霊送り ~ たまおくり
私の記憶に、この世界の『私』の記憶や感情がオーバーラップする。不思議な感覚だ。
この世界では、私は武術の心得のない平凡な少女だった。
実の両親の顔は、もうぼんやりとしか覚えていない。三年半前、旅の途中でならず者の一団に襲われ、両親は命を落とした。捕らえられた私は、連中のねぐらに運ばれる途中に、父や彦佐爺に助けられた。
父と彦佐爺は、私を桐生の里に連れ帰った。そして、私は剣術も忍びの術も学ぶことなく、彦佐爺や源太にぃに可愛がられて成長した。その源太にぃは、忍びの術の修行を嫌い、剣術の修行に明け暮れ――十七歳になった一年前に、里を出て武者修行の旅に出てしまった。
いま、屋敷の中を行き来する里の大人たちの姿は、いずれも見知った顔だ。
だが、小平太さんは右眼を失った隻眼で、左腕の肘から先がない。五か月前に、五ノ井で行き倒れになった新八さんを連れて里に戻ってくる途中、戸狩の忍びに襲われたときに負った傷だ。数名の敵を倒し、なんとか逃げ延びた。だが、敵を生け捕ることは叶わず、戸狩の忍びが里を狙っていた目的は見当もつかない。
小平太さんに連れられて里に辿り着いた新八さんは、意識を取り戻すことなく死んだ。新八さんがなぜ、主である塚田千之助を置いて、一人で五ノ井に辿り着いたのか、その理由は誰も知らない。無論、新八さんが死に至った裏に、老中や若年寄の暗殺事件に絡む陰謀があることなど、里の衆は知る由もない。
そして、三次さんが行方をくらました。おそらくは里を抜けたのであろう、と里の大人たちは噂していた。
その後、見張りに立った里の大人達が、負傷して帰ってくることが多くなった。子供心に、敵の襲撃を受けたのだろうと想像していた。最近は、里全体にピリピリとした緊張が張り詰め、みなが疲弊しきっていた。
里が奇襲を受けたのは、そんなさなかの出来事であった。
一昨日、見張りの者が二人襲われ、手傷を負った。そのうちの一人――為吉さんは胸に深手を負い、今日の朝、亡くなった。里の外れの墓所に、為吉さんの骸を埋葬する途中、私たちは敵の忍びに取り囲まれた。父が瞬く間に八人を斬り伏せて突破口を開き、里の衆はその場を逃げのびることができた。だが、私や足腰が悪く逃げ遅れた年寄りを狙って敵が焙烙玉を投げたのを見た父は、咄嗟に私の体に覆いかぶさった。
鼓膜が破れるかのような爆発音が聞こえ――そのあと、彦佐爺が父の体の下から私をひっぱりだした。
「父上は?」
と尋ねたが、彦佐爺は無言で私を背負い走り出した。去り際に、地に横たわり動かぬ父を見て、私は父が死んだことを理解した。彦佐爺は、走っている間ずっと、声もあげずに泣いていた。
その場を逃げ延びた者たちは、長の屋敷に集まった。長の指示を仰ぐためだ。だが、長も先ほどの奇襲で深手を負い――今しがた亡くなった。
「冴木様が活路を切り開いてくださったが、戦える者がこれだけでは……」
長の代理を務める権蔵さんがつぶやく。
「奴ら、女衆は殺さずに、痛めつけて動けねえようにしてから一か所に集めていやがる。いったいなんで、こんなことを」
と、伊佐次さんがうめく。
すべては、一族の女の血が不老不死の妙薬である、という三次さんのでたらめを信じた敵の凶行であることを、誰も知らない。
爆発音や怒号が、屋敷のすぐそばまで近づいてきた。
思わず、彦佐爺にしがみつく。権蔵さんが、そんな私を一瞥し、彦佐爺に告げる。
「彦佐、おゆきと一緒にいてやれ。お婆の部屋がいいだろう」
「そうはいっても……」
「おゆきに、むごい様を見せることもないぞ」
なおも迷う彦佐爺の肩を、伊佐次さんがポンと叩く。
「兄者、ここは俺たちにまかせなって。ま、地べたじゃ、いくら身軽な俺でもぱっとしねえが、最後のもうひと働きくれぇはできるさ」
伊佐次さんの言葉に、彦佐爺の心も決まったようだ。
「そうかい。じゃあ、そうさせてもらうぜ。伊佐次、悪いな」
「なあに、いいってことよ。兄者、あの世でまた会おうぜ」
「ああ。後でな」
穏やかに語り合う兄弟の姿を見て、涙が溢れでる。伊佐次さんも、彦佐爺も……ほかの里の皆も、もう死ぬ覚悟なんだ。
「じゃあな、おゆき坊」
にっこり笑う伊佐次さんに頭をなでられる。
「うん」
頷くのがせいいっぱいだ。いつも飄々として、彦佐爺とのやりとりを里の皆にからかわれている伊佐次さん。大好きだよ。本当は、もっと伝えたいことが沢山あるのに。
「おゆき坊、行こうか」
彦佐爺に手を引かれて、寄合の間を出る。
「おゆき坊、またな」
「彦佐のとっつぁん、世話になったな」
里の皆が、彦佐爺や私へ、口々に声をかける。みんな、先ほどとは一転して、穏やかな表情だ。
もう、大事な人たちと会えない。その気持ちに、胸が押しつぶされそうになる。
今、私が見ているのは、別の世界での、過去の出来事だ。私が生きている世界での出来事ではない――そう、自分自身に言い聞かせる。
そうしないと、悲しみに飲み込まれてしまいそうだった。
彦佐爺に手を引かれて、屋敷の一番奥にあるお婆の部屋に入る。部屋の奥に敷かれた布団には、枯れ木のようにやせ細ったお婆が寝ていた。一族最高の秘術の使い手も、いまは見る影もない。
三年半前に私がこの里に来た頃のお婆は、足腰こそ悪かったものの、まだまだかくしゃくとしていた。だが、その後すぐに腰痛がひどくなり、まったく動けなくなってしまった後は、坂道を転がり落ちるかのように、気力も体力も衰える一方だった。そうこうするうちに、いわゆる認知症も進み、最近は孫である長や彦佐爺の顔もわからない始末だ。
この世界の『私』も、なぜかお婆には気にられていた。無邪気にまとわりつく少女を愛おしく思ったのかもしれない。あるいは、実の孫である彦佐爺が、私のことを目の中にいれても痛くないくらいの勢いで溺愛するのをみて、微笑ましく思ったのかもしれない。お婆の枕元で、いろいろな話を聞きながら過ごした日々を、あたかも自分自身の記憶のように思い出す。
だが、源太にぃが里を飛び出してからのこの一年、お婆は本当に魂が抜けてしまったかのようだった。
いつだったが伊佐次さんが彦佐爺に
「お婆は、源太に秘術を教えるのが楽しみだったに違いねえさ。それを源太のやつがお婆になにも言わずに飛び出しちまったもんだから、よっぽど気落ちしたんだろう。ま、お婆はあんな気性だから、そんなこたぁ絶対に言わねえだろうがな」
て、漏らしてたっけ。
私が枕元に寄っても、私に視線を合わすことなく、虚空を見つめて子守歌を口ずさむお婆の姿が哀しくて、私もいつしか、お婆の許から足が遠のいていた。
最後にお婆を見たのはいつだろう。それから二回りくらい、お婆の身体が小さくなってしまったような気がする。
彦佐爺が、寝ているお婆の肩を揺すぶった。
「おい、お婆。起きているか」
だが、お婆はぴくりとも動かなかった。何事もなかったかのように、穏やかな寝息が聞こえる。
「やはり起きねえか。まあ、何も知らずに逝けるほうが、ひょっとして幸せかもしれねえな」
彦佐爺が、お婆の枕もとで胡坐をかき、私を抱き寄せた。
「おゆき坊、すまねえ。俺が……あのとき旦那様に頼み込んで、お前をこの里に連れてきちまったばっかりに……」
最後は、涙声だった。小刻みに震える彦佐爺のぬくもりを感じながら、思う。ううん、私はこの里で育って、幸せだったよ。みんな、優しくって温かい人たちばかりだったもの。
ならずものに襲われたときの記憶がよみがえり、毎晩震えて泣いていた頃は、彦佐爺に頭をなでてもらっているうちに、いつのまにか眠りに落ちていたっけ。
父の背におぶわれているときは、力強くって、頼もしくって、何があっても怖くない気がしたよ。
源太にぃには、いつもいつも遊んでもらっていた。だから、同じくらいの年の子が周りにいなくても、ちっとも寂しくなかった。
私は――この人たちが家族で、本当によかった。
屋敷の近くで、ひときわ大きな爆発音が鳴り響き、屋敷全体が軋む。
さきほどまで屋敷の中にいた里の大人たちが、屋敷のすぐ外で戦っているのだろう。権蔵さんや伊佐次さん、小平太さん、弥助さんたちの声が聞こえる。
里の大人たちが、傷だらけになり、ひとり、またひとりと倒れていく光景が目に浮かぶ。無力で、恐怖に震えることしかできない自分が情けなく……悲しかった。
「なあ、おゆき坊」
私を抱きしめる彦佐爺の腕が緩んだ。彦佐爺の顔を見上げると、今まで見たことがないくらい、悲しそうな表情をしていた。
「おゆき坊、守ってやれなくて堪忍な」
彦佐爺が、力なくうなだれた。
ううん、もう充分に守ってもらったよ。私がもっと強ければ、彦佐爺にこんな思いをさせなくてすんだのかな。そんな顔させちゃって、ごめんね。彦佐爺を、ぎゅっと抱きしめ返す。
「俺には、もう、こうしてやることしかできねえ……おゆき坊が、なるべく怖くねえように……」
絞り出すような彦佐爺の声は、どこか自分に言い聞かせているようにも思えた。
「寂しくねえように、ずっと俺が一緒にいるから……」
彦佐爺の、腕の震えは止まっていた。やにわに彦佐爺の両手が私の首にのび、指で頸動脈を強く圧迫した。一瞬のうちに、視界が暗くなり――意識を失う瞬間、うなじを針で刺されたような、鋭い痛みを感じた。
気がついたときには、自分自身の身体を、上から見下ろしていた。前世でさんざん経験した、幽体離脱ってやつだ。多分、いまわの際で『私』の霊体と身体のつながりが弱くなっているからだろう。だが、この世界の『私』は、初めて体験する現象に戸惑っていた。自分が死にかけていることすら気がついていないようだった。
頸動脈を圧迫されたことで失神したあと、彦佐爺が私のうなじに突き立てた針には、神経毒が塗ってあったようだ。呼吸が止まり……すぐに心臓も止まった。彦佐爺は、その間、私の骸をずっと抱きしめ、頭を優しくなで続けた。
また、大きな爆発音がして、屋敷が大きく揺れた。柱を焙烙玉で吹き飛ばされたらしい。天井がぎしぎしと大きな音をたてながら大きくかしぎ、私たちの上に落ちてきた。
私の身体を抱きかかえたままの彦佐爺とお婆は、天井の梁の下敷きになった。茅葺の屋根に火が燃え移り、あたりは炎と煙に包まれる。
彦佐爺は、まだ生きていた。口から血を流しながら
「へっ、ざまあねえや。おい、お婆、もうくたばっちまったか」
と、傍らのお婆に話しかける。
いつものお婆なら、呼びかけにも反応はなかっただろう。だが、今は違った。
「おや、彦佐坊かい。珍しいねえ。今日はいったいどういった要件だい」
ぎょろっと彦佐爺を見つめる双眸に、意志の力が宿っていた。灯が消える寸前に、ぱっと明るくなるかのように、お婆の魂が肉体に戻ってきたかのようだ。
「なんでえ、急にしゃっきりしやがった。どうもこうもねえ。お婆がぼーっと寝ぼけくさっている間に、俺たち一族は――見てのとおり、おしめえさ。そこで、ちょいと頼みがある」
「おや、確かにこれは穏やかじゃない状況だねえ。私にもいよいよお迎えが来るようだ。いいだろう、彦佐坊。その頼みってやつを聞こうじゃないか」
彦佐爺が苦し気な息のなかで、お婆に最後の願いを伝える。
「この子が――おゆき坊が、せめて来世は穏やかで、なんにも心配がなく暮らせるよう、まじないでもかけてやってくれ」
「馬鹿をおいいでないよ。そんな都合のいい術はないさ。まあ、せいぜい心願成就祈願に毛が生えたくらいのもんだ。それに、私だって三途の川を渡る手前さ。そんな力は残っていないね」
お婆の声は、どこか自嘲気味だった。
「心願成就祈願か……それでいい。力なら、俺の命を使え」
彦佐爺は、懐から匕首をとりだした。彦佐爺が何かをつぶやくと、刃が白い光を放ちはじめる。
「日ノ本の神々に奉る
我が魂をこれに
もって我が祖母の守りとなす」
白い光がひときわ強くなり、彦佐爺がごぼっと血を吐いた。
「じゃあな、お婆。よろしく頼むぜ」
そういうと、彦佐爺は目を閉じた。もう、彦佐爺の心臓は止まっていた。
前世で先生が私に施した、守護の秘術。その秘術を、彦佐爺はお婆に使った。素質ではお婆を上回っていたという源太にぃ――先生が使った術は、前世で私の命を十年間つなぎとめた。
こういう霊的な術を得意としない彦佐爺が、最後の力を振り絞ってかけた守護の秘術は、お婆の枯れ木のような身体にどれだけの力をとり戻させたのだろうか。それは、お婆にしかわからない。
今のお婆は、身体中から気力がみなぎるように見えるほどだ。
「やれやれ、さすがにこの歳になって、自分の孫に守護の秘術をかけられるなんざ、ちっとも予想していなかったよ。本当に、子供のころから一途で馬鹿な子さ」
お婆の声が、どこか寂しそうだった。お婆は、霊体となって一部始終を眺めていた私をまっすぐに見た。
「おゆき、どうやら何が起きたかわからない間に死んじまって、自分が霊になったことすらわからないようだね」
『私』が、お婆の言葉に戸惑っているのがわかる。この世界の『ゆき』のほかに、生まれ変わりを経た私の魂がいることは、さすがのお婆にもわからないようだった。
「彦佐坊は、私にああ言い残してさっさと逝っちまったよ。憎まれ口を叩いても、可愛い孫だ。どれ、最後の願いくらい、きいてやるとするか」
彦佐爺の願いは、来世の『私』が、穏やかに何も心配がなく暮らせること。
「とは言っても、所詮は祈願に毛が生えたくらいのもんさ。相手の魂が、望む来世にたどり着けるよう霊送りをするだけだ。なにしろ、私だってこの術のやりかたを師匠から教えて貰っただけで、かけたことすらないからね。実際にどれくらいの効き目があるのか、来世がどうなるかなんて知ったことではないよ」
お婆の話を聞いても、『私』は何を言われているかわかっていないようだ。だが、私にはすべてが腑に落ちた。ああ、そういうことだったのか。
「おゆき、もし生まれ変わったら、お前はどうしたい?」
いつになく優しく問いかけるお婆に、『私』が答える。
「彦佐爺や父上や、里のみんなと、また一緒に暮らしたい。何もできなくて、悲しい思いをするのは嫌だ。強くなりたい。あと……源太にぃに、また会いたい」
お婆は、頷いた。
「そうかい、彦佐坊とお前の願い、確かに聞いたよ。新八、いるかい?」
梁や天井が落ち、煙と炎にまかれ始めた部屋の片隅で、なにかが動く気配がした。そちらを見たけれども、私の目には何も映らない。
「新八、お前は私の一番弟子だ。いろいろ無念なこともあるだろうが、このお婆のために、力を貸してくれるかい?」
やはり、私には新八さんの姿は見えなかった。だが、お婆にはちゃんと、新八さんの霊体が見えているのだろう。お婆は満足そうににやりと笑った。
「ありがとよ。新八、おゆきの願いは、お前もきいた通りだ。源太が死んだときに、源太の魂が迷わずにおゆきと同じところに行けるよう、手伝っておあげ」
お婆は横たわったまま何かを――祝詞のような歌を口ずさむ。それとともに、『私』の霊体がじんわりと温かい光に包まれた。
「お別れだよ、おゆき。この術がうまくいってお前の願いが叶うとしたら、またどこかで会うこともあるだろうさ。新八、あとはよろしく頼むよ」
お婆はそう言い残すと、目を閉じた。力に溢れていたお婆の身体から、一気に力が抜けきったように見えた。
夜になり、次の朝が来た。
炎に包まれた屋敷の中で、お婆と、私を抱えたままの彦佐爺の周りだけ、なぜか焼け残っていた。その様子を、敵の忍びが気味悪そうに眺め――その場を去っていく。
敵に捕まった女衆は、捕まった振りをして紛れ込んだおときさんが縄を解き放ち、動ける者はみな敵と戦って死に、動けない者は自害した。
桐生の一族は、死に絶えた。
一族が滅びる様を満足げに見ていた三次さんは、三次さんの母親が眠る墓の前で、何かにとりつかれたかのように大声で笑いながら、自ら首をかき切って死んだ。
そして――『私』は里の皆が死んでしまったことを理解していたが、まだ自分の死を受け入れていなかった。彦佐爺に抱きかかえられたままの、己の骸になんとか入り込み、そこにしがみついた。
あの日から、里を訪れるものは誰もいなかった。命を失った身体は、自分では動かせない。彦佐爺に抱きかかえられたまま、冬は霜に埋もれて凍え、夏は灼熱の太陽に焦がされ続けた。それでもなお、『私』は死を受け入れられず、骸の中に留まり続けた。
『私』はひたすら待ち続けた。
どれくらい月日が流れただろう。
ある日、足音が聞こえた。
「爺――ゆき、それにお婆も……」
そうつぶやく声が聞こえて、源太にぃが里に戻ってきたことを悟った。
「爺、ごめん……ゆき、ごめんな……何も知らなくて……何もできなくてごめん……」
ぽたぽたと、源太にぃの涙が『私』の顔に落ちる。源太にぃが里を飛び出してから、十年の年月が過ぎていた。彦佐爺と私の骸の前で、源太にぃは武芸者らしい逞しい体躯を震わせて、子供のように泣きじゃくった。
そして、源太にぃに抱きかかえられて、里の外れの墓所に埋葬され――ようやく『私』は自分の死を受け入れた。
『私』の魂とともに、私の霊体も骸を離れる。その瞬間、誰かに身体を抱きかかえられ、そのまますっと高みに昇っていく。相変わらず姿は見えなかったけれど、多分、新八さんが手助けをしてくれたのだと思う。『私』がずっと下にとどまっていたから、心配してずっと見守っていてくれたのかな。新八さんも、ありがとうね。
そのまま『私』の霊体は白い光に包まれ、意識が周りに溶け込むのを感じた。
――どれくらいの時間が経ったのだろう。傷ついた身体の痛みが蘇る。いてて。息をするだけで肋骨が痛いぞ。
手の指も足の趾も、ちゃんと動く。感覚もある。ああ、自分の身体に、戻ってきたんだな。どうやら、地面に寝かされているらしい。
「ゆき、しっかりしろ! ゆき!」
父の声に、ゆっくりと目をあける。
父と彦佐爺と源太にぃが、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
父も爺も、生きている。またたくまに、視界が涙で曇る。
私が声もあげずにポロポロ泣いているのを見て、彦佐爺は大慌てだ。源太にぃも、おろおろしている。
「おゆき坊! どうした、どこか痛いか? さ、どこが痛いか言いねえ」
「ううん、爺、違うよ。みんなが生きているから、嬉しいんだよ」
右の拳で、涙をごしごしと拭う。うわあ、土と煤でべちょべちょだ。
「ああ、山に行った連中も、みんな無事さ。手傷を負ったやつもいるが、みな浅手だ。もう、残っている敵はいねえ。おゆき坊、よく頑張ったな」
彦佐爺が、私を抱き起しながら、ずずっと洟をすする。
「新八、お前がゆきをかばってくれたおかげで、大した傷もないようだ。礼を言うぞ」
父の言葉に、傍らに座り込んでいる新八さんを見る。
三次さんの焙烙玉が爆発した瞬間、新八さんが私を抱きかかえて盾になってくれたらしい。新八さんは炸裂した焙烙玉の破片が腕や背中に食い込んでいるようで、痛みで顔をしかめている。ぱっと見、神経や血管、腱には損傷はなさそうだ。よかった。破片を摘出できるか、あとでじっくり調べなきゃ。多分、長と彦佐爺に手伝ってもらえば、なんとかなるだろう。
「新八さん、ありがとう」
「なあに、おゆき坊には何度も命を助けられているんだ。これくらい、おやすい御用さ」
新八さんが、細い目をさらに細くして、にこっと笑う。
「兄者ときたら、おゆき坊会いたさに、とっとと戦さを終わらせにゃってんで、獅子奮迅の働きさ。俺はもう、口をぽかーんと開けて、見ているだけだったわ」
聞きなれた軽口が聞こえる。いつの間にか、伊佐次さんが彦佐爺の傍らにいた。
「おいこら、伊佐次! なにをいいやがる!」
彦佐爺にぽかりと小突かれた伊佐次さんは、ぺろっと舌を出す。
その様子を眺めて、思わず私も笑顔になる。うん、何もかも、いつもどおりだ。
里の外で探索の任にあたっていた伊佐次さんや小平太さんたち四人の精鋭は、里への敵の襲撃が間近に迫っていることを察知し、里の近くに戻ってきていた。里からの返り討ちにあい退却する敵の忍びたちを、伊佐次さんたちが残らず始末したらしい。
あちこちで、里の人たちが無事の再会を喜びあっている。
「ゆきも目を覚ましたことだし、そろそろ帰るか」
父が腰をあげた。
「ゆき、立てるか?」
源太にぃに支えられて立ち上がったけれど、ちょっとふらふらするよ。私が意識を失っていたのは、ほんのちょっとの間らしいけれども、十年くらい寝ていたみたいな気分だ。
結局、父におぶわれて、長の屋敷に向かう。逞しくって、力強くって、安心できる背中だ。父の背に顔をうずめ、ぬくもりに身をまかせた。
先生の前世において桐生の一族が全滅した日を――こうして私たちは、ほぼ無傷で生き残った。




