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百年はええ

 その後、源次郎さんに連れられて、本殿に参拝した。

 

 浄土宗の寺で、御本尊は阿弥陀如来だ。源次郎さんがチャリンと賽銭を投げ入れ、二人で並んで手を合わせる。


――みんなで生き伸びることができますように


――源次郎さんと彦佐さんが無病息災で過ごせますように


――みんなを守れるくらい、強くなれますように


――そして……高木さんが悔いのない人生を送れますように

 

――くれぐれも、高木さんが孤独死しませんように


 源次郎さんが随分長い間、手を合わせているから、その隙にたくさんお願いごとをしちゃったよ。欲張りすぎかなあ。


 この世界の神様仏様を信心すると、私が元いた世界にもご利益があるんだろうか。高木さんが無理しすぎていないか、ほんと心配だよ。神様仏様、どうかよろしくお願いします。


 御本尊が何だろうが、神社だろうかお寺さんだろうが、『神様仏様』で済んでしまうんだぜ。いや、実に便利な言葉だ。


 向こうで私が死ぬ直前に、『生まれ変わったら今度こそ高木さんと家族に』って願ったけれども、私、こっちの世界に来ちゃったしな。どうなんだろ。さすがに無理だよなあ。


 私が一通りの祈願をしたあとも、しばらくの間、源次郎さんは目を閉じて手を合わせていた。


「そろそろ、行くか」


 源次郎さんの声も表情も、いつもどおりだ。よかった。


 一緒に過ごすようになって二ケ月半になるけれども、源次郎さんも彦佐さんも、公儀の隠密として長い年月を過ごしてきたとは思えないほど、情が深く、気持ちがあたたかい人たちだ。


 私も、これから剣の道を歩んでいく中で、人としての道を外さずに生きられるだろうか。そうありたい、な。


 おっと、これも願掛けに追加しとかなきゃ。


 帰りしな、源次郎さんが小さな守り袋を買ってくれた。浅黄色の小さな袋に、綺麗な細い組紐がついている。うわ、可愛いお守りだなあ。


「俺は生来の不調法ゆえ、お前に、こういうことしかしてやれんが」


と言いながら、私の首に守り袋をかけてくれた。


 いやいや、十分だよ。すごくうれしいよ、本当にありがとう。


 感謝の気持ちをこめて、源次郎さんの腕に抱きつく。私の前の人生では、こんな風に父親と一緒に出歩くなんてこと、全然なかったもの。私は幸せものだよ。願わくば、この幸せがいつまでも続きますように。


 源次郎さんと連れたって、元きた参道を戻る。先ほど、浪人が腹を切ったであろう場所も、すでに掃き清められており、何事もなかったかのようだ。道端に供えられた一輪の花が、わずかに人の死の痕跡を残す。


 源次郎さんが、その花の前で立ち止まり、手を合わせた。


 そのまま寄り道をせずに、私達が泊っている旅籠――たつ乃屋に戻ると、一足先に彦佐さんが帰ってきていた。


「連中、二日後の夜に、ここへ夜討ちをかけるつもりですぜ」


「火つけのような(はかりごと)はないか?」


「そこまでする気はないようで。あと、旅籠の者や他の客には、手向かわないかぎりは手出しをするな、と中忍の爺さんが浪人どもに指図していやした」


「さすがに役人を敵に回すつもりはない、か。とはいえ、気持ちが高ぶり無益な殺生に及ぶ者もいるだろう。手筈を整えておかねば、な」


それから夕餉の時間になるまで、源次郎さんと彦佐さんは入念に打ち合わせをした。




 そして、さしたる動きもなく、二日がたった。


 彦佐さんによれば、今晩、この旅籠に夜討ちがあるはずだ。こちらの戦力は源次郎さんと彦佐さんの二人。かたや敵はというと、名倉の忍びが八人。雇われ浪人が十五、六人。浪人のうち三人が槍の遣い手だという。槍遣いのうちの一人は後藤又七郎という、髭面の浪人だ。私は勝手に、熊さんと名づけているけど。


「名倉の下忍どもは、まあ敵じゃございやせん。所詮は町育ちの連中で、忍びの術は半人前だ。このまえの焙烙玉みたいな物騒な代物を持ち出されちゃあ、ちょいと手こずるが」


 彦佐さんの評が手厳しい。なんでも、名倉の忍びは、もともと名倉の里と呼ばれる山深い地域の出だったが、一族が勢力を拡げた結果、諸国に雇われ、そこで生涯を終える者が大半となった。現在はそういった忍びの子孫の代になっているため、名倉の忍びの技もちゃんと伝承されていないのだという。


「町育ちの忍びは、歩きかたからして基本がなっちゃいねえ。この旅籠に近づいてきたら、二町向こうからでもわかりますぜ」


 源次郎さんが笑う。


「お前たち桐生の里の者は特別だ。まともに立ち合えば、俺でも勝てるかどうかわからないぞ」


「と、とんでもねぇ! 冗談はやめておくんなせえ」


 焦って顔の前で両手を振る彦佐さんをみて、思わず吹き出しそうになる。かくいう私は、ただいま習字の練習中だ。旅の途中も欠かさずに訓練した結果、宿敵・崩し字の読み書きもなんとか形になってきたぞ。ふぅ。


 一休みしようとしたとき、源次郎さんから声をかけられた。


「ゆき、そこに座れ」


 源次郎さんの前にちょこんと正座をする。


「これを抜いて、構えてみろ」


 源次郎さんに、鞘に納めた脇差しを渡され、おそるおそる受け取る。


――え? なに?


 この幼女の身体には、脇差ですらずしりと重い。前世でも、先生から真剣を借りて据物斬りをやったことは何度かあるけれども、基本的に稽古は木刀だったしなあ。

 

 言われるがままに、立ち上がって脇差を抜刀し、正眼に構える。うーん、やっぱり手が小さいとおさまりが悪いな。もともと身長の割に手は小さいほうだったけれど、なにしろ幼女だもんなあ。


「そのまま、何度か振ってみろ」


 脇差を振りかぶり、そのまま斬りおろす。


 斬りおろした瞬間に、中指を支点にして薬指と小指を軽く握りこむ。こうすることで、物打ちの軌道を微調整し、骨を断たずに腱や血管などの軟らかい部分だけを引き斬りすることが可能になる。


 この手の内の遣いかたは、真剣を前提とした剣術ならではのもので、剣道とは違うんだよ、と高木さんが言っていたっけ。


 うーん、やっぱり手が小さいってのは、それだけでハンデだな。すごくやりにくいや。


 でも、久々に剣を握れた喜びが、身体中に広がる。一瞬、源次郎さんが傍で見ていることを忘れるくらいに。

 

 こうやったら、もうちょっと手のおさまりがいいかな。ええと……次はこうやってみようか。


 頸動脈を狙った一太刀の軌道を確認したところで、源次郎さんの声が聞こえて我に返る。


「ゆき……剣術の心得があるな?」


 ぎくっ


「誰にならった?」


 ぎくぎくっ


 しまった、久々に剣を握ったもんだから、嬉しくって調子にのりすぎちゃったよ。


 ちらっと上目遣いに源次郎さんを見る。なんだか、すごく真剣な表情だ。


 ええとですね、私の剣の師匠は、多分あなたの弟子でですね、こっちで死んでからあっちの世界に来たってことで、私が知っている名前は『杉正巳』なんですけどっ、きっとそんな名前、知らないですよねっ


――というのを、どうやって説明すりゃいいんだ。というか、記憶なくしている設定ですよ。うむむ。


「記憶はなくしていても、身体は覚えている、か」


源次郎さんが、ぽつり、と言った。


――ええっ?


「お前のような幼子が、これほど剣を遣えるようになるには、いったいどれほどの鍛錬を積み重ねたことか。きっと、幼子らしい楽しみもない日々だったのだろう。俺は、お前が不憫でならぬ」


 うぐぐ。なにその、私に都合のいい解釈。いや、渡りに船なんですが……


 だましているような気がして……いや、結果としてだましているんだけどさ。りょ、良心の呵責が……


「そんなに、ですかい?」


 しんみりした空気が漂う中で、おそるおそる、彦佐さんが訊く。


「ためしに、自由に剣を振らせてみたが、最後の五本は、太刀筋に迷いがなく恐ろしく正確だった。刃筋の冴えも、手の内の工夫も、並の剣客より練られているぞ」


 うーん、幼女だけど剣術歴二十六年ですからっ。それに、両脚が自由に動かなくなってからは、最初の一撃と切り返しの精度を追及して、そればっかり稽古をしてきたからなあ。手の内が練られているといえば、そうなんだけど……


「それに、俺の太刀筋に似ている。いや、手の内の工夫は、源太に似ているな。不思議なことだが」


「えっ、源太の野郎に、ですかい」


「うむ。あやつに請われるがままに剣を教えてみたが、筋はいい。手の内の工夫には、目を瞠るものあるぞ。ただ、あれは功を求める気持ちが強すぎて、これ以上剣を教えていいものか、俺も悩んでいるところだ」


「源太の野郎、忍びの子なら忍びらしく、忍びの術の修行をしろってんだ。俺に隠れて剣の修行をするなんざ、百年はええ。旦那様、うちの孫が余計な心配をかけちまって、本当に面目次第もございやせん」


 憤慨したり、しょんぼりしたりと、彦佐さんの表情が目まぐるしく変わる。


 ええっと、つまり源太ってのが、先生の前世での名前で、彦佐さんの孫ですか……そうですか……


 そういえば、彦佐さんと初めて会ったときに、誰かに似ているような気がしたんだよな。彦佐さんはワイルド爺さんで、先生は理知的な某お奉行様顔だったけれど、言われてみれば、笑ったときの目じりが確かにそっくりだ。


 いや、でも、生まれ変わったら、さすがに前と同じ顔じゃないよね? どういうことだ、こりゃ。


 ちょっと混乱してきたぞ。この世界には謎が多すぎる。


 自分の顔は、というと、前世での自分の幼少時の顔をよく覚えていないから、なんとも言えない。子供の頃の私の写真なんて、一枚もなかったからなあ。


 さて、孫の話に平常心を失う彦佐さんを見て、源次郎さんは苦笑いだ。


「まあ、そう言うな。さすがはお前の孫よ。今でも、そこらの武芸者が相手なら、そこそこの仕合をするだろう。忍びの修行については俺が口出しすることではないが、剣に関しては大目に見てやれ」


 彦佐さんは、渋々頷き、その様子がまた源次郎さんの苦笑いを誘った。


「さて、ゆきよ」


 源次郎さんに名を呼ばれ、神妙な面持ちで正座する。ふう、一難去ったぜ。


「一里塚での斬り合いのときの、お前の動きを見て、もしや剣も遣えるのではないかと思ってな。今日、試しに剣を振らせてみたのだ。いやはや、俺の予想以上だぞ。お前にはいつも驚かされる。いまは身体も小さいゆえ、大した働きはできぬと思うが、慢心せずに修行を続ければ、行く行くは女ながらに優れた剣客になるだろう。俺は、お前を育てるのが楽しみでならぬ」


 驚かされる、の一言で済んでよかったよ。源次郎さんと彦佐さんが特別におおらかなのか、この世界の人の傾向としてそうなのかわからないけど。


「今宵の夜討ちのことだが、俺は一対一ならば、どんな相手であろうと、けして負ける気はせん。ただ、入り乱れての乱戦になったときに、お前を守り切れない場合もあるだろう。その脇差はお前に預ける。いざというときは、自分で身を守れ。いいか、けして死ぬでないぞ」


 おうよ、死んでたまるか。初めて、守られるだけの存在じゃなくなったのが、少し嬉しく……そして、誇らしかった。この心の動きに、自分で苦笑する。


 これはあれだ。お父さんに褒められて嬉しい、ってやつだ。


 この幼女の身体に、心が引きずられているかもしれないな。

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