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桐生の一族

 桐生の一族は、十八年前の忍び狩りで全滅の危機に晒されたこともあり、結束が非常に高い。そんななかで、確かに三次さんは他の里の者たちと異なる空気を纏っていた。


「兄者、三次の野郎が人嫌いなのは今さらだが、なにかい、抜けそうな前触れってのがあったのかい」


と、彦佐さんが長に問う。


「いや、まだ抜けたと決まった訳ではないが……三次が里の周りの見張りに立ったときに、奴がひそかに大井街道のほうまで足を延ばしているのではないかと、権蔵が申しておったのだ」


 権蔵さんは長の右腕で、彦佐さんと同い歳だ。強面に似合わず、細かい配慮がきき、人望もある。(わけ)え頃はとんだ暴れん坊だった、とは彦佐爺の言だ。


 その権蔵さんが三カ月前、見張りから戻ってきた三次さんの山袴に健胃草の花がついているのを目にとめた。健胃草は小菊に似た白い花が特徴で、自生しているのは大井街道の近くだ。


 不審に思った権蔵さんは、その場では三次さんを咎めず、三次さんの動きに警戒し始めた。その後も、三次さんが見張りのたびに疑いを深めるような出来事があったという。


「俺が権蔵から三次の動きが怪しいと聞いたのは、半月ほど前のことだ。里の外のものと連絡をとりおうているやもしれぬ、と先ほどまで権蔵と話していたところよ。ときに小平太よ、お前と新八を狙った連中は、どこのものか見当はつくか」


「ええ、ありゃあ戸張の忍びだ。円陣を組んで仕掛けてくるやりかたに、見覚えがありますぜ」


「そうか、ご苦労だったな。無事に戻ってくれて、本当に安堵したぞ」


 長の言葉に、小平太さんが頭をかきかき答える。


「いや、正直いうと、俺も今度は危ないところでしたぜ。連中、大した腕じゃねえが、新八をおぶってちゃ、こっちはとても相手できねえ。こりゃたまらねえ、と思って指笛の合図を飛ばしたら、源太とおゆき坊が来てくれたってわけだ。源太の身のこなしは、伊佐次譲りだな。匕首の遣いようは、彦佐のとっつぁんに瓜二つだ。それにおゆき坊の手裏剣の腕ときたら、さすがに彦佐のとっつぁんと、おときの仕込みだ。惚れ惚れしたぜ。九つの歳で、忍びを三人仕留めるなんざ、なかなかねえ」


 ううう。褒められすぎると、どうも落ち着かないよ。私が耳まで真っ赤になっている横で、


「そうかい、そうかい、おゆき坊の働きがそんなによかったかい」


と、彦佐爺は上機嫌だ。そんな彦佐爺の姿に長が笑みを漏らす。


 それから一刻ほどたって、源太にぃや里の男衆が戻ってきた。


 捕えた忍びを肩に担いだままの源太にぃを先頭に、戻ってきた男衆が長の屋敷に入ってきた。


「長、新八の具合はどうですかい」


と一番に口を開いたのは、源太にぃの斜め後ろにいた弥助さんだ。


 弥助さんは手先が器用で、里の皆が入り用な道具をあれこれ作ってくれる、何でも屋さんだ。我が家の鍋や食器から農工具まで、すべて弥助さんのお手製だ。里の皆が使う武具の修理なども引き受けている。


 伊佐次さんによると、


「弥助も、弥助の死んだ親父も、一度作り方を見たものは、自分で工夫してなんでも作っちまう。妙な才もあったもんだ」


とのことで、弥助さんの手先の器用さは父親譲りらしい。いかにも職人気質な人で、口数も少なく黙々と手を動かし続けるが、お礼をいうと、


「なあに、てえしたことねぇ。また何かあったら、いつでも来な」


と言って、にやりと笑いかけてくれる。


 その弥助さんが、心底心配そうな様子で、新八さんの安否を長に問う。


「弥助はな、新八の従兄さ。新八の両親が早くに死んじまったから、弥助と新八は兄弟も同然に育ったってわけだ」


と、彦佐さんが小声で教えてくれた。


「まだ安心はできぬが、毒が回らぬよう腐った右脚を切り落とし、薬湯を飲ませたところだ。今日明日が山だろう。お前も、新八の傍で励ましてやれ」


 長の言葉に、弥助さんは厳しい表情のまま頭を下げた。弥助さんの後ろ姿を見送ったあと、源太にぃは肩に担いでいた忍びを床に転がした。猿ぐつわをはめられ、縄でぐるぐる巻きに縛られた忍びは、白目をむいて猿ぐつわの隙間から泡を吹いている。肩にかつがれての木渡りの術を喰らったせいだ。


 無理もない。私も里に来たばかりの三年前、伊佐次さんに背負われての木渡りを体験したあとは、視界がぐるぐる回って大変だったもの。里に戻って地面に足をついた瞬間、コテンとひっくり返ってオエオエ吐くはめになったよ。


 あのときは彦佐爺が


「おい、伊佐次! てめえ、おゆき坊になんてことしやがる! ちっとは加減しやがれ」


と、たいそうお冠で、四半刻くらい伊佐次さんを追っかけまわしながら、ポカポカ小突いていたっけ。


 見たところ、源太にぃにも、里の男衆にも怪我はなさそうだ。みんな無事に帰ってきてよかった、と安堵する。だが、帰ってきた者たちの表情は険しかった。


「小平太たちが仕留めた奴らのほかは、里の周りに怪しい奴はいねえ。だが、あのあたりの見張りについていたはずの、三次が消えちまった」


 戻ってきた里の男衆の報告に、権蔵さんが呻いた。


「やはり、三次のやつ……」


 絶句する権蔵さんの言葉を、長が続けた。


「抜けた、か。おおかた、戸倉の忍びを里の近くまで引き入れたのも、三次の仕業であろうよ」


 長の言葉に、源太にぃが目を見開く。


「三次さんが? いったいなぜ……」


「源太、細けえことはあとだ。一族を抜けるやつなんざ、俺の爺さんの代から聞いたことがねえ」


 源太にぃの言葉を遮る彦佐さんも、困惑した顔だ。


「里の男衆、女衆で動けるものは全員、ここへ呼べ。彦佐、冴木様もこちらにお越しいただくように」


 長の言葉に、その場にいる皆が、慌ただしく動き出す。


 しばらくして、彦佐爺に伴われた父が長の屋敷にやってきた。


「長、おおごとだな。さきほど彦佐からあらましを聞いたが……俺の力になれるやもしれぬ。話を聞かせて貰えないか」


「いいえ、むしろ大恩ある冴木様には……おゆきと源太を連れて里を出ていただきたいのです」


 思いがけない長の言葉に、私は戸惑う。なぜ……どうして……


「この里が三年前から狙われているのは、冴木様もご存知のとおりです。三次が手引きしていたせいでしょう、これまで里を狙う者どもの尻尾すらつかめず、連中の狙いについては言わずもがな、でした。三次が抜け、奴が連中とつながっていることがわかったいま、確実に言えることがある」


 長は苦渋に満ちた表情で、告げた。


「三次の狙いは、われら一族の血を絶やすことです」


 長の言葉に、父は驚きの色を隠せない。


「穏やかではないな。なぜ、身内の三次がそのようなことを?」


 彦佐爺はやや驚いた風ではあるが、そこまでではない。


「そうかい……三次のやつが……」


 と言ったきり、押し黙った。


「その訳は、私から説明させていただくとするよ」


 ガラリ、と戸を引き、私達がいる部屋に入ってきたのは、お婆だ。齢九十八を迎えるが、ますます気炎を吐く日々だ。彦佐さんとの、どこか微笑ましい毒舌合戦も、相変わらずだ。


「なんだね、いい歳の男が雁首揃えて、こりゃまたしけた顔してるねえ。こっちは、可愛い弟子の新八が死にかけで戻ってきたってきいて、急いで部屋を出てきたっていうのに、なんだかとんでもない話になっているじゃないか。ふん、私も混ざらせてもらうよ」


「こりゃまた、うるせえのが来たぜ」


と彦佐さんが毒づく横で、長が慌てる。


「お婆、最近は腰の調子がことのほか悪い、といって、ずっと部屋に籠りきりだったじゃないか。大丈夫か」


「なに、おゆきが作ってくれた腹巻みたいのが、存外に具合がよくてね。これを巻いてりゃ、随分と楽さ」


 あ、使ってくれたんだ。腹巻みたいなの、とは、いわゆるコルセットだ。驚くほど頑強なお婆でも、寄る年波にはさすがに勝てない部分がある。お婆は腰椎、つまり背骨の圧迫骨折をきたしていた。痛みで動けないと足腰が本当に弱ってしまう。だから、細かく割った竹を火にあぶって手曲げし、それを幅広の布に縫い付けて、コルセットを作ってみたんだよね。昨日、お婆に完成品を渡したばかりさ。


「悪くないよ、おゆき」


 お婆がにやっと笑った。


「さて、冴木様、本題といきましょうかね。おゆきも、源太もよくお聞きよ」



 源太にぃも、私も、神妙な顔をして父の横に座った。


「冴木様、大恩あるお前様にも、まだお話していない一族の秘密がありますのさ」


 お婆は静かに語り始めた。


「桐生の一族の始まりは、二百年ほど前に遡りましてね。まだきな臭い戦乱の世だ。ある武将が戦いの末に首をとられ、家臣の妻女のうち一握りのものだけが、なんとか城を抜け出し、命からがら逃げ伸びた……」


 どこへと行くあてもない逃亡の日々に、女たちは次々と命を落とし、身分の低い家臣の娘が三人、生き残ったという。その三人は、冬の寒さに震えながら、無謀にも山越えを試みた。その途中で、敵の残党狩りに見つかってしまう。女の身の哀しさよ、抵抗もままならず、あっけなく捕らえられた。女たちは舌を噛まぬよう猿ぐつわをかませられ、着物を剥がれた。飢えた男達の肉体が柔肌にのしかかろうとした瞬間、異変が起きた。


 女たちを襲おうとした兵たちは、みな身体に大穴をあけられ、首から上を失い、その場に崩れおちた。呆気にとられた娘たちの前に、この世のものとは思えない美しい若者が現れた。兵たちを倒したのは、その若者だった。どこか白い光を帯びているように見え、娘たちは着物を羽織るのも忘れて、その姿に見とれた。


 その若者は、そのあたりに住まう不老の妖だった。人の姿をしてはいたが、本当の姿なのかどうかはわからない。娘たちの身の上を聞き同情した若者は、大きな狼の姿に変化し、娘たちを背に乗せて、自分の住処に連れ帰ったという。その後、三人の娘はそれぞれ若者と契り、赤子が生まれた。若者と娘たちの間にできた子供は合わせて十人で、どの子も成長すると不思議な力を使えるようになったという。


 若者は三人の娘や子供たちに愛情を注ぎ、力の使い方も教え、子供たちはすくすくと育った。一番上の子供たちが十五の歳を迎えたとき、若者は娘と子供たちに、住処を与えた。山深い土地ではあったが、気候は穏やかで作物もよく育った。


 ときどき、その里に余所者が迷いこむことがあった。たいていは若者の力で記憶を消されて、いるべき場所に戻された。おそらく、神隠しにあって戻ってきたと思われているはずだ。


 若者はときどき里に顔を出していたが、月日が流れ、三人の妻が老いてこの世を去ってからは、その姿を見たものはいない。


 里ができて四十年が過ぎた頃、一族の者のなかから、血気にはやり、里の外で一旗あげようという者が何人か出てきた。その者たちは、不思議な力を使い、鬼神のごとく戦場で活躍した。だが、過ぎた力は恐怖の対象となる。里の外に出た者たちは、戦いが終わると化け物と呼ばれ、皆、むごい殺され方をした。


 深手を負いながらもかろうじて里まで逃げ延びた者が、妖狩りのことを一族に伝えた。追手が里に辿りついたときには、里はも抜けのからだったという。


 流浪の果てに、一族は里を再興した。表立っての戦さ働きをしなければ、不思議な力も目立たぬだろう、と、里を出たものは忍びとしての道を選んだ。これが、桐生の一族の成り立ちだ。


「冴木様、わたしらの一族には、妖の血が流れていますのさ。里の外で生きようとすれば、化け物として殺されるのがおちさ。そういうふうに互いに戒めながら、私ら一族は生きてきた。だから、桐生の一族は、これまで抜ける輩がいなかったってわけですよ」


 まあ、驚くほどのことではない。だいたい、前世の記憶を持ったまま別の世界に生まれ変わった私や先生の例もあるし、いまさらだよね。オカルト雑誌の月刊ナントカも真っ青だ。


 むしろ、『この世のものとは思えない美しい若者』ってほうが気になるぞ。そんなのがいたら、お目にかかりたい。こういうのって大抵美化されているんだろうな。だって、先祖がブ男です、って様にならないもん。


 ちらっと横目で父と源太にぃの様子を窺うが、二人とも特に驚いた様子はない。


 お婆は拍子ぬけしたようで、


「冴木様も源太も驚かないね」


といい、くくくっと笑った。


「もしかすると、お前たちのような人ならざる力がことのほか強い者を、『妖』と呼んでいただけかもしれぬしな。幽霊ではないのだ、きっと足もあったのであろう」


と、父はこともなげに言う。


「一族の由来はわかったが、俺は生まれてこのかた、そのような話は聞いたことがない。なぜだ?」


と、源太にぃは不満気だ。その問いに長が答える。


「お前が生まれたときに、里の皆で決めたのだ。我ら一族はこのまま絶え、お前だけが残される。そのお前に、我らが一族の戒めを伝えたところで何の意味があろう。せめて我らが一族の歴史からは自由にさせてやりたい、と思うたのだ」

 

 彦佐爺が、肩を落として続ける。


「源太、ただな、人ってのはそうそう割り切れるもんじゃねえ。俺たち年寄り連中がお前に忍びの術の修行をしろと口を酸っぱくして言ったのは、俺たちが鍛えてきた術を、どうにかしてお前に伝えたかったからだ。お前を自由にするといいながら、とんだ年寄りのわがままさ。源太、すまねえ」


 頭を下げ、肩を振るわせる彦佐爺を見て、源太にぃは表情をやわらげ、両の腕で彦佐爺の肩を抱きしめた。


「爺、確かに俺は三年前まで、忍びの術や秘術の修行が嫌で嫌でたまらなかった。それどころか、里を抜け出して自由に生きたいとさえ思った。だが何も知らずに俺の腕で里の外にでても、力の使いみちも知らず、生甲斐もなく、それこそ化け物として討伐されるのが関の山だろう」


 彦佐爺を見つめる源太にぃの眼は、澄みきっている。


「俺は忍びとして生きることを決めてから、心の曇りがすっかり晴れた気がするぞ。この道をまっすぐ行けば、俺はきっとどこまでも強くなれる。守りたいものを守れる力を得られる。爺、これからも俺に、知っていることを全部教えてくれ。どんなつらい修行でも耐えるから」


 源太にぃの言葉に、彦佐爺の両目から涙が溢れ出る。


「源太、お前ってやつは……」

 

「それにな、爺、俺は確かに剣術も好きだが、俺が剣の修行をしたところで、とうてい、ゆきにも敵うまい。教えてくださる冴木様には申し訳ないが、俺は剣については、自分の才をとうに見限ったぞ」


 朗らかに笑う源太にぃの顔を見て、彦佐爺にも笑みが戻る。


「ちげえねえ。九つの妹分に負けちゃ、才もへったくれもねえ」


 彦佐爺と源太にぃの様子を満足気に眺めていた父が、真顔に戻り再びお婆に尋ねた。


「桐生の一族の事情はわかったが、それではなぜ、三次は里を抜けたのだ」


「三次には、里を恨んでもおかしくない理由があるんですよ。冴木様、一族の貰い子の話を聞いたことがありますかえ」


「ああ、忍びの術は凄腕だったが、秘術はまったく使えなかったそうだな」


「その貰い子と、里の娘との間にできたのが三次の父親で、この子は秘術を使えた。だが、その子と里の娘のできた子は、三次だけが秘術を使えて、三次の弟と妹は、まったく秘術の素質がなかったのさ」


 秘術が血筋によるならば、こういうこともあるだろう。隔世遺伝ってやつだ。


「昔は里の外の者と契りを結ぶことも珍しくなかったから、そういうこともたまにあったはずだがね。妖狩りのことがあってからは、一族の中で夫婦になっていましてね。秘術を使えない子が一族に生まれたのは、私が知る限る代になってからは、一人もいないね」


「それで、三次の弟と妹はどうなったのだ」


「私らは、その子たちを桐生の忍びとして育てるのは諦めようと決めましてね。弟と妹を、里の外へ貰い子に出すことにしましたのさ。だが、三次の母親が手許で育てたいと半狂乱になってね、むりやり引き離して弟と妹を里の外に出しちまったんですよ。信頼できる商人に金を渡して、ね」


 お婆が嘆息する。


「だが、それっきり三次の母親は心が壊れちまった。自分の旦那に、あんたの血筋のせいだ、としつこく責めて、ついには三次の目の前で父親を刺し殺し、自分も首を掻っ切って死んじまった。三次はそんな境遇だからね、人嫌いなのはもちろんだが、桐生の血筋だなんだ、秘術がなんだってのは、嫌気がさす話だろうさ」


「俺も、三次の母親が暴れているってんで飛んでいったが、いやはや天井まで血飛沫が噴き上がる惨状だったぜ。ありゃあ、子供の前で見せるもんじゃねえ」


 彦佐爺が当時を思い出しながら、顔をしかめた。


 半狂乱の母親が父親と無理心中するのを見て、幼い三次さんはどう思っただろう。思わず背筋が寒くなる。


 長が、父の目をまっすぐに見る。


「この一件、身内の不始末から起きたできごと。大恩ある冴木様を巻き込むわけには参りません。まだ年若い源太も、われら一族の因縁に巻き込むのは酷というものでしょう。どうか、おゆきと源太を連れて、里を出ていただけますまいか」


 父は腕を組み、私を見る。


「ゆき、お前はどうしたい」


「父上、長、私は里に残る。皆と一緒に戦う」


 当たり前じゃないか。みんなを守るって誓ったんだ。


「長、俺も残るぞ。当たり前だ。それに、ゆきを置いていけるか」


 源太にぃも、少し憤慨した様子で長に食ってかかる。


 父は私と源太にぃの言葉ににやり、と笑い、長に告げる。


「源太もゆきも、こう申しておるぞ。どれ、俺も残るとするか」


「でも、冴木様……」


「なあに、俺もむざむざやられはせん。それに、ゆきもこう見えて、いっぱしに剣を遣うぞ」


「それはそうでございますが……」


「兄者、諦めな。冴木様もおゆき坊も、それに源太も、こうなっちゃ梃子でも動かねえ」


 彦佐さんの一押しで、ようやく長が頷いた。


「ようございます。くれぐれも、御命を大切にされますよう」


 源太にぃがそっと私の袖を引き、囁く。


「ゆき、絶対に生き残るぞ」


「うん」


 死んでたまるかい。絶対に、皆で一緒に生き残ってやる。


 そうこうしているうちに、里の皆が長の屋敷に集まってきた。


「冴木様、こちらへ」


 長の案内で、寄合の間に移動する。寄合の間に入ってきたお婆を見て、里の人達がざわめく。


「なんてこった、ここ何年もお婆の姿を見ていねえが、随分ぴんぴんとしているじゃねえか」

「あの、しゃんとした腰の伸び具合を見ねえ。九十八の歳であれだ、やっぱりお婆は人外の域だぜ」

「これは間違いなく、俺や、うちのかかあのほうが先にくたばるわ」


と、例によって随分な言われようだ。


「静かにおし、嘉助から皆に大事な話があるそうだ。無駄口はあとで叩きな」


と、お婆がぴしゃりというと、すぐに場は沈まった。長がよく通る声で、仔細を語り始める。


「もう皆も聞き及んでおろうが、三次が里を抜けた。三年前から里を探っている連中と、通じているに違いない。源太達が下忍をひとり捕えたゆえ、いくらかはお婆の秘術で事情がわかろう。三次が我らの手の内を敵に洩らしているゆえ、敵は我らの秘術の弱点も掴んでおろうよ。いつなんどき、襲撃があるやもしれぬ。みな、いつ戦いになってもよいよう、十分に備えよ。新八の一件は、これとは別かもしれん。まだ喋れぬ容体ゆえ、仔細はわからぬが、いまできるかぎりの手当をしているところだ。詳しい指示は、追って伝える」


 秘術の弱点――十八年前の忍び狩りで一族の若手が命を落とした原因が、それだ。秘術は発動に時間がかかるうえに、精神の集中を要する。彦佐爺のように、地を駆けながら手裏剣に秘術を乗せられる者は、他にいない。秘術が使えなければ、桐生の忍びといえども、身体能力が高いただの人だ。奇襲をくらい、防戦一方で秘術を使う間もなく、みな殺されてしまったらしい。


 寄合が終わり皆が長の屋敷を出たあと、佐爺が、捕らえた忍びに水をかけて、起こす。目覚めた忍びは、捕らわれの身であることに気がつき呻く。


「おい、こっちを見な」


とお婆の声に顔を上げた忍びは、お婆の双眸に射すくめられ、再び意識を失った。


 お婆の読心の秘術は、一回だけ経験したことがある。三年前、お婆に初めてあったときのことだ。お婆に見つめられた瞬間、強い眩暈に襲われた。あの一瞬で、お婆には私の秘密を見透かされてしまったっけ。


 だが、あのときはお婆も相当加減して術を使ったのだということがわかる。お婆が捕えた忍びに読心の秘術をかけた瞬間、忍びは気を失い、それっきり二度と目を開けることはなかった。息をしているし心臓も拍動しているが、意識は戻らない。そのうちに全身が強く痙攣し始めた。おそらく、脳波になんらかの異常が出ているのだろう。


「楽にしてやるぜ」


 彦佐爺が、忍びのぼんのくぼ――項の窪みに棒手裏剣を突き立てた。ここには延髄の呼吸中枢がある。呼吸が止まり、じきに心の臓も止まり、ただの骸となった。


「お婆、何かわかったか」


長の問いに、お婆は少し顔をしかめて答えた。


「ああ、やっぱり下忍だね。黒幕まではわからないが、連中の狙いはわかったよ。連中が狙っているのは、私達の生き血さ」


「な、なんだってえ。そりゃ、ほんとかい」


「彦佐坊、ほんとのほんとさ。それも、女衆の生き血に限る、ときたもんだ。なんでも、私達の生き血が、不老不死の妙薬だってことになっているらしいわな。権力と欲に凝り固まった連中が、不老不死の妙薬なんて話を耳にしたら、飛びついて、あの手この手で里を狙うわけだ」


「おおかた、三次が一族憎し、で、かような出鱈目を誰かに吹き込んだのであろう。男衆は問答無用で殺し、女衆は捕えて辱めを加えたうえで生き血を絞る、か。三次のやつ、それほどまでに一族を恨んでおるのか」


 長が、深い深い溜息をついた。


 生き血、か。うへえ。こりゃまた随分と猟奇的な。思わず源太にぃと顔を見合わせて、肩をすくめる。


「まったく、とんでもねえ出鱈目もあったもんだ。三次の野郎、ほっとけばどんなデマを流すかわからねえ」


と、彦佐爺は憤る。


「彦佐、その通りだ。一刻もはやく、三次を誘い出して始末せねばなるまい。だが、機会は一度きりだ。一度逃せば、奴も警戒して二度と姿を現さぬだろう。敵に気取られず、万全の体制で敵の襲撃を誘い込む。そのための仕掛けを、いろいろとせねばなるまいよ」


 にやりと笑った長の顔が、なにやら楽しげに見えた。


 話し合いが終わるころには、すっかり夜も更けていた。屋敷の奥の部屋に寝かされている新八さんの様子を覗きに行く。穏やかな寝息をたてる新八さんの傍で、弥助さんが寝ずの番をしていた。


「源太、おゆき坊、小平太さんから聞いたぜ。お前たちが新八と小平太さんを助けてくれたんだってな。お陰で新八のやつ、なんとか持ちこたえそうだ。礼をいうぜ」


 そうか、よかった。一時はどうなることかと思ったけれども。


 彦佐さんに手を引かれながら、父や源太にぃとともに、我が家への道を歩く。空には、ぽっかりと大きな月が、赤く輝いている。


 月を見上げながら、前世で見たビジョンを思い出す。冷たい骸となって、赤い月を見上げていた記憶を。


「おゆき坊、なんだかブルッと来たが、寒いかい」


「ううん、爺、違うよ。たぶんね、武者震い」


「そうかい、そりゃ頼もしいや」


「爺、本当にゆきは、勇ましい子だな」


 彦佐爺と源太にぃが仲睦まじく話している様子をみると、胸が温かくなる。家族っていいな。


 源太にぃには、先生のような想いをさせてなるものか。


 この戦、絶対に勝つ。

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