一族が全滅した日
長の立てた作戦は、徹底的な奇襲の繰り返しだ。里を取り囲む山には、道らしき道がない。十八年前にこの地に逃げ延びた桐生の一族は、敢えて街道から里へと続く道を作らなかった。外敵から身を守るためだ。
侵入者は時間をかけて藪を薙ぎ払いながら進むしかない。敵は八手にわかれて里に近づこうとしていた。敵の人数や配置がわからず、里の対応が少しでも遅れれば……そして見張りが敵の手にかかれば、里への侵入を阻止するのは困難だっただろう。
だが、今頃は里の男衆や女衆が三、四人ずつの組で、侵入者を襲撃しているはずだ。それぞれの組には、弓や手裏剣の秘術など、遠間からの攻撃を得意としているものが少なくとも一人はいる。遠間からの奇襲で敵の人数を削り、敵を分断して倒す。討ち洩らし、里に侵入した敵は、新八さん、源太にぃ、私の三人が倒す手筈だ。
気になるのは、里に接近している敵の中に、三次さんの姿が見えないことだ。長の見立てでは、里が襲撃されるときは、きっと三次さんも現れる。里が滅亡する瞬間を、自分の目に焼きつけたいだろうから。どこかに潜んで、私たちの様子を窺っているのだろうか。
もし、三次さんが現れたときは、可能ならば生け捕りにして、一族を狙う黒幕が他にいるかどうかをお婆の秘術で探る。捕えるのが無理ならば殺す、というのが長の指示だ。
風が、かすかに火薬の臭いを運んできた。最初の爆発があってから、四半刻が過ぎた。そのあいだに五回、それぞれ違う方角で爆発があった。彦佐爺たちは無事かな――ふと不安がよぎる。
「源太、おゆき坊、寅の方角から二人くる。そのあとは、時間をおいて未の方角から二人だ。頼むぜ」
新八さんの言葉に、敵の気配を感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ます。うーん……私にはわからないぞ。隣の源太にぃを見ても、苦笑いしている。やっぱり、わからないみたいだ。でもまあ、新八さんの索敵能力はお婆のお墨付きだ。間違いはないだろう。どうやって敵の侵入を察知するのか、前に新八さんに聞いてみたけれど、
「そいつは里の者にも内緒だ。恩人のおゆき坊にもいえねえ。堪忍してくんな」
って言われたよ。お婆と新八さんが編み出した秘術だとかなんとかっていうことだけは、わかったけどね。まあ、里の守りの要だもの。機密扱いであたりまえか。
新八さんの指示で、源太にぃと二手に分かれる。
里は長の屋敷を中心に、萱葺屋根の家が肩を寄せ合うように建っており、その周りに田畑が広がっている造りだ。周りの山から集落までは見通しがよく、身を潜める場所がない。これも、外敵の侵入を防ぐための構造だ。
集落の外れの家の、萱葺屋根の上に伏せて、侵入者を待つ。新八さんのいったとおり、しばらくすると、山の木々の間から藍色の忍び装束をまとった侵入者が二人、現れた。
忍びは身を低くしてあたりを窺がいながら、こちらに向けて駆け出す。まだ、私の存在には気がついていない。
半弓を背からおろして、矢をつがえる。弓は彦佐爺直伝だ。もちろん、彦佐爺が使っているような金属製の剛弓を私が扱うのは無理だ。今使っているのは、里の女衆が使っているものと同じ木製の半弓で、威力や殺傷距離は彦佐爺の弓に遠く及ばない。だが、頭部や心の臓を直撃すれば、十分な殺傷能力がある。
狙いを先頭の忍びの胸につけて、弓を引き絞る。緊張した弦がかすかに軋む。二十間の距離まで敵を引きつけてから、矢を放つ。
矢は風を切るかすかな音とともに敵に向けて飛翔し、心の臓を狙いたがわず射貫いた。
後続の忍びは素早く身を伏せた。矢の飛んできた方角に当たりをつけたのだろう、同輩の骸を盾にして私が潜んでいる家屋までにじり寄る。だが、身を隠す遮蔽物もない場所で、一旦奇襲を受けた敵に勝ち目はない。敵が距離十間まで近づくのを待ち、彦佐爺直伝の手裏剣で、盾にされた忍びの胴体ごと敵の頭部に大穴を穿つ。
倒れた敵の懐から焙烙玉を回収し、急いで新八さんのところに戻り、次の指示を待つ。
「新八さん、二人やったよ」
「おゆき坊、さすがだな。休んでいる暇はねえぜ、次は辰の方角から三人だ。源太も二人、仕留めてそろそろ戻ってくるだろう。戌の方角からくる二人は、源太に任せよう」
頷き、敵が来る方角に向かって走り、先ほどと同じように待ち伏せて弓を射かけ、二人を難なく倒す。三人目は間合を詰められすぎたので弓を使えず、剣で頸動脈を切り飛ばした。三人の骸を前に、一息つく。戦いの流れは、私達にある。このまま終わってくれれば……
そう思ったところで、指笛の音が三度なるのが聞こえた。異常を知らせる合図だ。新八さんに何かがあった。背筋にさっと寒気を感じ、駆け出す。
全力で走っている間、心臓が早鐘のように鳴る。戦いの最中でも、こんなに動悸がすることはないのに。
遠目で、柿渋色の忍び装束をまとった二人の男が、刀で斬り結んでいるのが見える。一人は新八さんだ。相手の猛攻に、防戦一方だ。まだ手傷は負っていない。
もう一人は私に背を向けていて顔が見えない。でも、この人はきっと……
「どうした新八、片脚がなきゃ、さすがのお前も年貢の納め時だな。観念しな」
義足の踏ん張りがきかずに、右側に倒れこんだ新八さんを嘲笑うかのような声音に、聞き覚えがあった。
新八さんをめがけて、忍び刀を突き刺そうとする男の横顔が見えた。ぞっとするほど暗い眼は怪しい輝きを放ち、口の端が興奮で歪んでいる。
この人は――三次さんは、正気を失っている。
動かなきゃ……新八さんを助けなきゃ……と頭では思っても、得体のしれない恐怖にとらわれた私は、指一本動かせなかった。
三次さんの猛烈な突きを、新八さんは義足で蹴上げて軌道をそらし、なんとか避けた。
新八さんの荒い息遣いが聞こえる。
なんとかしなきゃ。三次さんの狂気に恐怖を感じて動けない自分を、恥じる。唇を噛みしめ、痛みと、流れ出る血の味に気合いが入る。動け!
「今度こそ終わりだ。あばよ、新八」
にやりと笑った三次さんが新八さんに刀を突き立てようとした瞬間、私の身体は三次さんに向かって跳躍し、三次さんの背に体当たりをかませた。
不意をつかれて体勢を崩した三次さんは、もんどりうって前に倒れた。私も一緒に地面に倒れこんだが、勢いを利用して一回転しながら受け身をとり、振り返りながら脇差を抜き打ちにし、両脚で地面を蹴って後ろに飛び退る。
手ごたえが浅い。
倒れている三次さんに向かって、不安定な体勢から私が放った一撃は、頸動脈には届かず、三次さんの両瞼を切り裂いただけだった。
長からは、できれば三次さんを生け捕りに、と言われていたけれども、そんな余裕はない。
逆上し咆哮を上げる三次さんは、左手で眼を押さえたまま立ち上がる。瞼からの出血で、前は見えていないようだ。
三次さんとの間合いを十分にとり、脇差を構えながら辺りを見回す。
新八さんは立ち上がり、忍び刀を構えて呼吸をととのえている。
「おゆき坊、また助けられちまったな。恩に着るぜ。だが、こいつはちょっと良くねえ状況だ」
いつの間にか、私と新八さんは敵の忍びの一団に囲まれていた。おそらく三次さんが手引きをしたのだろう。でも、なぜ新八さんも気がつかなかったのか……
敵の人数は、三次さん含め十四人。
忍びの一人が、
「その娘だけは生かしたまま捕えろ。不老不死の妙薬だからな」
と周りの忍びに指示するのが聞こえた。
三次さん、私が一族の出じゃないことを、敵に話していないな。三次さんからすると、不老不死云々なんて口から出まかせだし、要は一族が滅びればいい。敵をつるための餌、つまり一族の女は多ければ多いほどいい、といったところだろう。
私達を取り囲む敵の向こうから、源太にぃの声がする。
「新八さん、ゆき、無事か!」
戻ってきた源太にぃは、血の滴る忍び刀を構え油断なく目を配っているが、三人の敵に阻まれてこちらに近づけない。
「源太にぃ、こっちは大丈夫!」
源太にぃに返事を返した途端、三次さんがめちゃくちゃに忍び刀を振り回して斬りかかってきた。前が見えていないし、正気も失っている。私の声だけを手掛かりに、動いているだろう。
「桐生の一族も、秘術も、全部終わりだ! 終わらせてやる!」
かつて、噴きだす血を浴びながら、両親がこと切れる様を眺めていた幼い三次さんが、一族や秘術の力への憎悪を募らせた過程は、想像もつかない。いまや、三次さんを衝き動かすのは、一族への憎悪のみ。
錯乱する三次さんは、刀を振り回しながら叫ぶ。
「殺せ! 俺と一緒に、こいつらも……この屋敷も……全部吹き飛ばせ!」
何人かの敵が、焙烙玉を手に取るのが見えた。
新八さんが近くの敵に飛び掛かり、一瞬にして二人を斬り伏せる。だが、そのまま体勢を崩し倒れたところに、別の忍びが襲い掛かる。
新八さんが倒した敵を盾にして、その一撃を避ける。私が放った手裏剣が、敵の首筋に深々と刺さり、膝をつくように崩れたところを、地を這うように飛びついた新八さんが、とどめをさす。
その様子を視界の片隅で確認しつつ、焙烙玉に火をつけようとしている忍びへと駆け寄り、両手首の腱を抜き打ちで切断し、とどめを刺す間もなく、次の敵のもとへ向かう。
とどめは後回しだ。この馬鹿げた威力の焙烙玉を投げられたら最後、誰かが死ぬ。
敵の右手の腱を跳ね飛ばし、手の動きを封じるのがせいいっぱいだった。倒れこんだところを、必死の形相の敵が襲ってくる。残った左手で手首を掴まれ、あまりの力に脇差を取り落とす。
しまった。武器がないと、この非力な身体では何もできない。
手首の痛みに耐えながらあたりを見回すと、一人の敵が今まさに火をつけた焙烙玉を、長の屋敷に向かって投擲したところだった。
屋敷には父と長、お婆、それに戦えない年寄りが二人いる。
絶望的な気持ちで、宙に放物線を描く焙烙玉を見つめる。
あれをくらったら、木造の家屋などひとたまりもない。五ノ井で襲われたときには、敵の忍びの身体の下で爆発したから、あの程度で済んだのだ。屋根で爆発したら、萱葺の屋根が炎上するだけでは済まない。衝撃で屋根が崩れるかもしれない。
だが、長の屋敷に向けて投擲された焙烙玉は、萱葺の屋根に届く前に、乾いた音を立てて弾け飛んだ。導火線の周りに飛び散った火薬が引火し、ボっと大きな火球を形づくるが、焙烙玉本来の破壊力はない。萱葺の屋根に、やずかに火が燃えうつり、細い煙を上げているのが見えた。
目論見が外れて呆気にとられている敵の背に、新八さんが刀を突き立てる。
この隙に、と思い、敵の手から逃れようともがいたが、そううまくいかない。手首を掴まれたまま身体の上にのしかかられ、胸と腹の上を膝で抑え込まれる。
息ができない。苦しい。空気を求めて口をパクパクと開け閉めするが、肺はしぼんだままだ。次第に意識が遠のき、視界が暗くなる。
もうだめだ、落ちる……と思ったときに、ぐしゃり、という音とともに敵の身体がグラリと傾いた。
敵の体重から開放された肺に、新鮮な空気が入ってくる。あえぐように呼吸をし、脳に酸素を補給する。ううっ、まだボーっとするぞ。しかも、肋骨が何本か折れたみたいだ。いててて。
動けずにいたら、誰かに助け起こされた。
「おい、おゆき坊、しっかりしな。気を確かに持つんだぜ。おい、ったら」
ああ、新八さんか。
さっきまで私の上にいた敵が、頭部を砕かれた骸となって、脇に倒れている。新八さんが手裏剣を投げて、助けてくれたらしい。
「うん……だいじょう……ぶ。ありが……と……」
新八さんがほっとした表情になる。
「冴木様も、長も、お婆も、みんな無事だぜ。安心しな」
源太にぃが、敵の頸動脈を斬り飛ばすのが見えた。源太にぃの周りには骸が二つ、転がっている。
源太にぃに襲い掛かろうとした敵は、二歩踏み出したところで歩みを止めた。砕かれた頭部から脳漿が流れおち、そのまま地に倒れこむ。源太にぃも、一瞬呆気にとられた様子だ。
この威力は、彦佐爺の弓かな――そう思い、矢が放たれた方向を見ると、十五間ほど先に、半弓を左手に持ち、右手を振っている老爺の姿が見えた。
あれって、足腰を痛めて戦えないってことで屋敷に残っていた、吉兵衛さんじゃないか。小平太さんのお父さんで、もう八十歳を超える高齢だ。
私が目を丸くしている横で
「吉兵衛のとっつぁんの弓の腕は、さすがだぜ。歳はとってもさびついちゃいねえ。さっきの、焙烙玉を射貫いた腕なんぞ、神業の域だ」
と、新八さんがしきりに感心する。ええと、そういえば、吉兵衛は彦佐爺の弓の師匠だっけ。いや、でも、腰が痛くて起きれないって言っていたような……?
疑問はすぐに解けた。
「おおい、おゆき! お前さんの考えたお婆の腹巻、こりゃ具合がええと評判だったから、昨日、弥助に作らせたぞ! たしかに随分、具合がいいぞい! わしの腰も、ほれ、このとおりピンピンしとる!」
と、大喜びする吉兵衛さんの声が聞こえてきたからだ。
前に、お婆に作ったダーメンコルセットもどき、どうやら弥助さんが量産しているらしい。こんなときに役に立とうとは。
残る敵は、三次さんのみ。
「三次さん、あんた以外は、全員死んだ。おとなしく捕まるんだな」
源太にぃの声に、三次さんが獰猛な唸り声をあげて、刀を振り回しながら襲い掛かる。
源太にぃは落ち着いて身をかわし、斬撃をかいくぐって、忍び刀の鞘で三次さんのみぞおちに猛烈な突きを放つ
腹を押さえ、うずくまる三次さんが、手に何かを持っているのが見えた。
「源太にぃ、危ない! 焙烙玉っ!」
源太にぃが、私の声にはっとし、ぱっと数間の距離を飛び退り、身を伏せる。
「おゆき坊、あぶねえ!」
新八さんが、私の身体を抱きかかえた瞬間、三次さんの身体が爆音とともに四散した。
身を伏せる間もなく、新八さんもろとも爆風に吹き飛ばされる。視界が爆炎で埋め尽くされ、熱風に息が止まる。そのまま、地面にたたきつけられ……私は意識を失った。
どれくらい気を失っていただろう。いつのまにか、私は長の屋敷の、寄合の間にいた。
あれれ? 眼をさましたばっかりなのに、何で私はここで立っているんだろう。
里の大人達が、長の屋敷を慌ただしく出入りしている。
「くそっ! 里の周りはすっかり囲まれちまっている。敵の手勢もわからねぇんじゃ、手のうちようがねえ」
歯がみする彦佐爺の横で、私は震えている。
「兄者、長が……嘉助あにぃが今、息を引き取ったぜ」
伊佐次さんが、鎮痛な面持ちで彦佐爺に告げる。
あれれ? 伊佐次さんは、まだ里の外で探索に当たっているんじゃなかったっけ。それに長が死んだって、いったい何が……
遠くで、爆音がするたびに、空気が震えて戸板がカタカタと音を立てる。すぐ近くで、怒号や悲鳴が聞こえる。
彦佐爺に、どうしたの、何が起きたの、敵はすべて仕留めたんじゃないの、と訊ねようとしたが、声が出ない。
私の意志とは関係なく、口が言葉を紡ぐ。
「爺、怖い……」
「おゆき坊、大丈夫だ。旦那様がいなくても、俺がお前を守ってやる。心配するこたぁねえ」
だが、彦佐爺の表情はかたい。
父は――冴木源次郎は、敵の奇襲から私を守ったときに、爆発に巻き込まれて死んだ。この私は、それを知っている。
怖い……怖くて仕方がない……身体が恐怖にうち震える。自分の意志とは関係なく、両目から涙があふれ、嗚咽が漏れる。
違う! 私は里の人たちと一緒に、戦うんだ! 皆を守るんだ! と自分に言い聞かせようとしたけれども、私の身体も口も、まるで私の心から切り離されたように、思い通りにならない。
ふと、自分の手が視界に入った。
剣など握ったことがないような、いかにも柔らかそうな両手を見て、私は悟った。
これは、きっと過去の私だ。前世の私がみた、ビジョンの中の光景だ。
桐生の里が焼き討ちにあい、一族が全滅した日。それを、私は過去の私自身として体験していた。




