深えわけ
日没後半刻も経つと、武家地は闇に包まれる。黒田の屋敷を抜け出たあと、人目を避けながら養生所への道を急ぐ。
黒田の手先が、まもなく養生所を襲撃するだろう。いくら数馬さんの腕が立つといっても、複数の人間を相手にしながら、三好先生を守り切るのは難しい筈だ。一対一の立ち合いではそこそこ遣う武芸者でも、多人数を相手の乱戦だと実力を発揮できない例は、枚挙にいとまがない。
なにしろ、私が数馬さんの腕を実際に見たのは、さきほどの大原という頭巾の侍を相手にしているところだけだ。このときの数馬さんは無手だったし、実際に剣を持った数馬さんがどれだけの腕前なのか、確実なことはわからない。
私がこんなにも不安なのは、そのせいか?
いや――それだけじゃない。
今日、養生所で患者を診る数馬さんを隣で眺めていて――江戸の町の人達を慈しみ、寄り添い、力になろうという姿に、一遍の偽りもなかった。そのときは数馬さんの正体を知らなかったけれど、この人を信じたい――そう思ったんだ。数馬さんを、死なせちゃいけない。
養生所に着くと、もう門は閉じられていた。門を叩くと、泊まりの中間が出てきて、私の顔を見て門を開けてくれた。
「三好先生と若先生は?」
私が血相をかえて問うと、その気迫に押された中間は口ごもって診療室を指さす。まあ、三好先生も抱き抱えて戻ってきた数馬さんも、血だらけだったから、この中間もさぞかしびっくりしたことだろう。
礼もそこそこに、診療室に飛び込んだ。中には、三好先生が寝かされており、その傍らに数馬さんが座っていた。三好先生は、血の気が失せた顔色だったが、呼吸はしっかりしており、規則正しい。
「ゆき……さん?」
数馬さんの小袖は、三好先生の血で汚れたままだった。その顔に笑みはなく、朗らかな雰囲気は影を潜めていた。どことなく、憔悴の色が見える。
数馬さんは、三好先生が斬られたことで、自分を責めているのだろう。そんな数馬さんにかける言葉が見つからず、私は黙って数馬さんの隣に座り、手早く三好先生の右腕を見る。さらしで圧迫止血されており、出血はすでに止まっている。
血管の損傷はない。筋肉は一部断裂しているけれども、他の筋肉で代替できる程度だ。だが、神経が一本、完全に切断されている。この神経が断裂すると、指や手首がだらんと垂れ下がる『下垂手』という状態になってしまう。利き手か……あまりよくないな。でも、とりあえず緊急の処置が必要な状態じゃない。あとは、三好先生の体力次第だ。
右腕の傷をさらしで覆いなおして、数馬さんの顔を見る。
「これは、ゆきさんのか?」
数馬さんは穏やかな声で、懐から棒手裏剣を取り出し、私に見せた。頭巾の侍――大原の右の拳を砕いた、手裏剣だ。
その問いに黙って頷き、話を続けようとした数馬さんを手で制する。
「数馬さん、話は後だよ。さっきの頭巾の侍のあとをつけて、親玉の屋敷を突き止めたんだ。親玉は、黒田って呼ばれていた。連中、すぐに手勢を集めて、三好先生と数馬さんを殺しにくるよ」
自然と、敬語ではなくなっていた。
数馬さんは、すぐに状況を飲み込み、唇を引き結んで頷く。
「わかった、ゆきさん。すまない、厄介なことに巻き込んでしまった。ここは危険だから、養生所から離れて、巳之吉親分に知らせてくれ。ここは、俺がどうにかするから」
うーん、その話は、ちょっと飲めないな。
「数馬さん、だめだ。連中、何人で来るかもわからない。三好先生のこの状態では、養生所から動かすわけにもいかない。巳之吉親分に知らせに行っている間に、連中が来たら終わりだよ。私もここに残る。巳之吉親分のところには、中間の与一さんに行ってもらおう」
だが、私の返事を聞いても、数馬さんは、ためらうような表情だ。
「数馬さん、大丈夫だ。大丈夫だから」
数馬さんは私の眼を見て――深く息を吐き、頷いた。
「わかった。ゆきさんは三好先生の傍で、先生を守ってくれ。外からくる敵は、俺が食い止める」
そうこなくっちゃ。
「うん、三好先生の布団、守りやすい位置に動かすよ」
「頼む。俺も、支度をする」
与一さんに巳之吉親分を急いで呼んでくるよう頼み、送り出す。
長屋から戻ってきた数馬さんは、定寸の大刀を帯に手挟んでいた。両の腕には、細い鉄の板を縫いつけた、手甲をはめている。
床に耳をつける。十人くらいの足音が、早足でこちらに向かってくるのが聞こえる。忍びではないな。侍だろう。
「数馬さん、敵が来たよ。たぶん侍、ざっと十人くらい」
診療室の入り口の前に陣取り、数馬さんに状況を伝える。
「わかった」
数馬さんは刀を抜き、養生所の戸の内側に立った。いつもの朗らかで柔和な印象はあとかたもなく消え去り、眼光鋭く敵を待ち受ける。
驚いた。まるで別人じゃないか……
見たところ、引き締まった体躯には、どこも力みがなく、気負いも感じられない。やはり、かなりの場数を踏んでいるな。
敵の足音は、もはや床に耳をつけなくても聞こえるほど近くに来ている。養生所の前で、ぴたりと足音が止まり、中の様子をうかがっている気配がしたあと――養生所の戸が蹴破られ、敵がなだれこんできた。
みな頭巾で顔を隠しているが、恰好をみるに、雇われ浪人などではなく、黒田の配下のものだろう。
先頭に立った男は、抜き身を下げた数馬さんが目の前に立ちふさがっているのを見て、一瞬とまどったように動きを止めた。その刹那――数馬さんの右下段からの一閃が、男の胴を薙ぎ、男の胴は背中の皮一枚を残して両断された。
斬られた侍の後ろに立っていた男は、目の前で起きた出来事を理解できず呆然と立ち尽くす。数馬さんはそのまま、一歩踏みこみ、返す刀で敵の首を跳ね飛ばした。骨を断たれた首が、おかしな角度にぐにゃりと曲がり、切断面から血が噴き出した。
その破壊力に、さすがの私も唖然とする。なんだこりゃ。とんでもない剛剣じゃないか。
こういう剛剣の遣い手は攻撃重視で、攻撃こそ最大の防御、とばかりに守りが手薄になりがちだけれども、さきほどの大原との立ち合いで見たとおり、数馬さんは守りも手堅い。しかも、動きながらの斬撃で皮一枚、きっちり斬り残しているあたり、一撃の精度も高い。よく練られた剣だ。
――数馬さんは、強い。
そう心の中でつぶやき、胸をなでおろす。これなら、私が心配する必要もないや。自分の役目に、専念するか。
一瞬のうちに仲間二人を斬られた敵の一味は、色めきたった。
「こやつ、手強いぞ。一対一の立ち合いは避けろ!」
「三好の周りは、女が一人だけだ。男を三人で囲め! あとは三好と女を始末しろ!」
首領らしき男の指示で、敵がぱっと陣形をとる。動きの統率は、よくとれているな。正眼に構えた三人の敵に囲まれた数馬さんは、壁を背にじりじりと後退する。
診療室の入り口には、四人の男が向かってくる。診療室の奥の壁際には、三好先生を寝かせてある。診療室の入り口を、死守しなきゃ。
ふと数馬さんを見ると、こっちを気づかわしげにチラチラと見ている。
――まったく、もう。心配ないって言ってるのに。
「こっちは心配ない!」
ついつい、荒っぽい口調になってしまう。桐生の里では、皆に背中を任せてもらっていたから、こういう風に気遣われると、なんだか信用されていないような気がするんだよね。まあ、私も数馬さんが心配でチラチラ見ているから、お互い様、か。
左手の親指で鯉口を切りながら、軽く膝を曲げて腰を少し沈ませる。
先頭の男が真っ向から斬りかかってくるのに合わせて、抜き打ちで喉元に一刀を浴びせる。鞘走る音とともに、敵は頸動脈を断たれ、その場に崩れ落ちた。そのまま右に飛び込み、右の手首の腱を断ち切って攻撃を封じ、切り返して頸動脈を跳ね飛ばす。
意識を刈り取られた男の身体を、三人目の男に向けて蹴り飛ばす。仲間の身体がぶつかり、三人目の男がたたらを踏んでいる間に、四人目の男の頸部に斬りつけ、そのまま三人目の男の背後に回り込み、小袖の襟をとって喉ぼとけの両脇を圧迫し、締め落とす。
懐から細引きを取り出し、昏倒した男の手足を手早く縛り上げる。数馬さんのほうを見ると、ちょうど最後の一人を左の肩口から斬りおろしたところだった。剣風を感じるほどの、すさまじい一撃だ。
数馬さんは血振りをして、刀身を懐紙でぬぐいながら声をかけてきた。
「ゆきさん、終わったか?」
「うん。三好先生も無事だよ。一人は斬らずに生かしておいたから、こいつから親玉の話を聞き出して、そのあとに巳之吉親分に突き出そう」
数馬さんは目を丸くした。
「いや……手際がいいな。俺はそういう加減ができなかった」
「一人いれば、大丈夫だよ。じゃあ、こいつを起こそうか」
縛り上げた男に活を入れと、男はうめき声をあげながら頭を振る。
数馬さんが男の頭巾をむしり取り、襟首を両手でつかみ、揺さぶる。
「おい、誰の差し金だ。言え!」
男は三十代半ばくらいか。男が口ごもっていると、数馬さんは男の右頬を平手で殴りつけた。
「言わぬつもりなら……」
数馬さんは、男の左右の頬を、何回も何回も平手で殴りつけた。見るからに、一発一発が重い。うわあ……容赦ないぞ。
「う……や、薬事奉行の黒田様……」
男は、そうつぶやくと、再び意識を失った。
「数馬さん、さっきの頭巾の侍を追って忍び込んだ屋敷でも、親玉が黒田って呼ばれていた。間違いないと思う。一連の医者殺しも、黒田が手を引いているみたいだ。三好先生を殺せば、医者殺しもようやく終わりだ、って言っていた」
数馬さんは険しい表情のまま、考え込む。目を伏せたその顔を見て、なにか……妙な既視感があった。なんだろう? だが、奇妙な感覚はすぐに消えた。うーん、気のせいか、な。
「薬事奉行……か。だがなんのために、医者殺しを重ね、三好先生の命を狙ったんだろう」
「このまま町方に引き渡しても、評定所に上がるまえに握りつぶされると思う。黒田は、老中村上の一派だよ」
数馬さんが何か言おうとした瞬間、蹴破られた戸口から、巳之吉親分が飛び込んできた。
「先生がた、怪我はねえですかい?」
巳之吉親分は、室内の惨状に瞠目した。
「これは……この人数を、お二人で?」
数馬さんは、手で頭を掻きながら笑う。
「いやあ、ゆきさんはやっぱり、評判通りの腕前だな。俺は、見ているだけだったよ」
これまた……白々しい。ぽかーんとしている私に気がつき、数馬さんは目くばせをした。
しょうがないなあ。そういうことに、しておいてあげるか――と思ったところで、巳之吉親分は、数馬さんの刀と手甲をしげしげと眺め始めた。
ほら、数馬さんが『俺は剣術なんて物騒なことは、からきし駄目な男でな』なんて言っても、この状況みりゃ、巳之吉親分にバレバレですよう。だいたい、数馬さんが斬った敵と、私が斬った敵とでは、太刀筋が正反対だもん。私の剣が、とことん急所狙いだとするならば、数馬さんの剣は一刀両断の剛剣だ。ちょっとでも剣術の心得がある者が見たら、この侍達を斬ったのが私一人の仕業じゃないのは、一目瞭然だ。
巳之吉親分は、数馬さんに向かって、穏やかに語りかけた。
「なあ、若先生。昔みてぇに、ざっくばらんに言わせてもらうぜ。俺は、お前さんが十年前、ここの養生所のひよっこ医者だった頃からの付き合いだ。一年くれえでフラッとどこかに行っちまいやがったが、きっと深えわけがあるんだろう」
何食わぬ顔の数馬さんを前に、巳之吉親分は続ける。
「お前さんが凄腕の剣術遣いだってことは、この切り口を見りゃ、いくら俺だってわかるぜ。おおかた、ここに転がっている侍のうち四人はおゆき先生、五人はお前さんが斬ったってぇところだろう」
図星である。
巳之吉親分の話に耳を傾けていた数馬さんから、笑みが消える。それを見ながら、巳之吉親分は言い聞かせるように続けた。
「お前さんがそれをおくびにも出さず、剣なんて遣えねえ、みたいな振りをしているのも、一年前に突然江戸に舞い戻ってきたのも、その深えわけってのに関係があるんだろうぜ。それが何なのか、俺には想像もつかねえ」
巳之吉親分の声は、穏やかだ。
「だがな、これだけは俺にも言えるぜ。お前さんは、ここらの裏長屋の連中にとっては、なくちゃならねえお人だ。いいお医者の先生が戻ってきてくれたって、みんな感謝しているぜ。そんなお前さんのことだ、連中を裏切るような悪事に手を染めてるなんてこたぁ、金輪際ねえだろうよ」
右手に持った十手を肩に担ぎながら、巳之吉親分はにっこりと笑った。
「俺はこれでも、人を見る目には自信あらぁな。だから、お前さんが困るようなことにはならねぇよう、俺ができるかぎりのことはするぜ。ま、安心してくんねぇ」
数馬さんは、困ったような、泣きそうなような、なんとも言えない表情になる。
「親分、すまない。もしかすると、それで親分に迷惑がかかってしまうかもしれない。もしそうなったときには、遠慮なく俺を売ってくれ」
「ああ、そうならないように、願ってるぜ」
巳之吉親分は、数馬さんの肩をポンと叩いた。
「なあ、若先生、昔は正直、なんでぇ、ひょろひょろ頼りねえ若造だなぁ、って思っていたが――本当に、いい面構えになりなすったな」
巳之吉親分のその言葉に、数馬さんは少し微笑んだ。
「そうか……ありがとう、親分」
巳之吉親分は、もう一度数馬さんの肩を軽く叩いて、頷いた。
「さて、そろそろ捕り方が来る頃だ。若先生、その恰好をどうにかしたほうがいい」
「わかった。親分、ゆきさん、すぐ戻る」
数馬さんは手甲を外し、刀を長屋に置きに行った。
そうだ、この隙に、巳之吉親分に聞いておくか。
「親分さん、この間の早川って侍、その後、どうなったんですか?」
「ああ、あれからすっかり正気に戻ったのはいいが……噂では、腹を切れというご沙汰が下ったとかなんとか」
「そう……ですか」
「なんでも、早川には祝言をあげたばかりの御新造さんがいて、罪人の身内になるよりは、と早川から申し出て、もう離縁をしたって話だ。
まあ、さんざん人を斬ったうえに、西町同心の篠田様まで斬ったとあっちゃ、腹を切るくらいですみゃ、お咎めとしては、とんでもなく軽いほうたぁ思うが。なんにしても、やるせねえ話ですぜ」
巳之吉親分は、肩をすくめた。
薬による錯乱状態とはいえ、あれだけの人数を斬ったのだ。罪人として辱めを受けるよりは、侍としての作法にのっとって死ねるだけ、早川にとっては、ましかもしれない。
だが、祝言をあげたばかりという御新造さんの心中を思うと、胸が苦しくなる。例に漏れず見合い結婚だろうが、そこに、夫婦としての情がもう育まれているのか、ただ武家としての体面があるのかは、私にはわからない。だが、離縁したところで、人斬りの妻だったという事実は消えず――二十歳前の若い娘がこれからの人生で背負っていく烙印としては重い。
「ん? どうした、親分もゆきさんも、暗い顔をして」
診療室に戻ってきた数馬さんが、巳之吉親分と私が醸し出す沈鬱な雰囲気を感じ取り、怪訝な顔をする。
「ああ、若先生。例の乱心した早川って侍の話を、おゆき先生としていましてね。そういえば……若先生が言っていた毒キノコの薬かどうかはわからねえが、早川は、このあいだ殺された杉原長按先生のところに通って、薬を貰っていたそうですぜ」
杉原長按先生――江戸に私が来た日の晩、殺された医者だ。その晩、私は長屋を抜け出した数馬さんの後をつけていき、杉原先生が殺された直後の現場をみた。
「杉原先生のところに? 本当か、親分」
「ええ、早川の御新造さんがよくできた人で、杉原先生のところで早川が貰ったっていう薬を、お上の取り調べのときに持ってきたってわけです。ちょうどいい、あとでその薬を預かってくるから、例の毒キノコかどうか、ちょいと調べてもらえやしませんかね。なにしろ、こんなことを頼めるような医者も、軒並み医者殺しに殺されちまって、頼れるのは養生所だけだ」
「そういうことなら、おやすい御用だ。今日は、養生所の中がこの有様じゃ仕事にならないから、いつでも大丈夫だよ」
数馬さんの快諾に、巳之吉親分はほっと胸をなでおろす。
「ありがてえ、若先生、恩にきるぜ。おっと、旦那が捕り方を引き連れて、来なすったようだ」
蹴破られた戸から養生所の中を覗き込んだのは、実直な役人という風体の、定町廻りの同心だった。
「なんだこれは」
同心は、屋内の惨状に絶句した。まあ、私が斬った相手はせいぜい血だまりを作っているくらいだけど、数馬さんが斬った相手は――まあ、胴体が一刀両断されていたりするからね。どういう状態か、お察しください、だよ。
数馬さんが同心にした説明は、こうだ。
――三好先生が供も連れずに外出しているところを遠目で見かけたので、世間を騒がせている医者殺しの件もあるから物騒だと思い、三好先生を追いかけていった。そうすると、いきなり頭巾の侍が現れて三好先生に斬りかかったので、石を投げて大声を出したら侍が逃げて行った。その後、養生所で三好先生を看病していたら、いきなりこの侍連中に襲われた。この連中に見覚えはない。
……うーむ。やたらあっさりしすぎてはいるが、あらすじとしては、間違っちゃいない。
同心は、数馬さんの説明に納得したようだった。
「とんだ災難だったな。中がこの様子では、養生所の仕事にも支障がでようが……どうする?」
鵜木、という名前のその同心は、意外に心遣いが細やかだった。数馬さんは、少し考え込んだあと、答えた。
「医者殺しの件が解決しない限りは、この養生所も、またいつ襲われるかもわかりません。勘定方の白瀬様には出仕を控えていただき、中間や助手の者達には暇をとらせますしょう」
鵜木様は頷いた。
「なるほど、それもそうだ。養生所が襲われたのは、このあたりを取り仕切る奉行所の威信にもかかわることゆえ、中間の者たちにいい働き先が見つかるよう、俺からも口をきこう」
傍で聞いている私は、びっくり仰天だ。なんというか……いい人だな、としか言いようがない。見るからに実直そうな、鵜木という同心は、心底、養生所のことを心配してくれている。村上主膳が権勢を振るっている世とはいえ、奉行所の役人も捨てたものではない。それがわかっただけでも、今日はいい日だ。
やっぱりテレビ時代劇ファンとしては、奉行所には、こういう人情味のある役人がいてほしいもの、ね。『仏のなんとか』みたいな、二つ名があったら、こちとら飛び上がって喜んじゃうぜ。ここまでくると、西町の町奉行様の人となりにも期待してしまよ。いったいどんな人なんだろうなあ。まあ、村上主膳の失脚を狙っているという立場上、私がおおっぴらに町奉行様にお目にかかるって状況は、避けたいところだ。うーむ、残念。
その後、鵜木様は賊の躯をひとつひとつ検分し、終わった順に捕り方の小者が躯を運び出していく。 豪快な切り口の躯を見て、鵜木様が感嘆の声を上げた。
「ゆき殿といったか。これはまた……見事な腕前だな。巳之吉から、昨日の乱心騒ぎを起こした侍を取り押さえたのが、養生所の女医者だとは聞いていたが。体躯にあわぬ、剛剣よな。この腕前ならば、曲者が来ても、遅れをとることはそうそうなかろう。これなら安心だな、乾殿」
「ええ、ゆきさんがいれば百人力です」
にこやかに談笑する鵜木様と数馬さんの傍らで、いったい私はどういう顔をしていればいいのやら。
――結局、私が斬ったことになっているのである。いくら刃筋を立てても、手の内を締めても、私にはそういう剛剣は遣えないんだけどなあ。生け捕りにした侍から、数馬さんの仕業だとばれる可能性はあるが、おそらくあの侍は、町奉行所での取り調べはないだろうし、何かあったら巳之吉親分がうまく取り計らってくれるはずだ。まあ、数馬さんは剣術ができるのを隠しておきたいみたいだから、しょうがないか。
賊の躯がすべて運び出された頃には、世も更けていた。
「時間を取らせたな。また賊が来るやもしれぬ。乾殿も、ゆき殿も、じゅうぶんに用心されよ」
といって、鵜木様は巳之吉親分とともに帰っていた。
診療室の中は、まだ血の臭いでむせ返るようだ。こんなところに三好先生を寝かせているのもなんだし、掃除しなきゃな。でもどこから手をつけていいのやら。天井まで血飛沫が噴出した痕が何か所もあるし、壁は言わずもがな。すでに乾きかけていて、水拭きでもとりきれるかどうか。
腕組みしながら途方にくれて、四方八方を見回していると、背後から数馬さんに呼びかけられた。
「ゆきさん、少しいいかい?」
少しためらいがちな声音で、数馬さんは言葉を続ける。
「話しておきたいことがあるんだ」




