なにかあったら、すぐ本官に連絡を
新学期が始まってからは、学校が始まる前に道場の掃除を手伝い、学校が終わったら先生のところに寄って、剣の練習を続けた。十月になってからは、少しずつ、型や組太刀を教えて貰うようになった。
先生の教える剣術には、流派の名前がなかった。一度、訊いてみたことがあったけれど、
「わたしのは、我流ですから」
と、一言で済まされちゃったよ。
来る日も来る日も、先生相手に基本動作を何度も何度も練習した。もともと長く集中できるたちだったし、先生が何かにつけて褒めてくれてくれるのが嬉しかった。某国民的時代劇でタダスケを演じていた俳優に、先生がちょっと似ていたのも嬉しかったかな。
夜、誰もいない自分の家に帰ってからも勉強はそこそこに、剣のことばっかり考えていたっけ。どうすれば先生のような動きができるか、とか、高木さんはどうしていつも打ち込まれるのか、とか。剣術バカの小学生、ここに誕生だ。
時代劇は相変わらず好きで見ていたよ。毎日のように、ゴールデンタイムに時代劇を放送していた時代だ。いつも、一人で作った夕食を食べながら、時代劇を鑑賞した。
くノ一にレオタードと網タイツってどうよ、と思うけど、細かいことはいいんだ。サービスがないと、視聴率がとれないんだ。それに、このくノ一様のお陰で、こちとら毎日風呂に入れるようになったんだ。足を向けて寝られないぜ。
三味線の糸が狙ったとおり飛んでいって吊し首にするのも、浪漫だ。浪漫。
某家電メーカー枠の時代劇の密偵って、番組が変わっても同じ人なんだよな。義賊系の密偵ってああいう顔じゃなきゃダメなんだぜ、って先入観ができちゃったぞ。
かくして剣術バカの小学生は、時代劇まみれのまま地元の中学に進学し、四月から大人達の練習に参加させてもらえるようになった。
その初日、高木さんに組太刀の相手をして貰ったときのことだ。高木さんは、かなり加減してたっけ。これでは練習にならないな……と思い、思い切って高木さんに言った。
「すみません、全力で打ち込んでいただけますか?」
高木さんは横で見ている先生が頷くのを一瞥して、木刀を構えなおした。
「じゃあ、遠慮なくいくぞ」
高木さんが地を蹴り、私の頭をめがけて真向から打ち込んだ瞬間、私の木刀の切っ先三寸は高木さんの首筋に押し当てられていた。
「え?」
「……え?」
高木さんだけでなく、思わず私まで呆けた声を出したのは、あまりにもあっけなかったからだ。
「ごめん、もう一回打ち込んでもいいか?」
「は、はい……」
打ち込みが袈裟だろうが貫胴だろうが、結果は何度やっても同じだった。
「いやあ、さすが先生の内弟子だわ。末恐ろしいな」
と、汗びっしょりになった高木さんから言われたけれど、予想外に褒められて動転した私は、いやいや、住み込んでいないから内弟子じゃないですよ! ちゃんと自分の家に帰っていますよ! まあ、月謝払っていないし、畑仕事は手伝っていますが! と猛烈な勢いで言い返して、高木さんに苦笑されたっけ。
「まあ、それはさておき、中学では剣道部に入るのかい?」
「一応、剣道部の練習を見に行きましたけれど、自分がこうしたいというのと、何か違うといいますか……」
「後の先が高段者顔負けだから、剣道でもいいとこ行くと思うんだけどなあ」
心底惜しそうに高木さんに言われたけれど、結局私はずっと帰宅部だった。
隣町にある市立高校に進学したあとも、剣術の練習は毎日続けた。先生には、相変わらず一本も打ち込めなかった。越えられない壁ってやつだ。先生には勝ちたい、という気持ちの先走しりがダメです、と言われたのだけれど、高校生には難しい注文だよね。
なお、彼氏はいなかったぞ。
「素材はいいんだから、化粧くらいしろよ。警察の後輩、紹介するぜ?」
と、いつも高木さんにからかわれていたけれど、剣客商売のヒロインのごとく
「自分より強い人とじゃなきゃ、嫌なのであります。きりっ」
と答えて、二人でゲラゲラ笑いあったのは、楽しい想い出さ。
高校になる頃には、先生と高木さんのおかげで、幼少時からのコミュ障がかなり改善していたと思う。そうすると、なぜか女子の下級生からラブレターを貰うことが増えて、閉口した。どうすんだ、これ。
父と母は私が高校一年生のときに離婚した。父の女性問題が原因だ。この町に引っ越してきて以来、母とも兄とも会っていなかったので、特に感慨はなかったよ。
高校二年のとき、進路を決めなければならなくなって、高木さんに相談した。高校を出たら、警察官になろうと思ったんだ。早く就職して、経済的にも自立してやる、ってね。
「悪いこと言わないから、大学は出とけよ」
「でも、大学にいくと先生のところには通えないし、学費の問題もあるし……」
「国公立の大学なら学費はぐんと安いし、それに成績も学年で二、三番だろ? 入学金や授業料の免除も狙えるし奨学金もあるから、どうにでもなるよ」
大学に進学する決心がついたのは、先生からも勧められたからだ。
「高木君のように剣道の特練ではいるならともかく、剣術では食べていけません。手に職をつけるべきです」
特練とは警察の術科特別訓練のことで、剣道や柔道などの術科の強化選手を特練員という。通常の警察官としての勤務はあるものの、剣道の練習に専念しやすい環境だ。ただし相当な狭き門であり、剣道ならばインターハイや全日本学生選手権で優秀な成績を残していることが必要だ。高木さんは特練員で、三年前に全日本選手権で念願の初優勝を遂げていた。
結局、私は県を出て、国立大学の工学部に進学した。工学部に進んだのは、まあ、手に職をつけるため……かな。
高木さんは私が一人暮らしをするのに、細々とアドバイスをくれた。都会はあぶないから戸締りをしっかりしろ、とか、ちゃらい男にひっかかるな、とか。
「今も父親が帰ってこないから、一人暮らしですよ。楽勝ですよ」
「馬鹿! お前、都会の怖さを知らないんだ! いいか、お前みたいな田舎育ちの世間知らずが都会にいったら、あっという間にひん剥かれてまわされて……」
「ちょっ……なんつーこと言うんですか!」
言ったほうも言われたほうも、顔が真っ赤だ。
「……だ、だからな! なにかあったら、すぐ本官に連絡を……」
「あ! いま本官、っていった!」
「う、うるさい!」
高木さんは、なんだかんだで面倒見がいい。私が小学生のとき、今日は非番だから、といって父兄参観に来てくれたことがある。誰のお父さんかしら、ずいぶん若いのね、あらやだかっこいいわ……と、同級生のお母さまがたが騒然としていたな。かっこいいか? 見慣れているから、わからないや。当の本人は、
「俺、こんなでかい子供がいるくらいオジンに見えるのかなあ」
って、しょげていたっけ。
大学に入学してすぐに、体育会の少林寺拳法部に入った。警察官になるにも、武道系の体育会に入って大会でいい成績を出せば試験で有利だと、高木さんが教えてくれたからね。それに、うちの大学はスポーツ推薦がないにも関わらず、少林寺拳法部が全国レベルの強豪校だったのだ。
れっきとした強豪校だから、もちろんみんな大会で成績を残したくて練習を頑張っているのだが、かたや私はというと、
――関節技や投げ技は、無刀取りと組み合わせたらかなり使えそうだなあ……芸者系隠密同心ぽいぜ
とか、
――うーん、突きや蹴りを剣と併用するのは難しいだろうなあ。某アクションクラブの忍者軍団、すごいわ……よーやるわ……
なんてことを考えていた。うぐぐ。不純で面目ない。
二十歳の誕生日に父親の戸籍から抜けて、大学を卒業したあとは、地元に戻って県警に入職した。高木さんの後輩だ。警察学校は全寮制で最初は外出禁止だったけれど、しばらくすると週末の外泊ができるようになったから、先生のところに毎週通った。先生には相変わらず打ち込めなかった。高い、高い壁さ。
私が現場実習を終えて交通課に配属された年に、高木さんが剣道の全日本選手権で二回目の優勝を遂げた。四十歳になる高木さんの優勝は、かなり異例だ。
「この歳で優勝できるとは思わなかったですよ」
と、先生の家でちょっとしたお祝い会をしたときに、高木さんは謙遜していたけれど、高木さんが強くなり続けていることを、私はよく知っている。中学のときには、高木さんと十回立ちあって、私は一本も打ち込まれなかった。今は、十回やって七本は打ち込まれる。なによりも、先生と立ちあっているときに感じるような凄みを、高木さんの剣から感じるようになったもん。
そして、大人になって、不思議に思ったことがある。
アキレス腱や腕の腱を斬ってから、頸動脈に斬りつける連撃の技があるんだ。子供の頃から、攻撃の精度をミリ単位で指導されたよ。骨まで斬ると、何人も相手にしているうちに、刃こぼれしたり切れ味が落ちるから、だそうだ。あと、相手の攻撃を自分の剣で受け流す動きもない。これも、自分の刀を温存するためだ。
先生は、流派の名前もない我流の剣術、っていっていたけれど……刀を持っての乱戦がない現代の日本で、なんでこういう剣術を思いついたんだろう。
先生に訊こう訊こうと思ったけれど、訊きそびれちゃったな。
……あれ? なんで訊けなかったんだっけ……ああ、そうか……