第一部最終話 この世界に生まれて、よかった
私の葬儀は、抜けるような秋晴れの日に行われた。
喪主は、先生のときと同じく、高木さんだ。入院前に準備していた自分の葬儀は、家族葬レベルの簡素なものだったけれど、入院直前に高木さんが
「お前にお別れをいいたい人間もいるだろう? 残される人間の気持ちにも少し配慮しろよ」
と言って、会場も声をかけた範囲も、私が予定していたより規模が大きくなった。そのあたりは、私よりも人生経験が豊富な高木さんに、全部任せることにしたよ。
実の父と母は、消息がわからなかった――というよりも、私が知ろうとしなかった――ので、私が死んだことを知らないだろう。母とは、父と離婚してからそれっきりだ。母が親権をとった兄も、今はどこでどうしているのやら。父とは、父が再婚した時点でほとんど交流がなく、私が警察官になってからこのかた、一度も会っていない。
式が始まるまでの間、私は会場の後ろの隅っこにいて、次々にやってくる参列者のひとたちを眺めていた。
警察学校の同期は、結構たくさん来てくれているみたい。同期っていいよね。
あとは、これまで勤務した署でお世話になったひとたち。
「うちの県のリハビリを改革するぜ運動」を一緒にやってきた仲間たちもいるよ。
あとは、医学部の同級生が何人か。大学時代の少林寺拳法部の同期数名。
みんな忙しいのに、ありがと。
それにしても、みんな私のすぐそばを通りすぎていくのに、私の存在にまったく気がつかないなあ。まあ、霊体だからねえ。なんか変な気分だよ。
そう思っていたら、こちらをちらちら盗み見している人がいる……むむっ! おぬし、私のことが見えているな? ああ、あの無駄にいかつい五分刈り頭は、警察学校の同期の、神崎だ。神社の息子で、隔世遺伝で霊感があるといっていたっけ。おーい、って手を振ったら、にやりと笑って片手をあげて挨拶してくれた。ちょっと嬉しいぞ。
お! そろそろ式が始まる。前のほうに移動しておくか。
霊体だけの存在になったけれど、姿かたちは私のままだ。正確には、十年前に事故で右脚を失う前の、今よりも十歳若い外見だ。といっても、うちの家系は父方も母方も老化が遅いので、見た目の年齢に劇的な差はないと思う。左膝も、今はフル可動さ。
死んでしばらくの間は、霊体だけのからだの使い方がよくわからず、足もとがなんだかフワフワして頼りないせいで絶望的に歩きにくかった。葬儀までに二日間あったから、すっかり慣れたよ。両脚がちゃんと動くのって、こんな感じだったっけ。すっかり忘れていたよ。嬉しくって、さっきも葬儀場の前でダッシュしていたら、通りすがりの幼女に
「ママー! 変な人がいるー!」
って指差されて、愕然としたよ。
というわけで、会場の前のほうにはゆっくり歩いて移動した。喪主をやってくれた高木さんの、左後ろくらいにいようかなあ。一応、主賓だしね。
お坊さんの読経や、弔辞や焼香が恙なく進むのを、私はじっと眺めていた。
最後は、高木さんの挨拶だ。
「喪主といたしまして、皆さまにご挨拶を申し上げます。相原有希が幼少の頃から兄がわりをつとめてまいりました、高木哲と申します。本日は、ご多忙のところ遠路ご会葬を賜りまして、ありがとうございました。篤く御礼を申し上げます」
高木さんは、深く一礼する。
「有希は同じ剣術道場の兄弟弟子です。ひたすらまっすぐに剣の修行に没頭する、幼い有希の姿を、今でも鮮明に思い出します。成長した有希は私と同じ、県警に奉職いたしました。ご存知のかたも多いとは思いますが、十年前、パトカーに乗務していた有希は、玉突き事故に巻き込まれて、右脚を失い、左膝にも怪我を負いました。そのときに、なにか自分の命について思うことがあったのでしょう。退院した有希は、後悔しないようせいいいっぱい生きたい、といって、この十年間を駆け抜けるように生きてきました」
直立不動で話す高木さんの声が、浪々と響き渡る。
「亡くなる前、有希は、もうこの人生で思い残すことはないと申しておりました。また、周りで有希を支えてくださった皆様がいてくださったから現在の自分がある、とも申しておりました。長いとはいえない一生でしたが、私は兄として、彼女の生き方を誇りに思っております。また、有希にかわりまして、皆様に御礼申し上げます。このように皆様に見送られて、故人も心から喜んでいることと思います。本日は誠にありがとうございました」
最後に深く一礼してから顔をあげた高木さんの両目が、ちょっと充血していた。
私も、涙ぐみそうになった。高木さん、最後まで本当にありがとう。私がみんなに伝えたいことをちゃんと伝えてくれて、ありがとう。
――子供のころは、いじめにもあったし、いつもひとりぼっちでいた。
それでも曲がったことをしなかったのは、こりゃ間違いなく時代劇のお陰かな。勧善懲悪、大好物だもの。
それから先生と高木さんに会って、剣の道に没頭して、大学で少林寺拳法部の仲間ができて……
警察学校では同じ釜の飯をくった仲間が沢山できて、医療業界にきてからも、同じ目標にむかって進める人たちがいた。
いつの間にか、こんなに沢山の人たちに囲まれていた自分がいる。
人と人の出会いって、いいね。みんな本当にありがとう。
私はこの世界に生まれて、よかった。四十九日にはまだ早いけれど、そろそろ行こうかな。
最後に、高木さんの背中にそっと抱きついてみた。すり抜けそうな――うわ、本当にすりぬけるぞ、なんてこった。不確かな手ごたえだけど、不思議なことにぬくもりは感じる。
自分が小学生のとき、大好きだった背中だ。大きくなってからは、さすがに恥ずかしくて抱きつかなくなったけど。今は誰も見ていないからいいや……あ! 神崎!
そっと横目で、中央・前から五列目にいる神崎を見ると、こちらをガン見している。おい、見るな。あっち向け、あっち。腕を大きく交差させてバッテンをつくって合図すると、神崎は小さく頷いて、下を向いてくれた。相変わらず、いいやつだ。
最後に、もう一回、背中に触れてみた。
人間としても剣士としても、大きな人。大好きだよ。また次の人生でも、出会えたらいいな。またね。
最後のお別れも済んだし、じゃあ、行くか。
先生、十年間ありがとうございました。誓い、守りましたよ――そう念じると、自分の霊体があたたかな白い光に包まれて、意識がゆっくりと溶けていくのを感じた。
(第一部・完)




