表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隠密医者 ~ 時代劇大好き少女がゆく(『第六部 番外編 隠密狩り』開始。3月14日第五部まで改稿)  作者: 薮田一閃@江戸でござるよ
第一部 剣術バカが行く ~ 時代劇大好き少女の師匠は、謎多き剣の達人
3/92

くノ一といえば風呂

 普通のサラリーマンの家庭で生まれた。


 一億総中流と言われた時代だ。我が家は中の中といったところだろうな。


 社宅でのつきあいもあるから、両親の夫婦仲は表立っては悪くなかったけれど、実際には冷え切っていた。父親は製造業の営業職で、平日週末を問わず帰りが遅かったので遊んでもらった記憶はない。体面もあるから家には帰ってきていたが、たぶん、母親が寝るまで外で時間をつぶしていたんじゃないかな。


 母親は、私の五歳上の兄を溺愛していた。かたや私はというと、風呂にも一週間に一ぺんしか入れてもらえなかった。今にして思えば、ちょっとしたネグレクトというやつだ。たぶん、私の顔立ちが父方の筋をひいているので、生理的に受け付けなかったんだろうなあ。今となっては、真相はわからないけれど。


 幼い頃の私は、きっと小汚かっただろうし、そのせいもあって幼稚園ではイジメられたぜ。うん。


 私が幼稚園の年長にあがった年に、うちで父方の祖母と一緒に暮らすことになったよ。祖母は、その前の年に祖父がなくなってから認知症が進んで、ひとり暮らしができなくなったから。


 昼間は、母親が遊びに出かけていたことが多かったので、祖母と二人で、母親が昼ご飯に置いて行った菓子パンを食べながら時代劇の再放送を見て過ごした。


 祖母と暮らすようになって二週間くらい経ったころ、某国民的時代劇のウリの、くノ一の入浴シーンを見ていた幼い私は、祖母にきいた。


「ねえ、おばあちゃん。このひと、なんで毎日、お風呂に入っているの? 私は一週間に一回なのに」


 なんてことはない、再放送で毎日同じ番組を流していただけのことなんだけど、子供って素直だよねえ。


 祖母は、


「なんだって、週に一度しかお風呂にいれてもらってないのかい?」


と、仰天した様子だった。このころの祖母は、病的に忘れっぽくなっていたものの、孫と普通に会話したりする分には問題なく、足腰もしっかりしていた。祖母は、すぐに、私を風呂にいれ、頭のてっぺんから足の先まで、きれいに磨き上げてくれた。某国民的時代劇の、くノ一様々だ。


 それから、祖母と時代劇を見て、風呂に入れてもらうのが日課となった。毎日、ピカピカに洗ってもらったよ。


 半年くらい経った頃、祖母は肺炎をこじらせて亡くなった。葬儀が終わって一週間くらいで、我が家はいつもの日常に戻った。祖母がいなくなった家で、一人で時代劇を見て過ごしたぜ。一日の授業が終わったら、まっすぐ家に帰って、時代劇の再放送を見る日々さ。


 ああ、こりゃ極悪人ヅラだわ、こいつが黒幕だわ。


 自分がつらいときには、どこかで恨みを晴らしてくれるひとがいるんだぜ! 悪いやつは、最後は報いを受けるんだぜ。

 

 無職でぶらぶらしているのは世を忍ぶ仮の姿で、将軍様が世直ししてるんだぜ。


 遊び人も、ただの遊び人じゃないんだぜ、お奉行なんだぜ。


 でもやっぱり、桜吹雪のお奉行さんよりは、「タダスケ」こと大岡越前のほうが素敵だよな。ダンディで厳しくて優しい、こんな父親がいたらなあ。


……とまあ、ただの現実逃避だ。テレビ時代劇は、浪漫たっぷりの、極上のファンタジーなんだよ!


 そして月日は流れ、小学三年生の夏――私の人生を変える出会いがあった。


 その年、父親が勤めていた会社が業界大手に吸収合併され、父親は地方の子会社に出向となった。兄が有名進学校の私立中学に通っていたため、母親と兄は東京に残った。私は父親と一緒に、とある地方都市に引っ越した。まあ、体の良い厄介払いさ。


 父親と私が住む世帯寮は、新幹線が停まる駅からバスでニ十分ほどの街にあった。


 父親とのふたり暮らしは、たぶん一カ月くらいで終わりになったはずだ。父親は現地妻のところに入り浸るようになり、家に帰ってこなくなった。


 むしろ、ほっとした。今までろくに顔をあわせていない父親との生活は、息が詰まる。それに、母親に放置されていたせいで、自分の身の回りのことは、炊事も洗濯も掃除も自分でできるようになっていた。


 転校先の小学校では、相変わらず人と距離をおいて、一人ぼっちで過ごしていた。いじめられることは、なかったけどね。学校が終わると、まっすぐに家に帰るのが日課さ。


 この街は、国鉄の駅前はそこそこ栄えていたけれど、駅から百メートルも離れると商店街が途切れて、急に田舎びた風景がひろがっていた。学校からの帰り道は、民家と、兼業農家の小さな畑やちょっとした果樹園が連なっていたっけ。途中、きれいに剪定された生垣に囲まれた、わりと大きな納屋のある家があったけれど、さして気にもとめず、毎日その前を通り過ぎていた。


 小学三年の七月、終業式の日のことだ。


 学校からの帰りに、生垣のある家の前を通ったときに、視界の片隅にきらっと光るなにかがうつったような気がした。生垣の隙間から向こうを覗き見た私は、息を呑んだ。


 一人の男の人が、刀を振っていた。


 藍色の作務衣を着たその男の人は、六十歳くらいだろうか。中肉中背の引き締まった体つきだ。


 刀なんてテレビ画面でした見たことがなかった私は、時間を忘れて目の前の光景に夢中になった。


「ずっと見ていましたね。剣に興味があるのですか?」


 突然、男の人が、生垣越しに私に声をかけてきた。


 覗き見していたことが少し後ろめたく、私が黙っていると、その人がまた話しかけてきた。


「そこの右側に入り口があるから、こちらにおいでなさい」


 私がおずおずと近づいていくと、その人は腰をかがめて視線を私と同じ高さにしてくれた。


 優しそうな人だ。よかった、よかった。しかも、理知的な表情が、某国民的時代劇のお奉行様に似ている。思わず見とれちゃったよ。


「剣を握ってみますか?」


 あまりのことに言葉も出ず、ぶんぶんと首を縦に振る私を見て、お奉行様似の人はふっと笑い、私の手に刀を握らせてくれた。刀は重くて、とても振るどころではなかったけれど、とても嬉しかったのは今でも鮮明に覚えている。


 これが先生との出会いだった。


 先生は名前を杉正巳といった。もともとは高校で美術を教えていたけれど、定年退職後はこの町に移住して畑を耕しながら絵を描いて過暮らす日々だ。若いころから剣術をやっているとかで、この町に来てからも週三回、弟子に稽古をつけていた。私がずっと納屋だと思っていたのは、実は板張りの道場だった。うーん、灯台下暗し。


「良ければ、明日からうちに通いますか?」


と誘われるがままに、先生のところに寄るのが私の日課となった。


 夏休み中は、朝から晩まで先生のところにいたよ。


 朝から先生と道場の床を磨いて、畑仕事を手伝って、天気がよければ木刀を使って庭で素振りをした。昼は先生が畑で作った西瓜をたべてから、夏休みの宿題を済ませた。先生が一人で練習をしているときは、それを飽きもせずに眺めたっけ。夕方、涼しくなってからは、また庭で素振りの練習をした。


 週三回、月・水・金の夜には、先生の弟子が二、三人、道場にやってきた。練習は、素振りから始まって、型の確認と木刀での組稽古だった。


 先生と弟子の組稽古は圧巻だった。弟子がどんなに激しく打ち込もうとしても、その瞬間に、あっという間に間合いを詰めた先生が弟子の首筋や胴にピタリと木刀を押し当てていた。先生の動きは特に素早くはないのだけど、いつのまにか相手を制してしまう。


「いやあ、来るぞ来るぞとわかっていても、手も足も動かないまま打ち込まれてしまうよ」


 まいったな、というていで五分刈りの頭を書きながら、高木さんは私に言った。


 高木さんは剣道で学生日本一になったあと、警察官になった人だ。いまも剣道日本一を目指して稽古を続けているけれど、先生に惚れこんで弟子入りしたんだって。


 高木さんには、ずいぶん可愛がってもらったなあ。ちょっと歳が離れたお兄さん、って感じさ。


 たまに、先生は弟子相手に無刀取りをやってみせた。無刀取りとは、無手――つまり手に武器を持たない状態で、刀を持つ相手を制する練習だ。


 弟子の中で剣速が一番の高木さんが何回打ち込んでも、先生は何気なく高木さんの懐に入りこみ、手首や肘の関節を締め上げた。私は、いつも、目を丸くしてそれを眺めていた。


 夜、あたりが暗くなってからは、先生が絵を描くのを傍で眺めていたっけ。


 んんん?


――先生は、どんな絵を描いていたっけ。なにか、すごく重要なことを忘れてしまった気がするぞ。


 まあ、いいか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=280266431&s ツギクルバナー script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ