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鳩が豆鉄砲

 布団の中で目を覚ました。


「起きたかい。朝餉ができているぜ」


 彦佐さんの声に、目をこすりながら布団から這い出る。うーん、炊き立てご飯の、いい匂いがする。ちょっと寝すぎたかな。


 気がつくと、返り血を浴びた服も、洗濯したての着物に着替えているし、なんか顔も身体もさっぱりしている。寝ている間に、湯浴みもさせてもらったみたいだ。


「うーん、おはよう……ございます」


 ちゃんと朝一番に挨拶ができるって、気持ちいいね。


「やっぱり思ったとおり、おゆき坊は可愛らしい声だ。な、俺のことは『爺』って呼びねぇ」


「じゃあ、爺、おはよう」


「よしよし、いい子だ」


 彦佐さんが、目尻を下げてにこにこしている。うーむ、私のこと溺愛しすぎだよう。昨晩、鬼神のごとき働きをした忍びとも思えん。


 熊さんを看取ったあと、私はいつの間にか眠ってしまったらしい。戦いの疲れか、ひとしきり泣いて疲れてしまったせいかは、わからないけれど。


 寝入りばなに彦佐さんが、


「おゆき坊、本当に喋れるようになったんだなあ。よかったなあ」


と、感涙にむせび洟をすすりあげていたっけ。今まで騙していて、ごめんね。もうこれで、しゃべれない振りをしなくて済むよ。結果オーライ。


 部屋の襖ががらりと開いて、手ぬぐいを下げた源次郎さんが入ってきた。顔を洗ってきたところだな。


「父上……おはようございます」


 源次郎さんは、にっこりと笑いながら腰をかがめ、私の顔を覗き込む。


「ゆき、以前のことを、何か思い出したか」


「……ううん」


「そうか」


 源次郎さんは、それ以上は聞かなかった。もう、ずっと記憶喪失のことにしておこう。いつか……源次郎さんと彦佐さんには、本当のことを話すときが来るかもしれないけれども。


 三人で朝餉をとりながら、私が寝ている間に起きた出来事を聞く。


 あれからすぐに、旅籠の主から連絡をうけて、代官所の役人と捕り方がやってきたらしい。まだ息のある浪人を役人に引き渡したほか、忍びや浪人者の骸も、役人たちが運んでいった。


 死んでいたのが、見るからに怪しい忍び装束の連中と、春日井藩への仕官が叶わず五ノ井の町で乱暴狼藉を働き要注意人物として名があがっていた浪人達だったため、源次郎さんへの役人の心証は悪くなかったらしい。簡単な事情聴取はされたが、源次郎さんが役人に


「これはご内密に願うが、実は御公儀のお役目でな」


と囁き、ちょっとした心付けを渡したところ、無事、お咎めなし、となったそうだ。


 浪人や忍びたちの骸は、城下を騒がせ凶行に及んだ咎で、さらし首となる。


「後藤殿については、我らの助太刀をしてくれたと役人に伝えたところ、ちゃんと弔ってくれるそうだ。無縁仏として葬られるが、な」


と、源次郎さんにきき、ほっとする。


「あのあと、代官所の役人に鼻薬をきかせて聞き出しやしたが、あの浪人によると、事がうまくいった暁には篠崎藩にお取立てがあるぞ、と中忍の爺さんが口を滑らしたらしいですぜ」


「篠崎藩、か」


 源次郎さんが箸を置き、腕を組んで考え込む。


「確か、村上主膳殿の御息女が藩主に嫁いだな」


「御老中様の御姫様が、ですかい」


「中忍の口からでまかせ、という可能性はあるが……気になるな。だが調べるにしても、まだ決め手に欠ける」


 おお、老中ですか。源次郎さんが仕えていた上柴様が亡くなったあとに、老中の座についた人ですな。所謂、悪い老中って奴ですか? テレビ時代劇の頻出パターンだ! と燃えるところだけど、いかんせん源次郎さんが当事者だけに、素直に燃えられない。いや、むしろ困る。老中が実は敵とか、非常に困る。


 源次郎さんが、再び口を開く。


「それに、俺自身は、御老中に命を狙われる覚えがない」


 源次郎さんも彦佐さんも、渋い顔だ。そんな顔じゃ、飯がまずくなりますよう。深刻な雰囲気に、思わず私も箸を止めてしまったけれども、まずは飯だ、飯。考えても、わからんものは、わからん。


「父上、しじみ汁が冷めます」


 うむ、贅沢にしじみが使われているから、出汁がよくとれている。こりゃ旨い。


 私がぱくぱく朝餉を食べるのを見て、源次郎さんと彦佐さんが顔を見合わせ、ぷっと噴きだした。


「そうだな、今、頭を絞ってもわからんものは、わからんな」


 そうそう、まさにそれ。


「いや、おゆき坊にはかなわねぇや。どれ、しじみ汁をもう一杯、貰うとするか」


 美味しいものを食べると、気持ちにも余裕が出る。現時点では御老中を疑うには証拠が少なすぎる、ということで、ひとまず桐生の里に向かって出立することになった。


「桐生の里に、敵を呼び込むことになるまいか?」


 源次郎さんの懸念に、彦佐さんは胸を張って答える。


「なんのなんの、いまいる桐生の者は、俺も含めて百戦練磨の手練れですぜ。来るとわかってりゃ、大抵のやつには、引けをとることはありやせん。心配しないでおくんなせえ。それに、旦那様には返しても返しきれねえ大恩があるんだ」


 傍でそのやりとりを聞き、胸騒ぎがした。


 前世で見た、荒廃した里のビジョン。桐生の里が彦佐さんのような手練れの集団だとしたら、いったい里に何がおきたのか――いや、これから何が起きるのか。この老中の件と、なにか関係があるのか。


「どうした、おゆき坊。浮かぬ顔をして」


「ううん、なんでもない」


 いま考えても、わからんものはわからん、よ。




 翌朝、たつ乃屋を出立した。


 夜討ちのせいで、旅籠のなかはひどい有様だ。だが、五ノ井の治安を乱す賊を捕えるのに協力した、とかで、たつ乃屋の主には藩から褒賞が出るらしい。


 たつ乃屋の主は、自分の旅籠を襲ったのが押し込みの類だと思ったらしく、客や旅籠で働く者たちに被害が出ずにすんだことを、喜んだ。


「冴木様には、なんとお礼を申してよいか。手前どもにできることは、なんでもさせていただきますゆえ、おっしゃってくださいまし」


と執拗に引き留める主に、源次郎さんは


「なんのなんの、通りすがりに首を突っ込んだまでよ。そなたらが無事で、なによりだ。拙者らはこのまま出立するゆえ、いらぬ気づかいは無用だ」


 と、しれっと答える。


 うわあ……


 襲撃が、実は源次郎さんを狙ったものなんですよ! ここの旅籠は巻き添えを喰らったみたいなもんですよ! なんて、言えない。とても言えない。


 彦佐さんが、私の顔をちらっとみて、うつむく。よく見ると、肩が小刻みに震えていて、くくくっとくぐもった笑いが聞こえる。しまった、私、そんなに変な顔しているかなあ。


 そういう訳には、と、たつ乃屋の主は金子の入っていそうな包みを、源次郎さんに押しつける。


 源次郎さんが包みを開くと、小判がひい、ふう、みい……五枚。小判一枚で、だいたい十万円相当か。太っ腹だなあ。


 源次郎さんは、小判を一枚だけとって彦佐さんに渡し、残りをたつ乃屋の主に返した。


「それほどまで言うならば、この一枚だけ貰うておくぞ。建屋の修繕もあって物入りだろう。大切に使え」


 源次郎さんの言葉に、たつ乃屋の主は平身低頭だ。


 むむ。これが大人の交渉術、ってやつか。実はこっちにちょいと後ろめたいところがあることを、相手に微塵も気取らすことなく、あくまでもスマートである。そして、いちいちかっこいい。最後には、さらに恩をうった形になっている。これはすごい。見倣わねば。


 出立する私達を、たつ乃屋の主と旅籠の者たちが、頭を下げていつまでも見送っていた。


 ……なんか、居心地悪いよう。


 五ノ井の町を出て、大井街道を西に向かう。まわりに他の旅人がいない時を見計らって、源次郎さんが私に声をかけた。


「さきほど、たつ乃屋の主と話しているときに、お前が目を白黒させているものだから、笑いをこらえるのが大変だったぞ」


 たまらず、彦佐さんが噴きだす。


「いや、本当に、鳩が豆鉄砲くったみたいな顔たぁ、あのことだ」


「ゆきよ、実のところをいうとな。飯屋で浪人達がたつ乃屋に押し込みを働く相談をしているのを、たまたま聞きつけた、と、あの主に説明してあったのだ」


 源次郎さんが、おかしそうに笑う。なるほど、自分の旅籠が狙われている、と思えば、協力的にもなるものね。役人に警護を頼むにしても、証拠がないと動いてくれないだろうし。


「あとな、主が差し出した金をあまりにも断ると、むしろ怪しまれるからな。少しだけ受け取り、残りは先方が納得する理由をつけて返せばよい。そうすれば、向こうも引っ込みがつくというものよ」


 ふむふむ。勉強になりまする。


「敵は少ないほうがよく、味方は多いほうがいい。ほんのちょっとしたことで、人は敵にも味方にもなる。言いかたひとつ、常日頃の心がけひとつが、お前が生き延びる助けとなる。これを忘れるでないぞ」


「はい、父上」


 うんうん、と隣で彦佐さんが頷いている。

 

 敵の正体はまだはっきりしないが、目下の危機は過ぎ去った。旅空も、心なしか今までより澄み渡っているような気がする。


 さて、そろそろ、彦佐さんの名所案内が復活するかな。

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