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幼女になってしまったようだ

 焼けつくような痛みで目を覚ました。


 右の肩から左の腰にかけて、激痛が走る。このあっちこっち痛い感覚には、なんだか覚えがあるぞ。そうだ、十年前の事故のあと、集中治療室で目を覚ましたときも、こんな感じだったよなあ。また、あの時の夢を見ているのかなあ――それにしては痛みがリアルすぎるけど。


 いつもの夢なら、ここで看護師さんがやってきて、鎮痛薬の点滴をしてくれるんだよね……なんて思ったけれど、待てども待てども誰もこない。


 しばらくすると、頭がはっきりしてきた。えーっと、私、死んだよね? 自分の心臓が止まる瞬間も、自分の葬式もちゃんと見てたし。しかも、もう思い残すことないや、と思って、昇天したと思うんだけど。なんだか白い光に包まれて、いかにも昇天しました! みたいな実感が。


 痛みに顔をしかめながらうっすらと目を開けた。見慣れた病室の天井ではなく、古びた天井の木目が目にはいる。ちょっと湿っぽい、雨のにおいのする風が、頬を撫でる。


 風が来るほうを見ようとしたが、顔を横に向けるのも、首筋が痛くて一苦労だ。ぎぎぎっと自分の首が軋んだような気がしたが、なんとか右を向くと、開け放たれた窓が見えた。


……和室だよね、これ。


 私が今寝ているのも、病院のベッドのマットレスと違って布団だ。


 ぎぎぎぎっと、首を軋ませながら反対を向くと、箪笥とか、襖とか、ちゃぶ台のような机といった、いかにも和室な設備一式が見える。


 畳敷きの部屋の片隅には、編み笠や男物の羽織や、竹で編んだ旅行李(たびごおり)――いわゆる旅行鞄――が置いてあった。いかにも旅の装備である……ただし、江戸時代の。わかってしまうのは、私がテレビ時代劇ファンだからだ。ううむ。


 おそるおそる、自分の両手を掛布団から出してみる。


……小さっ!


 第一印象は、それだ。薄い黄色の病衣――じゃなくて、浴衣のような服の袖から、ちっぽけな幼女の手が覗いていた。


 ちょっと待て、状況を整理しようじゃないか。


 食い詰め浪人っぽい、絵に描いたような悪人面の男が自分に刀を振りおろそうとした瞬間に、相手の頭がまるごと吹っ飛んだのは、うっすらと思い出した。


 自分がたぶん昇天しただろう瞬間から、悪人面の男に斬られそうになるまでの記憶が、丸ごと抜け落ちている。


 そして、なんだか江戸時代っぽい。しかも、私は幼女になってしまったようだ。


 それに、なんとなく、だけど――自分がいた世界の江戸時代とは違うような気がするんだよなあ。テレビ時代劇的には不自然じゃないんだけど、この時代って、確かちゃぶ台ないよね? いや、自信ないけどさ。あと、庶民は掛布団を使わないんだよな。ここは旅籠だから、あってもいいのかなあ。うーむ。知識があやふやである。


 なんだか、先生と逆パターンの現象が起きたような気がするぞ。武芸者だった前世の先生は、無残に斬り殺されたあと、気がつくと少年の姿で大正時代の東京を彷徨っていたという。それまで浮浪児として生きてきた記憶がまったくなく、いきなり前世の記憶が蘇ったらしい。

 

 それと同じことが、私の身に起きたのかもしれない。ここが、先生がいた世界かどうかはわからないけれど。この世界での元の記憶がないってのは厄介だな。さてどうするか……


 まてよ、その前に確認しなきゃ。


 首と肩の間には、腕にいく重要な神経の束がある。右の肩から袈裟懸けに斬られているから、その神経の束が切れちゃっていると、手が使えなくなっちゃうぜ。整形外科医としては、すごく心配なのだよ。


 こわごわ、肩を前とか横に動かす。よし、痛みで動きが渋いけれど、動くことは動く。次に肘と手首を順に曲げ伸ばしする。よし、大丈夫だ。次に、グーチョキパーの形に指が動くことを確認――よし、ちゃんと動くぞ! ついでに両方の脚の動きも問題なし。うん、ばっちりだ。


 安堵して気が抜けた瞬間、部屋の襖がガラッと開いた。


「お嬢ちゃん、やっと目が覚めたかい!」


 ぬっ、と老爺が私の顔を覗き込んで、にかっと笑った。ぎょろっとした迫力のある目つきだが、笑うと垂れる目じりのせいで、どことなく人懐っこい印象を受ける。なんだか、懐かしい感じがするなあ。誰かに似ているんだよな。


 おっと、このおじいちゃん、ちゃんと月代を剃って、町人髷を結ってるぜ……いやはや、本当に江戸時代だよ。ナチュラルすぎて、うっかり突っ込み忘れるところだったよ。


「おおい、旦那様ぁ! 娘っこが目を覚ましましたぜ!」


「そうか!」


 老爺が大きな声で呼びかけると、張りのある声で返事があり、もう一人の男が大股で近づいてきた。


「おい、娘! 大丈夫か?」


 ああ、この人は、侍だな。彫りの深い、精悍な顔つきだ。年の頃は、五十歳くらい、ってところだろう。


 どうやら、この二人が私を助けてくれたらしい。


「俺は、冴木(さえき)源次郎という。こちらの男は、俺の供のもので彦佐(ひこざ)という名前だ。娘、何があったか覚えているか?」


……さて、最初のピンチだ。いや、一度、食い詰め浪人っぽいやつに殺されかけたから、二度目のピンチか。下手なことをいうと、ボロが出そうだ。なにしろ、私はこっちの世界での記憶がまったくない。しかも、しれっと嘘をいったり、しらばっくれたりできるほど、器用じゃない。


 それに、この二人はいかにもいい人っぽい雰囲気だけど、私は騙されやすいんだよな。優しくされると、信じたい気分になるというか、信じちゃうというか。


 とりあえず、ショックで記憶をなくして、声が出なくなった設定にしよう。時代劇で、事件に巻き込まれた子供が出てくるときの、鉄板パターンだ。記憶がなくなっているのは本当だしね。


 私は、源次郎さんの問いかけに対して、無言でかぶりを振って、目を伏せた。


「そうか。それではお前の名前はなんという?」


 とにかく、首を左右に振りまくることにした。知らんもんは知らん。


「旦那様、もしやこの娘っこ、声がでないんじゃ……」


 彦佐さん、ナイスフォロー! 思ったよりも早く気づいてもらって、助かる。


「そうなのか?」


 その問いに無言で頷きつつも、源次郎さんの気遣うような声に心が痛む。


 やっぱり、すごくいい人達のような気がするなあ。ちゃんと傷の手当もしてくれたみたいだし。やむを得ないとはいえ、騙すことになって、本当にごめんなさい。


「恐ろしい体験をすると、一時的に記憶をなくしたり、声が出なくなったりすることがあると、いうしな」


「医者に見せますかい? いや、でも、あのヤブに見せたら、余計に悪くなっちまう」


 思い出したように憤慨する彦佐さんを見て、源次郎さんが苦笑した。


「こういう病は、時間が解決するのを待つしかない、というぞ」


 うん、私もそうして欲しい。この世界を観察して、理解することが先決だ。いつまでもしゃべれない振りをするわけにもいかないから、ボロが出ない程度に知識がついたら、ちゃんとしゃべるよ。


「とりあえず、呼び名をつけねばなるまい。そうだな……行平(ゆきひら)街道で助けた子だから、『ゆき』という名はどうだ?」


「おゆき坊か。いい名だと思いますぜ」


 ううう。源次郎さんのネーミングセンスが絶望的に安直すぎる。たった今、思いつきました! みたいなのを前面に出すのってどうよ。彦佐さんも、無邪気に喜んでいる場合じゃないですよう。


 というか、その名前って……


 相原有希(ゆき)――前の人生での、私の名前だ。


 そして、先生が前世で可愛がっていた少女の名前も『ゆき』だ。私が死ぬ直前、この『ゆき』という少女の夢を見た。正確に言えば――思い出したくもないが――『ゆき』の骸とシンクロしたかのような夢だ。私は夢のなかで、廃墟と化した村のなかで打ち捨てられ、前世の先生と思われる人に、埋められた。いわゆる土葬だな。


 なんか嫌な予感がするなあ。


 今の私って実はその子になってしまっているという、まさかのトンデモ展開になってそうで怖い。数年後に、死体になって埋められて終了、っていうオチの。


 いやいや。同じ名前だからといって、先走って無駄に不安になることはないぜ。前世の先生がいた世界かどうかも、わからないし。


 それに、いかにも江戸時代っぽい世界だけど、そもそもの前提として、江戸に幕府があるかどうかも怪しい。とにかく、私はこの世界のことを何も知らないんだよな。


 この人たちに助けられたのは幸運だった。だが、いつまで一緒にいてくれるかわからない。善人ぽいから、まさか売り飛ばされたりはしないと思うが……この世界の常識がわからないから、ひょっとしてひょっとしたら……


 次から次へと不安のネタは尽きない。


「娘、これからお前の名は『ゆき』だ。いいな」


 源次郎さんが一秒もかからず適当に決めた名前だけれども、この状況だと、頷くしかないだろう。まあ、長年使った自分の名前だから、それなりに愛着もあるし、ね。コクコクと頷いた私は、源次郎さんの次の言葉に仰天した。


「そして、俺はお前を自分の娘として育てようと思う」


――えええっ? 


「旦那様、旦那様! 話が急すぎますぜっ。ほら見なせえ、娘っ子……じゃねぇや、おゆき坊がぽかーんと呆けちまって」


「ああ、そうか。すまん」


 そういうと、源次郎さんは、ことの経緯を話し始めた。


 この街道で悪名をはせていた追剥ぎの一団に襲われて、私の両親と思われる男女二人が惨殺されたらしい。


 残った私も殺されそうになり、源次郎さんと彦佐さんがかけつけて、間一髪助かったけれど、肩から背中にひどい傷を負っておった。それから生死の境をさまよい、事件から三日後の今日になって、ようやく意識を取り戻した。


 役人の調べによると、私の父親は江戸の小間物問屋で、理由はわからないが八年前に江戸の店を畳んで姿を消したという。妻をどこで娶ったかはわからず、当然、私が彼らの実の子かどうかもわからないそうだ。


 また、父親は江戸に身寄りがなく、孤児となった私を引き取ろうという親族もいない。


――江戸は、ちゃんとあるんだ


 ちょっと安心した。

 

「仔細はお前が記憶を取り戻してから訊くことになるが、ゆき、お前は柔の術の心得があるようだ。俺たちが駆けつけたとき、お前が刀を持った男を一人、倒したのを見た。二人目の男にも柔に似た技をかけていたぞ」

 


 んんん? 柔の術? ああ、柔術のことか。記憶にあるのは、自分が斬り殺されそうになる瞬間からだけど、その直前に、私はなにかやらかしたらしい。たぶん、無刀取りと、少林寺拳法の技のなにかを使ったんだろうなあ。


「俺は、剣術一筋で生きてきて、それ以外に取り柄のない男だ。お前の武の才を見てな、お前に剣術を仕込んでみたいと思ったのだ」


 源次郎さんが、私の眼をまっすぐ見つめている。この人の、この言葉は本当だろう。だって、剣術バカっぽいもん。剣道のことを語るときの、高木さんの目にそっくりだよ。私もたいがいの剣術バカだし、ね。バカはバカを知る。


 ただの武芸者にしては身なりが整っているし、この人がどういう素性の人かはわからないけれど、信用できそうだ。それに、記憶もなく幼女の身で放り出された私に、ちゃんと身寄りができるのは願ってもない幸運だ。うん。


 私はにっこり笑って、頷いた。


「よし」


 源次郎さんが顔をほころばせて笑った。


「おゆき坊、よかったなあ、よかったなあ……」


と、隣で彦佐さんが(はな)をすすっている。うわ、本当にいい人だよ。


 こうして、私は『冴木ゆき』として生きていくことになった。

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