木の旦那は、盗賊改にうまく利用されちまった、と睨んでいやすぜ。あのお人は、真面目で、人の情もわかるお人だ。おおかた、盗賊改も霞小僧の押し込みにヤマを張っているときき、つい佐吉の話を話しちまった、ってあたりでしょう。鵜木の旦那も、まさか盗賊改が佐吉の命を狙うなんざ、思ってもいなかったようで。なぜ、連中が佐吉を大っぴらにしょっぴかないのか、その理由は、わからねえが」
さすがの巳之吉親分も、盗賊改の津坂が黒幕となって、偽の霞小僧一味に押し込みを働かせていた、とは、思いもつかないようだ。津坂が、佐吉さんを大っぴらにお縄にしないところをみると、盗賊改めの組織全体が、この一件に絡んでいるわけではなかろう。津坂からすると、大っぴらに動いて、万が一にでも自分の悪行が明るみに出るのは避けたい、ということか。
「ゆうべ養生所が襲われたあと、鵜木の旦那はあっしに、この一件から手を引け、養生所にも行くな、と言い残し、姿を消しちまった。鵜木の旦那がどうしようとしているのか、てんでわからねえ。あっしも手下を使って行方を捜しているが、どうにも足取りがつかめねえ次第で」
なるほど、ありそうな話だ。鵜木様は、不正や悪事に手を染める人には見えない。まあ、私は見た目や態度で騙されやすいんだけど……でも、海千山千の巳之吉親分が人を見る目は、私なんぞよりもずっと確かだ。その巳之吉親分が、鵜木様が盗賊改一味の一件に、利用されただけと言っているのだ。丸ごと信用するわけにはいかないが、あながち大外れでもなかろう。
鵜木様が失踪したのは、あの真面目っぷりからすると、盗賊改に利用されたことを知り、一人で解決しようとしているってところか。
「親分さんは、盗賊改が偽の霞小僧の一件にかんでいると……そう睨んでいるんですね」
「あっちゃいけねえことだが、こうなると、そう考えざるをえねえでしょう。それに、盗賊改がどこで目を光らせているかもわからねえ。だから、こうやっておゆき先生に、あっしの狭い店までご足労願ったって次第だ」
そういって、巳之吉親分は私に頭を下げた。
「盗賊改が絡んでいるとあっちゃ、町方も手がだせねえ。情けねえ話だが、あっしにできることはねえ。だが、佐吉を匿っていることで、また養生所が狙われるのは間違いねえ。若先生に、くれぐれも用心するようお伝え願いやす。あっしも、偽の霞小僧一味の手掛かりを追いまさあ」
私が養生所に戻ったのは、夕七つの鐘が鳴る少し前だった。佐吉さんは、私が出かけたあと一回目を覚まし、また眠りに落ちたそうだ。規則ただしい寝息をたてる佐吉さんを起こさぬように注意しながら、荒木という浪人のことと、巳之吉親分から聞いた話を、数馬さんに話した。
土産に買って帰った味噌田楽をほおばりながら、数馬さんは思案顔だ。
「鵜木は、剣の腕はからきしだろう。下手に動くと、盗賊改に始末されるぞ。こいつは厄介だな。佐吉さんに、同心殺しの罪状まで被されかねん」
「そうすると、とっとと津坂の悪行を暴いて、証を手に入れ、評定所に任せるしかないかな。評定所がどれだけ、まっとうな裁きをするかはわからないけど」
津坂の一味を斬るだけなら話は早いんだが、そうもいかない。それに、偽の霞小僧一味の件を解決しても、本物の二代目霞小僧――佐吉さんが捕らえられてしまうと、死罪は免れまい。そして、丑松さんは息子の身代わりに、自首をして自分が死罪になるつもりでいる――
うわ、考え事をしながら食べていたせいで、味噌田楽の味がさっぱりわからなかったぞ。この一件、どう始末をつけるかなあ。
夜もすっかり更けた頃、佐吉さんの呻き声に、私は目を覚ました。ああ、腰痛だな。骨盤骨折の痛みで、寝返りを打てないもん。褥瘡――床ずれを防ぐために、ちょっとずつ体の位置を動かしているけれども、同じ格好で寝ているから、怪我をしていない体の節々も痛むのだよ。
痛み止めの薬湯を飲み、しばらくすると効き目が出てきたようで、佐吉さんの表情も和らいだ。
「佐吉さん、大丈夫?」
「ああ、先生、こいつはよく効く薬だな。親父にも飲ませてやりてえ」
こんなときでも、とことん孝行息子ぶりを発揮する佐吉さんを見ると、なかなか言い出しにくいが――丑松さんの覚悟を、ちゃんと伝えねばなるまい。
「佐吉さん、大事な話があるんだ」
そういって、私は佐吉さんの傍に正座をする。ただならぬ私の様子に、佐吉さんの顔から笑みが消えた。
「親父さん――丑松さんは、佐吉さんが家を抜け出していることに、ずっと気がついていた。そして、世間で義賊と騒がれている二代目霞小僧が、佐吉さんのことだろう、って見抜いていたよ。でも、本当のことを知るのが怖くて、聞けなかったんだって」
「そう……ですかい。おとっつぁんが、そんなことを……」
佐吉さんは、目を閉じて、深く息を吐いた。
「親父が、俺を盗っ人なんぞにしたかねえのは、よーく知っているさ。なにせ、俺を育てるために、きっぱりと足を洗ったんだ。だから、俺もどんな顔をして親父に会えばいいのか……どんな話をすればいいのか、わからねえ。俺は……親父に顔向けができねえ」
佐吉さんは右の拳で目を覆う。その頬を、一筋の涙が流れ落ちた。
「俺は、惣兵衛さんから、盗っ人の矜持ってのをきいて、これぞ男の道、と思ったさ。だからこそ、二代目霞小僧を名乗った」
嗚咽まじりに話す佐吉さんを、私は黙って見守った。
「だが、俺は……義賊だ、霞様だと騒がれるのが心地よかっただけだ。そんなのは、盗っ人の矜持でも、男の道でもなんでもねえ」
あとは、声にならなかった。嗚咽をこらえ、肩を震わせる佐吉さんを見守ることしかできない。その姿を見て、私の心も揺らぐ。丑松さんの決意を告げたときの佐吉さんの感情を、受け止める自信がない。だが、言わねばなるまい。
「ねえ、佐吉さん。若先生が……数馬さんが、丑松さんから聞いた言葉を、そのまま伝えるよ」
そして、私は伝えた。
――霞小僧は自分だ、とお前のかわりに番屋に名乗りでる。こんな死にぞこないの老いぼれの命なんぞ、惜しくもなんともない。佐吉、お前はまだ若い。お咎めをうけて、三尺高い木の上にあがるこたあねえ
という、丑松さんが数馬さんに託した言葉を。
「う……ぐ……」
歯を食いしばっても、獣のような呻き声を抑えきれない。自分自身への怒りや慟哭が、繰り返し佐吉さんを襲う。黙って見守ることしかできない自分が、もどかしかった。
戸を開ける気配に振り返ると、数馬さんが黙って佐吉さんを眺めていた。ああそうか、番を交代する時刻だっけ。
数馬さんは、どこかつらそうな表情だ。私が見ていることに気ついた数馬さんは、そっと私を手招きした。
「ゆきさん、佐吉さんに、丑松さんの言葉を話したのかい?」
「うん……」
「そうか」
数馬さんは、深く息を吐き、愁いを帯びた顔でつぶやいた。
「親が子を思う心も、子が親を思う心も、俺にはわからん。だから、佐吉さんや丑松さんの姿を見て、つらいと思うと同時に、どこか羨ましく思う俺自身がいるよ。これは……不思議な気持ちだな」
そういう数馬さんの背に、そっと手を置く。
「心のつながりは、血のつながりとも違うから……大丈夫だよ。数馬さんにも、きっとわかるよ」
「そうか……そうだな。さて、佐吉さんのあのケガだ、動けやしないだろうか、いますぐ何かするってことはないだろう。その間に、俺たちも、調べを先に進めないとな」
そういって、数馬さんは部屋の中に佐吉さんを残し、戸を閉めた。今は、佐吉さんを一人にしておいてあげよう。私と見張り番を交代した数馬さんは、大部屋の戸の前に布団を敷き、朝までそこで寝ていた。
翌朝、佐吉さんは思ったよりも落ち着いた様子だった。
「佐吉さん、具合はどうですか?」
「ああ、先生。面目ねえ、昨日はつい、取り乱しちまった。それはそうと、先生、頼みたいがあるんで」
佐吉さんは、かしこまった様子で、首だけを私に向けた。双眸が、真剣な光を帯びる。
「どうか、町方の旦那に、俺のことを伝えてくれねえか。二代目霞小僧は、この佐吉だと、そう伝えてくれませんかね」
やっぱり、そうきたかい。だが、こちとら丑松さんから、命をかけた願いを託された身だ。おいそれと、佐吉さんの願いを聞くわけにもいかんよ。
「佐吉さん、どっちにしろ、そんなことをしたら、丑松さんの読みどおり、佐吉さんが死罪になるよ。そんなことを、丑松さんが望むと思えないよ」
「いや、でも……」
私の問いに、佐吉さんは口ごもる。
「佐吉さんは、それでいいかもしれない。でも、残される丑松さんの身にもなってごらんよ。それは、私たちに頼んだ丑松さんにしても、そうだ。相手を大切に思えばこそ、相手に生きていてもらいたいという気持ちはわかるよ。でも、それで救われるのは、死んだ本人だけだ」
「じゃあ、どうしろっていうんですかい」
語気鋭く言葉を返した佐吉さんは、すぐに、しまったという顔をした。
「あ、いや、すまねえ。ついつい、かっとなっちまった」
「気が急くのも無理はないよ。世の中、みんなが満足するような答えはないもの。ならば、ちょっとでも、ましな答えを見つけたい……そう思うんだ」
ならば……
「佐吉さん、もしも……佐吉さんの手助けで、町奉行所が偽の霞小僧一味を捕えることができれば、その手柄を認められ、死罪を免れることもできるかもしれない」
いわゆる、罪一等を減じる、ってやつだ。本来ならば死罪のところを、終生遠島、つまりずっと島流し、くらいですむ、ってことさ。丑松さんの体調だと、遠島は死罪と同じだけれど、そこはお上のお慈悲ってやつを期待するしかないかもしれない。んんん? この江戸でも、やっぱり島流しってのはあるんだろうか。あとで数馬さんに聞いてみなきゃ。
佐吉さんは、まじまじと私の顔を見つめた。
「おゆき先生、そんなことができやすかい。相手の素性もわからねえ。知っているのは、陽炎の伝七の……俺の爺さんの手下だった、千造ってやつが連中の仲間だってことだけさ」
佐吉さんにはまだ言っていないけれど、黒幕は盗賊改の津坂だ。津坂の一味が偽の霞小僧だと、白日の下に晒すことができれば――そして、それが本物の霞小僧の手柄だと、奉行所に知らしめるためには――
ううう……いい知恵が浮かばないなあ。弥助さんの知恵を借りるとするか。
佐吉さんと話し終わってすぐに、最初の患者がやってきた。
さて、仕事だ。医者との兼業って、なかなか大変だ。私の場合は昔の数馬さんと違って、公儀の隠密じゃないしなあ。一族存続のため、という大義はあるが、これはいわゆる仕事ではない。こういうのも、二足の草鞋っていうんだろうか。
午前中の外来が終わってから、数馬さんは往診に出かけた。私は、佐吉さんを守るため、今日も居残りだ。
「もうし、失礼しやす」
お! 待ち人来たる、ってやつだ。
「弥助さん、お疲れ様!」
今回も、養生所の戸を蹴破られてしまったから、巳之吉親分経由で、弥助さんに修理の依頼がいったんだ。霞小僧の一件で相談したいこともあったから、ちょうどよかったよ。
弥助さんは、私の顔を見るなりニヤリと笑った。
「おゆき坊、こりゃまた災難じゃねえか。どうした?」
「うん。弥助さんは、二代目霞小僧って知っている?」
私が、佐吉さんの耳に聞こえぬよう、忍び特有の話術で話し始めると、座って仕事道具を広げようとしていた弥助さんは、ちらりとこちらを見た。
「ああ、江戸っ子が霞様って呼んでいる義賊だろう。ここ最近、非道な押し込みを働いているってえ、江戸の町では大騒ぎさ。そいつかどうかしたのかい?」
弥助さんも、忍び語りに切り替わる。
「あの押し込みを働いている連中って、実は霞小僧の名を騙る、偽者なんだ」
数馬さんが佐吉さんを拾ってきたこと、養生所が二度にわたって襲われたこと、盗賊改の津坂が黒幕であることを、かいつまんで説明する。あと、鵜木様や、荒木って浪人のこともね。私が一通り話し終わると、弥助さんは仕事道具を整理する手を休めて、腕組みをする。
「なるほど、親子で義賊ってわけか。さすが江戸は、おもしれえ連中がいるもんだぜ。それで、お前はそいつらを助けたいわけだな」
「うん、余計なことに首をつっこんじゃってごめんね」
弥助さんは口許を軽く上げた。
「なあに、気にするこたぁねえ。前も言ったとおり、俺も小平太さんも、おゆき坊が守りたいやつを守りゃいい、と思っているからな。それに、あながち、村上主膳の野郎と無関係なヤマってわけでもねえ」
弥助さんも小平太さんも、白沢の殿様を狙う、村上主膳側の動きを追っている。私とは別行動だから、弥助さんたちの調べがどれくらい進んでいるかはわからない。本音をいえば、白沢の殿様がいつ老中になるのか、いつ江戸に来るのか――それに、父上や爺、源太さんたちが今後、どういう動きをするのか、気にならないといえばウソになる。でも、それは私から聞くことじゃない。もし、私が聞く必要があることなら、弥助さんたちから、話してくれるはずだもん。今は、自分のやりたいことに集中しなきゃ。
「敵をあぶりだすなら、敵が嫌でも動かなきゃなんねえように、おゆき坊のほうから仕掛けてみな。人ってやつは、焦るとかならずしっぽを出す。どんなにうまく隠したつもりでも、きっと綻びが出る。その隙をつくのよ」
そういって、弥助さんは壊れた戸の修繕にとりかかる。蹴破られて、敷居の溝が欠けてしまっているのを、削った木片と釘とで器用に直していく。あっという間に元通りだ。
はめ込んだ戸板が、滑らかに開け閉めできることを確認して、弥助さんは仕事道具を片付け始めた。
「おゆき坊、その鵜木って同心、俺も多少の面識はあるがな。根はまっすぐな男さ。霞小僧の一件の、重要な証人だ。お前が佐吉ってやつを助けてえなら、鵜木を死なせちゃいけねえぜ」
数馬さんも、鵜木様が相手のところに乗り込んでいくじゃないか、って心配していたっけ。
「うん、わかったよ。弥助さん、ありがとう。おかげで、どうしたほうがいいのか考えがまとまってきたよ」
「ああ。おやすい御用さ。また、何か困ったことがあったら言ってみな」
そう言って、弥助さんは帰っていった。後ろ姿を見送りながら思う。江戸に出てきて事件続きだから、頭と体が休まる暇もないけれども、こうやって弥助さんや小平太さんと話すことで、気持ちがすごく楽になるよ。里のみんなは、家族みたいなものだもん。本当に、本当に、ありがとう。
さて、と。こちらから仕掛ける、か。上級者向けの技術だよなあ。ちょいと策を考えついたけれど、うまくいくかどうか。数馬さんが帰ってきたら、相談してみよう。
佐吉さんは、入院患者用の大部屋で、おとなしく寝ている。骨折の痛みは日に日に和らぐものだけれど、派手に骨盤が折れてしまっているから、あと七日間くらいは寝返りをうつのも無理だろう。その間は、佐吉さんが早まって無茶をする心配はない。
昼八つ過ぎに、回診を終えた数馬さんが帰ってきた。
「ただいま、ゆきさん。変わったことはなかったかい。お、戸が直っているじゃないか。すごいな、木を接いだというのに、まったく引っかかりがないじゃないか」
感心したように、戸を開け閉めする数馬さんに声をかける。
「うん、弥助さんが、巳之吉親分に頼まれたって言って、来てくれたんだ。あとね、ちょっと相談があるんだけど……」
「なんだい?」
数馬さんは戸をぴたりと閉めた。
「霞小僧の一件、策を思いついたんだ。聞いてもらえる?」
佐吉さんに聞こえないように、声を潜めて話す。敵をあぶりだし、一網打尽にする策だ。私が話している間、数馬さんは真剣な表情で、黙って聞いていた。一通り話し終えると、数馬さんはおもむろに口を開く。
「その策はいけるな。だが、町方の手を借りる必要がある。どうするつもりだい?」
「そのことなんだけどね、行方をくらましている鵜木様を見つけることができれば、力になってくれると思うんだ。町方を動かすには、巳之吉親分だけだと一押し足りないだろうから。だから、私は鵜木様の行方を捜すことにするよ」
鵜木様は、盗賊改の津坂に嵌められたことを知り、姿を消した。おそらく、津坂か、その部下のところに行き、仔細を問い詰めようとするに違いない。あの人はきっと、曲がったことができない人だから。鵜木様が始末されることだけは、防がなきゃ。
「わかった。佐吉さんのことは俺がみておくから、ゆきさんは気にせずに行っておいで。ゆきさんの策は、試してみる価値がある。やってみよう」
力強い数馬さんの言葉を背に、私は養生所を後にした。
やれやれ、探索をするにも留守番がいるってのは、医者と隠密行動の掛け持ちは何かと不便だな。江戸市中隠密廻りだったころの数馬さんって、なぜ医者という仕事を選んだんだろう。生い立ちからすると、最初から医者になりたかったわけでもなさそうだし。他人の過去を詮索するのは好きじゃないけれど――いつか、数馬さんが教えてくれるときが来るといいな。




