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事件とあらば、食いつかにゃ損

 医者殺しの一件が解決してから、一週間がたった。残暑も徐々に和らぎ、秋の訪れを感じる。


 養生所は、今日も押すな押すなの大盛況だ。


 本日最後の患者は、左足をくじいたといってやってきた、三十路半ばのおかみさんだ。四日前、石段を下りているときに、草鞋の鼻緒が切れて転げ落ちたらしい。腫れあがった足首を、慎重に診察する。内くるぶしも外くるぶしも腫れが強く、関節がぐらぐらだ。本当は手術で固定したいが、そりゃ無理な話だよね。こういうときこそ、ギプスもどきの出番だぜ。


 骨折した直後は、腫れがどんどん強くなるから、よっぽど注意しないとギプスで締め付けられて、血のめぐりが悪くなったり、神経が圧迫されて麻痺してしまう。だが、四日もたっていれば、腫れは峠を越えている。ギプスを巻いても大丈夫だろう。


 ふくらはぎから土踏まずの先まで、さらしを薄く巻き、えいや、と骨折を整復する。その形のまま、膠に浸した和紙を、さらしの上から重ね貼りしていく。張り子細工の応用だ。分厚く重ねてカチコチに固まったら、できあがりさ。これくらいの骨折なら、整復してしっかり固定すれば、痛くないはずだ。でも、外くるぶしと内くるぶしの両方が折れているから、ギプスだけだと関節の形がどうしても崩れる。ある程度の機能障害が残ってしまうのは、致し方あるまい。


 「おかみさん、この張り子をつけている間は、足をついちゃいけないよ。あと、水に濡れないように気をつけてね。骨がつくまで、ひと月半ってところだな。張り子が緩むと痛みが出るから、七日くらい経ったら、また来てください」


「こりゃたまげたね、痛みがすっと引いたよ」


 おかみさんは、両手で器用に杖を突きながら、大喜びで帰っていた。


 やれやれ、これで今日の外来はおしまいかな。数馬さんは一足先に患者をさばき終わっていて、薬草園のほうで仕事をしている。私の外来が終わったら、声をかけて、一緒に往診の支度をする予定だ。


 さて、と。数馬さんを呼ぶか――そう思ったところで、養生所の戸口から呼びかける声が聞こえた。


「もうし。おゆき先生からの頼まれものを、お届けにあがりやした」


 聞きなれた声に、顔を上げる。


「どうぞ」


 私の返事を聞いた来訪者は、戸口から顔を覗かせた。小平太さんだ。


「よう、おゆき坊。えらく忙しそうじゃねえか。お(めぇ)が弥助に頼んでいた腹巻、持ってきたぜ」


 そう言って、小平太さんは診療室にあがりこみ、風呂敷包みを広げて、中身を取り出す。おととい来た、腰が痛いっていうお婆ちゃん用のコルセットだ。おお、さすがに弥助さんは仕事が早いな。巳之吉親分に、装具を作ってくれる仕事が早くて腕のいい職人を紹介して欲しいって頼んだら、目論見通り、弥助さんを紹介してくれたんだ。


 おかげで、こうやって小平太さんとも日中堂々と会うことができる。小平太さんは弥助さんの作った細工物を売りさばく仕事をしているから、弥助さんの使いで小平太さんが養生所に来るのは、別におかしなことではない。


 桐生の里を出るとき、小平太さんや弥助さんとは別々に行動するように、と長から言われていたんだけど、すでに何のことやら、だ。まあ、小平太さんと弥助さんが、これでいい、って言っているから、いい……よね。


「小平太さん、ありがとう。あとね、渡したいものがあるんだ」


 開け放たれた戸口からおもてに漏れ聞こえない ように、声を潜める。これは、人に聞かれるわけにはいかない。


「ん? なんでえ」


 私の意図を察した小平太さんも、傍にいる私にしか聞こえない話し方に切り替えた。忍び特有の話術だ。


「これを、私の代わりに持っていて欲しいんだけど……」


 そういいながら、懐から取り出した帳面を、小平太さんに渡した。


「どれ、見せてもらうぜ」


 小平太さんに渡したのは、医者殺し、と一枚目に書かれた帳面だ。一連の事件の日付やあらまし、証拠の数々を克明に書き留めたものだ。その頁を繰りながら、小平太さんは口を開く。


「これは……医者殺しの一件の、からくりかい」


「うん。白沢の殿様が老中になった暁には、これが村上を失脚させる材料のひとつになるかもしれないから、まとめてみたんだ。証となる、薬種問屋の帳簿も挟んである。

大事なものだし、私も往診で養生所にいないことが多いから、未熟な私よりも小平太さんや弥助さん達に隠しておいて貰いたいと思って」


 小平太さんは帳面から顔を上げて、頷いた。


「なるほど、おゆき坊の事件帖、ってとこかい。お(めぇ)の言うことももっともだ。これは、俺達で預かるぜ」


 そう言って、小平太さんは帳面を懐にしまった。


「おゆき坊も、随分としっかり、忍び働きができるようになったじゃねえか。黒田の屋敷の仕込みも、俺が教えたとおり手抜かりがねえ。てえしたもんだぜ」


 仕込み、とは、事前の下調べや、黒田たちが密談をしていた小座敷の天井に細工をしたり、といった諸々の準備のことだ。


「えっ、そ、そんなことないよ」


 急に褒められて、どぎまぎする。


「いいや、弥助の野郎も感心していたぜ。それによ、この間の討ち入り、数馬ってやつの顔を見てみてえと思ってな、弥助と一緒に俺も見届けさせてもらったぜ。おゆき坊の剣の腕は、今更いうこともねえが……数馬の野郎、こりゃまた、えらく派手に暴れたじゃねえか」


 小平太さんは、楽し気に笑う。


「無茶はしてほしくなかったけれど……もう、私もびっくりだよ。闇討ちかと思ったら、いきなり自分の正体をばらすんだもん」


 ううっ、思い出しただけで冷や汗が出るぜ。テレビ画面で見ているだけなら、爽快感満載の場面なんだけど、ね。


「まあ、数馬からすりゃ、あれが普通なんだろうさ。妙に、堂にいってやがったからな」


「うーん、そう……かもね」


 確かに、一朝一夕でああいう真似ができるとは思えん。秋月先生なら、人柄が豪快だし――それに顔が桃さん――桃太郎侍の人に似ているから、いかにもど派手に討ち入りしそうだけど。見た目ね、見た目。


 江戸市中隠密廻りって、他の人も、あんな調子で討ち入りしていたのかなあ。


「まあ、お(めぇ)と数馬が大立ち回りしている間、俺達は高見の見物と決め込ませてもらったがな。弥助が言うには、数馬の太刀筋は確かに、塚田様に似ているそうだ。医者で隠密ってのは、たまにいるが……数馬みたいに腕が立つやつは、聞いたことがねえ。本当に、おもしれえ奴だぜ」


 そういうと、小平太さんは俄かに真顔になった。


「それはそうと、おゆき坊、最後に逃げ出した野郎、ありゃ何だい? 腕っぷしといい、落ち着き具合といい、ただ者とも思えねえ」


 ああ、あのハードボイルドな顔の人のことか。


「私たちにもわからないんだ。でも、食い詰め浪人なんかじゃないよ。黒田の様子をさぐるために潜り込んでいたんじゃないかな。村上主膳の子飼い同士の、足の引っ張り合いかもしれないけれど。

その男、また私たちと会うこともあるだろう、って言っていたよ」


「そうかい。まあ、敵とも味方ともわからねえ。おゆき坊、じゅうぶんに注意するんだぜ。さて、と。届け物も終わったから、俺は帰るとするか。また何かあったら、声をかけてくんねえ。またな」


 小平太さんは、そう言って足早に去っていった。その後ろ姿を眺めて、小平太さんの言葉を反芻する。


――医者で隠密、か。時代劇ファンとしては、養生所の医者といえば、お奉行様の親友か、公儀の隠密と相場が決まっている。まさか、本当に医者隠密がいるとは思ってもいなかったけれど。医者隠密なら、髪型はやっぱりポニーテールだろ。数馬さんが、ポニーテール侍じゃないのが、つくづく惜しい。いや、何が惜しいのか、よくわからんが。


 おっと、妄想にふけっている場合じゃないぜ。数馬さんを呼んで、往診の支度をしなきゃ、な。

 

 人心地ついてから、往診に出る。今日の往診は、四件だけだ。そんなに時間もかからずに終わるだろう。


 薬箱を持ち、数馬さんと連れたって、大通りを歩く。お、いつもの読売(よみうり)――瓦版売りがいるぞ。なにか大事件かな?


「さあさあ、聞いた聞いた! 二代目霞小僧が、夕べも江戸の町に現れたぜ。霞小僧といやぁ、知ってのとおり、三十年前に江戸を騒がせた初代霞小僧のころから、大店(おおだな)の蔵にいつの間にか忍びこんで、人を殺めることなく千両箱だけかっさらうってえ鮮やかな手口で鳴らした盗っ人よ!」


 江戸っ子たちが、あるものはわき目もふらず、あるものは互いに顔を見合わせて殻、瓦版売りの周りに集まり始める。


「しかも、盗みとった金子(きんす)を貧しい裏長屋の連中に恵んでまわるって、え? 剛毅な話じゃねえか。世間じゃ霞さま、霞さまってえ下にも置かぬ大人気だ! だが、今度の今度はそうじゃねえ! 今回襲われた呉服問屋の日高屋は、主の家族から使用人まで、皆殺しの大惨事だ!」


 瓦版売りを取り囲む人垣から、低いどよめきが沸き起こる。


「お(たな)の奥にゃ、二代目霞小僧参上ってえ書きつけが、ちゃんと貼ってあったってえ話だぜ。こりゃ見過ごせねえと、町方の旦那がたも目の色変えて走り回っているところだ! 一部始終は、この瓦版にぜーんぶ書いてある。さあさあ、買った、買った!」


 みな『話題に乗り遅れたら一生の恥』とばかりに、我も我もと瓦版を手に取る。


「なんだってえ、霞さまが人を殺めたのかい」

「はあ、義賊っていっても、やっぱりただの盗っ人かい。世も末だねえ」


と囁きあう人たちもいるな。むむっ、霞小僧ってのは、そんなに人気者なのか。ちょいと数馬さんにも聞いてみるか。


「数馬さん、霞小僧って名前を聞くの、初めてなんだけど……」


 薬箱を持った数馬さんは、瓦版売りの口上に、なにか解せないことがある様子だ。


「ああ、三、四十年前に霞小僧って盗っ人がいたらしいぜ。なんでも、絶対に人は殺さないし、それどころか姿を見られたこともない。それに、悪どい商売をしている大店からしか盗らないって盗っ人さ。しかも、暮らしに困っている裏長屋の連中に、盗った金をそっと投げ込んでいたって話だ」


 おお! とある大御所の時代小説によく出てくる、まっとうな盗っ人の三箇条みたいなのを、地でいっているわけですな。それプラス、講談の鼠小僧っぽい要素もある、と。ふむふむ。


「その、初代の霞小僧ってのは、結局お縄にもならず、いつの間にか消えたらしい。いまでも、義賊として講談に出てくるくらいの人気だよ。

それで、一年くらい前だと思うが、二代目霞小僧を名乗る盗っ人が現れた。手管は初代そっくりで、これまで十軒ほどの大店が被害にあっているんだ。盗みにあった店には、二代目霞小僧参上、と書いた紙が必ず貼ってあるそうだ。

だが、変だな……」


 数馬さんは、心底不思議そうに首をひねる。


「二代目霞小僧が店の者を皆殺しにしたというのも不思議な話だが……

呉服問屋の日高屋は、大店には違いないが、悪い評判がこれっぽっちもない店だ。半年前に日高屋の先代が病で死んでから、まだ若い息子夫婦が一生懸命に店を盛り立てて、客からの評判もいい。霞小僧が狙うにしちゃ、筋が良すぎる店だぜ」


 するってえと、これはあれだ。


「夕べの霞小僧が、(かた)りかもしれないってこと?」


 数馬さんは頷く。


「ああ。偽の霞小僧の狙いはわからないが、俺はそんな気がする」


「だとしたら……その盗賊がまた事件を起こすかもしれないね」


 霞小僧を騙るとしたら、どんな理由だろう。霞小僧の評判を落とすのが狙いだとしたら、黒幕は公儀の手のものだろう。犯罪者の人気が高いと、おかみの御威光ってやつに傷がつくからな。あとは、本物の霞小僧をおびき出すのが目的ってこともあるだろう。手段を選ばない役人の仕業か、それとも盗っ人仲間のいざこざってところか。盗っ人仲間の愉快犯って線は薄いな。押し込みは、捕らえられたときの罪が重いから、愉快犯にしてはリスクが高すぎる。まあ、リスクが高いほど興奮するという特殊な性癖の人間も、世の中にはいるが。


 あれこれ考えながら、人混みをかきわけて歩く。ふう。瓦版売りの周りって、本当に人だらけだな。江戸っ子は、事件とあらば食いつかにゃ損、みたいな勢いだからな。瓦版が大人気なわけだよ。


 私自身が瓦版のネタにされてからこのかた、数馬さんと連れたって歩くと、人の視線が気になってしょうがなかったけれど、別の大事件が起きたせいで、今日は私に目をとめる者もいない。人の噂も七十五日、というが、江戸っ子の飽きっぽさは予想以上だな。


 昼八つには往診が終わった。数馬さんのかわりに往診に行かなきゃならないば場面もあるだろうから、どういう患者さんがいるか、しっかり覚えておかないとね。


「おや、先生がた、これはこれはお揃いで」


 養生所に帰る道すがら、声をかけてきたのは巳之吉親分だ。隣には、下っ引きの平吉さんもいるぞ。


「ああ、巳之吉親分か。霞小僧の一件で、えらい騒ぎじゃないか。親分も平吉さんも、大変だろう」


 愛想よく話しかける数馬さんに、平吉さんがげんなりした顔で答える。


「へい、おっしゃるとおりで。なにせ、親分の人遣いの荒さときたら、地獄の閻魔様でもケツを捲くって逃げ出すくらいでさあ」


 疲労困憊といった様子の平吉さんを見て、巳之吉親分が苦笑する。


「まあ、そう言うな。なにしろ、これまで人を殺めてねえってんで、町方の旦那方も霞小僧のヤマにゃ、ちょっとは目をつぶってたが、今度はそうもいかねえ。何しろ、日高屋は腹に(やや)がいた御内儀まで、刀でぶすり、さ。ややもいれると、七人もの人間が殺されたんだ。外道の仕業たぁ、このことよ」


 刀、だって? 数馬さんと顔を見合わせる。盗っ人なら、持ち歩いてもせいぜい匕首(あいくち)だ。


「親分さん、刀傷で相違ありませんか。刀なんて持ち歩くのは、はなから押し込み狙いですよね」


 巳之吉親分は十手を肩にかつぎ、私の問いに渋い顔で答えた。


「おゆき先生、あっしもそこが引っかかってなんねぇ。俺が見ても、れっきとした刀傷でさぁ。どうも、霞小僧の仕業とも思えねえ。ちょうどいい、先生がた、もし時間があれば、ちょいと番屋まで顔を貸しちゃくれませんかね。おゆき先生は剣術の名人だし、金創も見慣れてる。仏の検分に立ちあってもらえりゃ、鵜木の旦那も助かるでござんしょう」


 金創、とは刃物による切り傷のことだ。数馬さんは、普段は剣など遣えない振りをしている。だが、巳之吉親分は、医者殺しの一件で養生所が敵に襲われたとき、数馬さんが剣を遣えることを見抜いていた。だが、表向きはあくまでも、私が曲者を全員斬った、ということにしてくれている。私たち三人だけの秘密だ。


 数馬さんの顔をちらっと見る。数馬さんは私に頷き返す。


「親分、わかった。番屋に行こうか、ゆきさん」


 数馬さんの返事を聞いた巳之吉親分は、表情を緩め、安堵する。


「ありがてえ、恩にきやすぜ。やい、平吉、俺は先生がたを案内するから、お(めぇ)は聞き込みを続けとけ」


「へい、がってん承知の助で!」


 勢いよく返事をすると、平吉さんは裾をからげて、猛烈な勢いで走り出した。やいやい、どいたどいた! と声を張り上げながら走る平吉さんの後ろ姿を、ポカーンと見送る。いやはや、絵に描いたような下っ引きだわ。初めて見たときも、てえへんだあ! って言いながら走ってたしな。


 呆気にとられている私に、巳之吉親分は苦笑いだ。


「こりゃ、とんだ騒がしいやつで。まあ、平吉は抜けているところもありやすが、まあまあ機転は利くし、あのとおり聞き込みの苦労を苦労とも思わねえ。役にたつ男でさあ。さて、参りやしょうか」


 そう言って、巳之吉親分に伴われ、私と数馬さんは番屋に向かった。なにか、手掛かりが掴めるといいな。

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