第二部最終話 願いの果てに
その後、長の屋敷に一族の皆が集まった。
お婆の話では、三次さんが一族を滅ぼすために流した嘘――不老不死の妙薬云々という話を知っているのは、今回里を襲撃した一味の黒幕、つまり老中の村上主膳、篠崎藩主山科正勝、暗殺された老中の弟である相馬忠興の手の者だけらしい。
なぜわかったかというと、三次さんが自爆してすぐに、父に背負われたお婆が現場に行き、その辺りで呆然と立ちすくんでいる三次さんの霊体を捕まえて、三次さんが知っていることを『こってりと搾り取った』からだ。
その話を聞いた彦佐爺は
「幽霊を問い詰めるなんざ、いよいよお婆も人外の域だぜ。まあ、元々そうじゃねえかと思っちゃいたが」
と、肩をすくめた。
なにはともあれ、一族の皆はお婆の話に少なからず安堵した。一度戦った敵ならば、手の内はある程度知れている。二度目以降も、さほど後れをとることはあるまい。
ただ、いくら今回の一件で敵方の被害が甚大とはいえ、親玉は健在だ。きっとまた、不老不死の妙薬を求めて、桐生の一族を狙ってくるだろう。
「人間の欲ってのは、きりがないねえ。妖よりも幽霊よりも怖いのは、人間の欲さ」
とは、お婆の言だ。
「へえ、お婆に怖いものがあるなんざ、俺は初耳だね。こいつは、天と地がひっくり返らぁ」
と、心底驚いたかのような里の誰かの声が聞こえ、皆がどっと笑う。勝ち戦の後で、気分が高揚しているせいだろう。皆の顔が晴れやかだ。
「我らも、次の一手をうたねばなるまい。指示あるまで、みな充分に身体を労われ。このたびはみな、本当によくやってくれた」
という長の言葉で、寄合はお開きとなった。
そのまま長の屋敷で怪我の手当てを受ける。彦佐爺の言ったとおり、山に行った人たちは、みな浅手だ。私の折れたあばらも、三週間もすれば痛みが治まるだろう。彦佐爺に秘伝の膏薬、ってやつをペタリと貼ってもらったよ。一番の深手は新八さんで、長や彦佐爺の手を借りて、腕や背に刺さった焙烙玉の破片を摘出した。傷ついた神経はなかったから、じきに元通り戦えるようになるはずだ。
治療のあと横になって休んでいる新八さんに、気になっていたことを尋ねる。
「新八さん、言ったらまずいことなら、言わなくてもいいけど……」
「なんだい、言ってみな」
「三次さんや敵が、新八さんに気がつかれずに里に入ってこれたのは、なんで?」
里への侵入者を見つけるために、お婆と新八さんが編み出した索敵の秘術。お婆の能力は折り紙付きだし、新八さんも里の皆が認める実力者だ。どうやって三次さん達がその秘術をかいくぐって長の屋敷の近くにたどり着いたのか、ずっと気になっていた。
「ああ、あの秘術はな、タネを明かせば秘術でもなんでもねえ。死んだ一族の霊が教えてくれているのさ。お婆も、俺も……妖を見る力を持つ者は代々、自分が死んだら成仏しないで現世にとどまる術を、師匠からかけられている。一族の行く末を見守り、必要なときには力を貸すためにな。今度のことも、里に入ってくる者をそういったご先祖様達が、教えてくだすったってわけだ」
ああ、そうか。だから、今日、私が見たもう一つの世界では、死んだ新八さんがお婆の傍らにいたんだ。
「でな、お婆がそういった一族の霊たちに、三次が来ても俺には黙っとくよう頼んだとよ。これは、俺も知らねえ話さ。ついさっき、お婆の師匠ってお人の霊が、きまり悪そうに教えてくれたぜ。あたしの弟子がすまないね、ってな。お婆からすると、三次を油断させて、自分の近くまでおびき寄せてから、読心の秘術でもかけようって魂胆だったんだろうが、三次があれだけぞろぞろ引き連れてくるたぁ、予想もしていなかったに違ぇねえ」
「え……」
きょとんとする私に、新八さんは苦笑いしながら続ける。
「いくら三次をおびき寄せるためといっても、弟子の俺や源太にも黙ってるなんざ、とんだたぬき婆ぁさ。まあ、そのたぬき婆ぁも、俺やおゆき坊が手傷をおっちまって、さすがに悪いと思ったんだろう。さっき、俺が手当てをされているときに、こっそり俺とおゆき坊の様子を覗き見してたぜ」
うわあ……師匠にはめられて大怪我をした新八さんに、かける言葉が見当たらないぞ。
「ま、お婆も一族のためを思ってやったことさ。俺は気にしちゃいねえが、おゆき坊、巻き込んじまってすまねえ」
申し訳なさそうに謝る新八さんを見て、こっちまで申し訳ない気分になるよ。まあ、新八さんがお婆に怒っていないのは、本当だろう。新八さんは、人が好くて優しいもん。
「ううん、気にしちゃいないよ。新八さんも気にしないで」
私の言葉に、にこっと笑う新八さんの笑顔をみながら、今日、戦いのあとに見た『もう一つの世界』のことを思い返す。桐生の一族が、敵の奇襲になすすべもなく全滅した世界を。
今日、どうして私はあの世界を、『私』の中に入り込んで体験したのだろう。
目の前いっぱいに広がる爆炎を見て、長の屋敷で彦佐爺に抱きかかえられながら炎に巻かれた記憶が蘇ったせいかもしれない。新八さんに抱きかかえられたことで、前世の『私』が骸から離れるときの記憶が呼び起こされたからかもしれない。
だが、これだけは確かだ。
前世の私が、相原有希としてあの世界で生まれ育ったのは、お婆の秘術のおかげで彦佐爺の願いが叶い、穏やかで何も心配がなく暮らせる世界に私の魂が送られたためだ。
そして『私』の願いが叶い、源太にぃ――先生と再会し、先生から剣を学んだ。強くなるために。みんなを守れるだけの力を得るために。そして……向こうの世界での生を終え、里の皆と一緒に暮らすために、この世界に戻ってきたんだ。私の故郷へ。
源太にぃが酔ってごろつきに殺されたあと、新八さんはお婆との約束どおり、源太にぃの魂を私と同じ世界に送り届けてくれたのだろう。源太にぃが私よりもずっと先に生まれ変わって、私とは祖父と孫くらいの年齢差があった理由は、よくわからない。でも、結果として、私が会ったころの源太にぃは剣の達人という高みに至っていたし、実の家族に恵まれなかった私を導いてくれた。
もしかすると『私を守りたい』という源太にぃの願いを、霊送りの際に新八さんが聞き届けてくれたのかもしれない。
霊送りの秘術は祈願に毛が生えたくらいのもの、と、あの世界のお婆が言っていたっけ。蓋を開けてみれば、とんでもない威力だよ。祈願ってのは結果に至る過程は天任せらしいから、彦佐爺や、私や、源太にぃの願いを叶えるために、いろいろな辻褄が合わせられちゃったんだろうな。
そういえば、私や源太にぃの魂を送ってくれた新八さんは、あの後どうしたんだろう。お婆との約束を果たしたあとも、ずっと地上にとどまっていたんだろうか。
「新八さんが死んだら、あの世に行けないで、ずっとここにいるの?」
新八さんは一瞬、狐につままれたみたいな顔をした。
「さすがにずっと成仏できねえってのは、ぞっとしねえがな。俺もよくは知らねえが、師匠の術の効果が切れたら、昇天できるって話だぜ」
そうか。あの新八さんも、いつかは生まれ変わっているんだね。少し安心した。
「どうした、おゆき坊、そんなことを聞いて」
「ううん、聞いてみただけ。新八さん、いつもありがとう」
本当に本当に、ありがとう。
「いいってことよ。じゃあ、気をつけて帰るんだぜ」
「うん、父上と彦佐爺と源太にぃがそこで待っているから、大丈夫だよ」
たぶん、長や権蔵さん達と一緒に、今後の策について話し合っているはずだ。
一族滅亡の危機はひとまず去った。生まれ変わりを経た私がいたことで、歴史が変わったのだろう。広い広い世界の片隅でひっそりと生きる、忍びの一族の歴史にすぎないけれど。
源太にぃが武芸者ではなく忍びとして生きる道を選び、武者修行の旅に出ることなく里にとどまった。
新八さんを連れた小平太さんが敵に襲われたとき、たまたま源太にぃと私が近くにいて加勢したことで、小平太さんは片眼片腕を失うことなく難を逃れた。そして、新八さんは右脚を失ったものの、命を取りとめた。
この時に生け捕りにした忍びからお婆が記憶を引き出したおかげで、敵の狙いがわかった。
あとは、腰を痛めたお婆が、コルセットのおかげで寝たきりにならなかったのは、一族の戦力的には大きいだろう。吉兵衛さんも大活躍だったしな。
ほんのちょっとの違いが積み重なって、歴史のうねりを変える。だが、一族を狙う敵が滅びたわけではない。歴史のうねりが修正され、一族が滅びるという未来が訪れないとも限らない。気を引き締めていかないと、な。
新八さんと別れ、彦佐爺に手を引かれて我が家へと続く道を歩く。
「おゆき坊、あばらの具合はどうだい。痛かねえかい」
「歩くくらいなら、全然平気だよ! 家に帰ったら、彦佐爺や父上の肩も揉めるよ」
「そうかい、せっかくだから、おゆき坊に揉んでもらうとするか」
相好を崩す彦佐爺を見て、父と源太にぃが顔を見合わせてほほ笑む。
夜空には、赤く輝く大きな満月が浮かんでいる。前世で相原有希として生きていたときには、この赤い月を、遠い別世界のものだと思っていた。でも、その世界は私の故郷だった。そして、この世界に戻ってきた。
私を守って死んだ父、私を自ら手にかけざるをえなかった彦佐爺、私や彦佐爺の骸を前に慟哭する源太にぃ、最期を悟り笑顔で彦佐爺に語りかける伊佐次さん、私や彦佐爺に別れを告げる里の人たち――非業の死を遂げた大事な人たちと、『私』自身の願いの果てに、今の私の人生がある。それを知った今は、この一瞬一瞬が愛おしい。
この幸せを守るために、私は戦う。もっともっと強くなることを、己に誓う。
(第二部・完)




