ただじゃおかねえ
今日の朝餉は、数馬さんの当番日だ。
「よし、遠慮せずに食ってくれ」
と笑顔で言われたものの、相変わらず、炊きあがった米には芯が残っているぞ。一口食べて、がっくりくる。これは……特訓が必要だ。でも、昨日連れて行ってもらった屋台の寿司は、絶品だった。特に、穴子と卵は思い出しただけで、よだれが出てくるよ。
思わず思い出し笑いをする。それを見た数馬さんが、なにを勘違いしたのか、
「いやあ、俺が炊いた飯を、そんなにおいしそうに食べてくれるとは思わなかったよ」
と口走り、思わずむせる。ううっ、本当に、この炊き方でいいと思ってるのかい。
朝五つを少し過ぎて、弥助さんがやってきた。養生所の建屋の修理、というのが表向きの用件だ。
数馬さんは、
「おはよう、弥助さん。よろしく頼みます。ゆきさん、俺は薬草園にいるから、何かあったら呼んでくれ」
と言って、席を外す。
その後ろ姿を見送ったあと、弥助さんは私に話しかけた。
「ふん、気をきかせやがったか。どうでえ、おゆき坊、そっちの首尾は?」
少し離れると聞き取れない、忍び独特の話術だ。
「医者殺しの件、巳之吉親分にも裏をとってもらってる。あと――数馬さんは、裏がとれたら、薬事奉行の黒田を斬るつもりだよ。そのときは、私も一緒に行く」
「そうかい。まあ、おゆき坊なら心配ねえと思うが、十分に気をつけるんだぜ」
「うん、ありがとう。弥助さんもね。あとね、昨日聞いたんだけれど、数馬さんは子供のころ塚田千之助殿に命を助けられて、剣を教えて貰っていたんだって。塚田殿が亡くなったことを教えたら、寂しそうにしていたよ」
これには、さすがの弥助さんも驚く。
「なんだって、そりゃ本当かい。もし本当なら、あながち俺たちと赤の他人って訳でもねえ。塚田様の剣は一度しか見たことがねえが、確かに剛剣の遣い手だったぜ。塚田様の縁の者なら、新八がさぞかし喜ぶだろうよ」
弥助さんは新八さんの従兄だ。新八さんの両親が早くに亡くなったので、弥助さんと新八さんは、実の兄弟のように育った。弥助さんは新八さんを弟のように可愛がっているし、新八さんも「弥助のあにい」と呼んで慕っている。
「その数馬って野郎、信用できるかどうか、もう少し見極めさせてもらうとするか。おゆき坊、黒田の件、ほかに俺たちの手が必要なことはあるかい?」
「ううん、あとはこっちでやるから大丈夫だよ。また、なにかあったら、このまえ打ち合わせた方法で、連絡する」
「ああ、わかった。じゃあ、俺は仕事にかかるぜ。お前は数馬を呼んできな。いつまでも俺たちに気を利かせて外にいたんじゃ、奴も仕事になんねえだろう」
そう言って、弥助さんは道具を広げると、手際よく建屋の修繕にとりかかった。
「わかった。呼んでくるね」
数馬さんは、薬草園の奥で、自生している薬草を摘み取っているところだった。
「なんだ、もういいのかい?」
「うん、弥助さんも、気を利かせてくれてありがとう、と言っていたよ。あとは修繕の仕事をするだけだから、戻ってきても大丈夫だって」
新八さんのことは、まだ言わないでおいた。昨日、塚田様の供についていた人から聞いた、と数馬さんには言ったけれど、それ以上は数馬さんも聞かなかったしね。
「そうか。じゃあ、そろそろ戻らせてもらうとするかな」
数馬さんと連れたって、養生所の建屋に戻ると、ちょうど巳之吉親分がやってきて、弥助さんが挨拶をしているところだった。
「ああ、若先生とおゆき先生、ちょいと邪魔しやすぜ。まずは悪い報せだ」
なんだろう? 数馬さんと顔を見合わせる。巳之吉親分は、渋い顔で言葉を続けた。
「おゆき先生がひっ捕らえた侍、あれから大番屋にしょっぴいて行かれたんですがね。さあ大番屋についたぜってところで、ばたっと倒れて、そのままお陀仏だ。鵜木の旦那によると、下手人が使ったのは、毒の吹き矢だろうって話ですぜ」
数馬さんと顔を見合わせる。
「せっかくの生き証人を殺められちゃ奉行所の沽券にかかわるってんで、与力の旦那がすっかりおかんむりでさあ。西町の奉行所は、下手人をあげるのに、上を下への大騒ぎだ」
うわ、なんてこった。毒の吹き矢を町中で使ったとなると、それなりに手練れの忍びが、敵方で動いているということだな。
「あと、昨日、先生がたに頼まれた件ですがね」
といい、巳之吉親分は懐から書きつけを何枚か取り出し、そのうちの一枚を数馬さんに手渡した。
「まず、杉原先生のとこだが……例のキノコの薬ってぇのを出されていたのは、全員、ある程度裕福な商家や侍だ。薬礼も、それなりの額だ。杉原先生のところには、貧しい庶民や浪人者もの沢山かかっていたが、そっちのほうは薬礼もただ同然、ってとこで」
薬礼、とは医者に支払う謝礼のことだ。数馬さんの持つ書きつけを覗き込む。
「どうですか?」
数馬さんは、書きつけにざっと目を通し、頷いた。
「思ったとおりさ。杉原先生はおそらく、裕福な患者には賦血霊茸を使った薬を出して、その薬礼で得た利益をもとに、貧しい患者を治療するのに必要な元手を捻出していたんだろう。人格者とうたわれた杉原先生らしい、はからいさ」
数馬さんの言葉に、巳之吉親分はほっとした表情になる。
「やっぱり、そういうことですかい。いや、あっしもね、杉原先生のことだ、きっと汚ねえヤマに足をつっこんでいる訳じゃねえだろうと信じていたが、今の若先生の話をきいて、俺の見る目はやっぱり間違っちゃいなかったって、安心しやしたぜ」
「それで……その、キノコの薬を出された患者には、注意を?」
巳之吉親分のことだから、ぬかりはないだろうけれども、念のため尋ねる。
「へえ、薬を出された連中には、飲みすぎると毒だから、杉原先生に指示された通りに飲むよう、念を押しておきやした。また、往来のど真ん中で乱心騒ぎでもおこされちゃ、かなわねえ。あとね、ついでにといっちゃあなんだが、中井先生と、田崎先生の患者も、同じように、出された薬をしらみつぶしに当たってみたんですがね」
そういって、巳之吉親分は、残りの書きつけを数馬さんに手渡した。
すごいな。この巳之吉親分、仕事がとんでもなく早い。
数馬さんは、書きつけを私に見せて、説明する。
「ゆきさん、ごらん。中井先生は滋養強壮の薬、田崎先生は強心の薬、と種類こそ違うが、二人とも杉原先生と同じように、裕福な患者からはしっかり薬礼を貰い、その分を貧しい者たちの治療に充てている。殺された三人の医者たちは、おそらく、独自に希少な薬種の仕入れ先を確保していたんだろう」
それを聞いていた巳之吉親分が、口を挟む。
「話の途中ですいやせん。するってえと、殺された三人のお医者の先生がたは、みな、貴重な薬を患者に出していたってえことですかい?」
「ああ。それも、これを見る限りは、法外な薬礼ではないな。薬種の希少さでいけば、ちょいとイロをつけた程度の、妥当な値だろう。みな、評判どおりの立派な医者さ」
数馬さんは、三枚の書きつけを巳之吉親分に返しながら、説明する。巳之吉親分は、難しい顔をして、腕を組む。
「すると、薬種絡みのヤマって線ですかい。養生所も、薬草園を抱えている宝の山だ。おおかた、薬種の利益を狙っての殺しってとこでしょうが――こいつはちょいと厄介だ。どこぞの薬種問屋あたりが絡んでいるんだろうが、いくら大店とはいえ、一介の商人がはれるヤマじゃねえ」
巳之吉親分は、聞こえるか聞こえないかくらいの声で付け加えた。
「お大名や、大身のお旗本あたりが絡んでいた日にゃ、町奉行所は手も足もでねえ」
巳之吉親分の読みは、核心をついている。驚いた。思っていた以上の、切れ者じゃないか。
「巳之吉親分、俺もそう思う。だから、巳之吉親分も深入りしすぎないほうが、いいかもしれないぞ。なにしろ、徒党を組んで養生所を襲うような、見境のない連中だ」
数馬さんは、本気で巳之吉親分の身を心配している。その気持ちを察したのだろう、巳之吉親分は数馬さんに向かって頷き、その背中をポンと叩いた。
「命あっての物種だ。あっしも、無理はするが無茶はしねぇ。若先生も、無茶だけはしなさんなよ。この一件、鵜木の旦那に報せて、あとは奉行所に任せるといたしやしょう。じゃあ、あっしはこれで」
そう言い残し、巳之吉親分は帰っていた。
私たち三人が話している間も、弥助さんは黙々と修繕の仕事を続けていた。
血のしみ込んだ壁を削り、塗り重ねる。天井の血も、板を一度外してから表面にかんなをかけて薄く削り取り、また元の位置に戻す。みるみるうちに、血で汚れた建屋が、綺麗になっていく様子をみて、数馬さんが驚く。
「弥助さん、見事なものだな。これならば、弥助さんの言っていたとおり、三日で終わりそうだ。助かるよ、ありがとう」
数馬さんの率直な誉め言葉に、弥助さんはにやりと笑った。ううむ。弥助さんてば、なんでえ、やっぱり青臭え……なんて思ってるんだろうなあ。
「とんでもねえ。あっしはこれが本職ですんで。それはともかく、若先生、おゆきさんと話があるなら、ここでしていただいても大丈夫ですぜ。なあに、ここで見聞きしたことは、おゆきさんの許しがない限り、金輪際、口外いたしやせん。なあ、おゆき坊?」
突然、話を振られて、焦る。
「う、うん! 数馬さん、弥助さんには一通り話してあるから、聞かれても大丈夫だよっ」
数馬さんは、私と弥助さんの顔を見くらべながら、
「本職、ねえ……」
と、つぶやく。弥助さんの、見え見えの嘘に、釈然としない様子だ。
「俺は、なんだか弥助さんに、からかわれている気がするよ」
その台詞を聞き流して、弥助さんは黙々と仕事を続ける。まあ、数馬さんを揺さぶって、反応を見て楽しんでいるんだと思う……数馬さんには言えないけど。
気をとりなおした様子で、数馬さんは口を開いた。
「まあ、それはさておき、だ。ゆきさん、さっきの書きつけにあった、中井先生と田崎先生が患者に出していた薬のことだけどね。どの薬も、中井屋の帳簿の写しに書いてあった薬種が、原料なんだ」
「数馬さんの読み、裏がとれましたね」
思わず、声が弾む。数馬さんの顔にも、会心の笑みが広がる。
「ああ。もう一押しさ」
んんん?
「もう一押しって?」
なんだか嫌な予感が……するぞ。
弥助さんが、ふと手をとめて、数馬さんに呼びかけた。
「若先生……いや、俺も、数馬さんて呼ばせてもらうことにするぜ。さっきの巳之吉親分の台詞じゃねえが、無茶だけはしなさんなよ。
俺は、あんたに会わせてえ奴がいる。あんたに死なれちゃ、そいつも……おゆき坊も、悲しむからな」
数馬さんは、怪訝な顔で問う。
「会わせたい人ってのは、どこの誰だい?」
「悪いが、今は言えねえ。まあ、俺も、あんたを信用できるかどうか、値踏みしている途中だからな。だが、うちのおゆき坊は、お前さんのことが、すっかり気に入っちまったようだぜ」
ちょ……っ、な、なに言ってるんですかっ!
「おゆき坊はな、まだ歳は若ぇが、腕は立つし度胸もある。その、おゆき坊が、お前さんのことを守りたいから、傍にいてえんだとさ」
いや、そんなこと、言ってない。言ってないぞ……弥助さん……
「まあ、言い出したら梃子でも動かねえのは、父親の冴木様ゆずりだ。堪忍してやっておくんなせえ」
狼狽し、口をパクパクと開け閉めする私を後目に、弥助さんは言いたい放題だ。うぬぬ。これでは、数馬さんがからかわれているのか、私がからかわれているのか、わからぬではないか。
「だがな、数馬さん……もし、お前さんが、おゆき坊を泣かせるような真似をしやがったら……」
弥助さんが、さっと右手を一閃すると、数馬さんの足もとでカカカッとキツツキが木を穿つような音がして――五本の釘が、きっちり一寸ずつの間をあけて、床に刺さっていた。数馬さんは、ぽかーんとそれを眺めている。
「そのときは……ただじゃおかねえ」
ぎろっと数馬さんを一瞥して、弥助さんは仕事に戻り、黙々と手を動かし始めた。
いや、なに、この展開。弥助さん、怖い……怖いよ。普段、寡黙でおとなしい人が、いったいどうしちゃったの。




