所轄の名物男
「あの……すみません」
課業が終わり、県警本部の入り口を出ようとしたところで、高木は後ろから呼び止められた。
「一日付で捜査一課に配属になった、神崎と申します。突然、申し訳ありません」
自分に向かって敬礼する男の五分刈り頭に、見覚えがある。
「ああ、君は……この前、相原の葬儀に来てくれていた……」
神崎、と名乗った男は、いかつい顔に似合わぬ、人懐っこい笑みを浮かべた。
「はい。相原君の同期です」
神崎という名には、聞き覚えがあった。
(入院中の有希を見舞ったときに、同期に面白いやつがいる、と聞いたな。たしか、神社の跡継ぎで、隔世遺伝で霊感があるとか、なんとか――そういえば、秋の人事異動で、所轄の名物男が来ると、誰かが言っていたか。面白半分に、霊感刑事って呼ばれている男だ。有希の同期のことだったのか)
断片的な情報が、高木の中で繋がる。
「そうですか。この間は、相原にお別れを言いに来てくれて、ありがとう。きっと、相原も喜んでくれたでしょう」
頭を下げかけた高木を、神崎は制止した。
「高木さん、そのことで少し、お話したいことがあるんです。このあと、お時間はありますか?」
霊感刑事などと呼ばれているが、意外に仕事ぶりは手堅く、真面目な人柄だと有希が言っていた。その男が、真剣な表情で、高木を見つめる。
(なにかよほどの事情があるのだろう)
高木は、頷いた。
「構いません。飯でも行きましょうか」
神崎を伴い、機動隊が行きつけにしている飲み屋に行く。個室もあるから、大っぴらには話せないことを聞くには、うってつけの店だ。
「神崎君は、何か飲みますか?」
高木自身は酒を飲まない。若い頃には先輩に飲まされもしたが、心身を澄み切った状態に保つには、酒は少々邪魔になる。
「では、お言葉に甘えて」
と、神崎は清酒を頼んだ。料理も幾皿か頼み、オーダーを控えた店員が部屋を出て行ったあと、神崎はおもむろに口を開いた。
「私は実家が神社でして……馬鹿な話、と思われるかもしれませんが、私の家系の者は、ちょっとした霊感があります」
(そうきたか)
高木は、穏やかな声で神崎に答えた。
「君も知ってのとおり、我々の業界には、そういう者もたまにいる。馬鹿な話、とは思いませんよ」
遺伝で霊感持ち、という人間に会うのは神崎が初めてだが、霊を見ることのできる警察官は、さほど珍しくもない。それに、有希からも、さんざん超常現象の話を聞いている。いまさら、霊感程度では驚かない。
「高木さんにそう言っていただけると、話しやすいです。あ、私だけ酒で申し訳ありません。頂戴します」
高木は、店員が運んできた清酒を、神崎の猪口に注いだ。神崎は軽く頭を下げ、猪口に口をつける。
「高木さん、この前の相原君の葬儀のときに、相原君が式場に来ていましたよ」
「ああ、やはりそうでしたか」
(有希のやつ、約束どおりだな)
生前、有希と葬儀の話を詰めていたとき、有希と交わした会話を思い出す。
「高木さん、私も葬儀の式場にいって、みんなにちゃんとお別れするよ。幽体離脱ができるくらいだもん、たぶん、死んだあとも、しばらくは霊になって動けるんじゃないかな」
「お前は義理堅いな」
「だって、みんなのおかげで、本当にいい人生だったもん。ちゃんとお別れしたいよ」
(――そういって、有希は朗らかに笑っていたっけ)
高木の反応に、神崎はほっとした様子だ。
「よかった。高木さんは、驚かないんですね」
「ええ、相原は義理堅いですから、きっと皆に最後の別れを言いに来ると思っていました」
「そうなんです。相原君、本当に嬉しそうに参列者の顔を見回していて。それと――高木さんが話されているとき、相原君が背中から抱きしめていました。あ、これをいうと、相原君に怒られてしまうかな」
そういえば、喪主として参列者に挨拶の言葉を述べているとき、背中がほんのり温かい感じがした。有希が小学生の頃、そうやって自分の背中に抱きついていたことを思い出し、高木は思わず笑みを漏らす。
神崎は、少しためらい――そして意を決した様子で、高木に訊ねた。
「高木さん、相原君の葬儀のあと、なにか体調に変化はありませんでしたか?」
神崎の表情は、真剣だった。猪口をテーブルに置き、高木が口にする答えを待ち構える。
(この男は……なにをそんなに、気にしているのだろう)
「いや、特に変わったところはないが……それが何か?」
「相原君の霊は、先ほど言ったように高木さんを抱きしめて――そのあと、ふと浮き上がり、淡い光に包まれて消え去りました。実家が神社ですから、私もいろいろな霊を見てきましたが、こんな綺麗さっぱり消えてしまう消え方は、見たことがありません。それに……」
神崎は、高木を凝視する。現世にある高木の姿ではなく、その向こうにある何かを見通すような、不思議な眼だ。
「相原君が消えたのと入れ替わりで、高木さんの身体も淡い光で包まれたんです。すぐに光は弱まりましたが……いまも、こうやってじっと見つめると、高木さんの身体の輪郭が、ぼんやりと光っているように見えます」
高木は、自分の両手を見つめて、指を曲げ伸ばしする。あたりまえだが、霊感などまったくない高木には、何も違いがわからない。
「やはり、何も変わったところはなさそうだ」
高木の言葉に、神崎は緊張を緩めた。
「いや、それならばいいんです。高木さんの周りに見える光、悪いものではないと思いますが……なにしろ私も、こういう現象は初めて見たものですから。すみません、ご心配をおかけするようなことを言ってしまって」
ひたすら恐縮する神崎を、高木は微笑ましく眺めた。
(この男、妙に思われるのを承知で、俺のことを心配してくれたようだ。いいやつじゃないか)
それにしても……自分のことはともかく、有希の霊が綺麗さっぱり消えた、というのが気になる。もしかすると、ゆきが生前に見ていたというビジョンと、何か関係があるのだろうか。いくら考えても、知りようもないことだが。
考え込む高木に、神崎は走り書きのメモを手渡した。
「高木さん、もし何かあったら、この電話番号かメアドに連絡をください。高木さんが気になさらないのなら、職場で声をかけてくださっても構いません」
高木は、そのメモを一瞥し、丁寧に折りたたんで財布にしまった。
「ありがとう。なにか、世話になることがあるかもしれません。そのときは、相談に乗ってください」
それから、高木と神崎は、一時間ほど故人の思い出話に花を咲かせた。
店を出て神崎と別れたあと、ひとり家路についた高木は、夜空を見上げた。白い満月がぽっかりと浮かんでいる。
(有希は……赤い月の世界に連れていかれたのだろうか)
赤い月光に照らされた、荒涼とした廃墟。有希はビジョンの中で、骸となって廃墟に横たわっていたのだという。師である杉が生まれ育ったという世界。その世界に、高木は想いを馳せる。
(あの赤い月の世界へと生まれ変われば、有希も思いっきり剣を遣えるだろうか)
両脚の自由を失っても、なお剣を振り続けた妹弟子の生き方を、高木は誇りに思っている。だが、あの事故さえなければ、有希はもっともっと思う存分、剣を振るえただろうと惜しむ気持ちが、高木にはあった。
(杉先生、どうか有希のことをお願いします)
そう心の中でつぶやき、高木はもう一度、月を見上げた。




